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 前回の質問では、求めたい回答が得られず、不発に終わったような感じですが、その回答がここで取り上げる文で得られそうで、でもやっぱり難しい。

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 如来の超絶と内在

 華厳、宇宙本来十佛の自境界なれば、如来の自中存在の宇宙現象なれば、即ち内在的汎神論なり。それと共に如来自中存在なる宇宙の中に、因分可説、果分不可説とて、如来の内在なれども、世界は意志によりて実現したる客観界なれば、現象即ち如来自性の本質なりと云う可からず。有為転変の世界即ち如来の本質と同一視すべきものに非ざればなり。

 神と世界とは、質に於いても量に於いても、世界は有限神は無限、絶対と相対、規定と無規の如く、自然は神の中に没入すとも、神は自然の中に没入するを得ず。本質より云うも吾人の認むる萬物の本質は全く神の本質と同じからず。絶対なると、萬有は相対なると即ち広延と思考を有す。神は万有に超絶的なりと云うべし。

 神の本質は絶対的に真善美を以ってす。世界は然らず。華厳には超絶界を十佛自境界とす。即ち如来の自性本質なり。十身とは、衆生身、国土身、業報身、声聞身、独覚身、菩薩身、如来身、智身、法身、虚空身、之を融三世間の十身とす。衆生と国土とは正覚世間となり、中に就いて衆生と国土と業報とを染分とし、声聞縁覚菩薩如来智法の六を浄分、第十の虚空身を圓融無碍とす。一切萬法佛体に非ざるなし。萬徳荘厳、包攝無窮、主伴無盡なり。

 如来身を更に十種に分かちて十佛とす。即ち菩提、願、力持、化、意生、威勢、相好、福徳、智、法身なり。此の十身は相互に圓融無碍の徳用を有し十佛は一体のビルシャナなり。ビルの本体は絶対無限なれば、現象界即実在にして一体なれども、甚深不思議の真面目は、釈迦牟尼が所證の境、華厳三昧海十佛の自境界なれば、其の圓満なる本質内容は、吾人の認むる本質を以って全然同一なりと云うべからず。吾人は甚深なる三昧の中に於いて唯其の本質と契合することありと信ずるのみ。

 自境界は自ら證入して自知するのみ。何ぞ言説を以って之を説くことを得ん。故に果分不可説と云う。宇宙全一のビルを、一方には表徳として、現象即実在として、色心不二の大日とし、他面には法身如来の本質内容は一切に超絶し、甚深難思、證入のみあって相応するものとし、超絶たる神霊界なりとす。同一のアミダの法身なり。

 衆生ビル体内に在って自ら覚知せず、妄に境界を見る。ビル即ちミダの法体。時間空間の形式を超絶したる心霊体。此れを無限光寿と云う。此れ宇宙の本体にして萬物の所依たり。十方三世法報応及び衆生国土の本体。故に楞(?)伽に十方一切法報応及び菩薩及び化身、悉く無量寿極楽国より生ずと。十方三世一切諸佛諸尊の本地とす。

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 まず、自境界、が判らない。因分可説・果分不可説、が判らない。規定と無規、広延と思考、などなど判らない用語ばかりで、それでもなんとなくわかったような気になって・・・いや、やっぱり判らないのでどなたか、感想なり解説なりしていただけないでしょうか。

 過去の仏典を勉強しなければいけないのかなぁ・・・・・

 よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

yy8yy8az様、こんばんは。




>「神の本質は絶対的に真善美を以ってす。
世界は然らず。
華厳には超絶界を十佛自境界とす。即ち如来の自性本質なり。十身とは、衆生身、国土身、業報身、声聞身、独覚身、菩薩身、如来身、智身、法身、虚空身、之を融三世間の十身とす」

・・・「神」ならぬ身に、何が判りましょう。


>「過去の仏典を勉強しなければいけないのかなぁ・・・・・」

三蔵法師や鑑真(その他)の苦労を鑑みれば、「しなければならないのかなぁ・・・」とは、
泣けてくるほどであります。
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この回答へのお礼

 返す言葉がありません。

 ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/07 01:47

>>まず、自境界、が判らない。

因分可説・果分不可説、が判らない。規定と無規、広延と思考、などなど判らない用語ばかりで、それでもなんとなくわかったような気になって・・・いや、やっぱり判らないのでどなたか、感想なり解説なりしていただけないでしょうか。

○過去の仏典を勉強してもわからないでしょうね。釈尊が晩年にりょうじゅせんで説いた仏の本当の意味の一部を理解したという意味の表現の意味が質問の趣旨ですが、当時の弟子も理解したものは極わずかでしょうから過去の仏典を勉強してもわからないでしょうとなるわけです。ただ経典にその一部が断片的には残ってはいますが普通に理解不能ですね。仏から直接に聞き、認識できる程度の高度な知識があるもののみが理解できる話ですね。
さて、理解できるかできないかは置いといて、まず、「自境界」ですね。
高次元に巨大な霊的エネルギー体が存在します。この霊的エネルギー体をどのように表現するかなんですが、「心霊体。此れを無限光寿と云う」とか「神の本質は絶対的に真善美を以ってす。世界は然らず。華厳には超絶界を十佛自境界とす。即ち如来の自性本質なり。」といってますね。これは後で「十佛は一体のビルシャナなり」といってますから一体を言い換えているだけですね。巨大な一体は見る方向によって見え方が違うということをいいたいのですね。
例えば、大日とアミダですね。
「自境界は自ら證入して自知するのみ。何ぞ言説を以って之を説くことを得ん。故に果分不可説と云う。宇宙全一のビルを、一方には表徳として、現象即実在として、色心不二の大日とし、他面には法身如来の本質内容は一切に超絶し、甚深難思、證入のみあって相応するものとし、超絶たる神霊界なりとす。同一のアミダの法身なり。」
簡単に言えば、「自境界」とは見え方の違い、仏の発する思いの違いという意味ですね。
一体のビルシャナは無数に分かれることができます、例えば、法を体現して肉体にやどれば釈尊と呼ばれたということですね。これは3次元世界だけの仮の姿ですから、「自境界は自ら證入して自知するのみ。何ぞ言説を以って之を説くことを得ん。故に果分不可説と云う。」と成るわけですね。
これはあたっているんですよ。地球での仏の本質は直径10キロほどの黄金に輝く巨大な霊体なんですね。
その一部を釈尊と呼んだり如来の本質と呼んだりビル遮那と呼んだり阿弥陀と呼んでいるだけなんですね。
巨大心霊に境界は無いんですね。だから「自境界は自ら證入して自知するのみ。」なんですね。仏の意思ですから「因分可説」になりますね。
宇宙も巨大心霊の一部ですから全てが内在するものですね。地球の仏は宇宙の仏の一部なんですが、そのあたりの説明は不十分ですね。このあたりはごっちゃになってるようにみえますが、この方の説明は大体よいように思います。
参考に

この回答への補足

 「地球での仏の本質は直径10キロほどの黄金に輝く巨大な霊体」という事に興味を持ち、これは体感された方の言葉なんだろうと受け止めました。
 修行が進めばそんな世界も見えるのでしょうね。

 辞典(岩波・仏教辞典)に「果分不可説」という言葉を見つけ「因分可説」という言葉も続いて出てきましたが、今回取り上げた文章には「因分可説」という言葉が出てきません。
 どこかで使われているのでしょうか。

 また、この書籍の二十数ページ先に「物と心(延長と思惟)」という表現が出てきました。
 やはり、熟読はもちろん大切な事ですが、分からなくてもひと通り目を通してみることも必要なんですね。

 そして言葉は一語一字の意味や、使われ方を理解しなさいと以前“回答”で、ある方から教えられたことも思い出しました。

 学問するほどの頭でないから仕方ありませんが・・・・・
 ありがとうございました(2013/09/11 18:30)

 

補足日時:2013/09/11 18:31
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
水曜日に感想など述べられれば良いのですが、やはり難しいですね。
頑張ってみます。(2013/09/06 15:55)

お礼日時:2013/09/06 15:53

この文章はご自分で作られたんですか。

引用ありとしても創作なら、若干ですがいい線いっているように思えました。引用部は見てないつもりの感想なんですが。よくよく、研究されたんでしょうと、思います。・・・その他一人の感想ですので。
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この回答へのお礼

 この文章は明治から大正にかけて活動された山崎弁栄(やまざきべんねい)というお坊さんのモノです。

 回答ありがとうございました。(2013/9/5 23:35)

お礼日時:2013/09/05 23:34

なぜそういう難解な文章で表現したがるのかわからないが


大乗仏教の書いていることは仰々しいね

釈尊の阿含経を読んだってそんなことは書いてないよ


もっとシンプルに自分の頭で考えよう


登場する物は以下のとおり

「生きている人間」

「われわれのいる宇宙」

「宇宙を創った存在」

「すべてを包含する”神”と呼ぶべき存在」

これで十分だ


1.人間は自分の生き死にを自分で制御できない。
2.五感がなければなにも認識できない。
3.始まりがあるものには終わりがある。
4.神に始まりも終わりもない。
5.ということはこの世(われわれのいる宇宙)は神が作ったものではない。
6.人間よりもはるかに強大ではるが、神ではない存在が宇宙を創ったと考えると腑に落ちる。
7.そこで何千回も生まれ変わって目の前の物に翻弄されているのが圧倒的大多数の人間がいる・・・

それらを前提にいま生きているんだと、わたしは考えているよ

この回答への補足

 もう“迷い”は無いようですね。
 達観されているように感じます。

 「すべてを包含する“神”と呼ぶべき存在」

 この事をこの文章を残したお坊さんは「宇宙の本体は絶対の大心霊体である」と云っています。
 たぶん同じ思いなのでしょう。

 ありがとうございました。(2013/09/11 10:55)

補足日時:2013/09/11 10:55
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 来週の水曜日に感想を書かせていただきます。
 ご了承ください。(2013/9/5 21:30)

お礼日時:2013/09/05 23:28

こむつかしい文章ですね、、現代語訳で見たいですけど


、、

自境界というのは第2の悟り・解脱の段階(一応、菩薩
)の最終段階(如来の段階の目前)に入り始めた秘教家
が体脱で自己拡大する事を身に付け、死後霊界に戻り、
そのまま天界の高次元と一体化を果たせば、天界の表現
する全てか?、

または?私達の宇宙と対応する天界の表現の全て、マク
ロからミクロに渡るその表現を天界との一体化という中
で、、それは自己の内で経験出来るらしいようで

そしてそれは、もすかすると?自己表現としても感じら
れるのかもしません、、共に創造に関わる事の経験とし
て感じるのならば、、


自境界とはこの天界との一体化の中での、自己意識に拠
る感覚や、その場を自己次元・世界と感じる所からの表
現では?

因みに、私達普通の人達も、実は現世に於いて、それぞ
れが自己次元を介しつつ、現世という次元・世界を共有
し、区別・認識なく浸透一体化の中で、実は生きている
らしいのです

低い段階でも既に、自己次元を持ち、その中で生き経験
をしているらしいという


果分不可説というのは、探求し理解するある段階の者に
説くか、または達成者でなければ理解も出来ない、とい
う類の事ではと思いますが


無規は、丁度?量子学の多重・複雑系の振る舞いが、あ
る一定以上になると予想不可能に拡大、尚且つ増大する
などの現象が分かり易い1つの例になるのでは?


広延は、距離が問題とならない(もしくは?現宇宙内で
のみ)非局在化の相対・符号などの事ではないですかね
?(伝播はどうも光速のようですが?)

そして万有には天界という背景の意識ばかりではなく、
それぞれにマクロ・ミクロな意識が表現され、それらの
集合体の集合体、その繰り返しの中の各段階でも、集合
的な意識が表現さているらしいという


でもこんなこむつかしい文章で学ぼうとすると、却って
迷うばかりで先に進めないのでは?と感じますけど・・

この回答への補足

 mi4n4nさんの回答も難しいですね。
 たぶん「天界」と云うものは“神霊界・神秘的世界”と云った分野での表現だと思いますが、そうしたことを学ばれているんだと思いました。

 そこでプロフィールからmi4n4nさんのブログを拝見しようと検索を試みましたがたどり着けませんでした。
 ブログを拝見することで、いただいた回答の理解が進むかと思ったのです。

 いわゆる霊能者の表す「天界」という観点からの“回答”と受け止めてみたのですが、その世界をよく知らないので、難しく感じました。

 ありがとうございました。(2013/09/11 10:33)

補足日時:2013/09/11 10:33
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 
 来週の水曜日に感想を書かせていただきます。
 ご了承ください。(2013/9/5 23:25)

お礼日時:2013/09/05 23:25

引用した文章はゴミ箱に捨てて問題ないよ。


仏教風の言い回しに神の概念を割り込ませたもので、さらに世俗信仰に肯定的な研究書では無く、法を規定するように教えを規定した取り決め事だからだ。
考えでなく取り決めだよ。
私のゴルゴム話と同じだよ。
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この回答へのお礼

 取り決めかぁ。

 言われてみれば、そんな文章になってますね。

 回答ありがとう。(2013/09/04 21:33)

お礼日時:2013/09/04 21:31

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