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真の宗教は科学に頼らないし、真の科学は宗教に振り回されない。
宗教の正しさを科学によって裏付けようとする宗教は真の宗教ではなく邪教である。
宗教に依存する科学は真の科学ではなくエセ科学である。
宗教と科学はそれぞれ次元の異なる別々の世界だからである。
宗教と科学は融合するものではなく、分離し独自の道を歩むべきである?
 


 

A 回答 (23件中21~23件)

で、そう言うのであれば、科学と宗教のそれぞれの定義を


理解できていますか? 辞書どおりの意味だけでも把握
しておれば、そんな陳腐な単語は並べられないだろう。

因果を明確にし、一定の価値基準の下に論証を行うと
言う点に関して言えば、宗教と科学には共通する点がある。
融合と分離しか無いのかとツッコミを入れたい。

「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である
(Science without religion is lame, religion without science is blind.)」
かのアインシュタインの言葉です。この意味を考えてみましょう。
但し、ヒキコモリになって考えろというのではなく、他の回答者も
言うように、現実の生活において論証実験をしてみろという事です。
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この回答へのお礼

 
>因果を明確にし、一定の価値基準の下に論証を行うと
言う点に関して言えば、宗教と科学には共通する点がある。

一つ言っておきます。
真の宗教とは実は単純なものである。
念仏を唱えさえすれば極楽浄土へ行けると信じ、ただただ南無阿弥陀仏と唱える。
これが真の信仰である。
そこに何の論証も有ってはならないのである。
ただただ信じる以外ないのである。
それが出来ないものは全て邪教である。
 

お礼日時:2014/05/20 18:27

まず、現時点での科学は、「論理実証主義」に忠実であることが大前提となっています。

つまり、科学者は「論理実証主義」の信奉者であり、「論理実証主義」教徒であることを受け入れているのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86% …

そのように、実用性と合致していることを信条としていく「科学」という宗教があるのと同様に、各時代・各地域での実用性に合致するように生まれたのが千年の単位で受け継がれている各地の宗教なのです。

ですから、宗教と科学が別々の世界でも困りますし、完璧に融合するというのは「科学」の驕りでもあります。

もしかすると、仏教などで、無限小の世界と無限大の世界はつながっている・共有されている、という概念は、現代科学のブラックホール・ホワイトホールや素粒子の(超)弦理論などへの洞察を経て、禅問答した先人たちがたどり着いた境地なのかもしれませんから。

まあ、邪教は、人から財産を奪うとか改宗を迫るとか、不幸な人間を生まないと実践できない教えのことだと思います。
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この回答へのお礼

 
>もしかすると、仏教などで、無限小の世界と無限大の世界はつながっている・共有されている、という概念は、現代科学のブラックホール・ホワイトホールや素粒子の(超)弦理論などへの洞察を経て、禅問答した先人たちがたどり着いた境地なのかもしれませんから。

仏教は科学的であると考えたり、主張したりするのはやめた方が良いと思う。
仏教とは念仏を唱えれば極楽浄土へ行けると信じ、ただただ南無阿弥陀仏と唱える。
これが仏教の全てです。
だから科学とは無縁なものです。
またそうでなければならない。
仏教がそれ以上のことを説いて、自らを科学的であるなどと主張し始めるとその時点で仏教は仏教ではなく邪教になってしまうのです。
自らを科学的であると主張する仏教は全て例外なく邪教です。
だから仏教は科学との接点を一切持つべきではないと考えます。

お礼日時:2014/05/20 18:14

宗教も科学も 人間世界にあるものなので 一つに まとまる事が出来ます



宗教的に科学を理解し 科学的に宗教を理解出来る 新しい知識さえ備われば容易な事

しかも その新しい知識は 既に この世に出ています

いずれ あなたにも 届く事でしょう
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