最速怪談選手権

大乗仏教だの小乗仏教だの禅だの真言宗だの天台宗だの浄土宗だの同じ仏教なのに色々種類がありますがどう違うのか詳しく教えて下さい?
なぜこんなに種類が増えたのでしょう?

確か仏教はシャカが人に説いた教えが仏教ですよね。
何故一人の人が説いた同じ教えが増えたり異なった教えを説いているのでしょうか?

A 回答 (9件)

No.7です。

各宗派について簡単に説明します。簡単に説明すると各宗派の信者さんに違うと叱られそうです。各宗派には開祖による心紋と言われる個性があるので、それを中心にして説明します。

●飛鳥・奈良時代の仏教は聖徳太子で代表されます。日本仏教伝来の祖とも言えます。憲法十七条のなかにも仏教思想が滲み出ています。太子は勝蔓教、維摩教、法華経へと順次に解釈も述べており、仏教の指導者でもありました。親鸞は「太子は和国の教主」と言っています。三宝を敬う日本仏教の基礎となっています。三宝とは仏・法。僧のことです。「和をもって尊し」なども現代までも伝わる教えです。法隆寺、東大時、興福寺と大阪・四天王寺や京都・清水寺などに伝わるものです。

●平安時代の仏教は飛鳥・奈良仏教の否定から始まるのです。桓武天皇が天智天皇系であり、奈良が天武天皇系の支配下であったからです。天智天皇の子(すでに天皇に即位)を天武天皇が壬申の乱で殺して政権を奪ったのです。遷都の理由も天武系の貴族人脈を排除することが目的でした。そのために、桓武天皇は遣唐使として最済と空海を唐に派遣して、新しい仏教を日本に導入しようとしたのです。

☆最澄は日本天台宗の開祖です。滋賀生まれの中国の後漢王族の末裔です。中国で天台宗を学び、比叡山で日本天台宗を開くのです。法華経を根本経典として志の高さと澄んだ姿勢から最澄との僧名が与えられたのです。後の日本仏教に大きな影響を与えます。

☆空海は密教の真言宗の開祖です。讃岐生まれで父方は大伴氏で母方は物部氏で、帰化人の末裔である最澄と異なるのも興味深いです。したがって日本人との意識が強いのです。空海の僧名は空と海の相反する物を融合させる意気込みが感じられるのです。中国で密教を学び京都から遠く離れた高野山に真言宗を開くのです。経典は華厳教を主としています。
空海は中国で景教(キリスト教の一派)にも触れ、神にあたる大日如来を最高の位置に置き、釈尊は大日如来の化身と位置づけ、自らも大日如来の化身と位置づけたのです。すなわち、自分は釈尊と同格の存在であるとは、日本人釈迦なのです。

●鎌倉時代は武士が貴族から政治権力を奪ったことによって出来た政権です。その武士達が平安貴族のための平安仏教に帰依したのでは、武士の尊厳が保てません。そこで、中国の禅宗を導入したのです。宗から多くの僧が来日していました。宗がモンゴルの脅威に曝されていたからでもあります。末法思想も広まり、日本仏教に花が咲くのです。

☆栄西は日本臨済宗の開祖です。岡山生まれで中国の臨済義玄を宗祖とする臨済宗を伝え、静岡生まれの白隠により発展します。鎌倉武士の宗教で江戸時代まで武士の宗教でした。室町時代に京都で発展し、京都の妙心時、大徳寺、南禅寺、大覚寺の各派が大伽藍を構えています。

☆道元は日本曹洞宗の開祖です。父は源通親で京都に生まれた政界の名門の出です。しかし、若くして両親と死別し、母の遺言で比叡山で天台宗に学びのです。後に中国の曹洞宗を日本に伝え、越前の山奥の永平寺で曹洞宗を広めるのです。関東では総持寺が拠点になり、武士だけではなく農民にも広がるのです。道元の僧名は人の道が元にあるとのことで、ひたすら座禅により本覚する教えです。

☆法然は浄土宗の開祖です。岡山生まれの武士の子で役人の父が深夜に襲われて殺されるのです。9歳であった自分も戦い臨終の父に復習を誓おうとするのですが、父は復習をやめよと言うのです。出家した比叡山の天台宗を学ぶのですが、才覚が邪魔をして悟りの境地に至れないのです。知識ではなく念仏により救われるとの教えに達するのです。浄土宗の開祖で京都知恩院が総本山です。法然の僧名も法が自然に宿るとの意味で、難しいことを知らなくても仏心は人間には自然に宿っているので、念仏を唱えるだけで十分であるとの他力本願の教えです。経典としては浄土三部教で『南無阿弥陀仏』の念仏を唱えます。教えが解かりやすいので農民にも広がります。

☆親鸞は浄土真宗の開祖です。京都の藤原貴族の生まれです。法然の弟子ですが、僧侶で妻帯者として知られています。流罪地の越後で結ばれた恵信尼で新潟美人だったのでしょう。五人の子を成し、浄土真宗の門主が世襲制になるのはそのためです。この世のことはすべて空しいと悟り、当時としては破格の90歳まで生きるのです。師と同じく『南無阿弥陀仏』の念仏を唱えますが、純粋他力本願や念仏志向は師をも越える徹底振りです。蓮如の時代に農民に広がり大発展し、その子の顕如の時代に織田信長と対立するのです。京都本願寺が総本山で日本で最大の宗派です。後に本願寺派と真宗大谷派に分裂します。

☆日蓮は日蓮宗の開祖です。千葉の漁師の子として生まれます。最下層の生まれなので、社会的な批判の気持ちが強いのです。比叡山天台宗に学ぶが法華経が最高の経典であるとして日蓮宗を開きます。法華経は正確には妙法蓮華経と言い、ハスの花のようなお経と言う意味です。したがってお題目を『南無妙法蓮華経』と言うのです。日蓮の法名は日月と蓮華とから取ったものです。自分の名を宗派の名にするのですから、相当な個性の持ち主です。漁師の子であるので体格や気力にあふれ、この世が空しいなどとは言わないのです。室町時代に京都や堺の商人に広まり発展するのです。現世ご利益が商人の心を掴んだのです。
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この回答へのお礼

titelist1さん、今回の質問で詳しくて膨大な回答ありがとうございます。書くの大変だったでしょう

いつもありがとうございます。またお願いします。頼りにしてますんで

お礼日時:2014/09/09 07:57

Ano.5です。




>「<そもそもは自力を説いた教え
なんで勝手に教えを変えるのでしょうか?」

一つには「自由」ということもあるでしょうし、

あるいは、何千年といった大昔は、現代と違って、
「情報の伝達」ということには、相当、苦労したのではないでしょうか。
(つまり、変えたという認識の無い、変化、もあった?)


「自力」が「他力」に変遷(?ではなく)
いや「他力という新しい主張?」ということについては、
(私如きが、お答えするのは、僭越ですが、)
本で読んだところによれば、
「自力を恃む小乗仏教徒に対して、「もっと多くの人が救われるべきだ」と主張した人々」
が、
(これは、私のアトヅケに過ぎないですが)結果的に「自分たちこそ菩薩だ」というような
ことを、始めてしまった、ということかと思います。
(いわゆる、大乗仏教のおそらく殆どが「他力」で、つまり、極め・究めたところで、
結局は、「「救って下さる方」を待つよりない」という結論に行き着く、というのは、
そもそもの「大乗仏教」の出発点が、
「「誰でも(それによって)救われる。」そういう有り難い教えを説いた方が居られる」
ということで、仏像彫ったりしたから、ではないでしょうか。
(そこに、本来「自力」であるはずのものが
「他力」になってしまったカラクリもあるように思われる。)
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No.3です。


釈尊は因縁や因果の真理について一貫しているが、インドのカースト制への批判が年齢とともに強くなります。仏教がインドで廃れた原因の一つにカースト制への批判です。布教をするにはカースト制支持者の支配者の庇護が必要だが、万人を救うにはカースト制が弊害である。この矛盾に釈尊は苦しんだと思います。

釈尊は若い頃には前述の真理を悟ると他の修行層に議論を吹っかけ打ち負かす喜びを感じるのです。若いころの自分もそうでした。年を取ると方便を言っても分りやすく諭すことが良いと思えるようになります。人生の空しさを思うようになります。晩年の教えと言われる法華経には人生を達観した感じが出ています。

大乗仏教とは良い名を付けたとは思うが、劣勢になった仏教が広域に布教するために考え出された方法だと思っています。ガンダーラから中国を経て日本に伝わるが釈尊は異民族人であり、その国の国民感情から釈尊が抽象化されるのです。釈迦仏と釈迦如来は同じようでまったく異なる存在です。阿弥陀如来や大日如来はもはや抽象的な存在で、釈尊はその下に位置づけられているのです。釈迦仏はクリクリ頭ですが、大日如来は冠を被りクリクリ頭を隠しています。もはやインド人ではないのです。

日本に入るとお釈迦様よりも最澄や空海や法然や親鸞や日蓮や道元や栄西・白隠の開祖に代わってゆくのです。抽象化された釈尊よりも日本人の方が親近感もあり、心に訴えるものが強いのです。それぞれが異なる経典を根拠にしています。全部が作り物で根拠がないとの意見もあるが、弟子達が伝えたものだと認めると釈尊の教えに変化があることになるのです。

日本の宗派がさらに分裂してゆくのは、経典の解釈だと説明されるが、お金の問題だと思います。教団が大きくなると資産分配で抗争が起きるのは世の常です。
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禅僧にひたすら攻撃されたからこんなことを書いてみる。



ゴータマ・ブッダが何も発言していなくても
ひたすら坐禅をしていたから、他人はそれを見て、従ったのでしょう。

教えは後からできた。
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この回答へのお礼

kazamidori365さん、回答ありがとうございます。

でも何にも発信していないオッサンの真似をする理由が無いと思うのですが

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/01 00:58

subetenoaruji様、こんばんは。




>「なぜこんなに種類が増えたのでしょう?」

自由だから、ではないですか。


>「大乗仏教だの小乗仏教だの禅だの真言宗だの天台宗だの浄土宗だの同じ仏教なのに色々種類がありますがどう違うのか詳しく教えて下さい?」

ご自身で、各々に問うて周るより無い、と思います。
「どう違うのか、詳しく!」


>「確か仏教はシャカが人に説いた教えが仏教ですよね。
何故一人の人が説いた同じ教えが増えたり異なった教えを説いているのでしょうか? 」

そもそもは「自力(諦観)」を説いた教えであるのが、
「(誰かが)救って下さる!!」説に、変化していったのが、小さくないと思います。
(日本に伝わった時点では既に「(誰かが)救って下さる」説、だったのでは)

(各説を否定するものでは、ありません)
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この回答へのお礼

kurinalさん、回答ありがとうございます。

<そもそもは自力を説いた教え
なんで勝手に教えを変えるのでしょうか?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/01 01:03

元々は、お釈迦様が説かれたことです。

その教えを後のお坊さんたちが、「この考えが一番大事だ」と考え、様々な宗派に枝分かれした、ということです。つまり、すべての宗派は親戚同士です。
大乗仏教は、大勢を導いていけるもの、小乗仏教は、多くても数人しか同時に導けない仏教のことです。
教えはこの世に、宇宙に流れている真理、法則のようなものがある、ということを分かりやすく説いています。誰でもそうなる、誰がしてもそうなる、といった。
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この回答へのお礼

waysさん、回答ありがとうございます

ということは全部の宗派にまとめるとオリジナルの仏教になるということですか?

どうして小乗仏教は数人しか導けないのですか?

この世に流れている真理、法則
なんだか興味が出てきました。悟りはそれを知るということですか?

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/09/01 00:47

仏教が難解である理由を言い当てておられます。

その理由を私なりに考えてみました。
(1)色々な教えがあるのは釈迦が80歳まで長生きし、釈迦の考えは年齢によって変化した。
(2)釈迦は口頭で教えを伝えて書いたものがない。書かずに覚えることが大事だと教えた。
(3)相手の知的レペルに合わせて方便も交えて教えたので受け取り方が違った。
(4)死後に偶像を作るときに各々の偶像に後で解釈を付け加えた。
(5)異民族に伝来すると自分の民族の教えと融合させて解釈を変化させた。
(6)政権交代が新宗派を作ることを要望し、宗教利益の再分配をはかった。

日本に伝来してからも各宗派に分かれています。
(1)飛鳥・奈良時代は貴族のための朝鮮伝来仏教で国家統一の道具でもあった。
(2)平安時代は奈良否定により中国伝来仏教を推進した。最澄の天台宗と空海の真言宗。
(3)釈迦仏よりも阿弥陀仏や大日仏を重んずるようになった。仏教の日本同化が進む。
(4)鎌倉時代の末法思想から仏教の新解釈による分派活動で仏教の大衆化が始まる。
(5)他力本願の法然の浄土宗、その弟子親鸞の浄土真宗
(6)自力本願の道元の曹洞宗、栄西の臨済宗、日蓮の日蓮宗
日蓮宗分派の日蓮正宗から分派した創価学会等の新興宗教の勃興(葬式仏教批判)

仏教は釈迦の教えを基本にしているが、多くの人達の教えが絡まった教えの合作なのです。キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのように早くに文書化されなかったこととが原因です。
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この回答へのお礼

titelist1さん、仏教にも詳しいのですね。

仏陀は真理を説いたなら年齢とともに考えが変わるはずはないと思うのですが。

相手に合わせて言い方を変えたということは同じことを言ってるわけなんですよね?
ただ弟子が正しく受け取らなかったせいで複数の考えが生まれたと。

なるほど文章化されなかったら伝わる過程で変化するのは当然ですね。
これは理由としてすごく大きいでしょうね。

宗派の多さには政治的な理由もからんでいるんですね

まとめると伝言ゲームの失敗と後世の人間の勝手な解釈の付けたしと政治的理由ってことですね。
これなら増えてもしかたない気がします。

回答ありがとうございました。またお願いします。

お礼日時:2014/09/01 01:15

仏様の世界を現したのは十界曼荼羅なのではないでしょうか、仏様は3千ほどあるようです。

ご本尊を何にするかで宗派が異なるようです、仏教を日本に伝えた空海は立体曼荼羅を京都の東寺に表現しています。お釈迦様はいないようですが大日如来とか阿弥陀仏などがおります、どの仏様を拝むかは個人の事情により異なります。したがって色々な宗派が有るのだと思われます。
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この回答へのお礼

Lenova2012さん、回答ありがとうございます。

十界曼荼羅とはなんでしょうか?

とりあえず本尊を何にするかで宗派が決まるのはわかりました。
仏が3000?大日如来?阿弥陀仏?お釈迦様はいない?
ただ、これはどういうことなのかもっと詳しい説明をお願いします。
仏教には無知なので

回答ありがとうございます。またお願いします

お礼日時:2014/09/01 00:54

こんばんは。




大乗と小乗の違いは、
 小乗 一人で涅槃・悟りを目指す
 大乗 みんな一緒に悟ろう!! 悟るときは、みんな一緒に
ですかね。

この他に、
大乗経典は、原則サンスクリット語で書かれている、
小乗経典は、サンスクリット語の俗語であるパーリ語で書かれている、
という違いもありますけれど・・・。


☆禅だの真言宗だの天台宗だの浄土宗だの同じ仏教なのに色々種類がありますがどう違うのか詳しく教えて下さい?
◇悟りに至る道筋、方法論の違いですかね。
禅は、座禅によってのみ悟れる、と言うし、
真言は、三密加持によって即身成仏できる、と説き、
浄土系の宗派は、阿弥陀さんの広大無比な慈悲の力によってのみ、人々は救われる、と説く。

山の頂上を目指す道は、一つとは限らないので、それはそれでよろしいのではないですかね。
そして、
自分に合っているな、と思うものを選択すればいい。



☆確か仏教はシャカが人に説いた教えが仏教ですよね。
◇いえいえ、
真言宗で最も重視するお経は、お釈迦さんが説いたお経ではありませんよ。
真言宗では、
お釈迦さまよりももっとエラい大日如来、マハー・ヴァイローチャナ(廬舎那仏・奈良の大仏さんですね)という仏さま(法身仏)が直接説いたお経だ、ということを言っています。
お釈迦さまが説いたお経は、入門的で浅いお経なんだ。真言宗のお経(密教経典)こそが真実の仏の教え、という立場をとっています。
ですから、
日本の仏教のお経でも、お釈迦様が説いていないお経がある!!

ぶっちゃけ話をすると、
歴史上実在したゴータマ・シッダルタ(お釈迦様)が本当に説いたお経なんて、この世に一つも無いのかもしれないです。
後世の人が「お釈迦様はこう言ったんじゃないか」と想像(悪く言えば、捏造)したものが、今日伝わっているお経です。
ゴータマさんが死んでから数百年経ってから、お経は編纂されているので、
ゴータマさんの教えが本当はどのようなものであったか分からないんですよ。

ですから、
「何故一人の人が説いた同じ教えが増えたり異なった教えを説いているのでしょうか?」
の最も良心的な答えは、
「お経は後世の仏弟子達が伝承や伝説などを元にして自身の考えを述べたものであり、それゆえに、多数の異なった教えがある」
でしょうか。

こんなことを書くと、敬虔な仏教との皆さんに怒られてしまうかもしれないので、
伝統的な考え方をご紹介しますと、
「お釈迦様は、その人の能力に応じて、その人が理解できるような形で教えを授けた。
だから、色々な教え、経典が存在するのだ」
ですかね。
足し算、引き算も知らない小さな子供に、いきなり微分積分などを教えても分からないでしょっ。
だから、色々なお経があるんだよ、というわけです。

また、
「《お経・教え》は例えば薬のようなもので、病気の症状によって薬を使い分けないといけない。一人一人病気(悩み)の症状が違うので、薬・《教え》も一人一人違ってくる。だから、《教え》も豊富なのだ」
みたいなことをいう人もいます。

まっ、そういうことで。

この回答への補足

結局どの宗教も悟りが目的なんですね?
宗教によって悟りの内容は違うのでしょうか?
悟りとはなんでしょうか?悟ると何が起こるのでしょうか?

補足日時:2014/08/28 08:16
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この回答へのお礼

NemurinekoNyaさん、回答ありがとうございます。

なるほど納得いきました。

回答ありがとうございます。またお願いします。

お礼日時:2014/08/25 05:25

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