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郷土史のの勉強を始めました。
そこで、『秀真伝』という文献が出てきたのですが、偽書の可能性が指摘されています。
このような場合、歴史学の分野では、資料としてどのように扱うのでしょう?
全く無視であるとか、参考資料とするであるとか。

もともと文学が専門なので、歴史学はど素人です。
申し訳ないのですが、易しく教えてください。

A 回答 (5件)

No.3です


わざわざお礼を記入いただき有難うございます。

他の回答者さんへの回答や補足を読ませて頂いたことから、お気持ちとズレが生じているのではないのかと勝手に推測させて頂きました。
おそらくご自身がお使いになられておられるキーワードが、世間で使われている慣用的な用法とズレてしまった結果、なかなかお気持ちに適合したテーマといいますか焦点が定まらないのではないのかと思います。

古代都市というキーワードは、世間では、お考えになれておられるような使い方はされておりません。
古代地方都市という概念に該当する地方都市は、日本では博多(福岡)がある程度で一般的には無いとお考えください。
現在お住いの地域の「都市の古代」というのであれば、沢山資料があります。

古代という言葉も、日本について議論する場合は、
一般的には、王朝時代。即ち飛鳥時代から平安時代までの時代を総括的に表現する場合に使われています。
あるいは、聖徳太子の政権掌握(593年)から、1160年代の平氏政権の成立あるいは1185年の鎌倉幕府の成立まで。と考える場合もあります。
律令制国家として、奈良時代と平安時代を指す場合もあります。
一方で世界史レベルでは古代文明などと称して、はるかに古い時代のことについても使われています。
逆に世界史レベルでのイメージに相当する古代文明は日本には存在していません。

一方で都市という言葉は、村落に対する言葉として使われています。
村落につきましても、惣村(そうそん)という言葉が村落以前の姿に対して使われています。
いずれも中世と呼ばれる鎌倉時代から室町時代に出来上がった集落の形にたいする言葉として使われています。
都市という言葉は村落に対して用いられている言葉ですので、鎌倉時代以降のこととなってしまいます。
つまり日本では古代地方都市という概念は成立しないこととなってしまいます。
結果としましては、図書館やネットで検索された場合にはヒットしないという現象がおきてしまいます。

この人が集まって住む姿は集落と一般に呼ばれています。
吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡などは集落の遺跡という言い方をします。

世界史レベルで使われている古代文明という言葉のイメージの延長から『秀真伝』なる代物にぶつかってしまったのではないのでしょうか。

以上のように「古代」と」いう言葉は極めて曖昧といいますか、その時その場で適当に使われている言葉ですので注意して下さい。

お住いの都市の古代を郷土史の延長としてお調べになられる場合は、歴史学ではなく考古学の分野が大半を占めていますので注意して下さい。
歴史学はあくまでも文献資料(文字史料)を基盤にしていますので、文献資料が無い時代は取り扱いません。
この為に歴史時代、先史時代という言葉が使われています。
郷土史のように地方史では、古い時代のその地方に関する文献資料が極めて少ないために考古学が主体となります。
郷土史で文献資料が増えてくるのは室町時代以降です。

考古学というのは遺跡や遺物などいわゆる「物」を基盤とした学問です。
従いまして、おそろしく古い時代だけではなく、昭和でも大正時代でも研究の守備範囲に含まれています。
時代を問いません。

テーマをお決めになられる際の何かの参考になればと思い書いてみました。
文学がご専門とのことですが、万葉集を歴史資料として読み直されるのも一つのテーマになるのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

拝見しました。
ありがとうございます。
まだまだ始めたばかりで言葉の定義すらきちんと把握できておらず、お恥ずかしいばかりです。
今調べているのは某地方豪族が自分の住んでいる地域まで北上してきたと考えられる節があるのですが、それについて文献や論文を探しています。その中で一番はっきりと書いてあるのが秀真伝でした。
しかし、文字資料にばかり頼るのは違うのかな?という気がしてきました。
考古学、として考えていく道筋を示していただきましたこと、心から感謝いたします。

お礼日時:2014/08/14 11:58

研究テーマによって扱いは異なります。


神代の地域の歴史を知る手掛かりとしては、そのまま扱うべきではありません。ただ、史料が作成されたとされる江戸時代中期の作者の歴史認識としてどのようにその地域が意識されていたかを知る材料としては使えるかと。
偽書であろうが真正の一次史料であろうが、歴史資料に変わりはありませんので、いつ、どこで、だれが、何のために書いたのかを、踏まえながら扱うのが基本です。

この回答への補足

ご回答をありがとうございます。
古代の地方都市について調べています。
なかなかテーマに合った資料に巡り会えず困っています。
Wikipediaはもちろん、これについて批判した、もしくは裏付けようとする論文なども集めて読んではいますが、それらを含めてもどう扱っていいのかで悩んでおります。

補足日時:2014/08/13 20:09
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>歴史学の分野では、資料としてどのように扱うのでしょう?


史料が偽書であろうとなかろうと、そのような書籍が書かれたということは史実ですので、一つの史料として取り扱われます。
後は研究の目的如何で取り扱い方法が変わるだけです

御説明の前に
「徒然草」をどのようにお読みになれますか?
民俗史や思想史の史料としてお読みになれれたことはありませんでしょうか。
思想史関係の書籍では、文学作品が多数取り上げられます。
その時代に生きた人の価値観や時代背景が良く分かります。
このように、同じ書籍でも読み取り方が全く異なります。
何故この作品がその時代に受け入れられたのか、あるいは受け入れられなかったのか、ということも研究の対象となります

「秀真伝」を論拠として議論するのであれば、何故に「秀真伝」を論拠とするのかを明示する必要があります。

>偽書の可能性が指摘されています。
偽書であるか否かも重要な歴史学上の研究です。

ホツマツタヱ - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ホツマツタヱ
このサイトに記されているような議論の進め方をします。

何故にその偽書が書かれたのか、いかなる必要があったのか、という観点からの研究も行われます。
下記のような本があります。

偽書の精神史 神仏・異界と交感する中世 佐藤弘夫 講談社選書メチエ
起請文の精神史 中世世界の神と仏 佐藤弘夫 講談社選書メチエ

歴史学というのは、文献すなわち文字史料を研究の基盤とする学問です。
基盤である文字史料の信頼性について精査されます。
この精査作業も歴史学には不可欠な重要な研究です。
「秀真伝」も史料の精査という研究をするための一つの資料です。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答をいただき、恐縮しております。
古代史をテーマに据えて研究をしようとした際、そのまま使えないことはわかっていますが、書かれているという事実がある以上は取り上げなければならないのかな、とも思い、迷っておりました。
しかし、文字資料の精査という観点だと、秀真伝を取り上げるのは少し方向性が違ってくるのではないかと感じました。
まだ自分の中で消化しきれていない部分がありますので、ご回答をもう一度きちんと読み返し、再度考えてみます。
ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/13 20:20

私は歴史には素人ですが、



秀真伝以外にも「東日流外三郡誌」なんてのもありますよね。多分ほとんどの歴史学者は偽書だと思っていると想像しますけど、中には本物だと思って研究しているひともいるらしいですよね。

新人物文庫というシリーズの中の「偽書『東日流外三郡誌』事件」というのも参考になるかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
挙げていただいた本は既に読ませていただきました。

お礼日時:2014/08/13 20:10

matsukaze2 さん、こんにちは。



そうですね。まず内容からどの時代のものであるかを史料批判します。秀真伝は偽書とされますが、少なくとも江戸時代の中期ごろ成立とされています。
詳細は下記のURLを参照ください。




ホツマツタヱ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%84% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
既にWikipediaは検索済み、偽書と指摘しているもの、逆に裏付けようとする論文も幾つか読ませていただきました。
成立について知りたいのではなく、偽書と指摘されている文献を、古代史研究を行うに当たって、どのように扱うかを教えていただければありがたいです。

お礼日時:2014/08/13 20:12

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