牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

こちらの文の現代語訳が講義の課題として出されました。12/9提出なのですが、なかなか難しく、自力でやることが困難です。助けてください。

己れ寺を作り其の寺の物を用て牛と成り役はるる縁
第九
大伴赤麻呂は武蔵野国多磨郡の大領なり。天平勝宝元年己丑の冬十二月の十九日に死ぬ。二年庚寅の夏五月の七日に黒斑なる犢生る。自づから碑文を負う。斑の文を探るに、謂はく「赤麻呂は、己れが作る所の寺を擅にして、恣なる心に随ひて寺の物を借り用て報い納めずして死亡ぬ。此の物を償はむが為の故に牛の身を受くるなり」といふ。
茲に諸の眷族と同僚と慚愧づる心を発して、慓るること極り無くして、謂はく「罪を作ること恐るべし。あに報無かるべけむや。此の事季の葉の楷模に録すべし」といふ。
故に同じき年の六月の一日に諸人に伝ふ。冀はくは、慙愧無き者斯の録を覧て心を改め善を行ひ、むしろ飢の苦に迫められ銅の湯を飲むとも、寺の物は食まざれ。
古人の諺に曰はく「現在の甘露は、未来の鉄丸なり」といふは、其れ斯れを謂ふなり。
誠に知る、因果無きにあらず、怖り慎まざらむや、と。
所以に大集経に云はく「僧の物を盗むときは、罪五逆に過ぐ」とのたまふ。

A 回答 (1件)

大伴赤麻呂は、武蔵国多摩郡の大領である。

天平勝宝元年の冬、十二月十九日に死に、二年夏、五月七日に、黒い斑の子牛に生まれ変わり、自分の身に碑文を負っていた。それを詮索してみるに、斑文にいう。「赤麻呂は、自分の造った寺を飾り、勝手な心のままに、寺の物を借用し、それをまだ返済しないうちに死亡した。借りた物をつぐなうために、それで牛の身になった」と。
ここに親族の人達や仲間の人たちは、恥ずかく思う心を起こし、おそれることこのうえもない。「罪を作ることはおそろしいことだ。どうして報いなしでおられようか。このことは、のちの世の戒めに記録しなければなるまい」と思い、それで、同六月一日に、人々に伝えた。ひたすら願うことは、恥ずかしく思うこともない人も、この記録を見て、心を改めて善を修めてほしいことである。むしろ飢えに苦しんでせっぱつまっても、銅の湯を飲んでも、寺の物を食べてはならない。昔の人の諺に、「現在の甘露は、未来の鉄の玉である」というのは、これをいうのである。
ほんとうによくわかる。因果はないわけではないと。おそれつつしまなくてもよいであろうか。それだから大集経にいう。「僧の物を盗む者は、罪は五逆より重い」と。

出典:図説日本の古典 日本霊異記 集英社

上記を参考に逐次訳をされては如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。非常に助かりました。

お礼日時:2013/12/04 18:50

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