大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

なぜ、言葉にはいろんな定義があるんですか?

まず、言葉って誰かが作ったのですよね?ならばその作者の定義が正解なのではないのでしょうか?それなのに、愛とはなにか?とか正義とはなにか?みたいな質問がでるのはなぜなのでしょうか?

私は今まで辞書の意味が正しいと思ってきましたが、なんだか違うみたいでした。

言葉の定義は人それぞれで違うってのがいまいち理解できません。「山」っていう言葉でも、私が言う「山」と誰かがが言う「山」の意味は異なるのですか?

A 回答 (7件)

 こんにちは。




 ★ 言葉の意味、定義。
 ☆ まづ 長いですが 《愛》についての次のような辞書の説明を見てみます。

 ▲ ( goo 辞書:愛) ~~~~~~~~~~
 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/353/m0u/

 あい【愛】

 1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「―を注ぐ」
  * ギリシャ語:στοργη(ストルゲー);ラテン語:amor ; love

 2 異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋。「―が芽生える」
  * Grk: ερωσ(エロース);Lat.:cupiditas; desire, love

 3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する―」
  * Grk: φιλια(フィリア);Lat.: dilectio; affection (?)

 4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への―」
  * (前項に同じ?)

 5 キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
  * ’αγαπη(アガペー); charitas; grace, devotion

 6 仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
  * 渇愛:サンスクリット〈トゥリシュナーtṛṣṇā〉;パーリ〈タンハーtaṇhā〉:
   http://kotobank.jp/word/%E6%B8%87%E6%84%9B


 ・・・
 [補説] 
 2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「愛」への投稿から選ばれた優秀作品。

 ◆無条件に受け入れられる、存在そのもの。
 しーずーさんの投稿

 ◆人である原点。
 MeSiYaさんの投稿

 ◆人を美しくもし、醜くもする矛盾にあふれたもの。
 潮騒のメモリーズさんの投稿

 ・・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (1~6)までの事項は 定義というよりは どちらかと言うと 《意味》です。言いかえると そういう用例があるということを拾い上げて載せています。

 もっともそれぞれの間の違いを説明していますから そこではすでに《定義》にも進んで行っています。

 [補説] に載せられた《作品》は 《定義のようなひとつの説明》になるのでしょうか。




 
 ★ なぜ、言葉にはいろんな定義があるんですか?
 ☆ (あ) 人それぞれが おのれの意志行為として生きるとき そこに――どういうわけか――違いが出て来るから。

 (い) 人が違うだけではなく 同じひとりの人にあっても 時を経るあいだに 意志行為のあり方が違ってくれば 思想も進化しており 言葉の定義もやはり違って来ます。

 (う) 多数の人びとがかかわる歴史にあっては さらに定義の違いも出て来る。

 (え) ただしそれでも 一般的な意味ないし定義を 人びとは――自分の思想とは異なっても―― 捉えておこうともする。



 ★ まず、言葉って誰かが作ったのですよね? ならばその作者の定義が正解なのではないのでしょうか?それなのに、愛とはなにか? とか正義とはなにか? みたいな質問がでるのはなぜなのでしょうか?
 ☆ (お) すでに使っている語彙の中から あらたに造語をする場合があります。〈造語一覧〉などで検索できます。

 (か) このような造語でなければ  遠い昔からあるとしか分からない語彙があるのだと思います。

 (き) 造語者の定義も そこから逸れて使うようになった意味も ともに《正解》なのでしょうね。それぞれの思想は 対等であり じっさい相対的なものですから。

 (く) 定義をきちんと決めるのは 議論のためです。互いに違った意味で用いていたなら 空回りになります。
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こんにちは。


 まずは辞書的な意味が共通認識を持とうとするための軸ではあると思います。ただその象徴としての意味に託そうとする中身が、各人によって異なってくるのではないでしょうか。それぞれがそれぞれの成長の過程に応じて身に着けた性格の偏りによって、どうしても他人と同じではない「内面から象徴への変換における微妙な違い」が生じる。そのギャップを埋めようとする対話が相互理解には欠かせないものになると思います。
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言葉は、意思伝達のツールで、「個人の思考」や「他者との交流」や「記憶のため」を目的としたツールです。

もし仮、に言葉を使用することさえ忘れた進化の進んだ意識体(宇宙人)が、この星にで何かを探す際、普段テレパシークラスの方式で意思伝達をしているがゆえ、その地球の言語の定義域を全体的に把握せねば、地球人と交流することは困難だ。

なぜなら、テレパシーには定義域が無く、ビジョンイメージを直接相手に投げかけるからだ。だから、言語ツールを利用する場合は、多くの注意点を把握せねばならず、宇宙人とて、イメージの言語化には、それなりの勉強を要するのだ。だが、さすがにテレパシー種族は、「地球人の話す言語と、その時の話者の脳波パターン」を雰囲気的に正確に把握できるため、ひどく「勘のスルドイ」傾向があります。

私が、地球のヒト種族の認識の扉を開けたとき、その色の美しさには驚いた。また逆に、言語など遠い祖先の遺物であったため、それをうまく話すことが可能になるまで、約10年の期間を要した。

要は、テレパシー使えば楽チンだぞ~と、言いたいだけで、そのテレパシーは社会性の高いレベルでの思いやりがあれば、相手の意思など、言葉を使用せずとも、その人物の発する雰囲気のみで、距離に関わらず、意思の伝達は可能なのだ。(断言)
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言語は、記号に過ぎない。


経験や学習によって、その記号の発信者と受信者の
双方で同じイメージを想起するように条件付けられた。
それは、遺伝的形質や基本的自然環境といった共通の
ものだけでなく、自然環境の地域性や文化的伝承の
多様性など、異なる要因も多い。

東アフリカのスワヒリ語では、「湿った」を意味する
「ビチィ」が「新しい」を表現する時にも用いられる。
乾燥したサバンナでは、物は放置しておくとカラカラ
に干からびてしまうからだ。
ヒマラヤ山中で年の半分が雨期のブータンでは、「乾い
た」を意味する「サープ」が「新しい」を意味する時にも
用いられる(多湿な日本の感覚はこちらに近い)。

外国語の辞書を見ると、複数の訳語が載っているが、
それは外国語の方が意味が多いからではなく、互いの
言語の定義域が一致していないので、互いに複数の
訳語があるだけの話で。
高い「山」のない南の島では、我々にとって丘に過ぎ
ない裏山も火山島の主峰(といっても千m前後)と
同じ「マウガ」と呼ばれる(山も丘も峰も一緒)。
人間関係を重視する日本文化においては、英語だと
「I」しかない一人称が、「私、僕、俺、ワシ、ウチ」など
複数あるなど、自然環境や文化的な違いによって、
言語の定義自体が異なっているのだ。
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mikaze007様、こんばんは。





>「まず、言葉って誰かが作ったのですよね?ならばその作者の定義が正解なのではないのでしょうか?それなのに、愛とはなにか?とか正義とはなにか?みたいな質問がでるのはなぜなのでしょうか?
私は今まで辞書の意味が正しいと思ってきましたが、なんだか違うみたいでした。」

へえ。


>「言葉の定義は人それぞれで違うってのがいまいち理解できません。「山」っていう言葉でも、私が言う「山」と誰かがが言う「山」の意味は異なるのですか?」

そうです。
例えば、「私が言う」と「誰かが言う」、どちらが辞書になるのですか。









>「それなのに、愛とはなにか?とか正義とはなにか?みたいな質問がでるのはなぜなのでしょうか?」

そっか、「「誰か」が作った」からか。
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「言葉って、誰かが作ったのですよね?」と言われますが、たいていの言葉は作者が誰だか分かりません。


共同体がいつの間にか作って流通したということもあるし、誰が作者か分からずにいつの間にかみんなが使っていたということもあります。
それに自分が作者だからといって、みんなが同じ意味で使うとは限らないし、流通している内に別な意味になることもあります。
一応言葉の意味は辞書に載っていますが、それもその時代に最大公約数的に使われている意味を表示しているだけで、時代が変わると別の意味を追加したり、あるいは元の意味を削除したりします。
私はたいてい広辞苑を使っていますが、昔の第一版と最近の第六版では、ずいぶん言葉が入れ替わったり、新しい言葉が加わっていたり、変化がが激しいです。
言葉は世の中の変化に合わせて流動していて、意味も変化します。
中でも「山」のような単純な言葉はあまり変化はありませんが、複雑な言葉は著しく変化します。
言葉の定義は一つだけというのはむしろ珍しい方で、たいていいくつかの定義や用法があるのが普通です。
あなたも辞書を開いたことがあれば分かるように、いくつかの定義・用法が載っています。
時代が変わるとその定義や用法に新しい意味が追加されたり、あるいは時代にそぐわない死語になったからといって削除されたりします。
「愛」にしても明治以前のわが国で使われていた意味と明治に西欧から新しくキリスト教の意味が付け加わった時とで、変化しました。
明治以前は身分制の社会でしたので、「愛」は「めでる」という意味であって、男からの一方的なそれでしたが、明治にキリスト教が入ってきて、身分制が崩れ、男女の平等の「愛」になりましたので、ずいぶんその意味が変わっています。
たとえば「恋愛」というのは明治以前にはありませんでした。
人間の平等があって初めて「恋愛」が可能になりました。
では、その「恋愛」という言葉を誰が作ったのか、今では分かりません。
「個人」にしても「権利」にしても、「社会」「会社」にしても、「近代」にしても、「美」にしても、「存在」にしても、「彼、彼女」にしても、明治に翻訳語として西周や福沢諭吉や井上哲次郎や福地源一郎などが作ったものです。
おそらく学術用語の大半は明治に翻訳語として作られたものでしょう。
その日本に日清戦争後中国から留学生が大量に来て、日本の学術用語を中国に持ち帰ったため、現在中国で使われている言葉の4割近くは和製漢語だと言われています。
私も上海に行ったときたいていのことは日本語でメモを書いて示せば意味が通じるのを知り、みんな和製漢語を使っていることを知りました。
今の中国の国名、中華人民共和国のうち、人民も共和国もみんな日本で翻訳された西欧の翻訳語です。
社会主義も同じ、日本で翻訳された西欧の翻訳語です。
おそらく「正義」という言葉も、井上哲次郎などが西欧哲学から翻訳した言葉でしょう。
作者がいたとしても古代ギリシャにさかのぼらざるを得ず、最初に使った人間など特定できないでしょうし、昔と今ではその中身はだいぶ違っているはずです。
国が違えば、言葉の意味も違いますし、極端なことを言えば、人によってそれぞれ意味が違ってきます。
辞書に載っているのはあくまで最大公約数的な意味です。
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言葉の定義や形、意味は時代によって変わります。



それは人々が使っていくうちに変化をするものだからです。

つまり言葉を作るのは、その言葉を発する人々が決めていきますし、一度決まったと思えたものでさえも変化の波から逃れる事は出来ません。

二十年ほど前までは「全然」の後に続く語は打ち消しの助動詞のみでした。

「全然、何々ではない~」と言う用法ですね。

しかし現在では「全然凄い」等とも使われています。

他に「巨人軍は永遠に不滅です」も面白いです。

長島は「永久」にと発言しているのに、「永遠」と誤用される事がしばしばあります。

人は自分に合わせて、周りに合わせて言葉を作っていきます。

逆に言えば、「絶対」に正しい意味が存在すれば、始めから貴方の質問の意味さえありません。

「絶対」が無いから、言葉に纏わる問題が永遠に続くのです。

言葉に頼る限りはこのループからは逃れる事は不可能です。
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