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「宋書」倭国伝と倭王武の上表文はおなじですか?
なにかちがうんですか?

A 回答 (2件)

倭王武の上表文は「宋書」倭国伝のなかにあり、南北朝中国の


南朝、宋朝に使者を派遣した、倭の王武の、ぶっちゃけいえば、
今の「就活」書類なのです。
少し長いですが、上表文だけ書き抜きましょう。

封國偏遠、作藩于外、自昔祖禰、躬擐甲冑、跋渉山川、不遑寧處。
東征毛人五十國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國、王道
融泰、廓土遐畿、累葉朝宗、不愆于歳。臣雖下愚、忝胤先緒、驅率
所統、歸崇天極、道逕百濟、裝治船舫、而句驪無道、圖欲見呑、
掠抄邊隸、虔劉不已、毎致稽滯、以失良風。雖曰進路、或通或不。
 臣亡考濟實忿寇讎、壅塞天路、控弦百萬、義聲感激、方欲大舉、
奄喪父兄、使垂成之功、不獲一簣。居在諒闇、不動兵甲、是以偃息
未捷。至今欲練甲治兵、申父兄之志、義士虎賁、文武效功、白刃交前、
亦所不顧。若以帝德覆載、摧此強敵、克靖方難、無替前功。竊自假開
府儀同三司、其餘咸各假授、以勸忠節。」
詔除武使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王。



 意味は、「私の国(倭。王は武)は宋の国から遠く離れておりますが、
私の父祖、禰(でい)は自分から武装して、東と西、海を渡って北の
多くの国を平定してきました。私自身も、つたない身(臣雖下愚)であり
ながらも、国を保ち、百済と通好し、船で往来するまでに至りました。
ところが、無道なる高句麗がこの友好関係を邪魔し、行き来もままな
らぬ事態におちいりました。
 そのうえ、先王の父と兄が急逝し、その喪により兵を動かせず、鬱勃
とした日々を送りましたが、父兄の義士としての公憤をおもうと、無道
なる「句驪」(高句麗)を討ち果たす志はいまだ萎えてはおりません。
どうか、私の望む、都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事、
安東大將軍、倭國王の称号をお授け下さい。かならずや、宋の帝(みかど)
の御為にお役に立てます」

というものです(意訳)。
 結局、宋王朝は、百済を抜いた六国安東大将軍の称号を武に授けて
います。
 これは、百済も、当時の中国南朝と通好していたので、そこまで倭の
勢力範囲にふくめるわけにはいかなかったというのが、大方の見方です。
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『倭王武の上表文』が「宋書」の倭国伝に書かれて伝わっている、じゃなかったっけ。

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