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日本が太平洋戦争をした原因はアメリカの陰謀に嵌められたからというのは本当ですか?

A 回答 (10件)

 正しいかどうかは別にして、典型的な陰謀史観だといえるでしょう。



 陰謀説は否定が難しい。起こったことを否定する陰謀論はすぐに見破られますが、なかったことをあったという陰謀論にはもともと証拠がなく、史実に基づいて陰謀論者を納得させるのは困難です。 

 こうなると見識が優れ、資料の取り扱いに熟達した歴史家の評価をまず参照するのが賢明ですが、一流の歴史家でルーズベルト陰謀説を主張する人は見当たりません。例外はチャールズ・ビーアドですが、かれには会議録、日記、書簡など第1次資料を見る機会がなく、今日の歴史家にまったく無視されています。

 太平洋戦争開戦前の1年間、状況の変化は急速でした。内心で決意していたかどうかは別として、ルーズベルトには陰謀をコントロールするような機会があったとは信じがたいですね。陰謀説によらなくても、首尾一貫した説明は可能です。
 
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soridasu さん、こんにちわ。



日本がアメリカが当時狙っていた中国などのアジアの利権を日本が独占するのではないかという危惧から、日本に対して重油の輸出禁止を行いました。アメリカはもう40年ほど前から同じ方針を持っていましたので、陰謀というには明確に日本外務省も理解していたでしょう。ルーズベルトは日本がアメリカに宣戦してくれれば、それを口実に対日戦争の一環として対英支援もしやすくなると考えていたようですが・・・
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陰謀ではなくて戦略です。

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今でいう経済制裁という手法をイギリスと共同で音頭をとったということです。


当時は、文句があるなら武力で解決するというのが国際常識で、経済制裁という手法が馴染の薄い外交手段だったために、ネトウヨさん達が陰謀と言っているだけです。

ちなみの、戦争というのは、外交手段の一つであって、戦争そのものが目的ではありません。
念の為に!
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まぁ 当時世界は白人至上主義でした


白人こそがもっとも偉く優れた人種だと…
日本はそれを打ち破るために米英と戦ったんです

アメリカとて まさか日本がここまでやるとは思わなかったでしょうが
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こういうことは、はっきりと判ることではありません。


ただ、たぶんに怪しい、ということだけは言えます。


当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。
私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。
現在では、米国政府は、これは事故であったと
発表しています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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恐らく、私の回答は質問者様が求めている内容ではないと思いますので、評価は期待していません。


(それ以前に、お礼率1% 回答受付数:1088 ですし)

【天皇が特攻したら士気は上がりますか?】(質問者:soridasu)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7921230.html
(天皇陛下が真っ先に戦闘機に乗って特攻していれば、軍民の士気は上がりましたか?)

【自衛隊って税金泥棒ですよね?】(質問者:soridasu)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7968889.html
(戦争なんか起きるわけないのに、毎日毎日人殺しの練習ばかりw)

また、この文章についてですが、過去の履歴より推測できる質問者様のレベルに合わせる為に、可能な限り簡単な表現を心がけたつもりです。
それでも止むを得ず、まともな日本の教育機関での教育を受けた一般的な日本人でない方には、難解な文章になってしまっている部分があるかもしれません。

質問者様以外にも、戦争というものについて幼稚な誤解をしている人がいるようですが、戦争は国家に認められた交戦権の行使です。
権利である以上、責任は発生しません。
説明は必要かもしれませんが、それは「弁解」とは違うものです。


回答:事実です。

当時の日本は清国崩壊後に生まれた軍閥政権と紛争を続けていました。
原因は、中国側が、併合によって日本となった朝鮮に侵入し破壊工作やテロを行ったことです。
(日韓は合意に基づく平和的な併合であり、侵略によるものではありません)

日本軍は自国の領土である朝鮮内でのみ対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は、協定や条約で平和的に解決しようと努力もしましたが、彼等の州知事は国際法や外交に関しては無知な馬賊や軍隊くずれの集団なので、何度も一方的に破棄されていました。

↑に対して、日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争です。

当時のアメリカですが、日本に対して、中国や満州の市場への「門戸開放」を主張し、諸外国にも市場を平等に開放しろと言いっていました。
これは苦労して日本が手に入れた市場へ、タダで参加させろという虫の良い要求でした。
その為に、中国の軍閥政権に支援をしてもいました。

↑の理由ですが、植民地競争に出遅れたアメリカが、最後の市場である中国を狙っていたからです。
その為に、アメリカは邪魔な日本を潰すつもりで、戦争前からオレンジプランやレインボー計画などの、対日政策を進めていました。

アメリカはこの目的のために、中国国民党の蒋介石を裏で支援し、日中の紛争を泥沼化させます。
(アメリカが支援しなければ、日本は勝っていました。)

太平洋戦争は真珠湾攻撃によって始まったという主張がありますが、
戦争状態はそれ以前から始まっていました。

アメリカは中国に支援を行う一方で、日本の戦争行為を侵略と非難し、↓のような日本へ資源の禁輸や一方的な制裁を行いました。(真珠湾攻撃は、1941年12月8日です)

1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

↑について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

「これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない」
と述べています。

これによれば、真珠湾以前にアメリカの方から戦争を仕掛けていたという事になります。

これらの対日政策は、ヨーロッパの戦争に参加する為でもありました。
アメリカはイギリスから対ドイツ戦への参戦の要請を受けていましたが、国内世論が許しませんでした。
しかし、ドイツの同盟国の日本が先に手を出せば、それも可能になります。
アメリカはその為にABCD包囲網とハルノートを使いました。
日本はこれに嵌って、真珠湾を攻撃してしまいました。(動画も参照)

こういった問題では、ハルノートの意味を誤解して日本が受諾しなかった事を責める意見があります。
しかし、ハルノートの受諾は、日本が列強から3等国まで落ち、結果として他国の侵略の脅威に晒されることを意味します。
結果として、アメリカは中国の市場を手に入れることになります。
(中国がアメリカのいう事を聞くという保証はありませんが、当時のアメリカはそう思っていました。その結果が戦後の冷戦です。)

ハルノートの受諾=禁輸解除 ではなく、資源禁輸の「交渉」をする為の前提条件に過ぎません。

これは当時の常識から見ても無茶な要求でした。
東京裁判の判事であり日本の無罪を主張したパール氏は、「こんな条件を出されて戦争をしない国はない」と言っています。
そもそも、受諾した場合は日中戦争が不可能になり、本来の目的である日中戦争の継続ができません。

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 ドイツはUボートが米国商船を誤って撃沈してしまい、それが発端となって米国が第二次世界大戦に参戦する結果になりましたし、日本は植民地にしていた中国からの撤退を強く要求され、破れかぶれの真珠湾攻撃をした時から米国参戦に繋がりました。



 中国を手放せば、大日本帝国も自動的に消滅する形になるわけですから、戦争を扇動されたという解釈も可能ですが、真珠湾攻撃を決断したのは日本ですから、弁解出来ないでしょうね。陰謀に填められたのではなく、陰謀とわかっていて乗ったのです。
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ええ、まあ、そういう説もありますよね。


私が一番ありそうだな~と思ったのが

(1)ドイツにボロボロに負けたヨーロッパの救済→中立法が邪魔になる→ドイツの同盟国日本をおびきだし結果的にイギリスを助ける口実に
(2)アジア・アフリカ諸国の植民地のヨーロッパ諸国の影響力の一掃(ただし自分が成り上がるために)
(3)戦略家マハンの戦略を採用した
(4)戦争を起こすことによってのんびりしたオレンジ農家が憧れだったアメリカ人の意識改革を行い工業化を一気に促す目的

の4つですかね。
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正面切って日本を孤立させる策を仕向け、日本に戦争を決意させたのはアメリカを中心とした欧米各国です。


陰に隠れて秘密裏に、ではないので陰謀と言われるとちょっと違うように思います。
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