昨日テレビで中島義道さんという近代の哲学者を知りました。
彼の思想は常識に反することだそうです。そこにいたタレントも一言で言い表わしていましたがそれは 「考えない弱者をもっとも嫌う」ということです。
挙げられていた彼の具体的な考えに「彼女いなくて寂しいでしょ?」というような「余計なひと言」がありました。
聞かれた本人が「寂しくない」と本心を言っても「無理すんなよ」と言うその決めつけのようなことに中島さんは疑義を抱いているわけです。
また、世の中のあまりにも強調されたポジティブ思考についての反義というようなものも挙げられていました。
私の場合ですが
「犯罪を犯す者は皆一様に悪人」
「腹を痛めた子供が可愛くないはずがない」
「私だってこんなこと好きでやっているわけじゃない」
というような世間の定型思考(それは私が大嫌いな欺瞞も含まれていますが)については辟易しています。
世間が当たり前のようにしかし、自分では正しいと思いながら実は偽善的や欺瞞的に使っていることに疑問を抱いている方の、日常でそれを感じる疑問な言葉があれば教えてください。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
No.7です。
お礼ありがとうございます。
>投影した相手に自分が見たくないものを見てるわけですが、当然関係性は悪化します。そして次の対象を見つけていくわけですが、自分に向き合わない限り同じことが続き、自分で自分を不幸にしているわけですがすべては相手のせいとなる。このような個人も社会心理と同じ「考えない弱者」です。
おっしゃる通りです。
自己投影したものに、本人は気がつかないのですよね。
自分に問わないので、気づけないのだろうと思います。
たとえば嫌いという感情は、その人の外には無く
その人の中にしかありませんよね。
嫌いという感情は、心理学的には自分の甘えを気がつかせてくれる元ですが
自分に問わない人は、甘えを存分に振りまくことも気がつかない。
それもまた不幸の源ですので、それを振りまく行為が
世間が正当化している偽善的な考えとして広まりを見せるのでしょうね。
考えると自分に問うがセットになっている哲学は
哲学として機能しますが、自分に問うことが無く
人に問うだけになると哲学として成り立たない。
自分に問わないで人に問うばかりだと人は必ず孤独になっていきます。
自己投影に気がつかないからです。
哲学者でも哲学を好きな人でも、孤立して孤独になりたい人は
自分に問わないのを貫き通してもいいのですが
孤立して孤独になることが目的でなければ、機能していない哲学は不幸です。
目的をもたず哲学する時ほど、自分に問わなければ自己を見失いやすく
結果、哲学者というエキスパートであろうとただ考えるという行為をすることで
孤立・孤独・不幸に絡め取られていってしまいます。
その時、自分が正当化している偽善的な考えに陥らないことが
私自身は、一番大切なことかなと思う次第です。
私は幸せになりたいし、幸せな人を見ているのが好きだからですね。
幸せになるために哲学をするのが好きです。
他の人が、どの道を選ぼうと邪魔はしませんが
不幸になるのや、苦虫を噛み潰したまま生きるのは残念に思います。
あなたが言う所の「考えない弱者」を目にする時ですね。
自分に問うて、世の中から「考えない弱者」が減ることを切に願うばかりです。
>たとえば嫌いという感情は、その人の外には無く
その人の中にしかありませんよね。
表現が素晴らしいです。同感です。
もちろん攻撃をされたり、コンプレックスやトラウマを刺激されたりする直接的な原因もありますが、自分が認めたくない部分を他人に通してみる。相手にみる嫌いなところが自分のシャドーである。それは「間接的」な理由として分けています。
>自分に問うことが無く人に問うだけになると哲学として成り立たない。
ご回答者様のこの表現によって、自分への厳しさの中から哲学というのは生まれてくると思いました。ひとつ学ばせていただきました。
>人に問うばかりだと人は必ず孤独になっていきます。
本当にそうです。私の知っているところで実際にいます。いつも周りに人はいても「心の中は孤独」と打ち明けられました。彼らに共通するのは、自分の欠点を自覚しているが直面できないということです。直面できないから直すこともできません。そして同じことを繰り返しています。
私にとっての真の幸福は、本当の自分に正直であることです。難しいと思いますが、日常の中でふとしたことで発見できています。孤独の時間が長いせいかもしれません。
No.11
- 回答日時:
回答を汲んでいただき嬉しく思いました。
多少論旨を外れますが、少し雑感を述べることによって、私の見方や立場などが伝われば良いと思います。私は所謂、平凡なマイノリティであり、マイノリティの定型です。このような話の仕方をすること自体がマイノリティでしょうか。
ただ、この私は、夜、丘の上から市街地を見下ろし、色とりどりの、無数に灯の浮かぶのを見て、(語弊はあるでしょうが、『私と同じように』)固有の人生を歩んでいる人たちがこんなにもいるのだ、そして、この街の灯は世界中の暗闇に広がっている。とすれば幾らの人がこの世に存在するのか計り知れない。しかも、他の星や銀河にも、同じような人類の営みがあるとすれば、世界はなんて広大なのだろう、、世界を思索することなんて、自分の手にはとても負えない。私は、自分自身を生きることで精一杯なのだ、と。
このような感傷に耽って、その丘を後にしたのです。
それ以来、世の中のあらゆる情報が、大海のようであると同時に表層的であり、固有と思われたものは無数であると思われるようになったのです。
私は、孤独を題材にし、自己に向かい合おうとする人に、貴方は孤独ではないが【ひとり】なのです、と、言いたい。
これが、私の第三者的な立場による雑感です。欺瞞や偽善は、個人に濃縮されると同時に、大海の表層を広がるように、世間に拡散しているけれど、おっしゃるように、自身と向かい合うならば、その欺瞞や偽善も解けることと思います。
ご回答者様は個をみる必要があるということをおっしゃりたかったのですね。私は大衆心理についてでした。
本来ならそのように「個」が優先されるべきですよね。しかしどうしても「衆」になるとある心理的な現象がおきる。それが「個」を隠蔽するのです。しかしその大衆心理は自分の表現のひとつであるようで「本心」ではないかもしれません。
それが別の「個」に影響を及ぼす。だから大衆から離れて個が自己を見据える必要があると思うのです。
本当の自分というのはそういうときに見つかるとも思うのです。「自分探し」というのはかつて内在していたが、何かによって失われたものを探すということでもあるかもしれません。大衆によって植えつけられたものがあるか、それが何であるかを見つけないと本当の自分には至らない。だから「孤独」は本来の「個」にとって必要不可欠なものだと考えています。
No.10
- 回答日時:
frau様、こんばんは。
>「そこにいたタレントも一言で言い表わしていましたがそれは 「考えない弱者をもっとも嫌う」ということです。」
以下、支離滅裂のようにも感じるのですが、
>「挙げられていた彼の具体的な考えに「彼女いなくて寂しいでしょ?」というような「余計なひと言」がありました。
聞かれた本人が「寂しくない」と本心を言っても「無理すんなよ」と言うその決めつけのようなことに中島さんは疑義を抱いているわけです。」
以下、「考えない弱者」というのは、何処に出現するのか
>「世間が当たり前のようにしかし、自分では正しいと思いながら実は偽善的や欺瞞的に使っていることに疑問を抱いている方の、日常でそれを感じる疑問な言葉があれば教えてください。」
・・・それを拝見したような気がします。
「考えない弱者をもっとも嫌う」
>「彼の思想は常識に反することだそうです。」
それで、ですか。
なるほど、困りましたね。
No.9
- 回答日時:
NO.08です。
ポジティブは未開の宇宙に挑戦していくという突飛な衝動からの、現状否定と破壊的な挑戦な気がします。
創造的破壊 一時期もてはやされました。
古いものが対象物とあって、やる気で改革するというのですが、これって結局古い否定物があって、抵抗者の逆風を乗り越え、未知の世界に行くのがやる気があるわけです。
高齢者の心理の鎧かぶったような感じ(用語は装甲車だったか)かもしれないですね。
成熟社会、あるいは爛熟はわかりますが、あまり健全ではないように思えます。
本当のポジティブはもっと衝動を制御して克服して、否定的でなく前向きなものかと。
>本当のポジティブはもっと衝動を制御して克服して、否定的でなく前向きなものかと。
衝動というのは過去に満たされなかったこと、その抑圧が放出されたエネルギーだと思います。衝動によって子供のようにふるまえますが、自傷行為にもなる危険があるものです。(衝動自体が子供がもつような純粋なエネルギーですから)
ですから
>未開の宇宙に挑戦していく
ような、エネルギーのようなものかもしれません。
それが
>破壊的な挑戦
になってしまうというのはすでに述べた理由からです。ですから衝動は必ずしもポジティブな結果をうむものではない(ネガティブな衝動というものもある)と考えました。
現状に問題があれば、今の自分を作ってきた過去の自分を俯瞰し整理すべきです。誰でも痛みをともなうときそれが否定される。自分と向き合わないことによって自他を不幸にしている人間は(私の経験や知人からも)少なくありません。
ところで
>健全
ということばで思い出しましたが、私が嫌いなもののひとつに「健全な精神は健全な肉体に宿る」です。(心の病は健全な身体も自傷させるから)
他には
「子供は皆天使」(子供の残酷さは大人になった大人は知らない)。
人の子供に向かって「今がいちばん可愛い時期でしょう?」。
客に媚びつつ内心見下しているように聞こえる「お客様は神様です」。
「同情」を「共感」と勘違いして傷つける三流カウンセラーなど。
No.8
- 回答日時:
>挙げられていた彼の具体的な考えに「彼女いなくて寂しいでしょ?」というような「余計なひと言」がありました。
聞かれた本人が「寂しくない」と本心を言っても「無理すんなよ」と言うその決めつけのようなことに中島さんは疑義を抱いているわけです。
哲学者ならではの現在の欲望肯定論(陽明学、エピクロス的?的であって違いますが)
これに懐疑いだくのは正しいと思います。みんなよく深い醜い獣ばっかりを世間は前提としていることです。
人は欲望が無限だ これって変な仮定だと思います。
これが本当に前提だと社会が崩壊して、何が正常かわからなくなります。
日本人の長い時間をかけて質を作るのを忘れて、賢く短時間でなんでもしようというところに世の中は浅くなっているのでは。
先日、テレビ番組でタレントが簡単な英単語を正解して非常に喜んでました。
その場は情報を得て賢くしても基礎学力をじっくりつくらないため、促成栽培の人しかいないような気がします。
最近、お金にならなくても深い議論のできる友人って何人いますか?
一時期の合理化の成功例があって、現在はうなくいかない単純化に変換しているということなんだと思います。
転換しているなら再び、質をとりもどすことかと思いますが、過去の成功した部分を忘れられず、浅い人が多くてというのが現実ではないでしょうか?
科学を信仰すれば、何でも法則で正しい間違っているが気になる気持ちもわかります。
単純に正論を語るのではなく、もう一度柔らかさがほしいのが今の日本かと。
あと、
>あまりにも強調されたポジティブ思考についての反義
どちらかいえば、(意志など)弱いような気がします。確かに挑戦してポジティブですが、欲望に負けている感じで健全とはいえません。
ご回答ありがとうございます。
なるほど。中島さんのような考え方を「欲望肯定論」というのですね。ひとつ学びました。
>人は欲望が無限だ
こんなこと言っている人がいるのですか。
「私は欲望が無限だ」なのに、よくもこんな過剰な一般化を。あ、哲学って過剰な一般化かもしれません(笑)「断定する」ことですから。
でもね、「私は欲望が無限だ」と言う方が自分に正直で可愛げがある。「人は」などと言うとき、誰もが「私は違う」と思いたがります。
>最近、お金にならなくても深い議論のできる友人って何人いますか?
いませんね。子どの時分からそうでしたが、「人生とは」「愛とは」「幸せ不幸とは」などと語ろうとするといやがられましたから。お前も「人」の一部なんだから否が応でも哲学を体現し、考えざるを得ない。それから目をそらして享楽的に生きたいのかと(心の中で)批判していましたマセた私でした(笑)
大人になった今でも変わりません。ほんの少しだけでも市政の話をすると嫌がる奴もいます。自分もこの町で(しかも私よりも数十年長く住んでいるのに)恩恵ばかり甘受し、不平に対しても文句言うだけで何のアクションもとらなかったではないかと腹が経ちました。そこで必ずといってよいほど登場するのが「人には人の考えがあって押しつけるものではない」というセリフ。
「考えず、行動せず、不平不満ばかり」の彼らを擁護するときの第三者が「意見」としてふりかざす一見合理的な「セリフ」です。
>過去の成功した部分を忘れられず、浅い人が多くてというのが現実
燃え尽き症候群がそれに際して無気力になってしまうことですね。
過去の成功にしがみついたままではそれ以上の自分になれません。中島さんは「前向き」よりも「後ろ向き」に生きろという考え方だそうですが、私にとっての「後ろ向き」というのは、過去あっての今の自分ですから、過去をすべて捨てるというのは今の自分を否定することになり、それは将来への自分をも捨てるということだと思うのです。
「あまりにも強調されたポジティブ思考」というのは逆にいえば過去のリセット願望なのですね。あまりにも酷い過去なら当然のことですが、私が懐疑する世の中にあふれている自己啓発的なことがきれいごとになるきらいがあるということ、に通じると思っています。
No.7
- 回答日時:
哲学は、基本自分で持つ物であって持たされる物では無い。
人は生まれた時、その環境について何も知らないので
最初はそこで生きるために持たされますけどね。
自身が持たされた物を自身に問う。
それで必要な物を精査できる。
社会の変化で不要になった物も整理できる。
自分に問う物を人に問い始めると
「世間が正当化している偽善的な考え」を
自らが実践してしまう。
つまりは、自分が正当化した偽善的な考えを
自分が世間の人として発信してしまうと言う同じ伝を踏む。
これをやると人は限りなく不幸になっていく。
自分の考えは、自分で持つだけで満足しないで
押し付け合いになるからです。
自分と同じでなければいけない。
その多様性を否定する行動は、必ず不幸を引き起こす。
その行動に至る前に、自身に問うことが哲学の醍醐味だと思います。
>日常でそれを感じる疑問な言葉があれば教えてください。
思い出して覚えているのは「くせに」です。
男のくせに・女のくせに、子供のくせに・大人のくせに。
この価値観の絶対的な押し付けは、かなり辟易してました。
無学な時は、一つ一つに対して「これは止めておこう」ぐらいでしたが
ちょっとだけ利口になった今は、紋切型は気をつけようと思っています。
できるかできないか、完璧にやれているかではなく
気をつけることで、嫌なことをやってしまう自分を減らして行く。
意識して繰り返すことで、嫌なことを選択しない自分に
なっていくことが大切だと、私は思っています。
ご回答ありがとうございます。
>その環境について何も知らないので
与えられる教育や環境というのは人を半ば決めてしまうものです。
>最初はそこで生きるために持たされます
持たされたものが、自分や人や世界を幸福にしていないとき、人は生きることに違和感を感じますが、疑問を抱いていても疑問に蓋をして生きている人もいます。そういう人はえてして「人の考えは勝手」という言い方をしますが、そういう人は自分の問題から逃げている人が多い。そして表面的には「いい人」と呼ばれることが多い。しかし裏では自分の弱さを人に投影し、傷つけているわけです(これは「いい人」を形成する不可欠な条件や特徴といえます)。
そのように、私の経験や観察から思うに至ったわけで、誰かの「あの人いい人」という社交辞令も大嫌い。本当にいい人もいるでしょうが、安直に「いい人」というだけの人も、自分にとって「都合がいい人」だからでしょう。真に付き合えば「悪い人」になりうるかもしれないのに。
それよりも、自分に正直に生きて、既成の価値観に染まったまま死ぬ人よりも、考え抵抗し、相克する人生の方が人間らしいし、私はそういう人の方が好きです。
投影した相手に自分が見たくないものを見てるわけですが、当然関係性は悪化します。そして次の対象を見つけていくわけですが、自分に向き合わない限り同じことが続き、自分で自分を不幸にしているわけですがすべては相手のせいとなる。このような個人も社会心理と同じ「考えない弱者」です。
だからこそ
>精査
というのがもっとも必要で、それは個人事由に限らず、個人の周りで起きていることについての想いや考えを精査していくその「意識」こそが、社会性のもつ人間という生き物にとって可能ならば、考えることをなぜもっと駆使しないのか、と思えるような人が多すぎます。
とくに日本人の依存的で付和雷同しやすい気質です。一部の政治家にとって、考えない弱者がいるほど好都合です。
また、経済成長ばかりが人や国が最優先されるべきことなどと考える唯物主義者ばかりあふれているようではもうこの国はだめですね。
No.6
- 回答日時:
☆挙げられていた彼の具体的な考えに「彼女いなくて寂しいでしょ?」というような「余計なひと言」がありました。
◇これこそ、「余計なひと言」。
当事者じゃないのに、どうして「余計なひと言」と判断できるのよ。
もしその何とかさんがそのような質問を受けて、
「これは余計なひと言」と思ったら、
そう言うなり、質問に答えなければいいだけの話。
「質問をされたら、答えなければならない」というのも定型的な思考なんじゃないの?
それが余計かどうかは、外野が判断することじゃない。
男から見れば、
女性同士の井戸端会議や長話は無駄に思えるけれど、
女性間の井戸端会議や長話にだって、それなりの意味と役割がある。
女性にとって井戸端会議や長話は有意義な行為です。
男には理解できないけれど。
───推測は可能ですが───
それに
「世間が当たり前のようにしかし、自分では正しいと思いながら実は偽善的や欺瞞的に使っている」
とありますが、
この「偽善的、欺瞞的」の判断の根拠は何なのですか?
自分が正しいと思い、正しいと思うことを発言したり、また、そのように行動することを、偽善的、欺瞞的とは言いませんよ。
ご回答ありがとうございます。
ご回答は論点のすり替えをしておられますね。
ある言葉に対しての反意(屁理屈)となるのを答えてという質問ではありません。
>当事者じゃないのに、どうして「余計なひと言」と判断できるのよ。
質問は単なる事例です。ご回答者様は何でも「当事者」とならなければ話題にはできないとお考えのようですが、これまで人の意見について「余計なひと言」だなあと思ったことはないのでしょうか。例えばその井戸端会議についての男性からの意見についても。
>「偽善的、欺瞞的」の判断の根拠は何なのですか?
それを回答していただきたかったのですが。それら抽象的概念についてを各々がどのようなこととして捉えているか、具体的な事例を知りたいというのが質問の主旨ですが伝わっていなくて残念です。
>自分が正しいと思い、正しいと思うことを発言したり、
それは一般的に「意思」と呼ばれるものです。その意思が果たして「正しい」のか哲学的に問う場合、「欺瞞」や「偽善」という抽象概念が使われる(もしくは改めて概念について考えるのが哲学)と考えます。言いかえればあなたが疑問に思っている正論とは何かということで、ここでは意思を否定しているのではありません(屁理屈を返すだけの質問や回答をしてまでの無用な時間など使いたくない)。
No.5
- 回答日時:
中島義道さんね。
彼の本は随分と読みました。
日本には哲学を勉強している者は多いが
哲学者は少ない、てのを彷彿しました。
そういう意味で、彼は哲学者だと思います。
欧米キリスト教文化圏では、キリスト教は
秩序の要になっています。
しかし、そんな神様がいない日本では、
世間が神様の役割を果たしているのです。
中島氏は、そんな世間が騒音だ、という
ことで、キリスト教を批判したニーチェに
通じるモノがあります。
”世間が当たり前のようにしかし、自分では正しいと思いながら
実は偽善的や欺瞞的に使っていることに疑問を抱いている方の、
日常でそれを感じる疑問な言葉があれば教えてください。”
↑
1,まず、生命至上主義が気にくわないですね。
なによりも命が大切だ、てのが嫌いです。
命が大切なら、命の為ならどんな卑劣なことでも
許され、当然とされることになります。
2,弱者、という言葉も嫌いです。
弱者、弱者といいながら、弱者を利用して金儲け
しているように感じます。
3,恋愛至上主義もです。
恋愛結婚が当たり前になったのは、つい最近のこと
です。
見合いの方が離婚率は少ないです。
4,人権、という言葉もイヤです。
生活保護は権利だから、もらうのは当然だ。
そこには感謝の気持ちはありません。
なぜもらえない、少ないぞ、もっとよこせ、という
欲望があるだけです。
ご回答ありがとうございます。
中島さんの読者からの回答嬉しいです。
>日本では、世間が神様の役割を果たしている
なるほど。もしかして和を尊ぶ(あっ、これも嫌いなやつですわwあと「空気読め」とかいうやつも)精神のなれの果てでしょうか。
世間ではことごとく自殺の否定を否定していますね。しかし本人の「死にたいほどの苦しみ」「死にたいは生きたい」を第三者は知らない。心底共感できるなら「死ぬな」などとは言えないはずです。私がもっとも嫌う性善説です。(日本は自殺を否定するキリスト教圏ではないのになぜここまで声高に言えるのか)。
中島氏は「それでも生きろ」と主張しているそうですが、その考えに至る過程について詳しく知りたいところです。
弱者についても同感です。
既に弱者と自らにレッテル貼りをしている人はさらに落ち込みますよ。人間という存在の多様性を前に、何を基準にして「弱者」となるのか(怒)本当な格差社会などないかもしれませんし、本当に言葉ってやつは人を支えもしますが翻弄もしますねー。
>見合いの方が離婚率は少ないです。
そうなんですか!?
勢いや衝動的な結婚は見合いのようなものですがwでも恋愛依存症の本を読んでいたとき「世間は小説からドラマや映画、歌に至るまで恋愛至上主義という砂糖菓子のようなもので人々を洗脳している」だから「恋愛依存がこれほどまでに生じる」と書いてあるのを読んだときは、この概念の発見者に感銘を受けましたね。
同様、結婚しない人は哀れ的な雰囲気がいや。結婚だって人が決めた制度で強制されたものではないただの「慣習」です。
人権については、相互扶助精神の基本ですから私は否定しません。
もちろんそれに甘えているだけの人なら許せませんが、世間では本当に保護を求めている人はたくさんいます。生活保護詐欺のような一部のけしからん奴のために生活保護を受けるべき権利がある人たちに対し、過剰に一般化してしまう考えを改めないような人たちこそ、恩恵を受ける権利はないと思います。
No.4
- 回答日時:
「お金に価値がある」という考え。
お金の真の価値は、その向うで働いてくれる多くの人
の存在にある。
お金は分業化における需給をつなぐ情報=良い物を
作ってもらった事への感謝の気持ちであり、今のように
お金を受け取った方が感謝するのは錯誤の産物である。
社会とは、お金を奪い合って戦う場ではなく、社会生命
としての自覚(愛)において助け合う場なのだ。
ご回答ありがとうございます。
一部の富を優先する者のために格差が広がることにより、ちかぢか人類は滅びるそうですね。科学的に分析した結果、かつての文明はそのような理由から衰退を繰り返してきたそうです。
>お金は分業化における需給をつなぐ情報
なるほど。拝金主義には情報でしかありえないという謙虚さが必要ですね。
>社会生命としての自覚(愛)において助け合う場
となれば最終的には自らをも助けるわけです(すると人類は滅亡から回避できるはずです)。
正負の法則では「分配」してバランスをとらないと負が返ってくるそうですし。
「分業化」といえば…日本の職人や専門職は「職」として分化されたものでありますが、仕事に誇りをもてばお金にも価値を見いだせるのでしょうが、それ以上に尊い価値を有していることを発見できるのならば今後は「仕事」としての分業化ではなく、「職種」としての分業化が増えるべきです、江戸時代のように。
No.3
- 回答日時:
社会構造自体、そうなっているので仕方が無いと思います。
これを変えようとして、例え国の代表になったとしても簡単には変えられないでしょう。
海外の国ではどうなっているのか分かりませんが・・・。
質問者さんは、世間の定型思考について辟易なさっているそうですが、その辟易とした気持ちを解消するためには
そういった世間の定型思考という大きな敵をなんとかしなければなりません。
そういった定型思考というのは人間が生活するうえで「こういうことだろう」と予測することから起きる問題だと思います。
それは過去の経験や自分の希望的観測から考えられるものです。これらの問題を対処するためには「分からないことがあれば聞く」ということ、徹底しなければなりません。あるいは、分からないことについては何も意見しないという対応が必要です。
中島義道さんの考えがあるならば、そうは思わない人の考えもあります。
どちらか一方が考えていることというのは、結局一方的な考えの押し付けになってしまうのです。
なので、私は日常的に偽善的や欺瞞的な言葉を使っています。
それは好んで、もしくは意図的に使っているのではなく、その場ではその発言が最適だと私が判断したから、発言しているのです。
そうしたほうが、世の中スムーズに回りますからね、特に自分にとって。
ご回答ありがとうございます。
>なので、私は日常的に偽善的や欺瞞的な言葉を使っています。
なるほど。逆説的に、ですか。
>一方が考えていることというのは、結局一方的な考えの押し付けになってしまうのです。
考えが違うことがそのまま押しつけとなるのは実際の態度であり、考えそのものは押しつけにはなりません。
質問の主旨が伝わるようなことがたまたま見つかりました。リンク先から抜粋します。
「最近、よく耳にする言葉で少しひっかかるものがある。
いろんな凶悪事件や、事故などが起きた時、その責任者や代表者が必ずといってよいほど口にする言葉、「あってはならない事」だ。
小さな子供が理不尽な暴力でひどい目にあったり、大きな事件になった場合、責任者や有識者が会見やインタピューで言うシーンをよくテレビなどで見る。
それは確かに「あってはならない事」であり、言っている事が間違っているわけではない。
しかし、私はこの言葉をすんなりと聞く気になれない。
理不尽な事件が起きたとき、それを「あってはならない事」とは誰もが思うことではあるが、まるで判で押したごとく、口にするのが不愉快に感ずる。
原因の一つは、この言葉には責任の所在を明確にしない効果があるからだ。
現実に起きたこと、あるいは起きることが十分予想されたにもかかわらず、「あってはならない事」という事で責任の所在が不明確になる…」
http://www.nom.ne.jp/genkuken/attewanaranaikoto. …
この方は責任の所在を述べていますが「あってはならない事」は特殊なことではなく、誰もが遭遇することです。
さらに
>仕方が無い
という考えがマジョリティになってしまえば、「あってはならない事」はマイノリティ扱いにされるままではないかと考えました。
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