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ichikawaseijiさんか、その他、このあたりに関心のある方にお教えいただきたいです。
 
日本の仏教は、インド、東南アジア、中国。朝鮮などへの北伝仏教とは違って、北伝仏教の亜種になっています。 
鬼に関しても、天狗に関しても、特殊な発展形で日本独自のようなスタイルになっているようです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8471633.html 
 
種の進化で地理的隔離が大きいように、文化面なら地理的隔離は強くなって当然だと思います。 民族によって文化や宗教に差を生じ、亜種が発生しやすいのはわかるのですが、極東の離れ島=日本、南海の離れ島=スリランカ、離れ島であっても大陸との交流は続いていると考えると、日本での独自性が生じても、次に新しい神や宗教儀式、教義体系が大陸から入り込み、日本の中で混淆すると、結果的に、大陸や朝鮮とあまり変わらない状態になりそうな気がするのです。
何故、独自の発展が起きてそれがそのまま長期間維持されてしまうのか、その辺りの考察などあったらお教えください。
 
鬼も天狗も例外はあるものの山にいるイメージが強いです。 この感覚も日本の特殊性のようなものなのでしょうか。 (道教系のものは、いる場所が固定しているので、ちょっと違います。 河川については、どこにも水の神や竜神のようなものが、他の文化圏にもいるようです)

A 回答 (9件)

日本は全国で水はうまいし山の幸、海の幸にも恵まれている。


稲作により大勢が生きてこれた。大飢饉は別ですが普通の年は
奪い合わなくとも食料が得られたからでしょうねー

大きな要素は台風です。毎年来ると言う事は毎年大勢が協力
して施設を復旧しないと産物が得られません。小規模の喧嘩
をしていても台風で大被害が出れば棚上げして協力するしかない。

協力しない人達は産物を得られず減少して滅びて行く定め。
日本人の行動原理の本質は台風に対する生存行為。
自然神崇拝とまで行かなくても自然災害に対して台風と同じ

対処をする心が作られて維持されて来たと思う。
そういう日本人の本質にとって宗教は災害と全く同じなのです。
評価基準や行動基準は善悪でも尊徳でも救いでも無い・・・・

台風と同じで、協力が基準なのです。
どんな宗教も全員の協力に続くなら賛同され広まります。
一神教が広まらないのは他者排除が教義に在るからですね。

台風の前では人間とクマに違いは無い・・・
それで山村では熊と人間が敵意も抱かず、すれ違って歩く・・・

日本人とは、台風教徒 なのだ!
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No.4です


わざわざお礼を記入して頂きありがとうございます
当初のご質問とお礼とを合わせて、ご質問の主旨を確認させて下さい

お礼の中で
>中国への北伝仏教も移住者はなくて、一部の西域僧や翻訳僧のものを、後は中国流でやってしまったので、インドや西域の仏教、南伝仏教の継続的影響を受けない中国仏教になったのと似ているかもしれませんね
>行動力も日本人とは違ってスゴイです。各王朝の王もしばしば広域に遠征します。科挙に受かったものも信じがたいほど遠方に赴任する。そうすると、大河も、大平原も、山岳も、砂漠も、結構、多くの人が知っていたと思われます。
となっていますが、どちらの影響が大きいとお考えになられておられますでしょうか?

>日本の中で混淆すると、結果的に、大陸や朝鮮とあまり変わらない状態になりそうな気がするのです。
>独自の発展が起きてそれがそのまま長期間維持されてしまうのか
>大河も、大平原も、山岳も、砂漠も、結構、多くの人が知っていたと思われます。
一部の人間が知っていれば、民族や国家の文化はその知識に従って変わるとお考えでしょうか。
過去から現在までにアメリカへ渡航されたり留学された方はどのくらいの人数になるとお考えでしょうか。
日本の現在の生活様式、風俗習慣はアメリカと同一とお考えでしょうか?
アメリカに移住された日本人の三世四世の方が日本の風俗習慣に従って暮らしているとお考えですか。
大航海時代を通じて英国は長い間インドを統治してきました。どれだけの数の英国人がインドで暮らし、又往来していたとお考えでしょうか。
英国人の生活様式がインドと同じになりましたでしょうか。
現在のインドの人々が英国と同じ生活様式、風俗習慣で暮らしているとお考えでしょうか。

>あちこちの山にいる神/妖怪/山人/仙人で日本の鬼や天狗のような外形をしたものがなかったのは
中国の戦国時代から秦・漢の時代につくられた山海経という書物があります。
一部下記サイトに掲載されていますので御覧下さい

山海経動物記 表紙 - 珍獣の館TOP
www.chinjuh.mydns.jp/sengai/p01.htm

中国の人達も想像豊かです。

>日本の竜神や山の神、水の神は相互に戦ったりしないようですが
古事記や日本書紀に書かれている。素戔男尊、大国主命、日本武尊のお話をどのようにお考えでしょうか。

>(予測のつかない突発事態で苦労するのは、砂漠や海洋、平原の方がひどいのではないでしょうか)
このようなことは只の一行も書かれておりません。
書籍をタイトルや簡単な説明で軽々に批判されないようにお願います。

文化というものは、支持し伝承する民族や国民がいて初めて発達します。
一部の人の頭の中にある知識や思想だけでは文化というものは形作られません。
社会主義を提唱したマルクスはドイつ人です。
マルクスの主張を受け入れたのはロシア人です。
キリスト教も同じ聖書を使いながらプリテスタントとカトリックに分かれています。
ドイツとフランスは国境を接していますが、言葉も文化も違います。
アメリカを建国したのはイギリス人です。
現在のイギリスとアメリカは全く同じだとお考えでしょうか。

以上を纏められた上で再度補足を頂戴できれば、もう少し焦点を絞ってご説明できるかと思います。
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300年も鎖国した国ですから・・・

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近代以前の宗教制限というと、日本史で江戸時代というのは、やっぱり近代ではない。



薩摩藩では、浄土真宗がキリスト教と同様に禁教です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%82%8C% …

宗教と政治が密接に結びついていたのだから、単に宗教の伝播を考えるだけでなく、政治的変化による恣意性も考えないと日本の特殊性とかはわからないかと。

この回答への補足

> 近代以前の宗教制限というと、日本史で江戸時代というのは、やっぱり近代ではない。
⇒?? 宗教規制という意味では、明治の初期から昭和までの方がきついのでは??
 
> 薩摩藩では、浄土真宗がキリスト教と同様に禁教です。
⇒ 政治権力が排仏したり、崇仏したり、特定の宗派を禁じたりするのは歴史上どこの国でもいつの時代でもしばしばあったことでしょう。 今でも、イスラム圏だけでなく、そうしたことは多いと思います。

> 宗教と政治が密接に結びついていたのだから、単に宗教の伝播を考えるだけでなく、政治的変化による恣意性も考えないと日本の特殊性とかはわからないかと。
⇒?? 政治的変化による恣意性はどこにでもあることと考えると、「政治的変化による恣意性」といっただけでは、日本の特殊性を説明できないことになると思います。 日本も他の国や他の社会と同様であるということになってしまいます。 
もちろん「日本の宗教が、他の地域の宗教に比べても特殊性というのはない」としても良いのですが、(確かにそういう面は大きいのですけれど)、山に住む天狗、鬼がどうして日本でのみあるのか、他の地域ではこうした山に住む異界の存在をイメージしないのかが、気になっているのです。

補足日時:2014/03/01 07:43
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宗教は政治です。



すくなくとも個人ベースで宗教の選択が出来るようになったのは最近の話

1829年 カソリック解放令(イングランド)
近代というのが国民国家を作る課程とするならば、国民国家の要件の一つが宗教の統一。
現代のヨーロッパで地域的な宗教の多様性があるのは、主要国ではドイツとベルギー程度です。
ドイツは、30年戦争の結果として領邦毎の宗教の自由が行われ、宗教が大きな政治的なアイテムでなくなった1871年に統一された結果です。

また、中世のカザール人がユダヤ教を採用したのは、政治的独立を北部・西部のキリスト教国家、南部・東部のイスラム教国家から宗教面でも補強するためです。

何度も南インドの勢力が侵入して、
総人口約2027万人のうちシンハラ人は1,517万人 (74.9%)、タミル人は311万人 (15.4%)、ムーア人が187万人 (9.2%)となっているスリランカと史書が残る1300年ほどは、大規模の移民がなかった日本を同じように考えるのは不合理かと思います。

イスラム教の浸透は、近代以前においては、政治的支配と不即不離です。
フィリピンで、北のルソン島がキリスト教、南のミンダナオ島がイスラム教であるのは、北方がスペインが侵入し、南方では、イスラム教国であるスールー王国が支配してたからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC% …

中国における仏教の興隆も、漢族に対する北方民族の宗教的独自性確保の面が強い。
東アジアに特徴的な浄土教

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD% …

曇鸞(476年 - 542年)が浄土教を開いた。東アジア特有の開祖仏教はこの時から始まる。
以上引用
この人は山西省の人。山西省は北魏の本拠地です。


日本の独自性は、有史以来1300年は、他の宗教集団が大規模には渡来せず、支配階級にもならなかったというその一点かと思います。

この回答への補足

tanuki4uさん ありがとうございます。
宗教は政治権力の動勢と共に考えるという説は、なるほどと思うのですが、今の私では、宗教の具体的なあり方を政治権力や民族勢力の争いなどと絡めて理解するのは困難です。中国での3~5世紀の仏教の動向も、民族移動や他民族支配に絡んで理解することが困難です。漢訳と格義仏教、中国仏教へと進む理由が私には不明確です。ご回答をさらっと読んだ限りでは、うまく論理を追うことができません。

宗教における「日本の独自性は、有史以来1300年は、他の宗教集団が大規模には渡来せず、支配階級にもならなかったというその一点かと思います」という部分は、理解はできます。
しかし、《元の住民が一掃されてしまうのではなくて、大量の住民移住があり、政治権力支配層が入れ替わる、主導する宗教や宗教政策が変わる》というのは、地域毎にその具体的なありようは変わり、結果としてみるなら、それぞれの地域でかなり変わった宗教事情が生じることになり、日本以外でみられる一般的宗教事情と日本の宗教事情の大きな差にはならないような気がします。
日本で1300年間も大規模な住民異動や他民族支配が起きなかったという事実が、山にいる鬼や天狗を生み出すということを説明できているとは思えないです。 山岳地帯は日本以外にも多くあり、そうした地域とか山に近い地域では、鬼や天狗のような存在を持っているのでしょうか?

補足日時:2014/03/01 07:27
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>日本の中で混淆すると、結果的に、大陸や朝鮮とあまり変わらない状態になりそうな気がするのです。


おそらく多勢に無勢でしょう。
弥生時代から奈良時代にかけて間歇的に大量の朝鮮系の人達が移住してきていますが、結果的に日本列島の住民の風俗習慣に同化してしまっています。
高句麗の末裔であった渤海も当初は朝鮮語を使っていましたが中期以降は中国語を使うようになりました。
中国の元も清も北方の少数民族ですが、時代とともに先住民の漢民族の風俗習慣に同化してしまっています。

現在ヨーロッパでこの問題が発生しています。
最近イスラム教圏からの移民が増大してきて、あちらこちらでトラブルを起こしています。
従来は移民の絶対数が少なかったので、イスラム教徒側が妥協して、キリスト教徒の風俗習慣に従っていました。
最近は人数が増えてきて、むしろ自分達の風俗習慣をみとめろと言いだしています。

中国に対する対応の仕方が違ったのが朝鮮とヴェトナム(越南)です。
朝鮮は、支配階級が中国との同化を積極的に進めました。
結果として李朝朝鮮時代という長い平和な時代を手に入れました。
ヴェトナムは着かず離れずの政策をとり、現在に至るまで中国との間で間歇的に戦争を続けています。
南シナ海で又ゾロ中国と角を突き合わせています。

漢民族が海に関心をもたなかった結果、日本へ中国からの直接的な移住者が渡ってくることがありませんでした。
一方でセッセと先進文化だけは輸入しました。
遣隋使、遣唐使のように約300年に渡って命がけで文化だけを輸入したのは、世界史上も日本だけです。

>独自の発展が起きてそれがそのまま長期間維持されてしまうのか、その辺りの考察などあったらお教えください
未だにこれだという説明がなされていません。
1000年以上も昔の雅楽をやっているかと思えば、お寺の前でサンバカーニバルをやっています。
ホント、日本人てのはヘンですね。

>鬼も天狗も例外はあるものの山にいるイメージが強いです。 この感覚も日本の特殊性のようなものなのでしょうか。
中国の道教も仏教も山を大事にしましたが、中国大陸は広大で平地というか山林とは縁の薄い地域が多かったので全体としては広がりませんでした。
お寺の名前が○○山△△寺というのも中国伝来の名称です。
日本の鬼や天狗が妖怪や化け物 悪魔になりきれずに、必ず愛嬌があって親しまれるという点が独自ではないのでしょうか。
インドのヒンズー教の神様が善悪具備しているのも、どこか日本人と共通したところがあるのではないのでしょうか。

森林の思考・砂漠の思考 鈴木秀夫 NHKブックス

という本があります。
見通しの良い所で育った人間と、見通しの悪い所で育った人間とではものの考え方が違うというようなことが書いてあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
移住者の多少が関係したという説、改めて考えると、そういうこともあるのかなと思いました。中国への北伝仏教も移住者はなくて、一部の西域僧や翻訳僧のものを、後は中国流でやってしまったので、インドや西域の仏教、南伝仏教の継続的影響を受けない中国仏教になったのと似ているかもしれませんね。
移住民が継続しないと、少数者の渡来があっても、地勢的隔離の中で独自変化をしてしまうということなら、中国仏教の独自性、日本仏教の独自性が生じ、継続してしまった理由になるかもしれません。

中国は中原が広く広がっているのは事実ですが、行動力も日本人とは違ってスゴイです。各王朝の王もしばしば広域に遠征します。科挙に受かったものも信じがたいほど遠方に赴任する。そうすると、大河も、大平原も、山岳も、砂漠も、結構、多くの人が知っていたと思われます。道教の神にしても様々なところにいることになっています。あちこちの山にいる神/妖怪/山人/仙人で日本の鬼や天狗のような外形をしたものがなかったのは、何故なんでしょう。逆にいって、なんで日本ではあんな外形のものが山にいると思われたんでしょうか。
 
「森林の思考・砂漠の思考 鈴木秀夫」 読んだことがあるような気もするのですが、覚えてません。探して読んでみます。 「見通しの良い所で育った人間と、見通しの悪い所で育った人間とではものの考え方が違う」何となく、良い加減な感じがするんですが、、、(予測のつかない突発事態で苦労するのは、砂漠や海洋、平原の方がひどいのではないでしょうか)
ヒンズー教の神様、ローマの神様、ケルトの神様、エジプトの神様も、実に人間的で単純な善神という感じではないです。日本の竜神や山の神、水の神は相互に戦ったりしないようですが、善悪と割り切れない神を持っているのはどこでも同じではないでしょうか。

お礼日時:2014/02/15 19:13

答えを知っている訳ではありませんが・・



地政学が一つの説明になるかと思います。

日本は「島国」と形容されますが、大きさ的・人口的には立派な大国レベルなのです。

それでありながら地形的に変化に富み、その変化の分、生活様式も多様性が高いのです。

例としては山林と平地での生活様式の違いが、ほんの僅かの距離で隣に存在していたのです。

平地の民が山を奪う事にメリットはありませんし使い方が判りませんし使えません。

生活様式がガラリと変わるので、そもそも互いに欲しいとは考えません。

漁師に明日から樵も一緒にやれと言っても無理でしょう。


そういう日本に対してスリランカは九州よりも大きい位で、北海道と比べると面積・人口とも及ばず、人口密度では北海道の五分の一です。

つまり人が暮らすには緯度の高く寒い北海道の方が大量の人口を養えるだけの力が有る訳です。


『多様性』

これが日本の社会を文化を構成し得た特徴ではないでしょうか?

自分と違う「他」を許容し受け入れる文化は、隣の他人を受け入れられる・受け入れざるを得ない環境が生んだのではないでしょうか。

だから他国の文化も、山の民が海の民を嫁取り(血縁婚を防ぐ為には隣村等の遠隔地との婚姻が相応しく、「遠い」民が「隣」にいる為、文化も言語も混ざりやすかったでしょう)する様に、仲良くする様に一つの文化にしていったのではないでしょうか。

この「受け入れる」文化は日本に特徴的なものだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
地勢的に、細長い列島で、地形も複雑であったため、単一文化圏というよりは、狭い地域にもかかわらず多種文化近接地域になっていたことが影響しているのではないかというのは、とても興味深いご意見でした。
止む得ず、多様な文化が近接していたので、寛容で包摂原理で我慢する心情が生まれ、厳格な戒律や教条を受け入れる土壌はなかったというのは、とてもすばらしいヒントです。
内情、心情、思想の内容に拘らずに、とりあえず形式を受け入れているようなスタイルでやっていく文化と考えると、宗教だけでなく、多くのことを考える軸になりそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/15 18:20

moto_koukousei さん、こんにちわ。



もともと、日本では外国からの文化を取り入れるときにそのまま受け入れるのではなく、日本の独自性に適合するようにしてから、取り入れるようにしています。


日本での独自性が生じても、次に新しい神や宗教儀式、教義体系が大陸から入り込み、日本の中で混淆すると、結果的に、大陸や朝鮮とあまり変わらない状態になりそうな気がするのです。
何故、独自の発展が起きてそれがそのまま長期間維持されてしまうのか、その辺りの考察などあったらお教えください。
 
必ずしも前述したようにそうではありません。あなたは本地垂迹説をどうお考えになりますでしょうか?
日本の神様は本当は仏様の化身であるという説です。貴方があまり変わらないとしている宗教儀式もどこかで日本式となり、本来のインドで生まれた仏教の教義からかなりかけ離れていますよ。特に戒律に関する儀式はかなり異なるようです。


詳細は下記のURLを参照してください。
.
本地垂迹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0% …

仏教の戒律
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92%E5%BE%8B

この回答への補足

回答をありがとうございます。
 
> 宗教儀式もどこかで日本式となり、本来のインドで生まれた仏教の教義からかなりかけ離れていますよ。特に戒律に関する儀式はかなり異なるようです。
☆ 私は、どうしてそうなっているのか。何故、大陸の影響を受け続けて大陸のものと同様になってしまわないのか、その「何故」についての説や意見を求めて質問しています。
 
> もともと、日本では外国からの文化を取り入れるときにそのまま受け入れるのではなく、日本の独自性に適合するようにしてから、取り入れるようにしています。
☆ 「日本の独自性に適合するようにしてから、取り入れるようにしています」では、それも意見には違いないですが、状況やメカニズムを説明するものではないので、ちょっと私が求めている回答ではないです。 他の地域からある文化の影響を受けるとき、どこでもある程度は自分たちに受け入れやすいように・都合のイイ部分のご都合主義が働くのは当然だと思います。日本での受容や変形の特殊性がどこで生じたのかについて、ご意見をお持ちでしたらお教えください。

補足日時:2014/02/15 21:33
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>>◇何故、独自の発展が起きて、それがそのまま


   長期間維持されてしまうのか

私見では、空海や最澄、その後、親鸞や法然、日蓮など、鎌倉仏教の多くの開祖など、優れた諸僧が現れて、それぞれに教えを説いたこと・・・。
これが、仏教に日本独自の相が出た理由ではないでしょうか?

この回答への補足

heisenbergさん 回答をありがとうございます。
平安や鎌倉期に多くの開祖が出現したのは事実ですが、どれも本来の仏教や北伝仏教と異なり、日本仏教になってしまっています。日本以外の地域でもそれなりに優れた僧はいたと思います。「優れた諸僧が現れて、それぞれに教えを説いた」のであれば、どうして日本に特異な仏教が出現し、その後も中国から朝鮮から各種文化を導入しながらも、特異な日本仏教を維持することになってしまったのか、気になります。
多数の僧が競い合うように一時期に出現したということに「日本独自の相が出た理由」を求めるという考えはあると思うのですが、しかし、どの地域でも宗教がそれなりに社会で隆盛になるときには多数の高僧が排出し宗派を形成する傾向はあると思うのです。
北伝仏教が本来の仏教とは異なる宗教として発展したのは、中国民族の文化伝統の中で換骨奪胎して漢字文化仏教にしたと、中村元さんの本(シナ人の思惟方法)を斜めに読んで思っているのですが、(日本人の思惟方法)は読んでもいないので、ここで質問させていただいています。
渡辺照宏さんは、(1)上から広がる宗教伝播あるいは国家体制を強く気にする宗教(2)災害疾病疫病対策呪術(3)葬送追善(4)妥協混淆混和包摂(5)視覚的体験的非日常的様式性を日本仏教の特徴と挙げていますが、私は、ちょっと違う感じがしています。
私は、日本仏教の大きな特徴は((1)仏典や律と戒の軽視、(2)不安の預けと安心の享受、(3)儀式や意味不明の咒と非日常的体験酔、(4)全ての包摂)であろうと思います。
大乗系を受け入れるところにも、この四つの特徴は顕著ですし、((1)仏典や律と戒の軽視)と((2)不安の預けと安心の享受)がセットになるのは、何とも興味深いところだと思います。
中村元さんの説であるかないかに関わらず、どのような説明でも良いのですが、これほど融通無碍であるようなものが宗教として存在し続け、他の宗教らしい宗教(教説の内容の理解を重視する宗教、僧に律を厳格に求める宗教、信者に戒を強く求める宗教、信者に強迫的に不安や不徳・不義を意識させる宗教)が隆盛にならなかったのは何故なのか、ご意見をいただければと思います。

補足日時:2014/02/15 21:34
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