プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

まずお聞きしたいのは彼等がしたことはクーデターでしょうか?いまでしたら国家転覆罪という大罪ですよね?
当然、開国してなければ今のような資本経済大国にはなってなかったかもしれませんが。それとは全く切り離して回答頂ければ助かります。

いつの時代も勝者がイイように時代背景を書き換えてきた事実があります。今でこそ彼等は英雄視され銅像なんかも建てられ教科書なんかにも掲載されてます。それは時の権力者から勝ったからこそであって負けていたらボロクソ子々孫々まで語り継がれていたことでしょう。

そもそも、ペルー率いる黒船がきて開国を迫り、その外事圧力を押し返そう、時の幕府がそう決めたのですから普通に考えれば従わない方がおかしいですよね?

デモやテロとは違うんでしょうけどクーデターとして捉えてよいものでしょうか?
ご回答よろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

坂本竜馬は犯罪者でしょ? 笑


脱藩してたわけだし


そもそも鎖国自体日本はしてませんでした 笑
鎖国とは現代人が使ってる言葉であり江戸時代には「鎖国」という言葉は一切出てきません


坂本竜馬はメイソンの一員でしたが その力を利用しようとして消されました
    • good
    • 0
この回答へのお礼

小豆さん、いつも回答ありがとうございます!
メイソン・・・??(・ん・)?ググってみますw
また素敵な回答宜しくお願い致します!!

お礼日時:2014/04/14 14:51

"彼等がしたことはクーデターでしょうか?"


 ↑
暴力で政変を起こしたのですからクーデター
でしょう。
しかし、西郷はともかく坂本龍馬はただの
使い走りだったと思います。
あれは人工的に作られた英雄ではないですか。


”いまでしたら国家転覆罪という大罪ですよね?”
    ↑
国家転覆罪、という犯罪はありません。
成立するとすれば、内乱罪でしょうね。


”それは時の権力者から勝ったからこそであって負けていたら
 ボロクソ子々孫々まで語り継がれていたことでしょう。”
    ↑
全くその通りです。
こういう国家転覆は、成功すれば英雄ですから
常に未遂犯になるわけです。
既遂があり得ない犯罪である、ということです。


”ペルー率いる黒船がきて開国を迫り、その外事圧力を押し返そう、
 時の幕府がそう決めたのですから普通に考えれば従わない方がおかしいですよね?”
     ↑
近年、実証研究が進み、無理して、血を流してまで
幕府を転覆させる必要があったのか疑問だ、とする
説が有力になっています。
幕府のままでも、似たような道をたどっただろう、と
いうことです。


”クーデターとして捉えてよいものでしょうか?”
    ↑
ワシントンは、米国では建国の英雄ですが
英国ではただの反逆者です。
立場によって評価が変わる、という
だけでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

1個づつ丁寧に回答頂きありがとうさまでした!こちら、ベストなアンサーにさせてもらいまーす!見方を変えれば反逆者でも場所や時代を超えれば英雄になるのですね。
非常に勉強なりましたっ!!

お礼日時:2014/04/14 14:54

>彼等がしたことはクーデターでしょうか?



そう考えていいと思います。


>いまでしたら国家転覆罪という大罪ですよね?

大罪になるのはクーデターに失敗した場合です。明治維新では江戸幕府を倒し明治政府を樹立させたので、明治政府側に立って戊辰戦争を戦ったものが正義です。

坂本竜馬は戊辰戦争を戦ったわけではありませんが、江戸幕府を倒すために奔走しそのさなかで死にました。そのため明治維新の功労者として靖国神社に祀られています。一方で、江戸幕府側に立って戦った会津藩士・白虎隊・新撰組は明治政府からすると反逆者なので、明治政府は靖国神社に入れませんでした。

また西郷さんは戊辰戦争時は新政府側でしたが、明治政府樹立後の西南戦争では政府のやり方に反対し武力で抵抗しました。西郷さんは西南戦争で命を落としたわけですが、新政府の敵になったので、新政府は靖国神社に入れませんでした。当然、政府側で戦った兵士は靖国神社に神様として祀られています。

当時は靖国神社に誰を神として祀るかを明治政府が決定していたのですが、「坂本竜馬は味方、西郷は敵」という明確な意思が読み取れます。また、いわゆるA級戦犯は死後30年たってから合祀されました。なので、亡くなってから何十年経ってでも合祀することは特に問題無いのですが、それでも西郷さんや会津藩士を合祀しないのは、西郷さんや会津藩士は政府にとっての敵だと今でもみなし続けているからだと思います。


>それは時の権力者から勝ったからこそであって
>負けていたらボロクソ子々孫々まで語り継がれていたことでしょう。

そういえば西郷さんは新政府軍の敵となったのによく上野に銅像を建てられたなと思い調べたのですが、Wikipediaにこんなことが書いてありました。銅像を作るのにもいろいろあったみたいですね。しかしいろいろあっても立てられたということは、それだけ世の中が平和になってきていたのだと思います。

# 当時故人を顕彰する銅像の多くが正装で威厳に満ちたものだったのに対し、
# 西郷の銅像は明治維新の元勲のものとしては、あまりに庶民的に過ぎるものである。

# 当初は皇居内に建てる案もあった西郷像の建造当時、
# 朝敵となったことによる反対意見が根強かったことは無視できない

# まだ西郷への反感を持つ政治家が多かった時代、明治政府の官位による
# 正装をさせるわけにはいかなかった事情が背景にあったと考えられる

西郷隆盛像 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

上の方とベスト迷いましたがすいません(>_<)
しかしあなた様のおかげで西郷さんのこととか一層興味を持つ材料、きっかけになりましたo(^▽^)
なるほど、ヤスクニは明治政府の軍閥や政治思惑が複雑に絡んでるんですねー。
ウィキまで貼って頂きありがとうございます!!また教えてくださいねー。

お礼日時:2014/04/14 15:00

形の上では、幕府の上に朝廷=天皇がいましたから、クーデターというより、もう少し規模の小さな権力闘争でしょう。


 長州の毛利家は、形式的なものとはいえ、朝臣という身分でもあり、朝廷が命令さえすれば官軍として徳川家と替わって行動することが可能でしたし、薩摩の島津家は、徳川と親戚関係。そもそも攘夷の口火を切った水戸藩なんか、徳川御三家のひとつではないですか。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうさまでした。なるほど!またお願いします!

お礼日時:2014/04/14 15:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!