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神仏習合の言葉の意味はわかるのですが、単に混ざっている構造とは思えません。
私はIT技術者ですが、
ホストOS=原始神道、ゲストOS=仏教 の様な構造ではないかと思いました。
宗教学とIT技術の両方に通じておられる方がいらっしゃいましたら御意見をお聞かせ下さい。

参考

神仏習合
<http://ja.m.wikipedia.org/wiki/神仏習合>

VM(仮想機械)
<http://ja.m.wikipedia.org/wiki/仮想機械>

ホストOS/ゲストOS の説明あり
<http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ハイパーバイザ>

準仮想化
<http://ja.m.wikipedia.org/wiki/準仮想化>

日本の仏教は準仮想化?

宜しくお願いします。

A 回答 (8件)

いちいち質問者の言う「ITもどき」に当てはめる必要があるのかw そんな感じです。


実際、神道と仏教では教義自体が全く違うし、それぞれにいろいろな宗派がある。
神仏習合それ自体が、信仰という一点から見れば、ぱっぱらぱーとしか言えない。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7% …

質問者にはこっちの方が分かりやすいかもしれませんね、ちなみに本当にIT関係の人?w

この回答への補足

まず、御質問に御答えします。
出来は悪いが、IT技術者というのは本当です。
結論としては、「神仏習合は、成り行きでそうなっただけで、構造なんかは無い」と言う理解で宜しいですか?

補足日時:2013/09/20 20:39
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典型的な技術オタクの発想です。


科学は合理の世界を扱い、宗教、文学は非合理の世界を扱います。
失礼ですがお好きな異性の方はおられますか?食べ物に好き嫌いはありませんか?
その理由に普遍性はありますか?世界中の人が全員その異性の方を好きですか?その食べ物が同じように好きですか嫌いですか?
世の中には非合理な世界は限りなく広がっています。
何事も合理的に考えなくてはいけない!と信じているのは、この世のすべては神の摂理に従っていると信じた中世キリスト教徒とおなじです。いうなれば科学教の信徒です。
合理の世界のみで通用する言葉で考えても、歴史も文学も宗教も理解できません。歴史は人の営みの結果です。
ニュートンもケプラーも敬虔なキリスト教徒です、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と明言しています。米国大統領も聖書に手をおいて宣誓します。

それでも神仏習合を御理解されたいのであれば、回答N01の方がご紹介されたサイトを御覧下さい。経緯が過不足なく説明されています。

この回答への補足

御指摘は、全てその通りです。
ただ、証明が不可能な説明と不合理とは異なると思います。不合理では学問は成立しないので無いでしょうか?
確かに不合理な回答を頂きました。

補足日時:2013/09/20 20:51
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tokuo0様、こんばんは。




>「神仏習合の言葉の意味はわかるのですが」

それでしたら、まずはそこから、ご説明ください。

>「単に混ざっている構造とは思えません。
私はIT技術者ですが、
ホストOS=原始神道、ゲストOS=仏教 の様な構造ではないかと思いました。」


>「日本の仏教は準仮想化?」

「日本の仏教」について、具体的な例をご教示ください。

この回答への補足

神仏習合の言葉の意味については、他の回答者の方が示された資料にもありますが、自分の理解を示すのであれば、「本質的には、神と仏は同一である」ということです。
私は、原始神道的秩序の上に乗っかる形で、仏教的秩序があると考えています。仏教徒がキリスト教式の結婚式を行って矛盾を感じないのは、この方のキリスト教が、仏教と同様に原始神道の「上で」成立しているからだと考えています。
なお、国家神道と原始神道は別物とも考えており、国家神道は原始神道の上で成り立っていると理解しています。
さて、日本的仏教って何? とのお尋ねですが、深い話はわかりませんが、現象的に諸外国と異なる目立つ点は、妻帯を許すという点です。
伝説によると、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が現れて許したとも言われていますが、「聖徳太子は仏教者じゃないでしょ? ハイパーバイザーコールか? 」と突っ込みたくなります。
技術おたく的発想と批判されそうですが、これが私の日常なので仕方ありません。

補足日時:2013/09/21 07:38
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N02です


補足で新たにご質問を頂戴しましたので、回答させて頂きます。

>証明が不可能な説明と不合理とは異なると思います。
不合理とは申し上げおりません。非合理と申し上げています。

>不合理では学問は成立しないので無いでしょうか?
なにをもって「理」とされますか。(不合理とは「理に合わない」という意味ですよね)
学問には全て証明が不可欠とお考えでしょうか。
証明に基づいた整合性が不可欠とお考えでしょうか。(一つの論文の中での主張の整合性は求められます。)

彫刻、絵画、音楽を研究することは学問では無いとお考えでしょうか。
なにをもって証明としますか。これらのものを幾ら分解分析してもどうにもならないのではありませんか。
哲学、文学、政治思想、宗教思想の研究は学問では無いとお考えでしょうか。
あの人がこう言った。この人がこう言ったと事例を羅列するだけでは、哲学研究にも文学研究にも思想研究にもなりません。
民俗学、文化人類学は学問ではないとお考えですか。
科学以外の他の分野では、科学的手法と科学的理論の整合性だけに頼って研究はなされていないことに注意をして下さい。
科学的手法を用いない学問分野も存在します。

医療技術は全て科学的に証明されたもののみが使用されているとお考えでしょうか。
個々の医師の診断も理論的整合性にのみ基づいて実施されているとお考えですか。
治療技術が先行して、後に科学的手法で有効性が確認されているケースも多々あります。
経験を積んだ医師は患者の外見と患者の訴えだけでも的確な治療を施します。
誠意と自信のある医師は自分にはこだわらずに直ちに総合病院での治療を薦めます。
この際に理論的整合性のある説明をするものとお考えですか。
慣れない若い医師が膨大な測定データのみに頼って、いたずらに治療を遅らせてしまう事例が最近問題になってはおりませんでしょうか。

科学的思考が劣っているとか優れているとかを申し上げている訳ではありませんので誤解なきようお願いします。
万能な思考方法は無いと申し上げています。優劣ではありません。

この回答への補足

すいません。
私は不合理と非合理を混同してました。
合理性を超えるものであっても、相手に伝わるのであれば、成立するものであるのはわかりました。

「準仮想化」のイメージが正しく伝わらなかったと思いましたので、補足します。
1. 純粋な仮想化ではゲストOSからハードウェアへの直接アクセスを許さない。ホストOSがハードウェアのふりをして応答を返す為、ゲストOSは、ハードウェアを自分がコントロールしていると信じている。が、同じ効果を利用者は享受できる。
2. 準仮想化では仮想化の効果を効率良く得る為に、ホストOSとゲストOSは一種の共犯関係にある。ゲストOSの本来の姿が損なわれるわけではないが、ゲストOSとして動作する為のサポート機能を持つ。

正確性に欠けるとは思いますがアバウトには、こんなところです。

補足日時:2013/09/21 22:43
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仏教がアニミズムを否定していないし、また日本神道は信仰の対象が複数あるので、ブッダを排除しえ疲弊するよりも、仏陀を神々の一つであるかのごとく容認した方が被害が少ないと判断したに過ぎないでしょう。



メモリの仮想化とは類似性すら感じませんが、、、。

この回答への補足

はい。類似性はありません。
構造が似ていると申し上げているだけです。
車のサスベンションとある種の電気回路に類似性はありませんが、同じ微分方程式で表現できます。
理系人間が妄想したと御理解下さい。

補足日時:2013/09/21 22:59
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>神仏習合の言葉の意味はわかるのですが、単に混ざっている構造とは思えません。


>私はIT技術者ですが、
>ホストOS=原始神道、ゲストOS=仏教 の様な構造ではないかと思いました。

○ホストOS=原始神道、ゲストOS=仏教 の様な構造というのは面白い表現ですが、その通りですね。
日本という国の主宰神は神道と呼ばれる宗教のトップですね。神道の神々が数千年かけて国作りをしたがゆえに日本という国家があるわけですね。これはどの国でも同じですね。どの国にもその国を作ってきた神々、要は立派なご先祖さまがいるから世界中に多くの国家が存在するのですね。ご先祖様がだめだと独自の国家は存続できませんね。どこかの優秀な民族に飲み込まれて同化するしか道はありませんね。
これは例えれば様々な大学と同じことですね。大学の創始者や後の学長や教授陣が立派だと有名な大学になりますね。どの大学が世界でトップかと競い合いますね。だめな大学は優秀な大学に吸収されるか廃校になるのが世の習いですね。国家も同じなんですね。ホストがホストで存続できるかどうかの瀬戸際で、考えることは優秀なゲストを招いて国家の質を上げ隣国に飲み込まれないようにするということですね。
日本神道がゲストに選んだのが仏教ですね。千数百年前の仏教は宗教としてのみならず国を治める学問としても立派だったからですね。明治以前は神社と寺院は同じ場所にあったのですね。これはホストがゲストに最大限の礼を示したものですね。三顧の礼を尽くしていたわけですね。確かにインドで生まれ中国に伝わり中国の国教となった仏教を極東の小さな国が受け入れたわけですからそうでもしないとバランスがとれませんね。
まあ、ローカルの大学がノーベル賞クラスの教授をゲストに招くのと同じですね。
明治以後、仏教を多少ないがしろにしましたが、ローカル宗教では他国の宗教には勝てなかったというのが先の大戦の結末ですね。ただ神道もがんばったので植民地はなくなりましたね。その点は東南アジアの国々の民族神は神道の神々に感謝してますね。
さて、本題に戻って神仏習合はホストとゲストの関係ということですね。ただ、受け入れたゲストはホストより高速で大容量のソフトであったということですね。どのように大容量であろうとも受け入れる許可を出したのは神道の神々であったということですね。一方、キリスト教やユダヤ教、イスラム教は前向きに受け入れたものではないことも確かですね。ゲストの仏教が肝要なのでホストがゲストの意見を取り入れて受け入れられたということでしょうね。
世界中の民族宗教を含む宗教全体は膨大なソフトと同じなんですね。いくつかの核ソフトがあってそれからさらに無数に枝分かれしているわけです。いくつかの核ソフトも当然それを管理するメインソフトがあるわけですね。
実は仏教の本質は、地球のメインソフトから生まれているのですね。こんなのわかるとIT技術も同じなんですね。
各レベルごとに世界があり、全体はピラミッド、つまりツリー構造になっているのですね。それが本当の宗教、つまり霊界の構造なんですよ。

この回答への補足

私は、霊的存在を信じておりませんので、後半の展開についていけませんでした。
仮想化の醍醐味はシステムダウンしないで柔軟な運用が出来る点です。
ゲストOSを消すのも容易です。
(怖いこと言っちゃいましたが、私は危険思想の持主ではありません)
軍国主義が何かのOSの上で動くアプリだとして、「OSごと消しました」と言えると簡単ですね。でも、すぐ復活出来ちゃいますか。

補足日時:2013/09/21 23:22
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N02です


再度ご丁寧な補足を記入して頂きありがとうございます。
準仮想化の概念も良く理解できました。有難うございます。

この概念の延長線上で考えますと、恐らく地蔵菩薩の概念が一番近いのではないのでしょうか。
地蔵菩薩は地獄で苦しむ子供達を救済する仏と考えられて、子供の守り仏として村落の道端にたてられています。
一方で、地蔵菩薩は地獄の裁判長である、閻魔大王と同じものであるとする考え方があります。
仏教的な理屈はややこしいので省きますが、ご指摘の準仮想化とよく似た概念かと思います。
地蔵とよく似たのには観音菩薩もあります。
お耳にされたことがあるかと思いますが、地蔵も観音も「○○地蔵」「△△観音」として色々な名称で呼ばれているものが全国各地にあります。

神仏習合の概念と、これらの概念とはやや離れた概念です。

仏教がやっかいなのは、渡来伝播した地方の土着の思想が次々と取り入れられて同化されてしまっているために、時代とともに限りなく解釈が展開されています。キリスト教やイスラム教のようなすんなりとした議論にはならないものとお含みおき願います。
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個人的な意見ではありますが、




「原始神道」「仏教」もゲストOSです。


「意識」というOS上で作動しています。



そして、「意識」もゲストOSです。


「無意識」というOS上で作動しています。



そして、「無意識」もゲストOSです。


「潜在意識」というOS上で作動しています。



人によって、「潜在意識」を神、仏、創造主など様々な呼び方をします。



あえていうなら、ホストOSは、「神」です。

この回答への補足

御意見に賛同できる部分もあるのですが、
明示的に記載はされてはいませんが、少し違うかな?
と思う部分もあります。
ベースになるレイヤーが分かれば、
上位レイヤーも分かるという考え方です。
そんなことはありません。
無意識が全て分かったとしても、
意識の世界が分かる訳ではありません。
仮に神が全て分かったとしても、
全てが分かる訳ではありません。
理解がある程度容易にはなるのでしょうが。
技術の世界を見ていると当然と思えるのですが、
世間では漠然としか理解されていない様に
感じます。

補足日時:2013/09/23 09:50
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