dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

マツコさんが言っていたのですが、
誰にでも愛想よくしていると嫌われる、と。
若いうちはそれでもいいかもしれないが、大人になると相手からおざなりだと見抜かれ
嫌われると言っていました。

だけど、好き嫌いで態度を変えるのは子供だと思うし、
無愛想より愛想が良いほうがお互い気分悪くならのに、
どうして八方美人はいけないのですか?
皆に良い顔して悪口を言ったりしては八方美人は嫌われるのは理解できるのですが、

むしろ、無愛想より八方美人の方が大人の対応だと思うのですが、
なぜ嫌われるのですか?

A 回答 (9件)

誰にでも礼儀を持って振舞う、のが大人の対応なのではないですかね。



誰にでも愛想をよく・・・相手がどんな人だって、では相手がどんな人なのか見ていない 媚び諂う事が重要で相手の中身はどうでもいい ともとれますよね。

特別をつくらない事で誰に対しても壁を作ってるともみられるかも。

コミュニケーションを取って相手を知っていきたい人には自分を開示しない人、しょっぱなから不可能なひと
上司で人柄、考えを知りたければ どんな意見にも良い顔をする自分のない人
とも思えるかも。

自分の話に頷き同意し同じような考えを話してた人が、同時に全く異なる意見、真逆の意見にも同じことしてたら信用できませんよ。


ちやほやされる若いうちはにこにこしてりゃ何とかなるかもしれないけどいつまでもそれじゃダメだよ。
って事じゃないかな?
    • good
    • 0

誰からも好かれたいと思っていること、そのために自分に無理して合わせていることが大人になれば見抜かれるから。

    • good
    • 0

共演の有吉さんも言ってましたが、「八方美人」は褒め言葉ではありません。


質問者さんも意味を取り違えているように思えます。

八方美人=「だれに対しても、如才じょさいなく振る舞うこと。また、そのような人。どこから見ても欠点のない美人の意から。▽「八方」はあらゆる方向。この言葉は、悪い意味で用いられることが多い。」

とのことで、ここに出てくる「如才なく」は、「気が利いて手抜かりがない。愛想が良い」だそうです。

これだけ読むと質問にあるとおり「無愛想より誰にでも愛想が良い方が良い」となりますが、八方美人の対比語を「無愛想」とするから肯定の考えとなってしまうのでしょう。

「誰に対しても」を悪行を行う人、人を傷つける人に対しても、ととるといかがでしょう?
悪をも見過ごす、歩調を合わせる人を信用できますか?

都合の良い相手には愛想が良く、都合が悪い、嫌いな人に対しても感情を表に出さず上手に付き合うのなら社交術に長けた人とも言えますが、悪をも見過ごし歩調を合わせるとなると「長けた」と言うより「いい加減」となりませんか?

「八方美人」の類義語で調べたら、
不実・忠実・二股・信用・如才・要領・賛成、みんなに“いい顔”をする・だれにも“甘い顔”をする・あちこちに媚を売る・あっちにもこっちにもいい顔をする・(愛嬌を)振り撒く・気が多い・誰からも好かれたい(性格)・誰からも嫌われたくない(性格)・当たりさわりなく(応じる)・深入りしない・どっちつかずの・“中立”の(立場)・“調整型”の(リーダー)
要領のよい・いい加減な・無責任な・安請け合いによる~・調子がよすぎる・実(じつ)のない・不実の・“政治家”的(振る舞い)・信用できない・節操がない・けじめがない・信頼できない・惚れっぽい(だけ)・右顧左眄(うこさべん)の・“ばら撒き”(予算)・(相手によって)言うことが違う・(話の内容が)ばらばら・一貫しない・真剣さが見えない

など出てきました。

「誰からも信用され好かれる」なら多くの方からの評価として素晴らしい限りですが、「誰にもいい顔する」となると人格者というよりいい加減な感じしますよね?
おそらく前者は、悪いことは正し忠告しつつ、「罪を憎んで人を憎ます」でしょうか、その人ととの交流を立つのではない人を指すのでしょう。

後者となると化けの皮が剥がれ、徐々に取り巻きは減っていくのでは?

「相手を思い言うべきことは言う」。これがほんとの「人としての」美人なのかと思います。
    • good
    • 0

番組では「八方美人で頑張ってるのに、愛想悪い人のほうが信頼される」というような内容だったと思いますけど。



怒り相談だから「それはあなたが八方美人だから」という回答です。

八方美人で世の中をスイスイ渡って悩んでない人はたくさんいると思います。
その違いは、美人で八方美人か、美人でなく八方美人かなのかな?

芸能界は人生の縮図だと思いますが、中途半端は生き残れないんですね。
90%はどうしようもないけど、10%は素晴らしいって人が生き残っていると思います。
影の部分があるから光の部分が映えるんですね。

芸能界で八方美人だとすぐに飽きられるような感じがします。


あの3人、昨日は特に不思議な空間を醸しだしてましたね。
    • good
    • 0

八方美人の種類にもよると思いますよ。



所謂、太鼓持ちと言われるように媚を売るような八方美人は間違いなく嫌われますよね。番組で前提としているのはこういう人のことだと思います。

対して、本質的に八方美人的な要素を持っている性格(思考回路)の人っていますよね。わざわざ事を荒立てる必要はないし、様々な人の立場に立ってものを考えられる人です。「Aさんはこういう面もあるが、もしかするとこういう意図があるかもしれない」と一面的な価値観で判断するのではなく、様々な可能性を考慮するんですよね。こういう方は悪い人を悪いと、嫌いな人を嫌いと言い切れないところがあります。言い換えればこれも八方美人と言えると思います。でもこういう人が八方美人と称されるのは当人からすれば本意ではないですよね。

後者の八方美人は和を尊んでいるのですから、世間の修辞が貧相なだけなのですよ。あの番組は討論番組ではなくバラエティですから、演出や編集の都合もふんだんにありますので気にされなくてもいいと思います。


八方美人・・・
・どこから見ても欠点のない美人。
・だれに対しても如才なく振る舞う人。

辞書によるとこう説明されています。もともとネガティブな意味は無かったのかもしれませんね。長文、乱文失礼しました。ご参考になれば幸いです。
    • good
    • 0

八方美人って嫌われるというより、軽く見られますよね、


賛同してて単に合わせてるだけか、その人と価値観が似ていて賛同したのか
その時の雰囲気でわかったりもします。
なにも考えもなく合わせられると、バカにされた感じになりませんか。
「この人、うそっぽいなぁ」と思ったら、嫌いにはなるまではいきませんが、
あまり信用はしませんね、八方美人も大人の対応かも知れませんが、
それに対するこちらの対応も大人の対応をします。
そういう人はそうやって世の中生きてきたんでしょうし。
ただそれってなんとなく寂しいですね。
だったら無骨でも正直に話してくれた方が日頃は近寄りづらいけど、
信頼はできますね、「一目置く」というか。(批判しかしない人とかではなく)
ただこれば番組として「愛想がいい悪い」で2極化して話してはなしを盛り上げていましたが
実際は自分の対応がしっかりしていればだいたいの人に同じような対応を
すると思うし、過剰に愛想する必要もないし、過剰に無愛想にする必要もない。
真ん中をとると思いますね、そこで人によっては愛想よくする場面もあるし、
仲のいい人だったらたまたま愛想が悪かったり不機嫌だったとしても
それを「けしからん」とはならないと思うんですよね。
あとは仲のよい人には自己開示の範囲は広いけど、
嫌いな人には自己開示はあまりない、世間一般的なものだけで。
これは誰もがそうですね、人間社会というコミュニティで生きるための防衛手段です。
ようは芯がある人が場面によって愛想をよくしてるのと、
なにもなくただ人に合わせて生きてる人では同じ態度でも根本が違う、
ということを言いたかったのでしょう、深いねぇ(笑)

マツコも有吉も心が屈折してるので、言ってることあまりあてにならないことが
多いですが、歯に歯を着せぬ物言いは毎回ついついこの番組を見てしまいますね。
    • good
    • 0

こんにちは。



私も見ましたよ。

大人なのだから好きでも嫌いでも、きちんと対応しなくてはいけないということはchiwawachiroruさんのいうとおりだと思います。

でも表面を取り繕って、好きなふりをしてペラペラ喋ったり、相手に合わしても、相手からしたらばれてしまうから止めておいた方が良い、と言ってるんだと思います。

礼儀正しく接するだけなら良いのですが、好きなふりをするのは自分の中にも相手を騙してやろうと言う気持ちがあるわけですよね。

本当に相手を好きになれないなら、好きな振りなんかするなといっていたのだと思います。
    • good
    • 0

うーん、嫌われる、というより、仲良くなれない、といった方が的確だと思います。


「みんなににこにこしていましょう」みたいな人間関係コラムも多くある中、矛盾する意見だなーと私も思いましたが、どちらも真理なのだと思います。人間関係にマニュアルなんてないから。

マツコさんの意見も一理あると思うのは、自分自身の人間関係にも当てはまったからです。
学生時代からの友人で、残って行った人たち、特に一番よく会う人たちというのは、もちろん気遣いもお互いしますが、わりに自己中心的な人たちばかりです。
自己中というか、遠慮をしないというのでしょうか。
気遣われてばかりだと、相手も気遣わなきゃって思いますから、ずっと素になれないんですよね。
与えられると同じだけ返さなきゃって思ってしまうのが人間です。
でも返すのも疲れてしまう。
だから、あんまり与えてこない人といるのが楽です。
たまに与えてくれても、それは向こうがしたくてしたこと、あるいは負担に感じないからしたと分かるので、負担はありません。

もちろんこれは大人の対応ではありません。
でも、プライベートまでずっと大人の対応をしてなきゃいけないのはしんどい。
会社での人間関係だって、何年もずっと毎日一緒に居る人たちです、ある程度はリラックスした関係でいられたら、そういられる人と一緒に居がちになるでしょう。
いつもにこにこしている人は、本心が見えなくて、「建前でそう言ってくれているのではないか…」という疑念も消えません。
結局のところ、何でもかんでも無愛想なのも良くないし、何でもかんでもにこにこしてるのも良くない、ということだと思います。
まぁ、昨日の質問をされた方は、八方美人の仕方もへたくそなんじゃないかなと思いますけどね。
    • good
    • 0

違います



一対一の話ではなく、周りから見た判断です

誰にでも愛想よくしている態度をみんなに見られているということですね


コウモリのようにも見られるし

人に嫌われないように、誰にでも当たり障りのない態度ではダメという意味で、無愛想を肯定してはいませんでしたよ



蛇足として、誰にでも無愛想なら公平な態度ですが、誰にでも良い顔をしていたら、どちらかにそれがわかったとき嫌われることもあります
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。
それです、それです。
「人に嫌われないように、誰にでも当たり障りのない態度ではダメという意味で、無愛想を肯定してはいませんでしたよ」
の意味が解らないんです。
人に嫌われないように、誰にでも当たり障りのない態度はダメ、という意味です。
それを言うと、皆嫌われたくないと思うのが普通ですし、
むしろ当たり障りのない態度を出来る人の方が大人だと思うんですよ。嫌いな人だから態度変えたりするよりは。
悪口を言ったりするのは嫌われて当然ですが。

お礼日時:2013/07/04 17:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!