No.2
- 回答日時:
私が知っているルールでは、「武士は(歩くときでも観光地でも)キョロキョロしてはならない」というのがあります。
顔を正面に向けて、まっすぐに前を見て、まっすぐに歩く。また、邸宅の長屋門などには、お姫様や女中が祭り行列などを見るために、簾のかかった部屋が用意されていて、キャーキャー騒いでいるのが外からはわからないようになっていたそうです。
言い換えると、ギャル風の軽率さを庶民に見せないため、奥様やお姫様などは、滅多に外出できませんでした。外出時は当然ですが籠を利用してましたし。
ここまでは史実。
横綱は神様扱い(だから"しめ縄"をする)なので、元若乃花、通称お兄ちゃんがテレビ言っていたところによると、横綱は威厳をだすために"外"では「ふんぞりかえって、ゆったりと歩かなければならない」そうですので、武士もそうだったかもしれません。基本的に、チャラチャラ動くと軽薄に見えますので、たぶん武士もそのようにゆったりと動いていたものと思われます。
武士の作法か、単なる女性の作法かわかりませんが、「白い歯を見せて笑ってはならない」という作法が書かれているのを読んだ記憶があります。もちろん「黄色い歯なら見せて良い」という話ではありません。
No.3
- 回答日時:
それ、百姓は米を作り、職人は鍬を作る、
商人はモノを動かし、皆世のために役立って
いる。
しかるに、武士は何もしない。
武士の存在意義は、魂の高貴さにある。
百姓町人などの模範になることに求める他ない。
・感情を表に出さない、笑わない
・道の真ん中をまっすぐに歩く
・雨が降っても走らない
・いざという時には、切腹してけりを付ける
・大きな屋敷に住む
・学問に励む
・武道に励む
・侍言葉を遣う。みども、拙者・・・。
・食事の取り方は流れるようで、それはそれは
美しかったそうです
・真夜中、一人で刑場まで出かけ、晒されていた首を
持ち帰り、また元に戻す、という訓練を子供の頃から
やっていた。
・背筋を伸ばす
・礼儀、儀礼に厳格
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>彼らが威厳を出すために気をつけていたことを教えて下さい。
意識的に敢えて威厳をただすということはありませんでした。
江戸時代は身分男女長幼によって使う言葉が違っていました。
例えば、他家の主婦を呼ぶときにも喧しいルールがありました。
将軍家では「御台(みだい)様」、御三家・御三卿では「御簾中(ごれんじゅう)」、10万石以上の大名では「御前様」、それ以下の大名では「奥方」、旗本は「奥様」、御家人は「御新造様」、そして庶民は「おかみさん」です。
男性も、旗本は「殿様」、御家人は「旦那様」でした。
これをうっかり間違えれば無教養な輩として扱われてしまいます。
一人称や二人称も侍だけは違っていました。
それがし(某) 拙者 わらわ お主 きでん(貴殿) なにがし(何某)
侍言葉については、熊さん八っつあんからも揶揄されていました。
「世の中は,左様、しからば、ごもっとも、そうで ござるか、しかと存ぜぬ」
などという、狂歌もありました。
その他いろいろあります。
かたじけない 解せぬ されど 異なことを けしからん 笑止千万 etc
漢語由来の言葉が多かったことからTVの時代劇などでは偉そうに聞こえます。
意識しているわけでも威厳を保っているわけでもありません。
子供のころから侍言葉で育てられますから、自然と町人とは違ってきてしまいます。
武家の象徴である刀を常時さして歩かなくてはなりませんでした。
日本刀というのは約1.5kgあります。(野球のバットは約1kgです)
これを大小二本さすと常時腰に約3kg近いものをぶら下げて歩くことになります。
しかも長い上に、万が一鞘が触れれば、喧嘩になりました。
重くて長いものを常時身に着けて相手との距離を保つには、姿勢を正し、常に回りに気配りする必要があります。
だらしがない恰好では、疲れやすくなるだけではなく腰を痛めます。
ドタバタ、チャラチャラ歩く訳にはいきません。
走るといっても簡単に走れません。
結果として、胸をはって腰を左右に振らないように静かに歩くことになります。
能楽の舞台の動きをイメージしてください。
江戸時代までは、左右の手と足は同時に前後させて歩いていました。(腰は捻ることなく固定されます)
現在のように手の動きと足の動きが異なるのとは違います。
(トライしてみて下さい。慣れないと相当に歩きにくいかと思います。)
袴には背板が入っていて自然に背筋が伸びます。
意識しなくても粛々と歩いているように見えます。
女性も幅の広い帯で背筋を伸ばして腰を固定しています。
歩いているだけで、町人と見分けがつきます。
TVの時代劇の侍のように意識的にふんぞり返る必要はありません。
男の子は五歳を超えると刀をさすようになります。
子供のころからの姿勢ですから意識や心がけなど必要がありません。
太平の世の中威厳ばかりではありません。
飲み屋に刀を忘れて帰るような気楽な連中もいました。
武芸百般と言っても半年も道場に通えば免許がもらえました。
免許を出す方も貰う方も気楽です。
現代の車の免許のようなものです。
親子代々刀を抜く必要などどこにもありませんでした。
一方で儀礼や儀式などでの立居振舞は作法として徹底的に教育されました。
これでは、いざ出陣は無理です。
幕末新撰組を結成するときにも旗本御家人では役に立たず、多摩の郷士の連中に頼むことになりました。
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