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麻生さんの発言で気になったのですが、そもそもヒトラーは民主的に首相に選ばれたのですか? 

大統領選でヒトラーはヒンデンブルクに負けています。その後の二度の選挙はナチ党が第一党になってますが、これはブリューニング内閣やパーペン内閣への反発、ひいては大統領内閣への反発という構図ではないのでしょうか?

しかし、ヒトラーを首相に任命したのはヒンデンブルク大統領で、ヒトラー新首相の要請でワイマール憲法を停止したのもヒンデンブルク大統領ですが、それにより合法的にレッドパージを行ない、その最中の選挙の結果によって、問題の「全権委任法」が可決されたようにみえてしまいます。

また、社会権の部分で評価されるワイマール憲法も、制定当時のエーベルト初代大統領からして憲法48条の大権を濫発していたようですし、ヒンデンデルク大統領もこれを多様することで、既に議院内閣制による民主的な体制が崩壊していたように思えます。

稚拙な質問で恐縮ですが、至らぬ理解を助けて頂ければ幸いです。

A 回答 (9件)

一応決められた手順のとおり選出されたというべきでしょう。


ただし今のイメージではとても民主的とは言えません。

当時はまだ民主主義という概念が未熟でしたし
ドイツ人自身も新しい体制に不慣れでしたから
選挙というと暴力がまかり通っていました。

対抗勢力(特にナチスと共産主義)はお互いに相手の
選挙運動を暴力で妨害しあっていたんです。

ナチスの突撃隊という暴力組織は有名ですが
それも選挙での実力行使のために設立されたものです。

ですからとても民主的な選挙とは言えませんが
一応選挙によってナチスは第一党になりました。

「全権委任法」についてですが、
議会が小党乱立で機能を発揮できず、独裁的権限を使わなければ
政治が動かなくなっていました。役に立たない議会に期待できないから
強い独裁的政権が必要だといった空気が支配的だったようです。

あの時共産党が政権を取っていたら逆にドイツは
共産党による独裁政権になっていたでしょうね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます

おっしゃる通り終始に渡り「合法的」な選挙だったと思います。
ですが、総選挙の前に憲法の停止によって言論の自由をはじめ、国民の基本的人権が停止されて粛正活動が行なわれる状態は、まず民主主義の条件を失っていると判断できますし、この状態で行なわれた総選挙の結果を「民主的」であるとはまず考えにくいのです。少なくとも現代人が振り返るとき「ヒトラーは民主的に選ばれた」という判断に至ることには疑問を感じます。

国民的な要請で独裁が生まれたのかはわかりませんが、ヒンデンブルク大統領が憲法48条の大権で独裁的権限を行使することにより解決を図っていたところを、ヒトラーがとって代わったとは映ります。

お礼日時:2013/08/04 00:10

すみませ~ん、ちょっと仲間にいれてね



民主的と云えると思います。

 ドイツと云うのはヨーロッパの多くの民族が行き来する場所でもあり、ヒットラーはその環境に思いが有ったのでしょう。
  子供の頃からしっかりした帝国を意識していたのでしょうね。
 1932年にドイツの国籍を得て、大統領になることに全力を尽くした。その後、僅か一年で大統領に選ばれたのですね。ヒンデンブルクに敬意を表しての選挙を目論んだ、彼の狡賢い頭脳的な判断は素晴らしいとも云える。

学生時代、既にハイルヒットラーの忠誠を尽くす作法も実質行動に表していた。生まれながらの運命的なものを持っていたかもしれませんね。

そんなこと言ったら非難を浴びるでしょうけど。

 そう云った国の環境で、能力の高いユダヤ人を敵対意識に抱いていたのでしょう。
 その意識が大帝国として成立たせることを使命の如くに訴えたものが、多くのドイツ人に共感を覚えさせた。

 現在の自民党に少しは似ているかもしれませんね、麻生首相が考えているのも、大帝国かな。
韓国に毎日責められて、多くの政治家が臆病になっているようですね。
 第二次世界大戦に及んだ、アメリカへの恨み事が、韓国への恨み事と同様にならなければよいですが。
 麻生首相の発言は裏付けられると云えるかもしれませんね。
 
 すみませ~ん、冗談ともなんとも
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

ヒトラーという人物に魅力的な素養が備わっていたのか、大衆の目にそのように映る演出のできる、気のまわる人物であったことは窺えます。 大統領選において多くの票数を獲得している事実は、その証左として十分なのかもしれませんね。

お礼日時:2013/08/04 06:15

すでに回答が出ていますが別の視点から


旧約聖書には昔、ユダヤ民族には王がいなかったのです
ユダヤ民族が自ら王を欲しがり、神がそれで良いのかと尋ねても、それで良いと答えた結論として
ユダヤ民族も王をもつ事になりました
詳しい事は旧約聖書を読んで欲しいのですが、人は独裁を望む事もあるという教訓でした
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この回答へのお礼

新たな視点からのお返事ありがとうございます。

アブラハムの三宗教には疎いですが、現代に至る人類の歴史や体制を紐解く際に、これ以上なく重要な見識だと感じます。 ぜひ機会を設けて触れてみたいと思います。

お礼日時:2013/08/04 00:33

ヒトラーは民主的な方法で首相に選ばれたのは確かですが、選ばれるまでの過程、その時代背景を見ていただければ、いかにもきたないやり方だったとわかると思います。



1 ヒトラーの率いるナチス党が政権を取るため、国会議事堂放火事件が起きて、それを利用して共産党議員のやったことだと罪をなすりつけて逮捕して、自分の都合のいいように進めた。
犯人は元共産党員の単独放火であることにも関わらずにである。

2 当時の時代は第一次世界大戦で敗戦したため、賠償問題、経済不況のため、ドイツ国民が苦しんでいたため、経済を回復するるような嘘っぽい言い方をしてドイツ国民を喜ばせたのだが、実際は金持ちの多かったユダヤ人から金を取っていた。それをやりやすくするため、非人道のホロコーストを考えだして進めた。

そういった意味から、真の意味での民主的な方法で選ばれたのではないとわかると思います。

今のドイツではその反省から、ナチスの考えを受継いだ政治集団を法律で禁止したり(ナチスに賛同するような発言は禁止されているようです)、選挙で票を5%以上確保できない党は一切議員になれないとか、いろいろと制限しているようです。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

やはり、基本的人権を定める憲法が停止された恐怖政治の中での総選挙が、民主主義に基づいていると認めることには疑問があり、いま振り返って民主的に選ばれたと盛んに叫ばれていることが不思議に感じてしまいます。

当時の半大統領制なワイマール憲法とは異なり、現代のドイツ憲法は大統領の行政権限を制限し、歴とした議院内閣制の民主的な国家として機能してると思います。そのせいかドイツの大統領は遠く日本においては耳慣れない人物で、大統領が存在していたことにすら驚いてしまうくらい影が薄い気がするのは私だけでしょうか。

お礼日時:2013/08/04 00:27

議会でヒトラーが首相に指名され、ヒンデンブルク大統領が任命しました。


世界の議会制民主主義の典型的な形式です。
その後、レッドパージが行われて全権委任法が成立したのです。

首相の直接選挙をやってる国は存在しません。
一例だけ、イスラエルが実施しましたが、弊害が大きすぎて数年で廃止でした。

> ブリューニング内閣やパーペン内閣への反発、ひいては大統領内閣への反発
反発が理由だろうが選挙でナチスが第一党になったのは事実です。クーデターで国会を占領したわけではありません。

さて、懲罰動議がどうなるかは存じませんが…
憲法改正反対派2名(あと1名も社民党系と思われますが)
彼らの議員資格を一時停止にすると自民・公明・みんな・維新で議席の2/3以上なんですよね…
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

当時のドイツは比例代表制で多数派が形成できず安定した首相候補をだせないことで、ブリューニング首相もパーペン首相もシュライヒャー首相も議会の指名からではなく、憲法53条の大統領の首相任免権の強調と、憲法48条の緊急令で議会に拘束されない国会軽視の大統領内閣に至っていたので、幾分よそとは事情が異なるかと思います。

また、当時のナチ党が第一党になっていたのは事実ですが、ヒトラーの首相任命も議会の指名ではなく、ヒンデンブルク大統領が決定したものかと思います。

ヒトラー新首相の要請で大統領が解散権を行使し、ワイマール憲法を停止した時点で、その後の総選挙が立憲主義の下で民主的な要件を満たしていない気がしたもので、このような質問となりました。

お礼日時:2013/08/03 20:13

経緯については、他の回答者にお任せするとして、


どうして、ナチスが第一党になれたのか?
どうして、独裁への突き進んでしまったのか?
という理由を考えると、現状と似ているのですよ。

ナチスが第一党になったのは、経済政策に支持が集まったからです。
第一次世界大戦で、敗戦国は巨額の賠償金を要求されて、
その支払いに国内経済は疲弊していました。
もちろん、賠償金だけでなく、世界恐慌など他の要素もありますが、
ナチスが台頭した大きな理由が、「経済」であることは、
注目すべきです。
結局、経済を推進力にして、気がついたら、すべてを握っていた
ということになったのです。

今回の選挙も、経済一色で、原発問題、改憲問題は枝葉の問題に
なってしまった。
麻生氏は、色々と問題発言が多い方ですが、経済には強いと
言われている方でもあります。
なので、経済問題で勝った選挙を見たとき、ナチスのことが
ふと、頭に浮かんだのではないでしょうか。
それを口にしてしまうことが問題なのですが……

つまり、このまま経済を推進力にして、支持を集め続ければ、
改憲などの問題も自然に思い通りになる、という思惑が
働いたのでしょう。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

確かに当時のテーマは全て「経済」だったように思います。
国民の前に示された狭すぎる選択肢がすべて八方ふさがりで裏切られる中のナチ党は、いったいどのように映っていたのか、考えさせられます。

お礼日時:2013/08/03 20:21

 1933年3月5日、ドイツでは総選挙が行われました。

2か月前に首相に就任したばかりのヒトラーが率いるナチスは、この選挙で288議席を獲得しましたが、単独過半数(全647議席)に達しなかったので、連立政権を樹立し、全権委任法を提案しました。
 しかし、実質的に憲法改正になるので、国会の議決には2/3の出席が必要でした。そこで共産党を非合法化し、その81議席を抹消して通過を計ったわけです。

 同年7月にはナチ以外の政党を非合法化し、1党独裁体制が確立しました。議会の議決を経ないでも法案が成立する全権委任法の威力です。

 したがって首相どころか、独裁者になったのも形式的には所定の手続きを踏んだといえることになりますが、それが民主的な手続きと評価できるかどうかは疑問でしょう。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

2月1日に解散してから3月5日の総選挙までのあいだに、ヒンデンブルク大統領はワイマール憲法の国民の社会権や基本的人権にかかる部分を二度に渡って停止して、そのあいだに共産党員など4000人あまりを収容所へ送るなどの活動をしましたが、その状況下での総選挙が、停止している憲法に基づいて民主的な手続きで成されたとは考えにくいので、合法ではありますが質問させて頂きました。

もしドイツ人の立場からみて、民主的に選んだだろ?と言われたらどう思うだろうかと考えてしまいます。

お礼日時:2013/08/03 18:53

そもそも軍事的クーデターなどで政権を奪取したわけではないですからね



 ヒトラー自身選挙で選任されてますしね
 日本でも第一党ではない社会党の村山が第一党である自民党の協力を得て、首相になりましたよね。
 そのような論法が通じるなら村山首相は民主的に選ばれていない、日本は民主国家ではない。そのような結果になります

 無論質問者が直接民主制しか民主政治ではないと思うのならそうかもしれませんが
 間接民主制なら普通の事のように思います

 
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この回答へのお礼

的確な例えでのお答えありがどうございます。

ヒンデンブルク大統領がワイマール憲法を停止してる中で行なわれた国民投票は、立憲主義に基づく民主的な要件を満たしていないように感じての質問でした。

直接民主制は国民が代表者に委ねずに政治決定を行なう制度と理解しています。

お礼日時:2013/08/03 18:39

そうです ヒトラーはドイツ国民によって独裁者として信任されたのです

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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
首相への任命は大統領の意志で行なわれたと記憶しています。

お礼日時:2013/08/03 18:36

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