【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

前の投稿は、意図した事が伝わらない文章だったので書き直しました。



日本では、哲学とは学問のカテゴリーに過ぎず、科学や医学とは別の扱いをします。
そのため、このカテゴリーでも「哲学は役に立たない」と言う認識のコメントが多々見られます。


アメリカではすべての学問においての博士号は、Doctor of Philosophyです。
しかし、wikiではこのPhilosophyとは哲学を示しているのではなく、広く学術一般を意味していると書いています。


私はこの考えこそが「哲学を分かっていない」と思います。そもそも、哲学とは「広く学術一般を意味する学問」なのです。アリストテレスやソクラテスの名言だけが、哲学ではないのです。


リベラル・アーツがその例で、例えば、医師博士の事は、 「Ph.D in Medical Science」と言います。Ph.Dとは、Doctor of Philosophyの略です。つまり、「哲学の中の医学分野の専門家」。と言う意味です。


つまり哲学とは、あらゆる学問の根源なのです。
と言う、この考えは、哲学の観点から見て、間違っていますか?

A 回答 (7件)

つまり哲学とは、あらゆる学問の根源なのです。


と言う、この考えは、哲学の観点から見て、間違っていますか?

〇ギリシャ語のヒロソフィアの意味は「知を愛する。」ことですから、それを語源とする「philosophy]
はどのように表現されようが「知を愛する。」という意味なんですね。どのような分野であれ探求することに「知を愛する。」ことが動機であれば、日本語の「哲学」の範疇になるわけです。
要は、どのような学問であれ少なくとも最初は「知を愛する。」ことから始まっていると観れば全ては哲学の範疇になるわけですね。「ph.D」は「知を愛する博士」という意味ですね。日本語の哲学がむしろ意味不明にしているのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:08

哲学と言うと「難しくてよく分らない」と言う返事をよく聞きますが



哲学と言う学問が 大学では大哲学者の思想の研究になってしまっているのは残念です

故人の跡を求めず 個人の求めたる所を求めよと言います

日本で言う哲学ばかりでなく あらゆる学問を動員して真理・真実を求める事が本当のフィロソフィーだと思います。

もっとも柔軟であるべき哲学が 権威でガチガチになってる感じがします。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:09

(考え方にもよりますが)正しいのではないでしょうか。



様は「未知」の物を理解しようという試みが哲学であるという事でしょう。

嘗ての医療の「内科」や錬金術の「化学」等も哲学に含まれていました。


・・ただ、西洋哲学の思考法では、どんなに考察しても、スタート地点の座標や地質や形状を分析するだけで一生を終えそうですが・・・。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:08

>つまり哲学とは、あらゆる学問の根源なのです。



あっていると思います。


>このカテゴリーでも「哲学は役に立たない」と言う認識のコメントが多々見られます。

哲学だけでなく、学んだもののほとんどが
実社会では、特に役立つものではない。
と、私も以前は考えていました。

今は、訂正しました。
役に立つ・立たないじゃなく、自身で「役に立てる」ということを
そういう目線を持つことを知らないというか、全く見えていませんでした。

見え方が違うだけで、全く世界が変わることを学べて良かったと思います。
アプローチも変わるので、未来も変わるんですけどね。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:08

ちょっと下の、「哲学ってなに?」の回答で書いたのですが、哲学って「考えて答えを探す」って事なんじゃないかなぁ?と思ってます。



なので、ものの考え方、考えることそのものが哲学なんで、哲学が源流になると思っても間違いではないと思います。


日本では他の名前が付いたものは別のモノ(これも一つの哲学)。と区分けをしてるので、いろいろな分野に別れて名前が付いた分の残りが哲学って事にしてるんじゃないかな?
そして小難しい事が遠ざけてる。
というか小難しいのだけが哲学だと思い込んでる。
それも一つの考え方。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:08

>この考えは、哲学の観点から見て、間違っていますか?



この考えは、哲学の観点から見て、間違っていません。

この考えは、物理学の観点から見て、どうでも良いことです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:07

かつて人の知識が身の回りの日常に限られ、世界観を確立


するのに全知全能の神のように強引な第一原因を導入する
しかなかった頃は、宗教が世界観の源泉として、哲学や
科学を兼ねていた。
それは、僧侶のメンデルが遺伝を発見し、修道士のブルーノ
が天動説を唱えるなどの事実に表れている。
しかし、中世に実験器具や観察機器が発達し、宗教家が片手
間にできる事ではなくなって科学が宗教から独立し、また
そこから得られた新たな世界像に基づいて、哲学も宗教から
距離をおき始めた事実は、先述の修道士・ブルーノが火あぶり
の刑に処せられた事に象徴的である。

とはいえ、この世界を構成する情報に、哲学だの科学だのと
区切りがあるわけではない。
世界は一体のものであり、それを扱う我々の側の能力の限界
によって、対象や手段を分断した、物理学だの生物学だのと
いった「分」科学となったのだ。
つまり科学は、物理、化学、生物学、地学、天文学といった
形でそれぞれの対象に限定された認識の深まりの志向で
あるのに対し、そうした個別の分科学が独立した後に残った、
全体的な世界観や価値観といったものを扱うのが哲学だと
言える。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2014/07/26 12:07

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