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国としての日本についての質問が多数あります。
沢山の質問があるので、1部のみの回答でも結構です。私の歴史の知識は乏しいので、誤解等あると思いますが、その場合は、訂正/補足をお願いします。

1.日本はいつ誕生しましたか?
海外では建国記念日があって、「この国は今年で100歳です」と解りやすいのですが、日本のそれがわかりません。

2.日本の誕生の定義は何ですか?
私は国の定義を「領土(領海・領空を含む)、民、統治機構(国内統治機構の政府、対外的に国を守る軍隊)の3つが存在する事」と認識しているのですが、誕生当時の日本にもそれが当てはまりますか?それとも私の認識に誤りがありますか?

3.藩とは何ですか?
江戸時代にあった、藩とは現在でいうと県ですか州どちらに近いですか?戦国時代以降(?)有力武将たちが新国建国ではなく、日本統一を目指したのはなぜでしょうか?例えば魏呉蜀は3国の争いですが、日本の武将同士の争いは国同士の争いでなく、内戦なのはどういった違いからですか?

4.江戸幕府は日本を統治していましたか?
広い意味で昔の日本政府(幕府等)は現在の日本政府のように東西南北隅々まで行き届いた統治が行えていましたか?それとも地方政府や地方自治体等が強い権限を持っていましたか?もし行き届いた統治が行えていなかったとするならば、日本は1つの国家だという事ができますか?それはどのような理由からですか?

5.日本はどうして“ずっと”日本なのですか?
どうしてソ連からロシアといった事が起こらないのでしょうか?戊申戦争では新政府軍が旧幕府軍を打ち破り実権を握ったのだから新たな国の誕生ではないでしょうか?それとも権力を握った者が「現国の継続 or 新国の誕生」を選択できるのでしょうか?そうであった場合、当時新政府軍が「これにて日本は終了して薩長国の誕生だ!」と宣言した場合、新たな国が誕生していましたか? 

6.琉球王国はいつ日本になりましたか?
日本と琉球王国は、現在でいう中国、台湾、韓国などのように、全くの外国でしたか?
なぜ、またどのように琉球王国は日本に組み込まれましたか?また琉球王国は後から日本に加わったので、「沖縄県は京都府や奈良県と比較して、日本としての歴史が浅い」と言う事ができますか?琉球王国時代の琉球の歴史(現沖縄の歴史)は別国の歴史なので、日本の歴史として扱ってはいけない気がするので上記のような表現「日本としての歴史が浅い」になるのですが妥当でしょうか?

~ここからは天皇についての質問です~
7.天皇はいつから国家元首として扱われるようになりましたか?
南北朝時代や、鎌倉時代(?)などに、朝廷が分裂したり、天皇が殺害されたりしたかと思いますが、その期間も、天皇は国家元首であり続けましたか?また、天皇の直系男子の血統は本当に守られ続けているのでしょうか?

8.将軍と天皇はどちらが偉かったですか?
例えば家康は現在でいう行政の長、内閣総理大臣に過ぎず、あくまで国家元首は天皇であり、現在のような役割分担等がありましたか?現在との違いを教えてください。また江戸時代以外でも、天皇とその他の権力者、将軍、有力な寺の僧侶、総理大臣などの役割関係や力関係を教えて下さい。この質問の根底も、質問7と同様に、歴史上、天皇は国家元首であり続けたか?です。現在との違いを知りたいです。


9.なぜ神道?
日本はどうして神道のトップ(天皇)が国のトップであり続けている(?)のでしょうか?日本は仏教と神道が2大宗教だと思いますが、神道は日本生まれ仏教は外国生まれだからでしょうか?また天皇は神道の信者ですか?それとも教祖や宣教師的な立場でしょうか?前回のアメリカ大統領選挙のように、モルモン教が国家元首(大統領)になるか!?と言ったことは日本で起こらないのでしょうか?つまり日本の国家元首は神道一択なのでしょうか?なぜですか?

10.政教分離?
一般的に政治に宗教を介入させてはいけないと日本国憲法が定めていると思いますが、天皇の国事行為(宗教的行事含む)というのは立法、行政、司法でないので“政治”には当たらないのでしょうか?

11.国家元首の正当性
私は無宗教の無神論者なのですが、天皇はどうも宗教と強く結びついているような気がして、“無神論者として”気持ちの良い事ではありません。初期の頃の天皇は神話に基づいていたり(?)神秘的な力を使ったり、寿命が100歳を越えていたり、歴史的信憑性が薄い部分があると思います。そういった部分は政治的にはしっかりと否定されているのでしょうか?宗教としての神道がそのような神話を語り継ぐことはとても結構な事だと思うのですが、先進国の国家元首の元首たる由縁が“神話”などと言うとんでも話であれば“無宗教、無神論者として”非常に納得いきません。宗教の絡まない天皇の正当性は何かありますか?それとも、民主主義の日本では、大多数の日本人が神道を信仰し、その信仰対象たる天皇の神話や血統自体が正当性として支持されているのでしょうか?

最後に天皇制の意義に対する意見を教えて下さい。これまで以下のような意見がありました。
A:神道を信仰する方の天皇は絶対的に偉大な存在なので必要とする意見
B:現在の有権者に国民投票で国家元首を選ぶ政治的能力が無いの現在の天皇が国家元首であり続けるのが安全とする意見
C:海外は宗教国が多く、また海外の宗教のトップや大統領と渡り合う時のためには、こちらも宗教のトップを元首におかないと対等に渡り合えないとする意見。

A 回答 (6件)

日本にも建国記念日ぐらいありますよ?


1と2は建国記念日を調べてみなさい

3については日本の藩はヨーロッパで言う国に近い
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2013/10/12 19:30

1.日本はいつ誕生しましたか?


皇紀2673年です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6% …

2.日本の誕生の定義は何ですか?
『日本書紀』の神武即位を日本の国としての誕生としています。

3.藩とは何ですか?
江戸時代の地方自治体の呼称です。
互いの領土を大名が治めていましたが、大きな権力を持った徳川家に封建的に従った関係です。
ちなみに天下統一を実際的に考えた大名は織田信長くらいで、他の大名に天下統一の考えはありませんでした。

4.江戸幕府は日本を統治していましたか?
江戸幕府は、各藩を取り潰すという行為をたびたび行っていましたし、各種法令を通達して守らせていましたので、基本的には日本を統治下においていたと言って問題ありません。

5.日本はどうして“ずっと”日本なのですか?
どんな政治体制になろうとも、現在と同様に天皇からその地位を与えられたという形をとっていましたので、日本は変わらず日本でした。平安までは各種大臣を鎌倉時代からは征夷大将軍という地位を天皇からいただいて政治を行っていたんです。

6.琉球王国はいつ日本になりましたか?
琉球は1897年まで従属関係などはありましたが日本ではありません。
ですから、日本としての歴史は当然浅いです。

7.天皇はいつから国家元首として扱われるようになりましたか?
天皇はずっと国家元首です。
血統に関しては議論が分かれるところですが、どちらかというと南朝か北朝かという議論なので、ある程度の長さでは変わっていないと思われます。
どちらかというと皇統の断絶は継体天皇あたりで言われています。

8.将軍と天皇はどちらが偉かったですか?
基本的には、天皇は権威で、将軍は権力です。
日本の天皇はその成り立ちからして合議制の上でのおみこしですので、天皇が権力を手中にした期間自体は、日本の歴史の中でも大変短いです。
ただし、その権威は、日本では誰でも従うというのが常識となっています。

9.なぜ神道?
天皇という存在が日本の国体護持につながると考えられているからです。
日本という国は天皇を欠かせないピースとする歴史を守り続けています。


10.政教分離?
国事行為は政治ですが、内閣の助言と承認がないとおこなえないという縛りがありますので、宗教としての圧力を政治に発揮できない以上は政教分離として考えてかまわないと思われます。

11.国家元首の正当性
神話の部分は政治ではなく、歴史の問題です。
世界でも王家というのは、神秘的な存在であるからこそ、その権威を政治的に利用ができます。皇族外交というのは、現在でも王家が存在する国でしか成り立ちません。
天皇という存在は、世界の王族でも群を抜く伝統を持っています。その権威伝統は、ヨーロッパ各国の王族、皇族に対して引けを取らないため、外交上も非常に有利です。
実際に日本の皇族も世界では尊敬の対象とされています。

>最後に天皇制の意義に対する意見を教えて下さい。これまで以下のような意見がありました。
11で答えたように、権威、伝統は人間社会において大変な強みになります。
ましてや欧米の支配者層で未だ根強い優生学的見解に対して、有色人種として対抗できるのは、こういった点でしかなく、日本以外に体現できる国はありません。
中国や韓国が嫉妬をしている点でもあります。
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この回答へのお礼

詳しく回答ありがとうございます。
確かに宗教のトップが日本にあることで、
欧米諸国と対等に渡り合う事ができるのはすごい事ですね。
それが仏教という枠の中でなく、神道という日本固有の枠内の物だから
より尊ばれるのかもしれないのかなと思いました。

お礼日時:2013/10/13 05:48

>3.藩とは何ですか?


 外国の地方領主くらいじゃないかな?戦国有力武将は日本統一を目指したのではなく、ほとんどは自身の勢力拡大、維持に努めただけじゃないかな?やっぱ島国だから・・・
>4.江戸幕府は日本を統治していましたか?
  薩摩を除いて、幕末以外は強権をもってたように思います。
>5.日本はどうして“ずっと”日本なのですか?
 やっぱ島国だから。形式的にも天皇を戴いて統治してきたから国は変わらない。特に明治維新では天皇という大義名分以って、幕府を打ち倒しました。もし、「薩摩国だ!」なんて宣言したら、長州や他の勢力と終わりのない戦いになってたはず。
>6琉球王国はいつ日本になりましたか?
 薩摩 琉球出兵  あたりで検索検索。

7.以降は

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87

 まずはここを読んでから・・・・
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この回答へのお礼

しっかりと日本の歴史を勉強してこなかったために、
数々の疑問が今になって湧き出てきます。
okkeniさんの言われたものをまず調べてみようと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/13 05:51

さて、個別の質問にお答えする前に総論を語ってみます。

「国」と「国家」です。

現在は世界中どこも「国家」になっています。国家とは、ご質問にある2.日本の誕生の定義は何ですか?の定義です。しかし、これは「国家」の定義で「国」の定義ではないことが総論の主題です。

では「国」とはなんでしょう。一般的に国とは「民族や文化・風土などを同一の共同体とする人々が住む地域」をいいます。ユダヤ人がイスラエル建国まで「自分たちの国がない」と言っていたのも、クルド民族がトルコ・イラク・イランの国家に分断されていて「自分たちの国がほしい」というもの、この国の定義によるものです。

民族によっては建国神話などを持たず、どこかの国家に併合されても平気な場合もありますが、そうじゃない民族はどう違うのでしょう。


ユダヤ民族に関しては分かりやすいでしょう。神との約束の地カナンがあり、イスラエルにたどりつきます。ここは神に約束された国なのです。中国に関しては始皇帝が国家統一を果たし「ここからここまでをわが国とする」としたのが最初です。イタリアはローマ帝国がロムルスとレムルスの建国神話以来の地ですし、イギリスについては複雑な民族移動があった上で11世紀ぐらいに「イングランド」が民族的に成立し、その後スコットランドやウェールズなどと連合国家を形成したといえます。

これらのついてはほぼどこの国でも「国」を形成するための「神話」を有しています。
分かりやすい例でいえばアメリカ合衆国でしょう。この国はイギリスから独立したのは誰でも知っていますが、独立し建国した理由そのものが自由=自由に宗教を信じる自由であったことは、案外忘れられていますが、独立宣言書には、神によって与えられた権利によって独立国家を作ることができる、とかかれています。
アメリカ合衆国は比較的最近独立したにも関わらず、国家の正統性に神が関わっているのです。

まとめると、国の正統性には神が関わっていることが多く、現在成立している国家でも、時代をさかのぼると民族が国をもった時点で神話が成立している可能性が高い、ということです。特に古代に成立した国であれば、王制であることがほとんどですから、支配階級の統治の正当性そのものが神話によって成り立っていたといえます。

この定義からすれば、日本は古代に成立した国がそのままの形で国家になっているほぼ唯一の例です。
それを踏まえて、個別に回答したいと思います。

1.日本はいつ誕生しましたか?
建国神話でいえば、他の方のいうように皇紀で見るべきなのでしょう。しかし、史実としては中国の文献なども参考にすると、3世紀にヤマト王権の成立があり、701年の大宝律令の成立と大和朝廷の成立、日本への国号の変更などを持って、8世紀初頭には日本は成立していたと見るべきだと思います。

2.日本の誕生の定義は何ですか?
 ヤマト王権とその後の統一王朝成立までは各地の豪族の支配地から日本民族へと変貌していく国作りの時代であり、国家としての成立は8世紀初頭だといえます。国家の定義は質問の内容であり、国号「日本」は国家に当てはまります。

3.藩とは何ですか?
そもそも魏呉蜀は「3カ国の戦い」ではありません。統一王朝だった中国を勝手に3藩に分けて勝手にやろうと争ったものです。これも藩同士の戦いと見るべきですが、藩を管理する管理者が居なかったため、勝手に「3カ国」になっているだけです。それが証拠にその後西晋で統一王朝に戻っていますし、西晋も魏呉蜀も漢民族内での争いでし。

日本の藩という定義も実は江戸時代中期の概念です。それまでは、鎌倉幕府以降すべて「軍事指揮権をもつ征夷大将軍(幕府)に対して、恭順を誓う武家の集まり」が日本の国家統一のあり方だったからです。
江戸時代も家康が将軍の勅許を得た時点ではまさに「将軍に恭順した武家たち」であり、藩というのはその姿が固定的になった後の時代の公のあり方を示しています。
以下、4に続きます。

4.江戸幕府は日本を統治していましたか?

統治していたといえます。なぜなら、幕府の発する指示命令は全国で確実に実施されたからです(幕末は除く)ただし、藩は自分たちの領地下では強い権限を有していました。これは現在でも連邦国家などで見られる形態であり、だからといってアメリカやドイツなどの連邦国家が統一されていないといえなのと同様に、江戸幕府は日本を統治していたといえます。

またこの統治の方法についてて鎌倉幕府以降現代まで日本の統治機構は「天皇が勅許によって正当性を得た者」が政府を運営することになっています。現代でいえば内閣制がまさにそうです。いちいち総理大臣が変わると天皇から任命されるのは、征夷大将軍と同じ仕組みだからです。5に続きます。

5.日本はどうして“ずっと”日本なのですか?
なぜこういう内戦(現在では選挙)になっているかという、8世紀に日本は統一されそれ以後異民族の流入を得ていないからです。また大和朝廷も勅許による統治委譲をすることで易姓革命を避けられたことが大きいといえます。為政者になりたい野心家は朝廷から勅許を得れば日本国を正当性を持って支配できますし、朝廷も野心家に任せておけば自分たちが革命の矢面に立つ必要がなくなります。
いずれにしてもメリットは大きく、また各幕府は行政権と収税権は持っていたものの土地の所有権は各地の地主に残しましたので、混乱が最小限で朝廷・幕府(野心家)・民衆のすべての犠牲が少なくなるシステムだったからこれだけ長続きしたといえます。

だからヤマト朝廷が日本統一し国号を「日本」にした後、鎌倉幕府成立時に権力移譲の方法を考え出し、その方式がずっと続いているから“ずっと”日本なのです。

6.琉球王国はいつ日本になりましたか?
琉球と北海道は日本になってから日が浅いといえます。北海道は無主の地(効果的な国が無かった)ところに日本人が進出し、ロシアと争って勝ち取った国土です。
琉球は冊封体制として中国と日本に朝貢していたため、独自の王国とも日本の属国ともいうことができます。これも結局は日清戦争による日本の勝利で清側に沖縄に対する日本の主権を認めることで解決しています。
沖縄が明確に(近代法的に)日本になったのは1894年以降だといえます。

7.天皇はいつから国家元首として扱われるようになりましたか?
日本の成立過程から見れば5世紀ごろには対外的に国家元首だったといえます。南北朝時代は国家元首であり勅許を出せるからこそ、政治利用されたといえます。また、学術的には男系断絶の可能性もありますが、明確な証拠と学説が無い以上、現在まで皇統はつながっているということでいいとおもいます。

8.将軍と天皇はどちらが偉かったですか?
江戸時代といえども、将軍の交代には勅許が必要であった以上、天皇のほうが偉かったとはいえます。しかし、偉いから実力があるとはかぎりません。江戸時代はお飾り的な権威しかなかったのは事実だでしょう。

9.なぜ神道?
10.政教分離?

同時にいきます。そもそも古代日本の実力者は「神」として被支配民を統治していました。古代でいえばアラブ民族も同じですし、タイ国王は今でもラーマ神の化身です。つまり統治の正当性のためには「私は、あなた方と違って優れている。だって神(または神の子孫)だから。そんな私と私の継嗣がこの国を治めるなら納得するでしょう」ということが必要で、だからこそ古代も民も王の支配に従ったのです。

そうなると豪族たちが連合してできたヤマト王権というのは「神々の集まり」であって、その頂点が天皇ということになります。出雲大社に残る国譲りの神話はそういう当時の「神」のあり方を考慮してみる必要があります。

そして天皇は神々(豪族たち)の代表であれば、各地で統治を行い場合によっては戦争で死ぬ豪族のために祭祀を行うことが重要になってきます。特に鎌倉幕府以降、統治の実権を武士という民衆に渡したため、祭祀だけが残ることになり、祭祀があるからこそ「日本の法王」としての天皇制が残ったともいえます。
だからこそ神道しか天皇にはありえないといえるのですが、大化の改新の際に大和朝廷は仏教を国教として定めましたので、仏教も信奉しています。ただこれには神仏垂迹説という神と仏を同一に見る考え方があるので、神道の祭祀はそのまま仏教の祭祀でもある、ということになっているのです。
ちなみに天皇はすべての神社仏閣に出入りすることができます。

11.国家元首の正当性
最初に書いたようにアメリカ合衆国ですら「神」を利用しています。政教分離とは行政や法治の部分で宗教的な考え方を排除する、ということであり国家運営すべてから神を排除しているわけではありません。もしそこまで排除するなら、アメリカ大統領の宣誓から聖書は排除すべきですし、イギリス国王やタイ国王などの戴冠式から宗教関係者は排除すべきです。
しかし「国の正当性」そのものに神の果たしている役割は大きく、また民衆はそれを必要としているといえます。神を完全に統治からは自助しているのは共産主義国家だけです。

天皇制の意義

天皇制の意義は、ひとつには日本国のクニの正当性のために必要であり、それはバチカン市国の法王やイスラムのメッカなどと同等です。日本は宗教=国=国家すべてがひとつの国の中に全部ある珍しい民族なのです。

もうひとつは、統治が2重になっているために、社会制度の変化に民衆がついていけることです。そのため日本に住む人々は、先祖代々続く土地も地域の文化も保持することができたのです。

こんな国はほかには無いですよね。
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この回答へのお礼

大宝律令、ヤマト王権あたりを国家の成立と捉えるのは私には非常にしっくりきました。このまた国と藩の関係、将軍と天皇の関係も解すく明瞭な回答ありがとうございました。phiさんのこれらの回答を頭に入れながら関連する書籍等を読んで理解を深めようと思います。>神を完全に統治からは自助しているのは共産主義国家だけです。
とあり、この1文が興味を引いたのですが、もう少し詳しく解説していただけないでしょうか?共産主義国家とは具体的にどこの国を指していますか?
神が果たす国家の正当性や国家への有用性は今回詳しく解説していただき、良く解ったのですが、なぜ共産主義国家はそれを放棄するのでしょうか?

お礼日時:2013/10/13 06:16

1.日本はいつ誕生しましたか?


   ↑
これには諸説あり、戦前は紀元前660年2月11日
だと宣伝されていました。

2.日本の誕生の定義は何ですか?
    ↑
国家三要素説ですね。通説です。
私は壬申の乱以降誕生したと考えています。
この時から、日本の中央集権体制が始まった
からです。

3.藩とは何ですか?
   ↑
これは、現在の米国に似ています。
各藩は、治外法権を持っており、中央政府には
従うが、一応独立していると考えられたからです。

”有力武将たちが新国建国ではなく、日本統一を目指したのはなぜでしょうか?”
    ↑
形式的とはいえ、トップに天皇がいたからです。
中国は、易姓革命の国でしたから、政権交代=新しい国の誕生
ということになり、紛争が絶えなかったのです。

4.江戸幕府は日本を統治していましたか?
   ↑
前述しましたように、藩は独立性が強かったですが、
それでも江戸幕府は、日本全体を統治していたと言えます。
それは米国と同じです。

5.日本はどうして“ずっと”日本なのですか?
    ↑
これも前述です。トップに天皇が君臨していたからです。
誰も、天皇にとって代わろうとはしなかったのです。

6.琉球王国はいつ日本になりましたか?
    ↑
琉球は長い間、日本と中国の双方に属して
いましたが、明治になって日本だけに属する
ようになりました。

7.天皇はいつから国家元首として扱われるようになりましたか?
    ↑
天皇の存在が、学術的に確認されているのは1500年前
ぐらいからです。
私は、これも前述したように、日本の誕生が壬申の乱以降と
考えていますので、元首もそれ以降だった、と思っています。
尚、男系が守られているか、については諸説あるところで
ちょっと解りかねます。
ただ、歴史というのは物語、という面があります。
男系だ、というストーリー、という理解でもよいと考えています。


8.将軍と天皇はどちらが偉かったですか?
    ↑
形式上は天皇の方が偉いです。
将軍ですら、天皇からその地位を任命された、という
建前になっています。
現在でも、総理大臣を任命するのは天皇ですが、
それと同じ事です。

9.なぜ神道?
  ↑
天皇は神主の親分みたいな存在です。
つまり、神と人間を結びつける存在です。
西洋に法王がいて、王権神授説が王権の根拠となっている
のと同じ理屈です。
王様はなぜ偉いの?
それは、神様から選ばれた存在だからだ。
国家統治の為には、こういう建前、物語が必要なのです。

10.政教分離?
  ↑
天皇の国事行為については、憲法学者の間でも
論争の種になっています。
これは説明すると長くなるので、独立に質問を立てて
欲しいです。
私は、政教分離は、キリスト教のような一神教でこそ
問題になるもので、神道のような、宗教といえるかどうか
解らないものに適用する必要は無い、と思っています。


11.国家元首の正当性
   ↑
御指摘の通り、天皇は神道と結びついています。
だから、時の権力者も畏れて、天皇を滅ぼしたりしなかった
のです。
昔の人は、迷信深かったからです。


”無神論者として”気持ちの良い事ではありません。”
    ↑
文科省は神道の信者数を1億1千万としています。
そして、神道には教義も経典もありませんし、
神道の信者であるとの自覚も不要という、まことに
いい加減な宗教です。
これは、宗教というよりも、自然を畏れる国民感情
というべきかもしれません。
だから、あなたもおそらく神道の信者だと思います。
神道とは、そういう宗教なのです。


”宗教の絡まない天皇の正当性は何かありますか?”
    ↑
国民の意思がその正当性の根拠です。
これは、現在の国民の殆どが支持している、という
ことではありません。
過去現在を通した「歴史的意味の国民」が支持している
ということが正当性の根拠です。


”最後に天皇制の意義に対する意見を教えて下さい。”
    ↑
これは長くなりますが、いいですか?

天皇制の意義
1,独自性
中国に対する独自性の発露の為、天皇という呼称にしたのです。
天皇では中国の皇帝よりも偉そうだ、というので中国は激怒し
日本討伐の話しまで出ましたが、諸般の事情で取りやめになりました。
現代では、欧米に対する独自性の徴表という意味を持っています。
独自性を持たない国は衰退します。
韓国では、朴大統領が、何とかして自国の独自性を出そうとして
漢字を廃止し、ハングルだけにしてしまいました。

2,歴史を観て下さい
幕末、天皇がいなかったら日本は列強の植民地にされていたかもしれません。
維新後、政府は国民をまとめるのに苦労しました。
それは、当時の人間は藩人という意識が強かったからです。
それで山県有朋と西周が相談して天皇を持って来ることにしました。
お前等は、薩摩藩人という以前に、天皇が治める日本という国の
国民である。日本国民の誕生です。
これを国民国家といいます。
国民国家は国家の総力をあげて事に当たれますので、強力なのです。
世界で最初に成功したのが欧州です。だから欧州は強かったのです。
アジアで最初に成功したのが、日本です。
イラクやアフガンは、いまだにもめていますが、これは彼らにイラク国民だ
アフガン人だ、という意識が乏しいからまとまらないのです。
ああいう国に、天皇みたいな存在があったら、どんなに便利なことか。

3,公、という概念
国家は、国民という意識を国民に植え付けるのに苦労しています。
米国はその典型です。
米国という国は、人種、出身国、宗教、文化が異なる人間が集まってできて
いる国です。だからまとめるのが大変です。
その為、国旗を大切にし、何かというと愛国心をかき立てる行動に出ます。
時には戦争もやります。戦争ほど国民をまとめるのに適したものはありません。

オリンピックや国体とかの催しものはみな、国家を国民に意識させる為に
行われているのです。
だから税金を使ってまでやるのです。
国旗や、国歌などもその類いです。
その中でも、天皇というのは強力なツールです。
天皇は生きている歴史であり、歩く国家なのです。
人々は天皇に接し、想うとき否応なしに日本国家や日本の歴史を
想起します。
米国もこれを羨ましがり、天皇の存在は17個師団の軍隊に
相当する力があると分析しています。

4,汚職だらけのアジア諸国の中で、日本は比較的清潔でした。
それは、刑法学者に言わせると、天皇の存在と関係します。
汚職は天皇に対する犯罪で、絶対に許せない、という考え方が
強かったのです。
その反面、警察などによる職権濫用は大目に見られました。
戦後はそれが逆になっています。

5,かつて官僚は、政治家などは選挙区の代表に過ぎないが
我々は天皇の官吏として、日本全体の事を考える立場である、
と誇り高く仕事をしていたのです。
その活躍が日本をここまでにした大きな要因の一つです。
現代でも、天皇に対する官僚の想いというのは相当強いですよ。

6,戦後、社会主義革命の嵐が吹き荒れました。
その前に立ちはだかったのが天皇制です。
社会主義は平等を理念としますので、天皇制とは相容れないのです。
それで米国も天皇制を残すことにしたのです。
天皇は社会主義に対する防波堤としての役割を果たしました。

7,中国などは易姓革命の歴史でした。
つまり前政権を根こそぎひっくり返し、新政権を打ち立てると
いう形式の歴史を繰り返してきました。
そのため、人口が1/3に減ったことが何度もありました。
残りの2/3は殺されたか、死んだか、海外に逃げたかした訳です。
海外に逃げたのが華僑です。
こういう歴史の為、中国人は政府や国家など信じません。
信じられるのは己とせいぜいが一族だけ。
だから、中国人は国家のいうことを聞かない国民性になったのです。
犯罪も多く、まとまりもありません。
孫文も言っています。
「日本人は粘土みたいだ。すぐに固まる。中国人は乾いた砂のようだ」
また、ある中国人学者は次のようなことも言っています。
「中国は靖国を批判しないで見習え。日本人の団結力はああいうところ
 から養われるのだ。祖国の為に戦死した人々を中国人は参拝
 したりしないではないか。だからいつも日本に負けるのだ」
こういう中国と比較すると、日本の歴史は比較的平穏でした。
それは形式的にせよトップに天皇がいて、その下で権力闘争をやる
という形だったからです。
これもある中国人学者が言っていることです。
「日本は大東亜戦争で、大きな打撃を受けたが、中国はあれ以上の打撃を
 600回も受けてきたのだ」

8,権威と権力を分離し、もって独裁を防止する。
 こういう機能を、天皇制は持っています。
 池田大作が政権をとり、独裁を敷こうとしても、天皇制は大きな
 障害物になるでしょう。

9、象徴性
選挙で選ぶとなると政治家みたいな人が選ばれることになります。
そうなると、政治的対立が生じ、全国民の象徴であるべきなのに
例えば、右側の人だけの、左側の人だけの象徴になりかねません。
非常に生臭くなります。
その点、天皇は政治的対立が少なく、全国民の象徴にふさわしい
いえます。
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この回答へのお礼

細やかな回答非常に嬉しく思います。
文章を読むのが好きなので、長文はむしろ有難かったです。
アメリカ人のアイデンティティーや中国人の国家間は私の経験上、
強く共感できる部分がありました。
とても参考になる回答でした。ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/13 08:41

#8です。

お礼ありがとうございます。以下補足です。

>共産主義国家とは具体的にどこの国を指していますか?
神が果たす国家の正当性や国家への有用性は今回詳しく解説していただき、良く解ったのですが、なぜ共産主義国家はそれを放棄するのでしょうか?

原則的に共産主義を標榜するすべての国です。
なぜ共産主義が宗教を放棄し、人民に宗教を禁止するかというと、宗教が「格差」を助長するからです。

そもそも宗教というは先に書いたように「統治の正当性」の理由として使われます。統治者と被統治者を宗教が分けてしまうともいえます。またカソリックのように宗教集団そのものが格差(階級)をもっている場合もあります。仏教も修行の量と質などによって袈裟の色が違うなどの格差があったと思います。

共産主義の理想は「労働者が平等にすべてを分かち合う理想の社会」を構築することです。これが構築されるまでは、共産党が独裁で指導できる、というのがレーニンの考え方になります。

このときまず共産主義が指導したのが、格差を作り出すブルジョワジーの解体です。ロシアでは王制(帝政)の廃止や富裕者の財産の剥奪などが起きましたが、中国では同じイデオロギーが文化大革命を呼び、教師や医師などを反動分子として略奪暴行が起きましたし、カンボジアではポルポト派が、およそありとあらゆる知識人(教師・医師・学者・法律家・上級役人など)を虐殺して、国を原始的な農業社会にもどそうとまでしたのです。

この共産イデオロギーに宗教も無縁ではなく、労働者を(神という)言葉巧みに惑わし、搾取し階層を作り出す宗教家と宗教集団も廃止させられたのです。
共産主義はこの世に、労働者の楽園を作ることが目的ですから、死後の世界を言葉たくみに洗脳する宗教は、人民をマインドコントロールする敵だとみなされたのです。

とまあここまでは、本質的な共産主義イデオロギーによる理由なのですが、共産党としてはそれ以外の理由もあります。

簡単に言えば「宗教家が多くの人々を動員できる力をもつことが怖い」ということです。
北朝鮮についていえば、日本が敗戦で撤退した時点で宗教もほとんど無かったためあまり関係なかったのですが、中国などは古来から「黄巾の乱」など宗教家を中心とした乱が何度も起きており、それが元で国家が転覆するきっかけになったこともたびたびあったため、かなり強く引き締めを行っています。

ここ最近でいえば法輪功への弾圧でしょうか、法輪功は一時期中国国内で共産党支持者以上の入会者を集めたようで、それを危険視した中国政府が弾圧を行った、とされています。

このあたりはイデオロギーに関係なく、宗教そのものの力を恐れた共産政府の弾圧ということです。

蛇足になるかもしれませんが、宗教というのは国家政府からみると、非常にやっかいな存在であることは事実です。

国つくりの神話をもつ国家であっても、国家運営の意思と国民の思いや宗教的勢力の以降は、いつも一致しているとはいえないからです。

たとえば、ヨーロッパでは「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件があります。これは当時のドイツの神聖ローマ皇帝とローマ法王のどちらが権力が上か、という権力闘争なのですが、この事件以後、ヨーロッパでは法王>皇帝>各国王という権力図式が出来上がってきます。

このような図式があったため、イングランドのヘンリー8世の離婚問題でイギリスはカソリック教会から離脱してイギリス国教会を立てることになります。当然ながらイギリスの戴冠式は国教会の大聖堂ウエストミンスター寺院で行われることになるわけです。

日本の天皇制がなぜ有意義かというと天皇=法王で法王の権威を各国王(征夷大将軍を含む戦国大名から各藩主まで)が認めていたことです。
まあ、戦国大名にしても各藩主などにしても、自分たちの出自を源か平家を借りて出てきたということもありますし、そもそもその地域の古い神はヤマトに属していたので、ヤマトを否定することは自分たちのコミュニティーの原点を否定することでもあるわけです。

実際的な権力と国家の支配権・運営権は実力をもった誰か(しかも栄枯盛衰は必定)に焚くし、天皇家は法王として国の安定をひたすら祈る、という方法がこの国を安定させてきたことは確かです。

日本列島が大陸から程よく離れた島国であったことも「日本」が長く続く大きな要因であったものの、国内の騒乱をまとめる法王(天皇制)があったことは、五重塔の心柱のように国の安定に寄与していると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
今回も簡潔に且つ沢山教えて頂けて、よく解りました。
豊富な知識量に感服しました。

お礼日時:2013/10/14 13:30

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