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ウィキペディアの定義ですと

「数詞(すうし)とは、数を表す語である。言語及び数詞の種類により、名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類されるが、その性質は独特である。文法上の数とは異なる。」

に沿っていくつか分からないことがあります。

(1)「語」は「数」と分けられると思いますが、この定義では「語」となっています。
日本語では、「数」に対する品詞がつけば、「語」となるのでしょうか?

(2)「単独の基数詞は一般に名詞である。」と述べられていますが、数に品詞がついた数詞も、名詞となるのでしょうか?

(3)「言語及び数詞の種類により、名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類される」とありますが、名詞、形容詞、限定詞を具体的に挙げてください。

たとえば数についた形容詞がどうしてもイメージできず、さらに限定詞がどういうものかも分かりません。

よろしくお願いします。

A 回答 (21件中11~20件)

No.10です。



「catとcats」の話と「数を表す名詞」の話がどうして「確かに」でつながるのかよくわからないのですが…

>文法を対象とするのは、人種によって違いがでてくるのは不可能です。

いいえそんなことはありません。

英語では意味上の主語がどこにあろうと形式上の主語を省略することができません。
英語では「常に」一匹の猫と何匹もの猫を言い分けなければいけません。
フランス語では「無生物であろうが」男性名詞と女性名詞の区別があって活用形が異なります。

いずれも日本語ネイティブからしたら理解し難いことです。

数詞は語彙で、「任意の大きさの数の表し方」は文法の一部かもしれません。
でも書き言葉ならアラビア数字で逃げることが可能です。
それとは違って、単数・複数の区別は英文法の根幹に関わります。(根幹ってどこだ)
それに比べれば3個と3万個の違いは英文法においてどうでもいいことなのです。

この根幹に関わっている部分(-sをつけるとか云々)が「文法上の数(すう)」という専門用語で呼ばれているというだけの話で。
そして「文法上の数(すう)」が語じゃないというのは「-sは単語の定義に合わないだろう」というだけの話だと思うんですけどね。

この回答への補足

>「catとcats」の話と「数を表す名詞」の話がどうして「確かに」でつながるのかよくわからないのですが…

英語では数も含めて名詞になる(cats)ということです。
単数のcatもそう、catsも名詞つまり「語」です。

>>文法を対象とするのは、人種によって違いがでてくるのは不可能です。

対象とするのは共通項ではありませんか?
およそ人が知覚できること(森羅万象)はすべて「ものごと」の対象となり、語ができる、という意味です。
それが文法的にどうなるのか(数をどう表わすか、日本語と違い英語のように言い分けるのか、省略するのか)、などというのは二義的なことです。

>「文法上の数(すう)」が語じゃないというのは「-sは単語の定義に合わないだろう」

これへの補足はNo.11のお礼にゆずります。
>英語では「常に」一匹の猫と何匹もの猫を言い分けなければいけません。

単数でも複数でもですね。単数の場合「a」を入れますね。

補足日時:2013/10/26 08:40
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#9です。



>前の回答で「言語に拘わらず、文字化されたものは全て語と呼んで良いのでしょう。」
とおっしゃってますが、文字化されたものには数もありますが?それとも数は例外なのでしょうか?

「数」は、あくまで、文字化される前の抽象的概念です。
文字化されると目で見て認識することができますが、「数」という抽象的概念に留まっている間は見ることができません。概念というもの自体は見ることができないからです。
数詞は、目に見えない「数」という抽象的概念を文字化して目に見えるようにしたものである。
ということになるかと思います。

>一個
「個」は助数詞ですが、では「一」は数という概念の他に「ことば」にした場合に文法上ではなんと称されているのでしょうか?
概念を表すのが「語」でしたら、数は例外なのですか?

「ことば」にした場合→数詞。
「ことば」にする前→概念。
です。
「数詞(すうし)とは、数を表す語である」というウィキの定義に関して、【表わす】の意味を再確認してみると、「今まで見えなかったものを外に出して見えるようにする」と記されています。
http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E8%A1%A8%E3%82% …
たとえば、この回答欄で「一」と書いた段階ではじめて、
『「一」という目に見えなかった抽象的概念としての「数」を、目に見える具象的「語(数詞)」として表わした』ということができるわけです。
この回答欄に「一」と書く前の段階でも、わたしは「一」という数を概念としては知っていますが、それを数詞として表現はしていないのです。
「数」という概念を、目に見える形で文字化したものが数詞と呼ばれる「語」です。
   
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この回答へのお礼

そもそも抽象的な概念それ自体は文法に表わされるものではないということは理解しておりますし、それについては何度も補足してきました。(なので抽象論はもう結構です)
抽象的なものを伝達(言葉や記述)する際に使われたとき、「語(数詞)」となる。つまり数は語ではなく、数詞が語である。ということをお伝えしたいのは分かりました。

また、ご回答者様は、語かどうかを区別する際に、抽象論か具体論かを基準にしておりますが、抽象的なものも名詞として「ことば」が附与されます。
私が文法範疇を参照したのは文法(語の世界)が何を対象にしているかというとき、

No.2の回答で「「愛」や「勇気」でも同じことです。愛や勇気そのものは目に見えませんし、もちろん「語」ではありません。」と述べられています。抽象的である「愛」は名詞と直接的に品詞が分かりますし、それは「単語」です。しかし「数を表す語(数詞)」の「数」がなぜ語ではないのか?という疑問がこの質問の主旨でした。
愛も数も抽象であるが、なぜ数は語ではないのか?ということです。
ですから私は文法範疇を示しました。対極的に捉えて、森羅万象はあらゆる語(言葉)になるのではないでしょうか?

要は「詞」とつくものはすべて語ではないかと思ったのです。
「5個」とすれば「数詞」となるというお話でした。
「5」だけでは「数」という抽象的なものなので、「数」そのものには品詞が付かない。付けるとしたら「数詞」となる。つまり数そのものは語とは呼ばず、品詞がついた場合、数を表す数詞という語になる、という理解でよいかと存じます。

数詞のページに戻ります。

「基数詞(きすうし)とは、基数、すなわち分けて数えられるものの個数を表す数詞である。日本語の「いち」、「に」、「さん」は基数詞である。」

ここに「日本語の」、とあります。基数詞は数を表す数詞のひとつですが、数とは名詞でもあります。すなわち「語」です。同様、(「詞」とつくものから)基数詞も語であると思います。また「詞」は「ことば」でもあります。http://www.weblio.jp/content/%E8%A9%9E

No.7での回答での
「文法範疇のページでは、この目に見えない抽象的な概念であるところの「数」は、目に見える「語」を形成する文法範疇(のひとつ)である、と記述されているわけです。」というのは、やや、抽象的な視点に偏りすぎな解説かと思うのです。

つまり、数字は語ではないとすると、抽象的な名詞である他のすべての語も語ではない、ということになります。

*蛇足ですが、同回答での
>文法範疇のページでは、この目に見えない抽象的な概念であるところの「数」は、目に見える「語」を形成する文法範疇(のひとつ)である、と記述されているわけです。
とはどこにも記載がありません。

お礼日時:2013/10/25 22:26

>しかしなぜそれを抽象論でもって「数」=「語」ではないと否定されるのかが分かりません。



とはもしかして

>文法上の数とは異なる。

の部分ですか?でしたらその「数」のリンク先をご確認ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0_(%E6%96%8 …

>このように日本語には、文法上の数は存在しない。

ええとつまり、元々「西洋人が考えた『文法カテゴリー』なんだけど、日本語の数量表現にはうまくマッチしないなあ」というような、言語学の技術的な話をしているのであって、形而上の「数」のことではありませんよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>日本語には、文法上の数は存在しない。

「名詞では、その語が指示する対象の数量的な相違を表している。例えば、英語でcatと言えば一匹の猫、catsと言えば何匹もの猫を指している。」

というようなことでしょうか。
確かに英語では数を表す名詞も語です。

しかしそれが

>西洋人が考えた『文法カテゴリー』

であるがゆえといえるのでしょうか。

文法を対象とするのは、人種によって違いがでてくるのは不可能です。「人間」が共有するものは多くのことに共通項がありますが、この範疇における対象はきその基本的なことばかりです。(例えば時間や数)

文法範疇は西洋人が分けたのですか?
その出典などありましたらご紹介ください。

補足日時:2013/10/25 08:26
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#8です。



読み返していて紛らわしい表現がありましたので、若干修正させてください。
主に「という状態」という語を追加している点にご留意ください。

×
テーブルの上のりんごを見て「りんごが一個あるな・・・」と認識するのは、抽象的な概念としての「一」あるいは「一個」という数を理解しているからです。
この時点では、「一個ある」という事実は存在しますが、「一個」という数詞(語)は一切関与していませんよね。
「一個ある」と認識するだけなら数詞は不要なのです。


テーブルの上のりんごを見て「りんごが一個ある・・・」という状態を認識するのは、抽象的な概念としての「一」あるいは「一個」という数を理解しているからです。
この時点では、「一個ある」という事実は存在しますが、「一個」という数詞(語)は一切関与していませんよね。
「一個ある」という状態を認識するだけなら数詞は不要なのです。
「一個」という「語」は知らなくても「一個」という概念を持つことはできます。
「一個」や「一」という「語」を知らない動物の場合でも、与えられた肉が一切れなのか2切れなのか、という違いは概念として持つことができると思います。
  

この回答への補足

前の回答で「言語に拘わらず、文字化されたものは全て語と呼んで良いのでしょう。」

とおっしゃってますが、文字化されたものには数もありますが?それとも数は例外なのでしょうか?

>一個

「個」は助数詞ですが、では「一」は数という概念の他に「ことば」にした場合に文法上ではなんと称されているのでしょうか?

概念を表すのが「語」でしたら、数は例外なのですか?

補足日時:2013/10/25 08:32
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#7です。



>しかし数詞の定義によれば「数」もまた基数詞です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E8%A9%9E

そうは書いていないと思います。
「数詞(すうし)とは、数を表す語である」と書いています。
そして、その数詞の種類として基数詞が挙げられているだけです。
「数詞=数を表わす語」であり「数詞=数」とは書いていません。
そして、「数」とは「数量を表すために用いられる抽象的な概念」です。
テーブルの上のりんごを見て「りんごが一個あるな・・・」と認識するのは、抽象的な概念としての「一」あるいは「一個」という数を理解しているからです。
この時点では、「一個ある」という事実は存在しますが、「一個」という数詞(語)は一切関与していませんよね。
「一個ある」と認識するだけなら数詞は不要なのです。
その目に見えないもの(=数)を見えるように「表わす」ツールが「語(数を表わす場合は数詞)」です。

>そもそも、文法が対象とするものには「数」も含まれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%B3%95%
確かに抽象的な観念では「数」ですが、文法的な意味では数も「語」なのではないか?というのが私の(というより定義に沿った)意見ですが、何か矛盾がありましたら教えてください。

この論理だと、抽象的な観念も「語」なのではないか、という意味になってしまいます。
これは論理的とは言えないようです。
抽象的な概念を具象的なものとして表わしたものが「語」なのだと思います。
「語」に関しては、
『語(ご)とは、言語の構成単位の一つであり、一つ以上の形態素からなる。語が集まることで句、節、文が作られる。例えば「鳥が鳴く」という文は、「鳥」「が」「鳴く」の三つの語からなる。』
という記述があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E
この場合、「鳥」とはどういうものか、あるいは「鳴く」とはどういうことか、といった概念は頭の中でいつでもイメージできると思います。
しかし、そのイメージ自体は「鳥」という名詞でも「鳴く」という動詞でもありません。
このように、名詞や動詞という分類が無くても、「鳥」とは何か、「鳴く」とはどういうことか、という概念だけは存在可能です。
これが(抽象的な)概念と(具体的な)語との違いだと思います。

>数詞は語ですが、数詞の中に含まれている数は語であり「基数詞」と称されてます。
名称があるのですから働きもあります。
例えば基数詞「5」は「個」という助数詞がついて「語」となります。

そうではないと思います。
「数は語」ではありません。
【(目に見えない)抽象的な概念としての5という数は、「5」という基数詞、または、助数詞のついた「5個」という形の数詞として(鉛筆で紙の上に記入されるなど、目に見える形で具体的に)表現されることによってはじめて「語」となり得る】
ということだと思います。

説明が下手なのでわかりづらい面もあるかと思います。
腑に落ちない点がございましたら、さらに補足なさってみてください。 
  

この回答への補足

ご回答者様は、私が抽象論と混同しているとお考えのようですが、

「例えば基数詞「5」は「個」という助数詞がついて「語」となります。」

と私が述べたことは、文法上のことです。

すでにNo.7で

「語は文法上で扱われるとき、品詞(という名称の働き)で組み合わされています。」

とすでに述べてます。

補足日時:2013/10/25 20:59
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#5です。



>すでに補足しましたように、文法範疇では数が対象となってます。
ここでは「語を形成する原理」と説明されてます。
この定義についてはどうお考えになっていらっしゃるのでしょうか。

たしかに、そのように記述されていますね。
「数=語を形成する文法範疇(のひとつ)」です。
ただ、「語を形成する文法範疇」自体は目に見えない、という点に留意する必要があります。
ウィキにも記述がありますように、「数」というのは「数量を表すために用いられる抽象的な概念」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0
文法範疇のページでは、この目に見えない抽象的な概念であるところの「数」は、目に見える「語」を形成する文法範疇(のひとつ)である、と記述されているわけです。
「数詞(すうし)とは、数を表す語である」という記述を再確認しておきたいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E8%A9%9E
ここで、前回述べた「人差し指を一本立てても数詞とは言えない」という内容を訂正させていただきたいと思います。
というのは、たとえば手話などでこうした方法がとられる場合もあるかもしれない、と考えたからです。
立てられた人差し指も数詞になり得ると思い直しました。その上で、
「数詞」とは、「数量を表すために用いられる抽象的な概念」である「数」を、抽象的ではない形で表現しもの。
とウィキの定義を言い換えることができると思います。
元の定義にもあるように、「数詞」というのは、「数を表わす語」です。
「表わす」以上、「知覚できるもの」である必要があります。
目の前に置かれたりんごを見て「りんごが一個ある」と理解することはできます。
2個ではなく一個であると理解できるのは、「数量を表すために用いられる抽象的な概念」が人間には備わっているからです。
しかし、「りんごが一個ある」と頭の中で理解した段階で「数」の概念は存在していますが、その数が「表わされている」とは言えません。
人指し指を一本立てたり、「テーブルの上にりんごが一個あった」などのように記述するなどして、はじめて「数詞」として「数」を表わすことが可能になります。
  

この回答への補足

私の疑問と他の方の回答などを整理してみました。

(1)『「数」=「語」なのではなく、「数詞」=「語」である』

(2)『「5個」ということばが「語」である』
(その理由は、リンゴが5個あったとして、「5個ある」という事実そのものは「語」ではなく「5個」という「語」で表しているから)

(3)「リンゴが5個」というのは、「リンゴが5個」という「ことば」のことではない。実際にリンゴが5個ある状態のことであるため、品詞分類しても無意味である。

(1)~(3)が回答です。

(2)について、(1)で数は語ではないと述べているのですから、(1)と(2)は矛盾しているように思えましたが、「5個という語」は数詞であるがゆえ「語」であるとのことです。確かに「数」そのものは抽象的な概念ですが、この意見では「数」に「個」というような助数詞が付けられた時、はじめて「語」になるということなるという考えなのかなとも思いますが…

しかし数詞の定義によれば「数」もまた基数詞です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E8%A9%9E

この定義にそえば、文法上では数詞として扱われていますのでこれも「語」ではないかと考えるのです。

そもそも、文法が対象とするものには「数」も含まれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%B3%95% …

確かに抽象的な観念では「数」ですが、文法的な意味では数も「語」なのではないか?というのが私の(というより定義に沿った)意見ですが、何か矛盾がありましたら教えてください。

補足日時:2013/10/24 15:36
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この回答へのお礼

補足です。

>「数詞」とは、「数量を表すために用いられる抽象的な概念」である「数」を、抽象的ではない形で表現しもの。

確かに抽象的な数を表すとき、「形」が必要になります。それが語です。それは物質的なもの、非物質的なもの、あらゆる知覚、認識に人間は語を与えています。

それと同様、語は文法上で扱われるとき、品詞(という名称の働き)で組み合わされています。

<「数」=「語」なのではなく、「数詞」=「語」である>

数詞は語ですが、数詞の中に含まれている数は語であり「基数詞」と称されてます。

名称があるのですから働きもあります。
例えば基数詞「5」は「個」という助数詞がついて「語」となります。

助数詞の「語」は基数詞「5」があって初めて役割を発揮します。

基数詞も助数詞も「語」であり、品詞です。

しかしなぜそれを抽象論でもって「数」=「語」ではないと否定されるのかが分かりません。

お礼日時:2013/10/24 16:01

なかなかご理解いただけないようなのでこれで最後にしますね。



りんごが5個ある状態とは添付した上の絵のような状態のことです。絵が下手で申し訳ありませんが、ここに本物のりんごが5個並んでいると考えて下さい。ここには「りんご」という名詞もなければ「5個」という数詞もありません。この「現実の状態」そのものを品詞分類しても無意味だということです。これは「言葉」ではないのですから品詞分類なんかできるわけがありませんよね。
それは下の絵についても同様です。この状態を品詞分類できるわけがありません。
しかし上の絵を見た人間がこれを「5個のりんご」と日本語で記述した場合、その「5個のりんご」という日本語は「言葉」ですから、品詞分類ができますね。で、その中の「5個」という「言葉」は「数詞です。
同様に下の絵を見た人がこれを「りんごが転がる」と表現した場合も、この「リンゴが転がる」という日本語は「言葉」ですから品詞分類ができます。もちろん前者には動詞は入っていず、後者には動詞が入っていますがそれはまったくどうでもいいことです。
この世界のさまざまな事物や現象そのものは言葉ではないので品詞分解もできず、当然そこには数詞も動詞もありません。
それを人間が「言葉」で記述したとき、その「言葉」は品詞に分解できるでしょうし、その中には数詞も含まれています。繰り返しになりますがその点をくれぐれも混同しないようにして下さいね。ではさようなら。
「数詞について分からないこといくつか」の回答画像6
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この回答へのお礼

どうやら、お互い観点がずれているようです。

混合はしてません。むしろ区別して考えてます。

>この世界のさまざまな事物や現象そのものは言葉ではないので品詞分解もできず、当然そこには数詞も動詞もありません。

これは観念上でのことあり、それを聞きたいのではありません。

>それを人間が「言葉」で記述したとき、その「言葉」は品詞に分解できるでしょう

質問はこのようなことです。

最初私は「数は語でない」と決めつけていましたが、その後訂正しております。
そのことを私は定義にそって考えを述べ、補足しましたが、その点についてお答えいただけなかったのは残念です。

またNo.3で

「リンゴが5個」という数詞が入るものは、「状態」であり、それは品詞分類は無意味ということですが、では「リンゴが転がる」というのは動詞が入ります。この場合は「リンゴ」(名詞)、「が」(助詞)、「転がる」(動詞)ということに分解できるということでしょうか?

とお伺いしましたが、

>後者には動詞が入っていますがそれはまったくどうでもいいことです。

という、ここでの回答でした。
あなたにとってはどうでもよいことよいことですが、私にとってその限りではありません。

文法的に数詞が入ればどうなるのか(=品詞分類は無意味であるという回答者の根拠)を聞いたまでですが、それに関する答えの「どうでもよい」という感情的なものでしかありません。

私の質問の主旨を理解していだけなくて残念ですが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/24 12:54

#4です。



目の前に一個のリンゴがあるとしましょう。
「りんごは何個ありますか?」という質問に対し、人差し指を一本立てて【数】を表わすことができます。
しかし、一個という【数】は表わしていますが、ここに【数詞】は介在していません。
「目の前に一個のリンゴがありました」と記述する場合に、はじめて「一個」という数詞が登場するのです。
数詞が無くとも数は表現できるわけです。
数詞を含む「語」とは言葉を使った表現手段のひとつであるのに対し、「数」というのは「数量を表すために用いられる抽象的な概念」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0

動物園に行って象を見たとします。
そのとき見た象は名詞ではありませんよね。
語ではなくて生き物です。
「今日動物園で象を見た」のように日記に言葉で表現した段階ではじめて「象」という名詞が使われることになるわけです。

この回答への補足

おっしゃりたいことはなんとなく分かります。
しかし私は抽象的な概念上でのことではなく、文法上でのこと(あなたのおっしゃる「記述したとき」)のことを述べてます。

抽象的なというのは

>数詞が無くとも数は表現できるわけです。

というのはまさにそれです。
確かに1個というのは省略できますが、観念では「1個」と認識されてますが、必ずそこには「数」が存在します。文法上では、それを示す数もまた「語」であるということです。

すでに補足しましたように、文法範疇では数が対象となってます。

ここでは「語を形成する原理」と説明されてます。

この定義についてはどうお考えになっていらっしゃるのでしょうか。

補足日時:2013/10/23 23:29
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「りんごが5個」というのは、「りんごが5個」という「ことば」のことではありません。

実際にりんごが5個ある状態のことです。ですからこれをいくら品詞分類しても無意味です。
今、目の前にりんごが5個あったとして、その状態には「語」はありません。それはアフリカゾウが目の前にいる状況と同じことですよね。この5個のりんごを、数詞をまったく知らない人が見たとしても、それが4個より多く6個より少ないということは理解できるでしょうし、チンパンジーだって訓練すれば4個のりんごが入った袋と5個のりんごが入った袋を見比べて多い方を選べるようになるかもしれません。繰り返しますがりんごが5個あるという状況は「語」ではないのです。そしてその、状態に人間が「5」という「語」を対応させたのです。これが数詞です。くれぐれも「語」としての「数詞」と「状況」あるいは「状態」「事実」を混同なさいませんように。

この回答への補足

つまり「リンゴが5個」という数詞が入るものは、「状態」であり、それは品詞分類は無意味ということですが、では「リンゴが転がる」というのは動詞が入ります。この場合は「リンゴ」(名詞)、「が」(助詞)、「転がる」(動詞)ということに分解できるということでしょうか?

補足日時:2013/10/23 19:37
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確かに「数」と「語」は異なります。

ただ、あなたが紹介しているウィキペディアの定義では「『数』は『語』である」と書かれているわけではありませんね。「『数詞』は『数』を表す『語』である」と書かれているわけですよね。つまり「数」=「語」なのではなく、「数詞」=「語」なのです。
これは「『アフリカゾウ』とはアフリカに住んでいる鼻が長くて大きな動物を表す語である」という定義と同じです(定義が厳密に正しいかどうかは別として)。ここでも「『アフリカに住んでいる鼻が長くて大きい動物』は『語』である」とは言っていませんよね。動物は「語」ではないのですから。その動物を「アフリカゾウ」という「語」で表しているわけです。つまりここでは「アフリカゾウ」ということばが「語」なのです。
それと同様に、リンゴが5個あったとして、その「5個ある」という事実そのものは「語」ではないでしょう。それを「5個」という「語」で表しているわけです。「5個」ということばが「語」なのです。
「アフリカゾウ」と違って「数」はある種抽象的なものですからちょっと理解しにくい部分もあるでしょうが、「愛」や「勇気」でも同じことです。愛や勇気そのものは目に見えませんし、もちろん「語」ではありません。「あの人が大好きだ」という感情や「怖いけどやってみよう」という感情は「語」ではありませんよね。それを「愛」とか「勇気」という「語」で表しているわけです。数詞もこれと同じですよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>「『数』は『語』である」と書かれているわけではありませんね。

というご指摘のように確かに、ここでは書かれてません。

>「『数詞』は『数』を表す『語』である」と書かれているわけですよね。

数詞も「語」であるということですね。

>つまり「数」=「語」なのではなく、「数詞」=「語」なのです。

これは違っているようです。

「数詞」=「語」なのです。

質問のとおり、私も最初そう思ったのですが「『数』は『語』である」ということについては、認識不足でした。

この「数詞」内のページには載ってませんが、ウィキペディア内「文法範疇」によりますと

「文法範疇(ぶんぽうはんちゅう)あるいは文法カテゴリーとは、語を形成する原理の分類であり…」

と記載されていることから「語」と「数」は同じのようです。

また

「語(ご)とは、言語の構成単位の一つであり、一つ以上の形態素からなる。語が集まることで句、節、文が作られる。」

この定義から、語は文法範疇の対象の他に、文を成す構成上の単位としての「語」という意味もあるのだと考えました。つまり「数」も「数詞」「助数詞」も「語」であるのだということです。

リンゴが5個

というのは、リンゴ(語の名詞)が5(語の数詞)個(5の助数詞)ということになりますが、これは構成上では「文」となり、文法的にはそれらの品詞はいずれも語である。と考えられますが、いかがでしょうか?

補足日時:2013/10/23 15:41
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