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「入鉄炮」はわかるのですが、「出女」の理由がわかりません。

ウィキペディアには『大名の家族の女性が江戸より出て行かないように』と書かれてありましたが(人質?)、大名家族以外の女性も取り締まり対象だったのでは…?

そもそも、女性が出るとどのような不都合があって、取り締まるようになったのでしょうか?

初歩的な質問でスミマセン。

A 回答 (4件)

取扱いについては回答者No2さんがご説明になれておられる通りです。



>女性が出るとどのような不都合があって、取り締まるようになったのでしょうか?
取り締まるようになったのは、若干歴史的経緯があります。
戦国時代に、忠誠を誓う、あるいは誓わせるために、証人という、所謂人質を出させました。
当時は情勢が流動的ですから、いつ何時同盟関係が崩れかねません。
同盟関係が崩れれば邪魔だと言ってバッサリやられかねないものでした。
この為に、二三男や兄弟、父親などがその任に就きました。
情というよりも、お前は親を見捨てるのか、子を見捨てる気かという論法です。

徳川家への証人として1596年に藤堂高虎が弟を江戸へ住まわせたのが、江戸証人の初めとされています。
女性としては、関ヶ原の戦いの直前に、自ら江戸へ乗り込んで前田家と家康の間を取り持ち、更に戦後、前田家取り潰しを防ぐために奔走したまつという女性がいました。
江戸時代に入ってからは相良長毎が老母を証人として江戸に住まわせたのが初めとされています。
1607年大阪にいた秀吉の息子を牽制するために、諸大名に証人の提出をもとめました。

大阪の陣も終わり幕府の体制も整い始めたころ、
1624年に島津家久が妻子を江戸へ移住させたのが、妻子を江戸住まいさせた初めとされています。
それ以降各大名も妻子を江戸に住まわせるようになりました。
このように妻女は人質というよりも、私は江戸で家族ともども一生懸命に働きますという意思表示の意味を持っていました。

何事も前例第一主義の江戸時代ですから、以降明治維新まで大名の正妻は江戸で暮らすという習慣が出来上がりました。
このような経緯から、正妻や娘が敢えて国元へ戻るというのは、お前は良からぬことを企んでいるのではないのかという嫌疑を受けてしまいます。
逆に幕府としては、相手の藩を取り潰す絶好の口実となります。
その為に江戸から出て行く女性をセッセと調べました。
そういう意味では不都合というより粗捜しの意味合いの方が強かったのでしょう。

中には、おっかない正妻が江戸から出られないのをいいことに、江戸で見つけたお妾さんを連れて帰ったお殿様もいたようです
手形(現代のパスポート)さえあれば自由に出かけることができましたから、大店の女将さんやお嬢さんは気楽にお伊勢参りや京見物に出かけていました。
酒田の豪商の女将さんの道中日記は今では貴重な民俗学の史料になっています。
東海道の人の往来が賑やかなことに幕末日本へやってきた外国人が目を丸くしています。
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この回答へのお礼

詳しいご説明、ありがとうございました。
とても良くわかりました!

お礼日時:2013/12/04 23:41

aakkeake さん、こんばんわ。




大名の妻子は原則江戸藩邸に住むことになっていました。人質ですね。だから、大名の家族の女性が江戸から出るということはそれと同時にその大名が幕府に対して反乱を行うことを意味していました。
しかし、江戸も中期になると江戸住まいが当たり前になり、家族自体が領地と切り離されて、江戸から離れるのを反対に嫌がるようになりますが、そんな緊張感のあることではなくなりましたが、決まり文句のように残ったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答いただき、ありがとうございました!

お礼日時:2013/12/04 23:42

細かくはいろいろあるんでしょうが、基本的に「大名家族の女性」が取締対象だったと考えてよいと思いますよ。



要するに、関所に勤務する役人は、
「入ってくる鉄砲」と「出ていく女」にとくに注意しろ、これらは問題があることが多いから
ということなんで、「これら全部を通さない」ということではなく、「これらはとくに厳重に吟味された」という意味です。
入ってくる鉄砲だって、たとえば「幕府が関西の業者から購入した鉄砲」とか、「信用できる商人が正当な商行為を行うために、幕府に見せるための見本として1丁だけ鉄砲を持ち込む場合」とか、通していい場合もたくさんあるわけですが、書類を偽造するなどして鉄砲を持ち込む輩がいないとは限りません。だから、書類が整っていても、鉄砲の場合は書類仕事で右から左へ通してはいけないわけです。
女も同じ。「町人の女が夫とともに伊勢参りに行く」とか、「農産物をどっさり背負った行商の女が関所外の地方に農産物を売りに行く」とか、女が正当に出て行ける場合ははいくらでもあるわけですが、大名家の女が町人に化けているかもしれませんので簡単に信じてはいけませんよ、よくわからないようなら理不尽でも通さないくらいの運用をしなさいということです。
そのくらい鉄砲と女には厳しく当たれというのが、関所制度における基本政策だったと理解すればよいです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました!

お礼日時:2013/12/04 16:12

参勤交代ではないでしょうか?


参勤交代は大名を領地と江戸を行ったり来たりさせることで財産を消費させ、反乱を起こす力を無くさせるためのものです。
この制度に不満を持った大名が領地に立てこもらないように、妻子は江戸屋敷に住むことを強要されました。
妻子が国へ逃げ帰ってしまうと、その大名は領地から出て来なくなります。
なので、取り締まられていたのは大名の妻子だけだと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました!

お礼日時:2013/12/04 16:11

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