プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

妻が子供をしつけているのを見て、しつけについて気が付きました。
一般的には、幼少期から親にしつけられて、礼儀やマナーを覚えていくのだということです。

私は親から、ほとんどしつけられずに育ってきました。
ですので、未だにどういう場面でどういう挨拶をしたら良いのか、どういう振る舞いをしたら良いのかわからないことが多く、不躾な行動をとってしまうことがあります。


幼少児であれば、100%親の責任ですが、私が学んでこなかったことにも大きな過失があると思います。
なので、親が悪いとは思いたくないです。
しかし、私には子供がおり、面倒でもしつけをしていくべきだと考えています。
そう考えると、自分の中で矛盾してしまいます。


他のことでも、親の怠りによって、自分の人格が成長できていないことが多いと思います。
(いわゆるアダルトチルドレンに該当するかもしれません。)


幼少期に親にしつけられるべきことや、成長過程で教えてもらうことが大分抜けていたり、間違っていたりするため、苦労することが多いです。
(例えば、家族内でも「おはよう」と挨拶する習慣は結婚して始めて知りました。人に親切にしてもらったり、ものをもらったら「ありがとう」ということは大学の先輩から教えてもらいました。これはほんの一例です。)



親のせいにしては、自立した大人に成長できないと思っています。

自分の過失が5割、親の過失が5割というように考えるのが良いのでしょうか?



なんだかとても違和感があります。
この矛盾はどの様に捉えるとシックリと腑に落ちるのでしょうか?

A 回答 (10件)

NO6です。


お礼ありがとうございました。

>親からは他人を見たら敵だと思え、世の中ほとんどの人間は悪人なので信用するな、とにかくだまされるなと教えられて、その教えを守っていました。
なるほど、確かに世の中の一面ではあるけれど、あなたが仰るように真実ではありませんね。
きっとご両親はつらい経験があったのだと思います。

しつけとは、世の中の人とうまく関わっていくためのスキルですよね。
あなたのご両親は、世の中の人と関わるな、という価値観だったのでそれをあなたに伝えたわけです。
それもしつけの一つでしょう。
だから、世の中の人とうまく関わっていくスキルを教えなかったわけです。

誰の責任というよりか、これからはあなたの御両親の価値観ではなく、ご自身の価値観に従って生きていく。
お子さんに対しても、あなたの価値観に従って育てていく、というふうにお考えになってはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

>あなたのご両親は、世の中の人と関わるな、という価値観だったのでそれをあなたに伝えたわけです。

後先が反対になってしまったかもしれませんが、上記の価値観を持っていた時期があれば、今後簡単に騙されることはないと思います。
(騙されても良いと覚悟を持って、付き合っている場合は騙されるでしょうけど。)


そういう面では、ある種の能力を授かったのかもしれません。
今度は子供と一緒に世の中の人と上手くかかわっていくためのスキルを身につけようと思います。


ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/16 15:06

30代女性。


ご質問は矛盾についてですよね。
しつけをしなくても子供は育つ、しかししつけは必要である。

こういうのはあまり矛盾とはいいません。
常に両方が事実だからです。

蛇足。

疑問を持っている内容と質問の内容がずれているように感じます。
あなたにとってしつけとはなにかがぶれています。日本で一般的に信じられている常識でしょうか。
しかし常識とは家によって違うのが当たり前ですよね。
あなたの奥様の家の常識のほうがあなたが幸せに感じるならそちらを受け入れればよいし、
あなたの家の常識のほうがあなたにとって楽だと思えばそちらを守ればよい。

あなたは奥様から「家族でも挨拶をしなければならない、
でなければ常識知らずである、しつけがなっていない」と
聞いたのですか?

「家族でも挨拶をしたほうがお互いに気持ちがいいし、また奥様は
そのほうが好きである」というのが彼女にとっての常識です。

あなたは「家族で挨拶するという方法を知らなかった、自分は経験したことがないので
それが好きかどうかわからない」
という常識を持ってきたのですよね。

「奥様の常識のほうが自分もいいなと思うし
子供もそうしたほうが幸せだと思う」なら子供にそれを教えてあげればいいと思います。
(それをしつけという言い方をする人もいます。)

人間とはそうやって誰かと自分の常識をすり合わせて生活するものだと考えます。
親が子供に教えることは挨拶をすることではなくそういう考え方のことだと思っています。

これは、親がコトバで教えるものだけではありません、
子供は自分で考えて、身に着けるものです。
あなたがこれまで苦労して身に着けたことがそうであるように。
それが子供への信頼ということですね。

あなたが人間がそうやって学ぶものだ、そうやってすり合わせるものだ、と
いままで知らずにきたのなら、あなたは少し他人の感情を読むのが苦手で
それはあなたの少し生きにくい特性だったのかもしれませんね。

でもそれはただの特性だし、得手不得手はだれにでもあるし、
どんな人間も必要だと思えばできる努力はする必要があるということです。
人間は平等でもコピーでもないので、
夫婦なり、友人同士なり、お互いに尊重できればよいのだと思います。

あなたはあなたしかいないので、あなたにしかできないやり方をされればそれでいいのです。
誰かから言われて納得して方法を変えるならそれでよいですし、
自分で考えてよいと思ってやって、それを否定されても、それがあなたが考えてやったことなのだから
それでよいのです。だって、それしかないのだもの。

私も、子供に教えることは結果でなくこういった過程です。
なんら専門的知識もありませんが、
参考になればと思い記載します。
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この回答へのお礼

そうですね。

>夫婦なり、友人同士なり、お互いに尊重できればよいのだと思います。
これはとても大切なことだと思います。
「親からは他人を尊重したら負けだ」と教わりました。

この観念をきちんと守らなくなってからは少しだけ幸せになりました。
親を全否定するつもりもありませんし、親には感謝しているつもりですが、
ここの部分については、強い違和感を感じており、
腑に落とすことが出来ない状況です。


ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/15 14:35

40過ぎの既婚男性です。


昨今、忘年会時期になりますと大人になってから教えられた
シキタリや礼儀が役に立つことが多ございます。
和室に通されれば、「畳の縁を踏むな。」「座順は役職又は
年功序列」「乾杯、中締め時は、座布団の上に立つな。」
「お酌は右手で、、左手はビン底に添えて。」等々

マナーというのは、常々本人の自覚や意思の中から学んでいく
ものだと思います。 社会人になって「恥じる」ことに気付くことが
重要な姿勢であって、決して親のせいではありません。

また、人格形成に必要な礼儀や常識の根源は、
身内であろうと社内であろうと、相手が自分の言動に対して
心地良く思ってくれるだろうか?」その誠意の表れであって
決して過去の生活環境ではありません。

「躾」という字は「身」の「美しさ」と書きます。
何となく考えてみてください。 TVニュース番組を見ているだけでも
「自分の利益の為にやっている。」言動には腹立だしさを覚えますが
「他人のために、社会のための言動」には感銘しませんか?

もし貴方も素直にそう思われるのであれば、全く心配はいりません。
思ったことを実践するのみです。 人間として無形の財産を
手にされることでしょう。

ある青年団体のスローガンの一文に「英知と勇気と情熱を持って
明るい豊かな社会を気付き上げよう!」というフレーズがございます。
私の好きな言葉ですが、20年以上前に出会ってから、
この志は、一日たりとも忘れたことがありません。

頑張ってください。
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この回答へのお礼

>相手が自分の言動に対して
>心地良く思ってくれるだろうか?

それは大切ですね。
形式的な礼儀作法を重視するあまり、周りに不快を与えてしまうこともあります。


ポイントは心地よく思ってくれるかどうかですね。
(形式的な礼儀作法も大切ですが、心構えはもっと大切ですね。)


ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/15 14:22

今はあなたの躾けの責任の所在などより(あなた自身が違和感あろうが矛盾してようがそんな事は後回し)、あなた自身のお子さんを親としてどう教育していくかに専念なさってください。



少なくともあなたは自分で気付いたんです。少なくとも今のご自分を親の責任だとは考えていない。自分で気付き、人のせいにしない。素晴らしい事だと思います。
きっとあなたはいい父親になるでしょう。頑張ってください。
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この回答へのお礼

>あなた自身が違和感あろうが矛盾してようがそんな事は後回し
自ら矛盾を抱た状態で、1ミリの曇りもない指導をする自信がありません。

誰に非があろうが関係のないことですが、起こってしまったことは起こってしまったこととして、受けいれて分析して、次の機会には同じ過ちを犯さないようにしていきたいです。
過ちを過ちと認めなければ、上記のサイクルは始まらないと思います。


過ちを過ちと認めたとしても、親との縁を切るとかその様なことはないです。
その事柄については親の力不足で至らなかった、自分の子供には少しはましな教育をして行こうということでまとまれば、ベストな答えなのかも知れませんが、何かがすごく引っかかっています。

ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/15 14:14

>例えば、家族内でも「おはよう」と挨拶する習慣は結婚して始めて知りました。


なるほど、家庭内のことは知らないで大人になる事もあるかもしれませんね。

>人に親切にしてもらったり、ものをもらったら「ありがとう」ということは大学の先輩から教えてもらいました。
本当ですか?
これは親が教えなくても、幼稚園や小学校で経験しませんか?
NHKの子ども番組を見ているだけでもそう言う場面はたくさん出てきます。
あなたご自身、誰かにお礼を言われたことはないのですか?

たとえ親が教えなくても、学校に行っていればいろいろな事を経験しますよね。
部活で先輩後輩関係を学んだり、先生への口のきき方が良くなければ先生からご指導があるはずです。
テレビドラマを見ていたって、学べることはたくさんありますよ。
それこそサザエさんを見てみれば、ご近所との付き合い方とか、親戚との付き合い方とか、垣間見られます。

>自分の過失が5割、親の過失が5割というように考えるのが良いのでしょうか?
割合はどうかわかりませんが、親御さんだけの責任ではないように感じます。
大学まで行かせてもらったのですから、あなたご自身が学ぶ機会はたくさんあったはずです。
教えてもらう、というよりか、人の行動を見て学ぶことをお勧めします。
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この回答へのお礼

>教えてもらう、というよりか、人の行動を見て学ぶことをお勧めします。
そのとおりだと思います。

親からは他人を見たら敵だと思え、世の中ほとんどの人間は悪人なので信用するな、とにかくだまされるなと教えられて、その教えを守っていました。
ところが20代の頃後半にそれは違うということを気が付きました。

親の教えが間違っていないとすると、自分の子供の教育に対する観念がぶれてしまいます。
なかなか概念・観念の統一化は難しいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/15 14:07

私の夫も基本的なしつけをあまりされずに育ちました。



物をもらったらお礼を言う。必要な場合はお返しをする。
知り合いに会ったら挨拶をする
何かしてもらったらありがとうという
頂きます・御馳走様をいう
おはようなどのあいさつ
人にお願いをする時の添える言葉

日常生活でも靴をそろえる、手はタオルやハンカチで拭く(ズボンで拭くことが多い)などあげればきりがないほど知らないことが多い人でした。

これは母親がそのようなことをしないからしつけることも出来ない。自分がしないから教えることももちろんしないという状態でした。

学生時代より交際をしていたので気になることはすべて伝え本人も理解して身につけてきてくれました。
交際から結婚して28年。今では礼儀正しいとほめていただけるだけの人となりました。もちろん本人が自分の常識のなさに気が付き一生懸命それらを気を付け身につけてきたからです。

大人になってから誰が悪いなど考えても意味がありません。ご自身で気が付いた今がチャンスだと思います。これから必要な常識を身につけてお子さんのお手本になれるような大人になればいいと思いますよ。

お子さんと一緒に成長すればいい。今は素敵な家庭を築かれているのですからそんなパートナーと出会えるように育ててくれたご両親のことは認めてあげてもいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

>大人になってから誰が悪いなど考えても意味がありません。
>お子さんと一緒に成長すればいい。

そのとおりですね。
親に施された(何もしなかったということを含めて)教育の何が良かったのか、何が良くなかったのか等を教訓にして、子育てをするということは良いこととは思っています。

罪を憎んで人を憎まずの精神と
大局的に見たときに、大人になるまで捨てずに面倒を見てくれたことに感謝しています。
腑に落ちるレベルにまでは到達できていないです。

ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/13 16:11

大変失礼ですが、、 主婦様になる前の、学生時代なども、 朝友達や、先生に会った時に、挨拶は、してこなかったんでしょうか? 時には、人にお礼を言ったりも? まるで、無かったとは、考えられません。

本屋に行けば、常識、、の本が売ってますので、積極的に本屋に行って探したらいかがでしょう。
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この回答へのお礼

>主婦様になる前の、学生時代なども、 朝友達や、先生に会った時に、挨拶は、してこなかったんでしょうか?

はい。初めて行ったバイト先で「君って自閉症でしょ?」といわれまして、2件目のバイト先でも同じことを言われました。

中学生や高校生の頃は井の中の蛙で、TVや学校の先生の話は自分とは別の世界の話だと思っていました。真面目にそう思っていました。親と兄が100%絶対であると思い込んでおりました。
その選択をしていたのは私自身ですので、親を責めることは出来ません。


自分の子供に対して同じことが起こってしまったらと考えると、親の責任は重大だなぁと感じます。

少し話がそれてしまいました。すみません。


ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/13 14:56

別に誰の過失だとか何が矛盾してるとか、そんなことどうでも良くないですか?


親からしつけられてこなかったことは事実だし、どうしようもありません。
それなら今からでも常識やマナーを学べばそれでいいんじゃないでしょうか。
今さら自分の過去を振り返ったところで何の意味もないでしょうし。
奥様がお子さんにしつけられているところを見て自分も学べばいいのですよ。
というより何だかんだここまで生活できて結婚もしているわけですから
ある程度の常識やマナーは身に付けられているはずなので大丈夫だとは思いますが。
質問者さんからお子さんに教えてあげられることが人より少ないかもしれませんが、
教えるのではなく一緒に学ぶという姿勢で接すれば
2人とも常識やマナーを身に付けられるし、お子さんはお父さんと一緒に学ぶという楽しさを経験できるわけですから
それはそれで楽しくしつけができて良いと思いますよ。
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この回答へのお礼

親をパーフェクトな人間だと思いたい、尊敬できる人間だと思いたい、親に過失はないと思いたい
という気持ちがあり、矛盾を助長してしまっているのかもしれません。


罪を憎んで人を憎まずの精神を発揮しきれていないなぁと反省しています。


反面教師になってくれてありがとうと思えるくらいになれたら良いです。


ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/13 14:50

結局どこをゴールにしたいのかだと思います。


例えば自分を納得させ習慣やマナーを気持ちよく学ぶ気持ちになりたいのか、責任の所在をはっきりさせたいのか、原因を探りお子さんへ同じ過ちをしないようにしたいのか。

親のせいにしては、というのは私もそうだと思います。
しかしなぜそうなったのか、という原因究明は重要です。
なぜしつけなかったのか、しつけなかったためどうなったのか。
こういう考え方は大切だと思います。

しつけとは身を美しくすると書き躾となっています。
逆にこのために作法やマナーに目が行きがちですが、実際のしつけや教育とは大人になって社会に入り一人で生きていく力を身に付けさせるというのが本来の目的です。
学力や運動力というのはあくまでその1つの指標に過ぎません。
必死に教育を続けた結果、基礎力はついたものの応用力がなくひっかけにあっさりひっかかり、総合的な人間力は落ちた社会になりました。

そういう意味ではすでにしつけについて深く考えられると言うのは視点を変えれば一般的なスタートよりリードしている状態かもしれません。
あとは一般常識を身に付ければいいし、これは今からでは遅いと言うこともないのですから。

ですから1つだけアドバイスをさせてもらいます。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
これは知らないことが出てきても知ったかぶりをすれば間違いを知らないまま一生恥をかく、という先人の教えです。
恥ずかしいかもしれませんが、私も知ったかぶりは結局後で大きな恥をかいた、という経験をしてきましたのでやめました。
意外と常識の方が間違ってることもあるんですけどね。
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この回答へのお礼

>結局どこをゴールにしたいのかだと思います。
>例えば自分を納得させ習慣やマナーを気持ちよく学ぶ気持ちになりたいのか、責任の所在をはっきりさせたいのか、原因を探りお子さんへ同じ過ちをしないようにしたいのか。

なるほど、ゴール別に解釈が変わるということですね。
それなら矛盾しません。
(複数のゴールを統合させるにはどうしたら良いかということで詰まってしまいそうですね。)
でも、分析の一環として、色々な角度から検討してみることは大切かと思います。


ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/13 14:28

親の家庭教育の適不適のままに子どもが育つのであれば、個人の努力も何も必要はありません。

親は、家庭で子どもの教育、主に社会化への教育です。学校は知識を習得するための教育機関です。親は子どもの将来を見越して家庭で子どもに、言葉遣いとか人間関係におけるマナーとか礼儀を始め善悪美醜を教えます。

しかし、不幸にして前記のことを家庭で教わらなかった場合、中学生以降は自己責任になります。他者の良い点を見習って自分のものとしていかなければなりません。この年令は中学生以降の年令です。何故なら、中学生の後半は、自力で自分の人生の方向を選択する年令です。

中学生になったばかりの頃は、気持ち的に通じ合う仲間を探し出して友達関係を作る作業をします。中学生の終わり頃になると高校受験だとか勉強の能力とか運動の能力によって友達作りも変化が生じます。この頃が人生の方向性を選択する年令です。そして、親離れが本格化する年令です。この年令以降は自己責任になります。勉強も友達関係も自分で判断して実行するようになります。

お尋ねの、自分の過失5割、親の過失る5割という考え方は、一見的を射ているようですが、間違いです。20歳を越えたなら全て自己責任です。親の教育の不足が気付いたなら、それを正していくのが当事者で有り当事者の責任です。ものごとの不知の原因は「教えてもらわなかった」「教わることを知らなかった」「教わる必要を感じなかった」「教わろうとしなかった」と、言うように分類出来ます。この点から観ても、親の責任は少ないのです。ですから今後は、自分にとって不足していると思う事、身に付けておいた方が良いと思うことは、ドンドン人に聞いたり調べて自分のものにすることです。

最後に、人間の最大の不安は「分からない事」です。この分からない事を放置すると少しずつ対象への関わりに不安が拡大します。不安があると、不安に感じる対象を避けます。避けると言うことはその対象の何事かは一切分からないことになります。そして、月日の経過と共に、不安に思う対象を恐怖と感じるようになります。結果、対象に対して何も行動出来なくなります。行動出来なくなると言うことは、心も身体も行動が停止し孤立を招く元になる、ということです。
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この回答へのお礼

>20歳を越えたなら全て自己責任です。

そうですよね。今はそう思えます。
自分の子供に対しても、20歳までは自分の責任で、後は子供の責任とは思えないし、いえないです。
ここを上手く分ける解釈が見つかれば良いのですが。



ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/13 14:25

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