【死ぬ直前の感覚や雰囲気】の想像は、なぜミラクル?

いま、戦争ゲームが流行っているが、全神経を集中すれば、おそろしく、アクロバティックな攻撃「戦闘機・狙撃兵」が可能となる(まさにミタラクル!)。しかし、調子の悪いときは「先読み」ができないので、すぐに殺される。たかが、ゲームだが、「PS3 バトルフィールド1943・蒼の英雄(Birds of steel)」は、何か考えさせられるものが多い。

そこで、以下の思想を持ち出すと、
「【競争】という言葉はあれど、正しくは【(武術や戦術などのスキルを)競いこそすれ(=熟練度の競い合いは良い事)、争う(=領地や命、食糧の奪い合い・殺し合いは)必要はない】」という思想である。

私は巫女的な人間なので、第二次大戦で亡くなった人々の声が、いろんな方向から音やイメージとしてやってくるのを、受信可能な人間です。

何か感じた事を、自由に書いてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

>【死ぬ直前の感覚や雰囲気】の想像は、なぜミラクル?


⇒質問者様の意図から外れるかも知れませんが、自由に書かせていただきます。長文です。

 人間の脳には一生に一度しか働かないところがあるという。大脳の側面にある小さな間隙(解剖学上は外側溝という)に面したところである。「シルビウス裂」という名称で呼ばれている。で、一生に一度というのがいつかというと、それが何と事もあろうに人生の最後の一瞬、つまり死を迎えるときなのである。完全に死んでから生き返った人はいないので定かではないが、生から死へ渡って行くその間に、人間はえも言われぬ恍惚境を体験するものらしい。死の途中まで行って生き返った人たち、つまり九死に一生を得て奇跡的に黄泉の国の戸口から戻った人たちの話を要約すると、ほぼすべてに大同小異共通することであるという。その臨死体験における恍惚境の存在が、くだんのシルビウス裂の作用によるものであると推測される、というわけである。
 その次第は、例えばこうである。「暗闇の中に一筋の光明が見えるのでそれを目指して進んで行くと、急にパッと視界が開けて一面に美しい花の咲き乱れる場所に出る。花園の彼方には小川が流れており、その彼岸には先に逝った親類縁者がいてこちらを見ている。彼らの和やかな表情や周囲ののどかな雰囲気に誘われて彼岸へ向かって進みかけると、お前はまだここに来てはいけない、帰れ帰れ、と手で合図するではないか。それで仕方なく戻ってきたのだが、そのときの自分としては先へ進みたかった。なぜなら、そうすることが気持ちよかったから。それはそれは快適で、のどかで、うっとりするような状況であった…。云々」
 さて、ここで少なからず疑問が湧いてくる。このようなことが起こるのは神の意思なのであろうか。と言ってまずければ、自然の摂理に適っていることなのであろうか。あらゆる生物の営みに遍在する合目的性というものが、ここにも宿っているのであろうか。いるとすればその実体は何で、またいかなるメカニズムによって動かされるのであろうか。…と、縷々疑問を述べたあとで、いささか飛躍するのだが、ここで独断的に結論を先に述べてしまおう。生から死への旅路の途中にこのような桃源郷が存在し、そばし恍惚の境地を体験させるのは、まさしく神の意思そのものなのである。彼の被造物に細心の注意をもって施した『最終仕上げ細工』なのである。したがってそれは自然の摂理に充分適っており、明快な合目的性を持っているに違いないし、そのメカニズムも、ごく自然な成り行きの上に乗っているものと考えられる。
 では、神の目的とは何か。推測するに、死者が恍惚を体験する桃源郷は、実は死者を『完全な死』へいざなうための道標なのである。具体的に言えば、冷酷な表現だが「迷わず死んでもらう」ための腐心作なのである。「汝、ためらうなかれいざ逝かん。いさぎよいのが昔から、神の情けを買うものを。ためらうなかれいざ逝かん!」と桃源郷の入口には書いてある。シルビウス裂の作用によって恍惚境を演出する舞台―桃源郷―は、この世とあの世との接合点にあって、そこで死者があらゆる煩悩を捨て、この世とのしがらみを払拭し、魂の浄化をするところなのである。神が被造物にシルビウス裂の細工を施したことの目的はすなわち、死者が亡者にならないよう、彼に『全き死』を与えることだったのである。シルビウス裂は神の最高傑作と言わなければならないのかも知れない。
 ところでこのような神の御業による恩恵(見方によっては罠)は、ひとり人間のみに与えられたものではないらしい。例えば、かつてある小さな島でネズミが異常増殖したことがあった。その結果、その限られた物理的空間の中で何が起こったか。共食い? 否。餓死? 否。ネズミ帝国の出現? 否々。何千何万というネズミの大群が次々と海へ飛び込んで、入水自殺をしたのであった! その光景をビデオテープで繰り返しリプレイしてみて驚いた。大群が列をなして、あたかも厚手の黒いカーペットが水中に滑り込むように沈んでゆく。泳ごうともしない。もちろん他の島を求めて水中に飛び込んだわけではない。いわんや落ちたのでもない。『神の御業による見えざる導き』がネズミたちの脳に仕組まれているとしか考えようがない。
 仮にこのような仕組み―ある種の事態に対応して生物に安らかな自然の死をもたらす仕組み―がなかったら、どのようなことが結果するだろうか。ある種の生物のみが、自然界の些細な異変に触発されて、いとも容易に過剰(もしくは過少)状態になり、共食いはもちろん、たとえ一時期当該生物の「帝国」が現出したとしても、いずれそのことは種の全滅へとつながるであろう。「過ぎたるは及ばざるがごとし」であって、過剰であっても過少であっても結果は同じである。すなわち、個体数の調節ができなくなって、その結果、種の保存が困難になってしまうのである。そのようなときに神は、いわゆる『間引き』などの手を施すのであろう。すなわち、「何割かの個体を逝かせることによって、より上位の、種の手当てをする」のである。上述のネズミの例と人間の場合とではまったく同一ではないかも知れないが、その原理ないし本質部分は共通している、と言えよう。
 それでは、くだんのシルビウス裂はいかなるメカニズムによって作動するのであろうか。もちろん推測の域を出ないが、これはおそらく『コンセントに差し込んだ非常灯』のように、周囲の活動が停止したときにはじめて作動するような仕組みになっているのに違いない。すなわち、シルビウス裂は、一番最後に死ぬか、自家発電ないし蓄電機能を備えているか、のどちらかである。ボクは大脳生理学などに関してはまったく無知なので、ぜひその道の専門家にお尋ねしてみたいところである。
 さて、うっとりするような恍惚境がある一方で、断末魔の苦しみがあるということはどう説明されるのであろうか。重ねて推測するに、断末魔の苦しみはすなわち肉体の苦痛であり、肉体の苦痛はそれを感じる主体すなわち脳が活動を継続していてはじめて苦痛として感知される。要するにその段階では脳は生きている。したがって脳に死因のある場合を除いて、通常は断末魔が先で、それに恍惚境が続くと考えられる。つまり生と死の接合部は二つのスペースに分かれており、生に近い側に断末魔が、死に近い側に恍惚境がある、ということになる。
 では断末魔の存在理由は何か。こりずにまた推測的解釈を施すなら、生の崩壊が始まったばかりの段階では、いろいろな程度に蘇生の可能性がありわけで、そこで神は、肉体的苦痛という形で当人に回復・蘇生を促している、と理解することができよう。「汝、あわてるなかれ。でき得べくんばいざ戻らん。逞しいのが昔から、人の誉れとなるものを。あわてるなかれ、いざ戻らん!」と断末魔境の入口には書いてある。肉体がさいなまれるとき、人は神の心知らずでこの上なく神を憎むが、一方神は当人の闘争心を鼓舞すべく、心を鬼にして「戻れ、戻れ、戻れ!」と叫ぶのである。神が「もはやこれまで。蘇生の可能性なし」と見たときは彼を速やかに恍惚境へといざなう、のである。
 例えば凍死の過程を見ると、始めは激しい肉体的苦痛に襲われるが、それを過ぎると今度は一転睡魔がやってくる。脳死の始まりである。くだんの恍惚境の体験はここでなされる。脳死の進行過程も、おそらくは肉体により近い菱脳に始まり、次いで小脳や中脳・間脳へと移っていくのではないかと推測される。そして最後に、大脳の残りの部分―くだんのシルビウス裂の所在部位が活動を停止するときに、生のすべてが終焉し、死が完了する。シルビウス裂は、つまるところ、魂が肉体から遊離するときの『へそ』であり、『魂の通り道』なのである。
 死期がそう遠くないと予感するボクは、これで幾分か死の恐怖から開放されたような気がする。しかしそれでもなお、ボクは死ぬのが怖い。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

長文の回答、ありがとう。
あなたは「いま自分が生きている」ことが、当たり前のように言いますが「我々が幻覚である」という科学的な事実を知らない。私は元々いなかった。だから、そこへ戻る事=死は、「目が覚める」のと同じこと。あなたも大病を抱えているようだ。貴方に、真実を教えます。あなたが死ねば、この宇宙は相対的に消滅します。観測者がいてこそ、の宇宙の派生があるのです。実は神様などは存在しないことが科学的に証明されています。全知全能とは「絶対無」を意味します。宇宙が先にあるのではなく、「認識(観測)すること」が、実は宇宙の誕生を意味します。宇宙138億年は「常に【いま】という一瞬に折り畳まれて」おり、「自我の認識」と「時空の発生」は同時に起きる。表面的には量子という最小粒子の交換、なだけです。なんでも先入観を持って考えては間違った思考回路を生むだけです。ここで回答されている psytex さん(サイコロジカル・テクノロジー=認識工学)は、20年後は、大賢人と言われてしまう人物なので、彼の「回答履歴」を読んでみて、自分に何かを与えてくれる、と直感する「問答」ならば、ぜひ読んでみてください。ありがとね。身体は大丈夫かい? 入院中? 今日から心配してあげよう。では!^^/

お礼日時:2013/11/05 01:39

こんばんは。




>「死ぬ直前の感覚や雰囲気」

厳密に言えば、「それ」は誰も知らないのでは。


>「「【競争】という言葉はあれど、正しくは【(武術や戦術などのスキルを)競いこそすれ(=熟練度の競い合いは良い事)、争う(=領地や命、食糧の奪い合い・殺し合いは)必要はない】」という思想」

そうですねえ、「騎士道」とか「武士道」とか?
いや、「競う」のも、どうなんですか。
「保証」の問題ですか。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q西洋思想と東洋思想との比較思想について学ぶにはどうすればいいでしょうか

私は西洋哲学(主に分析哲学)や仏教哲学(インド・チベット中観思想、唯識思想、日本仏教思想、西田哲学)に興味を持っており、その両者を比較して研究することにも関心があります。
そこで次の2点について質問します。
1比較思想を行っている有名な学者さんはどのような方がいらっしゃるでしょうか?
2また比較思想の学科を置いている大学はどのようなところがあるでしょうか
何卒、ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を学ぶのであればカント哲学のあたりは当然勉強していますし、道教を研究するならばキリスト教の知識は必須です(そして道教とキリスト教は驚くほど似ていることがわかる)。
 日本では何故か西洋思想研究が人気で、東洋思想研究は閑古鳥状態なので良質な学者が少なく、世間で売っている東洋思想に関する書物の大半は嘘つきだと思ってください。故に私は東洋思想を主軸にして研究を進めてゆくことを勧めます。
 
 比較思想研究を試みている人は多く、仏教学者では中村元、三枝充悳の名が挙がりますが、やはり井筒俊彦の著作は必読です。

 比較思想といったら京都学派の名が挙がりますが、問題も多いです。ハイデガーを禅の用語を使って訳してますが(『時と有』・・・。
 研究は基本的に原典の読み込みから出発しますので、文献学をしっかりと学べる大学が宜しいと思われます(以外に文献を読めない人が多く、特に仏教関係の読みはデタラメで、まともに読めている人はほんの一握りしかいません)。
 

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を...続きを読む

Q殺されても死なない。殺されても殺さない。

ここの所 集団的自衛権とか日本に軍隊を認めるとか

命が惜しくなったから 殺される前に殺せるような体制が取られて来てますが

簡単に言って キリストも死んでも死んでないと言ったし 老荘思想でも生死に拘らない

たとえ殺される事があっても、人間的に生きていると言うような心で生きているか?

ガンジーの無抵抗主義やキリスト教の敵をも愛する愛を持って 

たとえ殺されても殺さない と言う覚悟があるか?これも命をかける事になりますが

殺されても平和を守れるような努力をして行けないものでしょうか?

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。


☆アメリカと安保を結んでいて 集団的自衛権と言うのも多分アメリカとの関係上必要になると思います。
アメリカのやり方を見てどう思いますか?
◇わたしは、アメリカの外交・戦略が正しいとは言っていません。
わたしの主張は、
「ヒトを殺さない、ヒトが殺されない体制を作ることが重要だ」
です。
「ヒトを殺す、ヒトが殺される」状況が現出したら、その時点で負けなのです。

集団的自衛権や武器という高価なオモチャで、
戦争が抑止できるのであれば、
必要悪として認めてもよい、
と思っております。


☆日本に原爆二個も落としておいて あれは必要だった 正しかった
◇正しいとは思っていません。
非戦闘員である市民を無差別に大量殺害しているのですから、
人道に対する罪、戦争犯罪であり、
いかなる理由があっても正当化できないと考えております。



☆そんな国に軍事加担してたら 日本の立場はどうなるでしょうか?
沖縄に在る米軍基地を攻撃して来はしませんか?
◇この主張がよく理解できません。
日本さえ戦争に巻き込まれなければよい、とおっしゃりたいのですか。
他国のヒト同士がいくら殺しあっても、日本だけが平和であれば、それでよいと。

集団的自衛権を認めようが認めまいが、
朝鮮半島で戦争が起きれば、
日本の米軍基地に北朝鮮のミサイルが飛んできますよ。



☆私の意志で食料のない国を虐げてる訳ではありません
貴方は違うのですか?
◇わたしは、自分が文化的な生活を送ることによって、他国のヒトが戦争などによって傷つき、死んでゆくことに対して罪悪感をいだいています。
直接であろうが、間接であろうが、わたしの購買行為などが、こうした虐げにつながっていることを自覚しています。
こうした現実から目を背けないことが大切なのではないでしょうか。

気休めにしか過ぎませんが、
チョコレート1枚の購入からでも、
世界平和の活動に参加できるんですよ。

http://www.sizen.net/tane23.html


☆人は精神です。牛は精神はあまりありません
◇ここでいう精神とは何ですか?
なぜ、牛や人以外の動物には精神がないと断言できるのですか?
大切なのは、精神の有無よりも、生や生の尊厳、命ではないのですか?

質問者は、
犬には精神がないから、殴ろうが蹴ろうが、いかなる虐待を加えようが構わない、とお考えなのですか?
質問者は、「こんなものには理性がないから」と、デカルトのように犬を蹴るのですか?



☆1001回目の回答が良くなる為には 我々が同じ人間存在として同じ目的を持ってる事を認識してはどうでしょうか?
◇ここでおっしゃっている同じ目的とは何ですか?
ヒトを殺さないことですか?
平和であることですか?
幸せ〔を追求すること〕ですか?
ともに幸せに暮らすことですか?


☆殺されても平和を守れるような努力をして行けないものでしょうか?
◇そもそも、
目前まで殺されるような状況が迫っていて、そこに、守る平和などあるのですか?
まず、ここでいう《平和》を定義してください。

お礼、ありがとうございます。


☆アメリカと安保を結んでいて 集団的自衛権と言うのも多分アメリカとの関係上必要になると思います。
アメリカのやり方を見てどう思いますか?
◇わたしは、アメリカの外交・戦略が正しいとは言っていません。
わたしの主張は、
「ヒトを殺さない、ヒトが殺されない体制を作ることが重要だ」
です。
「ヒトを殺す、ヒトが殺される」状況が現出したら、その時点で負けなのです。

集団的自衛権や武器という高価なオモチャで、
戦争が抑止できるのであれば、
必要悪として認めてもよ...続きを読む

Q東洋思想と西洋思想の違い

東洋思想と西洋思想の違いはなんだと思いますか。東洋思想はヨーガ、ヒンドゥー教、仏教、道教、儒教など
が根本だと思います。一方西洋思想はキリスト教、ユダヤ教が根本だと思っています。
東洋思想は仏教の空の思想に代表されるように
「一元論的」、「相対的」だと思います。
一方西洋哲学は一神教の思想に代表されるように
「二元論的」、「絶対的」といえるのではないかと
思います。
世界に二つ対照的な文化の流れがあるのはなぜでしょうか。それでは

Aベストアンサー

意外かも知れませんが、まず「腸の長さ」があると思います。


中東~欧米人の狩猟民族と、アジア系の農耕民族では腸の長さが違うんです。
さらに消化酵素にも差があります。

ちなみに肉食が主だと攻撃的、能動的、体臭がきつい、瞬発力にすぐれ持久力が無い・・・等の特徴があるんです。

もちろんアジア系も残忍なことをする人が沢山いますし、逆に、欧米人にも温厚な人がたくさんいると思いますが、やはり欧米人のほうが食文化的に感情的に走り、暴力に訴えることが多かったのだと思います。

そうすると、必然的に、それを抑圧しようとする動きも出て来ますので、「悪いことをすると警察に掴まるよ!」的な脅し、警告の意味もかねて、宗教的に「地獄に落ちるぞ」とか絶対的な神を置いたのではないかと思います。


つまり、絶対的な存在という【脅し効果】によって、人々の行動を抑制、統制しようという歴史、民族的な背景があったのではないかと推測します。




これに対して農耕民族は、穀物が生育するに適した、比較的温暖な気候の中で育っているということですから、肉食文化とは違う性質を持っているんだと思います。

欧米人とアジア人の、体格をみても一目瞭然ですよね。
あれはつまり食文化の違いです。


そんな風土、環境の中ですから、インドのヨガ(歴史5000年以上とも言われています)、中国の気功(3000年以上?)のような内省的なものが生まれたんだと思います。
だから、これらは欧米人から見たら「東洋の神秘」と言われるのではないでしょうか?
彼らには理解不可能な価値観だったのかも知れません。


そんな中で誕生したのが仏教なんだと思います。

「アレが在って、コレが在る」(縁起説)
例えば、「光」が在るから、「眼」が在るんです。
だって、光の届かない深海の生物には、眼が無いんです。

と、いうことは、この世のもの全てが相互依存的な条件で成り立っているということですから、おのおのに「本質」というものが無いということになります。
これが「空の思想」です。(「空」とは「欠けている」という意味です)

また、相互依存的な条件で生じているんですから、
逆説的に相互依存的な条件で滅しもするんです。
生まれるという性質を持つものは、同時に死ぬという性質も持っているんです。(諸行無常)


本当の仏教は宗教では無いんです。
論理的、合理的な真理・真実を述べているだけです。

アジア人がこういう論理的、合理的な知識を受容できるだけの気候風土に恵まれていたのかも知れません。


まるで憶測と偏見に満ちた回答ですが、遠からずだと思います^^

意外かも知れませんが、まず「腸の長さ」があると思います。


中東~欧米人の狩猟民族と、アジア系の農耕民族では腸の長さが違うんです。
さらに消化酵素にも差があります。

ちなみに肉食が主だと攻撃的、能動的、体臭がきつい、瞬発力にすぐれ持久力が無い・・・等の特徴があるんです。

もちろんアジア系も残忍なことをする人が沢山いますし、逆に、欧米人にも温厚な人がたくさんいると思いますが、やはり欧米人のほうが食文化的に感情的に走り、暴力に訴えることが多かったのだと思います。

そう...続きを読む

Q老荘思想とはどんな思想ですか

老荘思想とはどんな思想ですか

バカでもわかるようにやわらかくお教えください。
例え話なんかも助かります。

Aベストアンサー

老荘思想とは、老子や荘子という人物によって創始された思想です。老子と荘子は別に知り合いでも何でもありませんが、考え方がほぼ同じなので両者の思想をひとまとめにして老荘思想と呼ばれています。蛇足ですが、荘子とされる人物は複数(少なくとも3人)おり、老子も含めそれぞれ生まれた時代が異なります。

孔子の儒教が「人はこう生きねばならぬ」「物事はこうでなくてはならぬ」というガチガチに固められた道徳体系であるのに対し、老荘思想は「物事の善し悪しなんて考え方次第なんだから、気楽にあるがままでいいんだよ」という自由奔放さが特徴です。

自然を崇拝し、無私無我を理想とし、自然にあるがままにいるのを善しとします。
世の中に絶対的なものや、絶対的な価値観など存在せず、すべては相対的であると考えます。

たとえば・・・
・長生きすることは良いことだとされていますが、長生きするということはそれだけたくさんつらい思いや恥ずかしい思いをすることでもあるので、必ずしも良いというわけではない。
・ある人が60歳で死んでしまったとする。60年という寿命は春に生まれ秋に死んでしまう虫に比べればとても長いが、800年生きた仙人から比べればとても短い。その仙人の寿命だって、1万年生きる亀に比べればとても短い。長い短いなんて何と比べるかによって変わるもので、長い短いを決める絶対的な尺度なんかない。
・美人は多くの人に好かれるので良いとされる。でも、美人は悪党にも好かれてしまうし、妬みを買うこともある。神様への生贄にされたり暴君へ献上されたりすることもある。美人であるということが良いこととは限らない。
・大きいけど脆いヒョウタンがあった。大きいからたくさん水が入るが、脆いのでたくさん水を入れると自重で割れてしまう。なので水を入れるためのヒョウタンなのに使い物にならないと捨てられた。でも、そんなヒョウタンでもたくさん集めてつなげて水に浮かせば筏の材料になる。役に立つ立たない、有用か無用かは使い方次第だ。
・仁や義は美徳とされているけど、ヤクザも仁義を大事にしている。戦争になれば仁や義を名分に虐殺が行われたりする。世の中の悪行の多くが仁義を名分に行われていることを考えると、仁や義も絶対的に良いものというわけではない。
・あるところに染物を生業にしている一族がいた。一族は染めた布を冷たい川の水に晒しているので、アカギレやシモヤケの薬を愛用していた。一族の一人は領主である武将に献上し、武将はその薬を大量生産して兵に配った。おかげで武将の軍勢は冬の寒さにも耐えて敵を圧倒し、勝利することができた。薬を献上したものは褒美をもらって豊かになったが、ほかの一族はそれまでどおりの生活を続けた。同じ薬でも使い方次第で成功することもできる。
・知識人は知識をたくさんため込むけど、その知識の多さゆえに常識にとらわれて何もできなくなってしまう。知識は大事だけど知識に閉じこもるのではなく、知識を超えなければ意味はない。
・本には知識がたくさん詰め込んである。でも何かをするコツとか経験とか、文字にできないものこそ本当に大事なのであって、どれだけ文章を読んでも言外の知を読み取れなければ結局何も学べない。だが、知識人は本をたくさん読んで知識をたくさんもって、何もできないのに知った風な気分になって尊大な態度をとる。読書人の読書知らず・・・

老荘思想とは、老子や荘子という人物によって創始された思想です。老子と荘子は別に知り合いでも何でもありませんが、考え方がほぼ同じなので両者の思想をひとまとめにして老荘思想と呼ばれています。蛇足ですが、荘子とされる人物は複数(少なくとも3人)おり、老子も含めそれぞれ生まれた時代が異なります。

孔子の儒教が「人はこう生きねばならぬ」「物事はこうでなくてはならぬ」というガチガチに固められた道徳体系であるのに対し、老荘思想は「物事の善し悪しなんて考え方次第なんだから、気楽にあるがまま...続きを読む

Qソクラテスの思想とソフィストの思想の基本的な違い

ソクラテスの思想とソフィストの思想の基本的な違いが
いまいちはっきり分かりません。
レポートの参考にしたいので教えてください。

Aベストアンサー

 あ、ほっといてごめんなさい。考えて見れば、何か発言がないと返事の書きようもないんですね。
 えー、この質問の10こくらい前の方に、12月28日付けの「ソフィスト」関連質問があります。もうごらんになりました?
 それを見て、何かまだ疑問がありましたら、この回答へのコメントという形でお尋ねください。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報