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日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いといわれてます。
日中戦争の渡洋爆撃
開戦直後のフィリピン攻略
ラバウルからガダルカナル
本土から硫黄島への出撃・・・

しかし、アメリカ軍機もB29直掩で硫黄島からP51が本土へ飛行しています。

本当に日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いのでしょうか。

「日本軍のほうが後続距離が長いことを求められる作戦が多かった」のが実際ではないですか。
つまり、御承知のとおり、無理が多い作戦である。
アメリカ軍機は航続距離が長くても、あまり無理な作戦はしなかった。

私の知っている範囲でアメリカ軍機が航続距離で無理をしたのはP-38の山本五十六機撃墜か、
前述のP51の硫黄島から本土直掩か。

それもP-38は16機で、日本は零戦6に一式陸攻2機。
P51の本土直掩は日本軍機は1万メートルの高さはまともに飛べないので激しい空中戦にはならない。無理してません。

A 回答 (10件)

まあ、漫談です。



本当に長くなったのは、双発の九六陸攻からです。それ以前の陸海軍機は列強並の皇族能力です。

これはワシントン軍縮会議で建造中の戦艦の一部を廃棄し、それ以外は空母にするしかなくなった日米海軍のおかれた状況をまず鑑みなくてはなりません。

空母艦載機は当然攻撃力を戦艦の主砲より遠方におよぼすことができます。つまり、水平線のかなたから相手を一方的に攻撃できるわけですね。当然そのなかには相手の本国もふくまれます。日本のように太平洋に面した細長い列島だと、奥地というものがなくなり、いいように攻撃されかねません。満州国は日本の根拠地にするにはまだまだ発展途上の時代です(結局、根拠地にはできなかったのですが)。

水平線の向こうに隠れた敵空母・艦隊を攻撃するには、相手の艦載機より最低でもおなじ、できればそれ以上の航続距離が必要です。日本だけではなく、空母保有国共通の悩みでした。空母には空母が理想ですが、空母の建造にはカネがかかりますし、空母を戦力にするためにはさらに艦載機をそろえなくてはなりません。当然パイロットもです。ビンボウな日本には当面、無理な相談です。

その中で日本海軍は、空母に乗せることはいったんおいておいて、

陸上を作戦基地とし、エンジンが複数で、大型で、単発機より兵器搭載能力が大きく、複数の乗組員が搭乗して専門の航法担当乗員がいる、長距離作戦可能な航空機、

で、敵が攻撃目標(本土)に接近する前に先制攻撃したらいい、という考えに至ります。これなら空母は必要なく、航空機だけで大丈夫です。

で、上記の条件を満たす航空機を飛ばせるエンジンを持っていた三菱内燃機が、双発の九六陸上攻撃機を完成させ、海軍に採用されます。自社エンジンをベースに燃費を重視した設計で、長距離作戦行動が可能でした。

当時中国大陸で戦争をしていた日本は、本来の目的ではない陸上攻撃に九六陸攻を投入します。渡洋爆撃が有名ですが、これも陸上支援のための作戦でした。しかし、長距離作戦能力は有効だったため、だんだんと大陸への投入が加速します。とうとう国民党政府拠点の重慶に対する、戦略爆撃にまで投入されました。
ドイツ人がロンドン爆撃で四苦八苦するより、数年前の話です。

この過程で日本海軍機は、九六陸攻が大陸で発揮した長距離作戦能力に影響を受けたかたちで、設計要求に航続距離が大きいこと、という一文が盛り込まれるようになります。
単発戦闘機にも要求しました。十五試艦上戦闘機はその最たるもので、後にA6となります。零戦です。

陸軍機の航続距離ですが、中国大陸で戦争をしていたため、やはり双発機に、作戦可能時間が大きいこと、という形でメーカーに要求し、こちらは九七重爆撃機として形になります。
そして、日本の戦争方針が南方進出となった段階で、陸軍単発戦闘機にも、進出する爆撃機の護衛(海軍の零戦は、護衛能力は要求されていません)、長距離侵攻、を主眼とした要求をメーカーに提示し、形になったのがキ43、一式隼戦闘機です。
陸軍は軽戦闘機と重戦闘機の二本立て運用を考えていました。隼は軽い方です。二式が重い方で、乙戦闘機、つまり局地防空戦闘機のあつかいでしたが、大陸での航空機運用経験が無意識に反映されたのか、航続距離は1200キロ(落下タンク仕様で1600キロ)と一件短いように見え、実はメッサーシュミット109よりはるかに長いものでした。Bf109のそれは、650キロです。

同時期の米軍主力陸上戦闘機のP36が1600キロ、P-40が1700キロです。
日本の局地戦闘機といい勝負なのですから、日本の軍用機全般がいかに長距離を飛んだかということの証明でもありましょう。

大陸で戦争をしていたという経験が、結果的に日本陸海軍機の航続距離を長くした、と結論づけていいと思います。
P-38は、P-40で使っていたアリソン・エンジンを2個つけて、大型重武装そして高速ねらいの飛行機で、大きいからタンクを積むスペースが確保できた(ただし、胴体に爆弾つむかタンクつむかは選択式です)たので、長距離が飛べましたが、単発戦闘機とガチンコしたら欧州でも太平洋でもいま一つな結果でした。山本長官襲撃にあれだけの数をそろえたのが、いい例です。マクガイアというエース・パイロットはこの機体で四式に撃墜され戦死しています。

P-51は燃料タンクは機体にたくさん搭載していた飛行機ですが、この切り替え作業がけっこうメンドウで、事故を頻発し終戦まで解決していません。
本機はエンジンが当初アリソン、そのあとパッカードと試行錯誤して結果パッとせず採用はわずかだったところへ、たまたま機体をみたロールス・ロイスの関係者がマーリンつませたら化けた、という飛行機です。
たしかに優秀だし大型ドロップタンクを2個つければ長距離作戦が可能でしたが、そうなるのは零戦、隼があばれていた時期よりあとの話です。

日本の軍用機は開戦後の発達は欧米に一歩ゆずりましたが、体質的に長距離作戦ができる、という傾向は、終戦まで維持していたと考えます。

長文失敬。
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P38とかP51は陸軍機なんで何とも言えませんが、


こと海軍機に関して言えば、日本機の航続距離は長いです。
大戦初期の機体については他の回答者さんが挙げられてますが、
中後期についても、後継機の52型、天山、彗星もF6F、SB2C、TBFに比べて航続力は長く設計されています。

これは帝国海軍には昔からアウトレンジ構想というのがあって、
日本は資源に乏しい国なので、大型艦を沈められてしまうと再建が困難なため、
できるだけ敵の攻撃を受けずに倒すために、武器により長射程を求めたのです。

つまり、相手の射程外から一方的に攻撃する、と。
その最たるものが大和の46cm砲であり、他国に先駆けて採用した61cm大型酸素魚雷であり、
航続力の長大な艦載機なのです。

ドロップタンク(増漕)、インテグラルタンク(翼内タンク)を世界で最初に採用したのは日本です。
それだけ艦載機の航続力に力を注いでいたということです。
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sumiyoshigawaさん、こんばんわ。



本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いといわれてます。
これはたとえば、大戦前半期のゼロ戦とF4F 、九十九艦爆とドーントレス、九十七艦攻とデヴァステイター、B17と一式陸攻と比較した場合に米軍機よりも航続距離が長いといえるのです。B29は戦略爆撃機ですので、日本には比較するべき機体がありません。


「日本軍のほうが後続距離が長いことを求められる作戦が多かった」のが実際ではないですか。
つまり、御承知のとおり、無理が多い作戦である。

その通りです。対戦前半は特に攻勢の海上作戦が多かったので、航続距離が長くないと生還率が低かったのです。


アメリカ軍機もB29直掩で硫黄島からP51が本土へ飛行しています。
P51の本土直掩は日本軍機は1万メートルの高さはまともに飛べないので激しい空中戦にはならない。無理してません。

しかし、命中精度を上げた精密爆撃を考えると高度3000m位でないと成功しなかったようです。だから、夜間爆撃を行ったようです。東京大空襲のときにはかなり空中戦や高射砲による迎撃が行われたようです。
それから、これは機械全般に言えることですが、P51戦闘機は大戦後半期の機体であり、ゼロ戦に比べて設計が新しいことからいろいろな性能面で零戦やほかの大戦前半の日本の戦闘機と比べて凌駕しているのは当たり前だと思います。
また、大戦後半になってくると本土決戦などを考慮に入れた戦闘機が開発されたので、航続距離が長大な戦闘機の開発が行われることはありませんでした。
詳細は下記のURLを参照ください。

B17

http://ja.wikipedia.org/wiki/B-17_(%E8%88%AA%E7% …


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F% …
p51
http://ja.wikipedia.org/wiki/P51
F4F
http://ja.wikipedia.org/wiki/F4F_(%E8%88%AA%E7%A …
ドーントレス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC% …


デヴァステイター
http://ja.wikipedia.org/wiki/TBD_(%E8%88%AA%E7%A …
B29
http://ja.wikipedia.org/wiki/B29


97式艦攻
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83% …
99式艦爆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B9%9D% …
ゼロ戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F% …

東京大空襲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC% …
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馬鹿みたいに軽くしてるから。


戦闘機は男の子だが、零戦は女の子。零戦は普通の航空機に重い機銃付けただけで、戦闘機じゃない。
「日本軍機は航続距離が長いのでしょうか」の回答画像7
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零式艦上戦闘機二一型  3,350km  


F4F-4 1,240km
九九式艦上爆撃機一一型 1,472 km
SBD-5 1243.8km
九七式艦上攻撃機三号 1,021km 
TBDデヴァステイター 700km
一式陸上攻撃二二型 2,500km(爆撃)/6,060km(偵察)
B-17G 航続距離 5,800 km(最大)、3,219 km(爆弾2,722 kg 搭載時)  陸攻に対応する機体がアメリカにあまりありませんが強いて言えばB17でしょうか?

日本が航続距離が長いというのはざっくりいうとこのあたりの機体の比較です。
特に目につくのがゼロ戦の航続距離で、この航続距離があるがゆえに台湾から直接フィリピンを渡洋攻撃し、かわりに空母は真珠湾に使われています。
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NO4です。



追加

南九州の、真珠湾攻撃部隊の訓練は有名ですが、フィリピン攻撃の為、台湾、海南島で、零戦のテストが行われていました。
名前は忘れましたが、ベテランパイロット達が、ガソリン節約の為の最良巡航速度のテストが行われていました。
その結果、最良の巡航速度でのフィリピン攻撃の目処がついたので、翔鶴、瑞鶴の真珠湾攻撃が公式に認められました。
あまり知られていませんが、台湾でのテストが、真珠湾攻撃の大幅な戦果拡大に、一役買っています。
こうして、零戦は、カタログ値以上の航続距離を手に入れました。

また、開発当初の予定外の航続距離で、96陸攻、1式陸攻が、プリンス・オブ・ウエールズ、レパルスの撃沈を可能にしています。

こうして、機動部隊のポートダウイン、セイロン島攻撃を可能にしています。

戦争中盤~後半にかけて、日本はカタログ値で無理をして行き、アメリカ軍は余裕を持って、対峠して行きました。
結果が、海戦で勝てない、そして敗戦につながるのです。
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陸軍の飛行機は、そんなに航続距離は長くなかった。


標準的だったと言えるでしょう。
それは、陸軍機は対ソ戦の為に開発されました。
満洲の飛行場から飛行場へと、前線へ移動し、対地支援を主な目的として開発されました。
重爆は、各国と比べると、爆弾搭載量が少なく、軽爆より長い航続力を持っていて、ソ連飛行場制圧を任務としました。
だから、陸軍は空地分離を早々に実施しています。

一方海軍は、艦上機と陸上機に別れます。

艦上機の空母戦力は、当時の艦隊決戦戦略の元、後方からアメリカ艦隊に補助攻撃をかける目的に、開発されました。
だから、長い航続距離が求められました。
決戦は、一回きりで、後は残敵掃討戦と考えられたので、防弾を重視せず、後続距離を重視しました。
言わば、一回きりの特攻作戦です。

陸上機の96陸攻、1式陸攻は、南洋諸島の陸上基地より出撃して、1コ中隊の徹甲弾使用の密集体形爆撃により、アメリカ戦艦1隻と刺し違える為に、開発されました。
よって、艦上機と同様、防弾は考慮されず、超長い航続距離が求められました。
だから、1式ライターと呼ばれる程、防弾はありませんでした。

陸上機の内、局地戦闘機は本土防衛の為、高い上昇力、重武装が求められ、比較的防弾対策されていました。
局地戦闘機は、本土防衛、前進基地防衛の為、長い航続距離は必要とされませんでした。

実際の大東亜戦争は、戦前予想と違う展開を進み、航続距離の長い、零戦、1式陸攻が、遠方作戦に投入されました。
反対な言い方をすると、零戦、1式陸攻の航続距離で作戦が建てられました。

零戦のガダルカナル戦も有名ですが、開戦時の台湾からフィリピン攻撃は、零戦航続距離によって達成されました。
シミュレーションで、零戦の台湾からフィリピン攻撃の見込みついたから、真珠湾攻撃に、翔鶴、瑞鶴の随伴が認められました。

これで、質問者様への答えになっているでしょうか?!
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航続距離が長いのは、主に海軍機です。

陸軍機は概ね航続距離が短いです。
理由は、陸軍機は主に地上部隊の支援が目的ですからそれほど長い航続距離がそもそも必要なかったのと、「人道的な」陸軍機は防弾装置などをちゃんと備えていたのでその分航続距離と爆弾搭載量が犠牲になったのです。

日本軍機が高高度へ飛べなかったのは、液冷エンジンが作れなかったことに尽きます。高高度では空気が薄くて空冷だとオーバーヒートを起こしてしまいます。そのためには液冷エンジンの実用化が必要不可欠でした。
三式戦闘機飛燕の液冷エンジンは、ドイツのBf109のDB601エンジンのコピーなんですが、1936年に初飛行した飛行機のエンジンが1944年になっても作れませんでした。理由は、液冷エンジンは部品の精度がある誤差の範囲のクオリティじゃないといけないのですが、この「クオリティが安定した部品の生産」つうのが日本はついぞできませんでした。

>アメリカ軍機は航続距離が長くても、あまり無理な作戦はしなかった

冗談じゃあねえっすよ。日本のマニアの間じゃあまり知られていませんが、アメリカによるドイツ本土爆撃は、アメリカの軍事マニアの間で永遠にホットな議論になる議題です。
なんせB17だけの単独でドイツ本土奥深くに昼間爆撃行。待ち受けるドイツ空軍。バタバタ落とされるB17。一番ひどいときは帰還率が50%程度でした。つまり、10機行って5機しか還ってこない。1機には乗組員が10人いて、1機落ちるとほぼ確実に全滅。100人の乗組員が、その日の夜には50人。
これを落ちても落ちてもじゃんじゃん爆撃に行かせました。何とその犠牲者は約2万人。あの日本の特攻隊の犠牲者が2000人程度ですから、その10倍です。第二次大戦のありとあらゆる戦役の中で、唯一戦死者数が負傷者数を上回っている戦いでもありました。
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基本的に艦上戦闘機は足が長かった。

同じ海軍機でも局地戦闘機は足が短い。
P-51の足が長いのは、ドロップタンクによる物。


>P-38は16機で、日本は零戦6に一式陸攻2機

山本長官が零戦6機で良いと言ったから。暗号が解読されているとは思わなかったし。
事実、暗号解読していることがばれないように、偶然触接したように思わせる工作をしている。


>日本軍機は1万メートルの高さはまともに飛べないので激しい空中戦にはならない。

既に日本軍は制空権を失っていたので、そんな高空で戦闘した記録は少ない。
B-29も高空からの精密爆撃から低空での無差別爆撃に戦術を変えている。
またP-51(に限らず艦載機も)は低空での対地攻撃を多く行っている。


>アメリカ軍機が航続距離で無理をしたのは

ヨーロッパではB-17の護衛で結構無理をしていますよ。
ドイツまでエスコートできるのはP-47かP-51くらいしかなかった。
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>>日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いといわれてます。



有名なゼロ戦は、登場したとき、アメリカ軍が驚いたほど航続距離が長かったですよ。
日本海軍からのゼロ戦に対する要求仕様が厳しかったのですけど、それを堀越二郎の設計により実現したわけです。

>>本当に日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いのでしょうか。

まあ、防弾版などを初めとして、パイロットの人命軽視ともいえるほど軽量に作っていたから、一般的に、航続距離は長かったといえるでしょうね。

>>「日本軍のほうが後続距離が長いことを求められる作戦が多かった」のが実際ではないですか。

「航続距離が長い」という利点を生かそうとした作戦をやりがちだったのは事実です。ただし、おっしゃるように、その作戦には無理がありましたね。

>>しかし、アメリカ軍機もB29直掩で硫黄島からP51が本土へ飛行しています。

米国は、アメリカ大陸を横断できる航続距離の航空機を持っていました。当然、日本側もそれは知っていました。
その距離は、サイパンから東京までの距離です。
つまり、サイパン陥落は、東京空襲を米国が可能になったことを意味していました。

そのことを知る東條内閣は、サイパン陥落後、責任をとって総辞職しました。
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