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ヨーロッパはキリスト教によって金貸しで利子をとったりする金融業をを禁止されていたので、ちょうどその隙間業界にユダヤ教徒がそれを展開して、近代にはイギリスやアメリカを裏で操れるほどの影響力を持ったとするならば(仮定)。
日本は仏教なので、キリスト教の金貸し禁止のルールがなく、金融業は日本人の手で行われていたのでユダヤ人が入ってくる隙が無かったから彼らの影響を受けなかったということなのでしょうか?

※影響度合いの実際は私には不明ですが、ヒトラーが日本のことをユダヤの影響を受けていない国だと言い残したそうなので、それが本当なのかということと、その理由は何故と思って質問してみました。

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A 回答 (7件)

こんにちは。

 #3の再入場です。

私は学生時代京都で過ごしました。 ここの伝統行事の多くは遣唐使が中国から持って帰ったものですが、その背景に秦氏というユダヤ系帰化人がいたことは既に書きました。 その関係の資料もここに添付します。 

http://news.infoseek.co.jp/article/happism_20130 …
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この回答へのお礼

URLありがとうございます。

お礼日時:2014/04/30 19:56

こんにちは。


日本では仏教の寺院が古くから「祠堂銭」と呼ばれる寄進された金銭を貸付け、その利益で寺院の維持管理費用として使用してきました。中世になり、土倉などの金融業者が発展しますが、土倉業者の中には蔵法師と言われる者がいて、その蔵法師は延暦寺の僧が土倉を経営していたことに由来する名称で、その後僧から土倉業に転換したりした者や、延暦寺の庇護のもとに経営したものを言いました。そのため、法体の者が多くいました。室町時代には京都の土倉の資金の半分は延暦寺関連の資金だと考えられ、延暦寺は中世の日銀であり、金融業界を牛耳って言われています。室町時代の徳政一揆が土倉を襲うだけでなく、寺院を占拠する行為に走るのは、寺院が祠堂銭を貸し付けるもしくは、土倉の資金源であったことによります。
また、出挙については、租と同じように、初穂を神及び首長に捧げる習慣に由来するとの考え方が近年有力になっています。
このように、日本の金融の発生に関しては、宗教との関連が見られますので、ヨーロッパなどのように、宗教による禁止は存在しませんでしたし、ある面で宗教が率先して金融業にあたっていました。上記のように、室町時代の延暦寺の影響について簡単に書きましたが、織田信長の比叡山焼き討ちの原因の一つとして、延暦寺の金融支配力打破を上げる歴史学者がいるほどです。その他の仏教寺院も祠堂銭を直接間接に貸し出していますので、金融業に対する仏教界の影響は圧倒的で、ユダヤ教徒が後から参入しても、力を持つことは難しかったと思います。
また、ユダヤ人の離散後の移動作を見ると、ヨーロッパロシアを含む全欧州。オリエント地域。北部アフリカなどで、その他の地域への移住や、本国に残ったユダヤ人の多くは、ユダヤ教の棄教など、民族の特色を失い、消滅しています。さらに、ユダヤ人が残った地域は、ギリシャ正教を含むキリスト教圏とイスラム教圏であり、ユダヤ教には近しい宗教であっても、東方に向かえば、仏教と言う異質な宗教と接触することになり、ユダヤ教の信仰をはじめ民族としての特色を維持することは難しかったのではないでしょうか。
ユダヤ人はユダヤ教を信奉するものという以前の定義もあるように、ユダヤ人をユダヤ人足らしめているものはユダヤ教の信仰であって、ユダヤ教の信仰を持たないユダヤ人の子孫はユダヤ人でないとも言えます。日本においては、ユダヤ教の痕跡を残す文物・遺構などは残っていませんから、近代以前にはユダヤ人の来航はほぼなかったのではないでしょうか。そのような訳で、ユダヤ人・ユダヤ教の影響が近代以前の日本には及ばなかったのではないでしょうか。

祠堂銭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%A0%E5%A0%82% …
蔵法師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E6%B3%95% …

まとまりませんが,参考まで。
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この回答へのお礼

金融は仏教が行っていたのですね!意外でした。

お礼日時:2014/04/30 20:06

 日本にも「貸し付けと利息」を前提とする徴税システムは古代の律令にもありました。

「出挙(すいこ)」と呼ばれるシステムで、これは春に稲を貸し付け秋の収穫時に利息を含めた形で回収するシステムですが、元々は貧民救済を目的とするものでした。それが次第に強制的色彩を帯びることで、税として位置付けられもして変質していきます。
 日本の律令制は唐のそれを規範として移植された性質のものですので、殊に宗教的な背景もなく、逆に寺社に対しての国家によるイデオロギー統制を僧尼令・神祇令といった形で法制化してもいますので、仏教だから利息を取る金融業がなかったとの説明にはなりません。中世の土倉や酒屋といった商業も金融業として成立もしていますから、中世でも宗教的色彩は見られません。
 むしろ「代行業者としての権利」との側面から見ることで、純粋に経済活動とそれに伴う権益との理解と視点を持つ経済学的分析の方が妥当でしょうね。
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お話しの前提に議論の余地はありそうですが、それはさておきまして、大真面目に考えるならたぶん宗教観の違いでユダヤ教は日本には進出できないと思います。



日本人は根っからの多神教です。神社にお参りして仏像に手を合わせ、クリスマスを盛大に祝う。生まれたら神社に報告に行くのに、結婚するときは牧師さんの前で永遠の愛を誓い、死んだら坊主がやってくる。そのことに何の疑問も感じない民族です。
しかし一神教(キリスト教、イスラム教も一神教でユダヤ教も含めてみな同じ神様を指しています)はそれを絶対に許しません。神様がモーセの前にそのお姿を現したとき、「俺様以外はすべてインチキのまがいもんのクソ野郎だから、俺様以外を拝むのは絶対に許さん」とおっしゃいました。そして旧約聖書によると、うっかりユダヤの民が他の神様を祀ったりすると容赦なく神のお怒りをぶつけられたということです。
だからユダヤ教を受け入れるということは、他の神社仏閣の類いを全否定しなければならないのです。そしてユダヤ教徒自身も「ファックユーな教えには中指を立てるだけ」なのです。例えばこっちが「ウチの神様もそんなに悪くないよ。信じろとはいわないけど、仲良くやろうよ」と言い出しても「このまがいもんの神様を信じる異邦人野郎め、間違った教えで穢れるから触るんじゃねえ」という返事が返ってくるのです。

あと、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の究極の願いは「イスラエルの地にユダヤ人オンリーの国を作る」です。彼の地は彼らにとって「神様からお約束頂いた場所」であり、「ユダヤ人以外は入っちゃだめ」なのです。旧約聖書によると、神様が「お前らにこの場所を与えるから」といったときにそこにはパレスチナ先住民がいたわけですが、ユダヤ人が「なんか先に住んでる人がいるんですけど、どうすればいいですか」と聞いたら我らがミスターゴッドのお答えは「殺しちゃってええよ」ということなので、殺してもあの場所は欲しいのです。んで、彼らは異教徒によって神様に約束された神聖な地を穢されたくないので、ユダヤ人以外は入れたくないのです。
だから彼らにとってアジアから向こうはぜーんぜん興味ないのです。インドでも中国でもユダヤ人てほとんど進出してないでしょ。ヨーロッパから見ればイスラエルは地中海の向こう岸なので、ユダヤ教国家建設のための足場としてはいいわけです。
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この回答へのお礼

俺様キャラの神様が分かりやすいです!

なるほど。ヨーロッパは仮の避難所でしかなかったということですね。
あと、多神教の国に一神教は定着しづらいということですね。

お礼日時:2014/04/28 22:12

> 金融業は日本人の手で行われていたのでユダヤ人が入ってくる隙がなかったから彼らの影響を受けなかったということなのでしょうか?



日本と言う国がどのようにして出来たのか。 国家としての体裁を整えて来たのは平安時代に入ってからと言われています。 今の京都に都が移った時、桓武天皇を裏で支えていたのが秦氏というユダヤ系の帰化人だったと言われています。 また、桓武天皇の中宮も秦氏の出身だと聞いています。 

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/history0 …

桓武天皇は新しい都、平城京の開発に当時の唐の都、長安にあった風物を多く導入しています。 今は日本の伝統文化として定着しているものも、その由来を辿ればユダヤ教に端を発するものも少なくありません。 神社の祭礼の際、氏子の家々を練り歩く神輿(みこし)。 あれは旧約聖書、出エジプト記に出て来る契約の箱が原型だと言われています。  

京都に残っている伝統行事の大文字焼きはペルシャに端を発する拝火教の儀式であり、遣唐使の空海が持ち帰って伝えたと言われています。 現在、宮中の行事が行われる際に演奏される雅楽も聖書に由来の物がいくつかあります。 『越天楽(えてんらく)』はグレゴリオ聖歌をスローに演奏したもの。 確かに日本音階にない、ト長調の明るい音調です。  

遣唐使たちは仏教だけでなく、当時の長安に流行していた西域の文化・文明を積極的に導入しています。  これらの中に旧約聖書に由来の風物やシステムはたくさん見られています。 中立売(なかだちうり)と言う町名が今に残っています。 通商販売の原型ですが、元を正せばユダヤ商法に辿り着くようです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/340 …

この回答への補足

ユダヤ人は日本の文化面で貢献してくれたと解釈することにします。

補足日時:2014/04/30 20:08
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この回答へのお礼

経済発展に貢献したということでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/30 20:00

ユダヤ人は、この2000年、常に迫害と戦いながら、生き延びて来ました。


その間、ヨーロッパ各地にコロニーを作ったことはあれども、国と言えるほどのものを持てたのは、イスラエルが最初(2,000年ぶり?)です。
欧米を裏で操るほどの影響力を持ったというのは、確かですが、しかし、裏は裏に過ぎず、表にまででたことは有りません。
また、裏の影響力と言っても、自分たちの経済活動を有利にするものに限られ、影響力は限定的です。

日本がユダヤ人の影響を受けなかったのは、日本の強さが原因ではなく、ユダヤ人の影響力が、東アジアまで及ばなかったというだけのことと考えます。
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この回答へのお礼

距離の問題ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/30 19:55

正確な答かは知りませんが・・・



大航海時代に船に乗っていた宣教師は大概「キリスト教宣教師」ですよね。

・・おそらく一緒に、ユダヤ教宣教師が乗る事は無かったでしょう・・・

江戸時代に入ってからは布教そのものを禁止し、またオランダも安定した商取引のみの付き合いで通しましたので、その状況で新たにユダヤ教が入り込むのは更に不可能だった事でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

なるほど。鎖国の影響ということですね。
ユダヤの布教は他の宗教みたいに宣教師が正面から来るという印象がないですね。
布教の仕方について特徴はあるのでしょうか。

お礼日時:2014/04/28 21:28

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