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作者がいいたかったことはなんなんでしょうか。


何度読み直しても見つかりません。教えてください

A 回答 (4件)

 もしこれが学校の宿題や授業での質問で「貴方の感じたこと」を述べたり書いたりして下さい、との内容であるなら、「私はこう感じた」と素直に書けばよい、だけの話です。

物語の文章を読んで「どう感じたか」との類の問題に正解はありません。
 逆に、宮澤賢治さんが『セロ弾きのゴーシュ』と『注文の多い料理店』それぞれの作品を「なぜ」書こうかと考えたのかを作品中の言葉を使って説明して下さいとの質問ならば、それは作品の中にある「たびたぴ出てくる言葉」や「それが一つの文や段落」の中で「どの様に使われているか」、そして「段落と段落の関係」に着目し、それを一つ一つたどっていけば、「宮澤賢治さんの気持ち」に行き着くことになります。
 作品中に度々出てくる言葉をノートに書き出してみましょう。そしてその使われている状況がどの様に変化していくかを追いかけてみましょう。
 『注文の多い料理店』ならば、「誰が誰に対して『注文』をしているのか」を物語の展開を観察していけば、自ずとわかるはずです。
 そしてこの時に大切なことは「自分ならばこうする」と、あなたに「あなたの考え」を説明して下さいと質問しているのではないことを理解して答えることも大切です。
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人間以外の「登場人物」というのを考えてみてはいかがでしょうか。


人間ではないのだから「人物」ではないのですけど、擬人化(人間のように)描かれているのが出てきますよね。

それと主人公との関係。注文の多い料理店では人間とその擬人化されているものとどちらが「主人公」なのか。

それとお話の舞台になっているのはどういう場所なのか。登場人物達を取り巻いている“大きなもの・存在”がありますよね?

なにか「やまなし」に感じていらっしゃる事と共通するものがあると思いませんか?

宮沢賢治はこのお話を通して必ずしも「自分の主張」とか「教訓」のようなものを言いたかった(描きたかった)わけではないのではないかと書いておきます。
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注文の多い料理店は、No.1回答に賛成です。


セロ弾きのゴーシュは、注文の多い料理店と逆の内容だと思います。ネズミ、カッコー、ネコ(タヌキもいたかな)がゴーシュのセロの練習のじゃまをしているように見えて、じつは練習の手助けをしていた。という内容ですね。(楽器の経験がある人には、読んだあとで「ああ、これは○○の練習をさせていたんだ」とそれぞれわかるんです。)
どちらも、最初の思惑と違った結果に落ちるところで、読者がどう感じるかが、宮沢賢治の意図ではないかと。
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そういうのは自分で感じることなのでは? ・・・ってのが妥当な回答になるのでしょうけど。




ただ、その2作品に関しては、宮沢賢治にしてはコンセプトは結構はっきりしていると思います。児童文学らしいとも言えるのかもしれませんが。(自分はむしろ「やまなし」がいまだにわからないです。あれこれ憶測されているような「物語」だと考えずに、単純に詩的な趣と考えれば、すんなり入ってくるのかもしれませんが。)
「これがテーマだよ」に言うのは作品に対して大変に失礼なことに思えますが、「ちゃんと考えてもわからない」というなら、あえて言うのも1つの方法かもしれません。

 「セロ弾きのゴーシュ」
人は、誰かの為に生きて始めて、その人生の価値がある
(※この作品に限らず、賢治の多くの作品に垣間見えるテーマですね。この姿勢は時として「自己犠牲」といったところにまで及びます。)

 「注文の多い料理店」
自己中心的、ご都合主義・・・といった図々しくエゴイスティックな人間の愚かさ

といったところでしょうか。勿論、これが全てとはいいませんが、少なくとも作品の「大きな主軸のひとつ」にはなっていると思います。
これでもう一度読んでみても「やはり本質が全く見えない」というのなら、再度ご質問ください。


ただし、「よくわからない」と本当に感じたなら、それがmakaronarisuさんの中でのこれ以上無い「正解」ですよ。自分がここで「こうじゃない?」と言ったことは、それ以上の価値はありません。
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この回答へのお礼

やまなしは授業で習いましたよ!

私は宮沢賢治が「自然の中の喜び」を伝えたかったと感じました。

ありがとうございました

お礼日時:2013/11/07 18:39

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