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例によりまして、ふと、私の頭に浮かんだ素朴な疑問について質問いたします。

偶然って何ですか?
必然(性)とは何ですか?

Wikipediaを見たところ、必然性の欠如をもって偶然と呼ぶ、といったような記述がありました。

ネットにある辞書によりますと

─────────
偶然
[名・形動]何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。「―の一致」「―に見つける」⇔必然。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/60444/m0u/
─────────

─────────
ひつ‐ぜん 【必然】

[名・形動]必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。「―の帰結」「なまけたのだから不合格は―だ」⇔蓋然(がいぜん)/偶然。

http://kotobank.jp/word/%E5%BF%85%E7%84%B6
─────────

─────────
がい‐ぜん 【蓋然】

たぶんそうであろうと考えられること。ある程度確実であること。⇔必然。

http://kotobank.jp/word/%E8%93%8B%E7%84%B6?dic=d …
─────────

とありました。

論理学的な必然(性)はひとまず置いておきまして、
どうやら、必然と偶然を分けるものは、
 1 因果関係の有る無し
 2 予測可能か、いなか
の2点にあるようです。

で、更に私の疑問は深まります。

この世に因果関係と無縁に存在するものはあるのだろうか?
ある現象が発生するための因果関係があまりに複雑で、また、同時に、我々の得られる情報があまりに少なく、その現象の発生を予見できないものを、
単に偶然と呼んでいるのに過ぎないのではないか?

もちろん、私たちは量子力学や不確定原理を知っていますので、ラプラスの悪魔が存在しないことは知っています。
ですが、我々の感覚器官は精度の悪い観測器のようなもので、量子レベルの不確定さは検出できません。
また、私たちが実際に生きている世界はマクロ系であり、この世界は古典物理学が支配する決定論的世界です。
 ───ここでいう決定論的は100%の精度の意味ではなく、99.9・・・%と、9が有限桁続く精度の予見可能性の世界、程度の意味。この精度は99.9%でも構わない───

この様に考えるならば、
人間が実際に五感で感じ、生きる世界の現象に偶然などありうるのだろうか?
ただ、我々の知識と情報の欠如のために、そして、計算能力の低さのために、偶然と感じるだけなのではないか?


皆さんのお考えを教えてください。


─────────
ラプラスの魔【Laplace's demon】

自然界のあらゆる力と宇宙全体のある時点における状態を完全に把握することができ,かつ,これらの素材を完璧に解析する能力をもった仮想的な知的存在.このような魔(demon)にとっては宇宙の中に何一つとして不確実なものはなく,未来のことを完璧な形で予見することが可能となる.

https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%8 …
─────────

A 回答 (50件中1~10件)

観測点の問題だと思うわ




例えばサイコロを振ったら1が出た
これは偶然?
でも振るまえのサイコロの状態、振る際の腕の振り、空気の流れ
などなど
そういうのを計算すれば1が出るのは必然

この世界の事象を全て計算して導き出せば
全ての事象は必然・・・
でもその事象を見た人にとっては
そんな計算を知らないし、物事の関係性も分からなければ
やっぱりその事象は偶然でしかないの


おなじ事象でも
人にとっては必然なのだけど
人にとっては偶然に思える
そういうことじゃないかしらね
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この回答へのお礼

こんばんは。


~~~~~~
おなじ事象でも
人(Aさん)にとっては必然なのだけど
人(Bさん)にとっては偶然に思える
そういうことじゃないかしらね
~~~~~~
これは、
AさんとBさんの「必然」と「偶然」の意味やこの言葉の意味する内容が異なっている、
ということなのではないでしょうか。

であるとすれば、
両立は可能ですよね。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 17:57

マクスウェルの悪魔


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF% …

まずは、マクスウェルの悪魔に関する議論も確認してみてください。

>人間が実際に五感で感じ、生きる世界の現象に偶然などありうるのだろうか?

われわれの生きる世界がマクロ系であったとして、そこで観測した情報を記憶するには大量のメモリが必要です。
メモリを維持・更新する費用(エントロピーの増大)や時間に伴い増大するメモリ素子の消費をどのようにして調達できるのでしょうか?
情報と演算装置がなければ予見はできません。
観測素子の能力の他にも多くの問題を抱えているはずですよね。
いずれにしろ、人間の能力を超えた部分を偶然とするのが一般的でしょう。

もう一つは、観測する主体を「人間」としていますが、人間は一人ではありません。
人間同士のコミュニケーションも予測を困難にする大きな要因です。
なぜなら、人間は自分に不利な情報が極力提供しないですからね。
人間同士なんて予測困難ですから、人間の出会いは一期一会だと思いますよ。
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この回答へのお礼

こんばんは。


一応、これでも理系出身なので、マクスウェルの悪魔を知っています。
Wikipediaのマクスウェルの悪魔の記事もかなり前に読みました。
このリンク先を貼り付けた回答を過去に送った記憶があります。
物理カテの質問だったと思うのですが…。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 18:04

それが必然だったか?偶然だったか?



その答えの大半は、全て「後付け」によって決まる事でもある。

今と言う現時点から、これから先の未来を予想する事は、今の自分に考えられる全ての「可能性」を広げる事に限られるだろう。
しかし、人が通る道は、現時点で常に「一つしか無い」のだ。

分かるだろうか?

一人の人間が、どれだけ大量の知識や情報を持っていようとも、他人の頭の中までは、その力は到底及ぶものではない。

犯罪、事故、災害、病気。
どれを取っても、偶然であり、また必然的な事だったのかも知れない。

偶然であれば防げなかった。
必然であれば防げた。

そもそも、本来、これはイコールで結ばれるべき答えになり得る事なのだろうか?

No,1さんが、「観測点の問題だと思う」と言っていたが、それも最もである。
サイコロには、元々1~6までの数字があるのだから、1が出る事は、むしろ必然を通り越して、当然の事でもあるだろう。
しかし、ここでもし、「7」の目が出たとしたら、それは「偶然」と言うのだろうか?

『そんな事、あり得る訳が無い』と思いながら、人は日々、世の中の常識と知識に翻弄されて生きているのだ。
むしろ、「そんな情報や知識、常識が何も無かった」のであれば、「それも必然」と思えたかも知れなかったと言うのに。

そういう意味では、「必然性の欠如をもって偶然と呼ぶ」と言う説明は、一番正解に近いのだろう。

しかし一方で、知識や常識が、「可能性を狭める」と言う事は、よくある事でもある。
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆分かるだろうか?
◇これは、私にでしょうか。
おそらく理解できていると思いますが…。



☆しかし、ここでもし、「7」の目が出たとしたら、それは「偶然」と言うのだろうか?
◇これは、起こり得ないことが起きたので、《奇蹟》というのではないでしょうか。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 18:07

>偶然って何ですか?



人間が因果関係を(確率過程を含めて)理解していない事象を偶然という。

>必然(性)とは何ですか?

人間が因果関係を(確率過程を含めて)理解している事象を必然という。


ってことですが、そうすると、次なる疑問は自然界に関する人間の理解が進んで行くと、偶然が減少して、(確率過程を含めて)必然が増えてくるということになるが、で、人間の自然に関する理解が極限にまで高まった時代において、偶然が無くなるのか、ということになるニャ。

でも、その答えはまだない。(「吾輩は猫である」の主人公の独白)
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆ってことですが、そうすると、次なる疑問は自然界に関する人間の理解が進んで行くと、偶然が減少して、(確率過程を含めて)必然が増えてくるということになるが、で、人間の自然に関する理解が極限にまで高まった時代において、偶然が無くなるのか、ということになるニャ。
◇おっしゃるとおり、最後はこの問題になります。

そして、「この答えは誰も持っていない」のだと思います。
このことが分かるかどうかも分からないのかもしれないですね。


不確定原理で有名なハイゼンベルクは、死ぬ前に、
「天国で神様に会えたら、乱流について質問するんだ。でも、神様も答えを持っていないかもしれない」
と言ったとか言わなかったとか。
 ───エピソードとして伝えられている───


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 18:20

何事も普通にシンプルに考えるべきですね。


普通にシンプルに説明できないことは、およそ間違い。

例えば、サイコロを振った場合に7ではなくて1から6の目が出るのは必然。

必然:サイコロを振れば1から6の目が出る。

だが、この必然も、1が出るのか、2になるのか?それは、予測不能。つまり、実際にどの目が出るのかは偶然に支配されている。

偶然:必然が現出する際に不可欠な媒介。

このように、いかなる必然も偶然を媒介にしないと出現できない。

必然と偶然との関係は、このように普通にシンプルに理解すると判りやすい。

と、思いますよ。
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この回答へのお礼

☆必然と偶然との関係は、このように普通にシンプルに理解すると判りやすい。
◇根が理系人なもので、
曖昧のままだと、居心地が悪いといいますか、気持ちが悪い。
性分的に、
難しい方へ、複雑な方へ考えが向かってしまいます。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 18:27

それは「考え方」によるとおもいます。

世に起こったことはいずれひとつしかなかったし、今後もそうだと思いますが、未来のことについての出来事がその考えによって100%予見できる時代がいずれ来るだろうと思っているひとは皆無だろうと思いますよ。確かに人間は精緻な科学文明を積み重ね、このたびもH2A26号を成功させました。このことは「決定論的未来」をまたひとつ前進させたと考えてもいいかと思います。

しかし、これはただひとえに人間の技術の成果なのであって、その他のこまごまな日常が、未来においてわれわれの行く末すべてがすでに100%決められているという、自由意志も夢も希望も否定された窮屈きわまりない考えが、果たして何を生むのでしょうか。未来は分からない、という不安と楽しみの交差する不確かな気分の中に人間生活の面白みもあるのではありますまいか。偶然がなくなればギャンブラーは皆廃業してしまいますし、プロスポーツ選手はギムで中年女性がやせるための講習をするトレーナだけが職場になってしまいます。

ラプラスの魔はせめてH2A27号機はやぶさ2の成功や、ひまわりによる台風の進路予測やアベノミクスの成功くらいの範囲にとどめておいてほしいと私は願っています。
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆今後もそうだと思いますが、未来のことについての出来事がその考えによって100%予見できる時代がいずれ来るだろうと思っているひとは皆無だろうと思いますよ。
◇何から何まで予見可能になるなどとは、毛頭、考えておりません。
技術的な理由からその計算が実際できるかどうかは別にして、
ただ、我々が五感で感じる事象・現象くらいは、原理的に計算可能ということが証明されるかもしれない、
などという虫のよい、淡い期待を抱いております。



☆しかし、これはただひとえに人間の技術の成果なのであって、その他のこまごまな日常が、未来においてわれわれの行く末すべてがすでに100%決められているという、自由意志も夢も希望も否定された窮屈きわまりない考えが、果たして何を生むのでしょうか。
◇人工知能の研究者の中には、「無機的な素材から出来上がっている人工知能に、人間の心のような《心》が芽生える日が来るかもしれない」という夢のような話をする人もいます。
これに対して、「有機体にでなければ、心は発生しない」と反論する人もいます。

もし、人工知能に人間の心のような《心》が発生したら、人間に自由意志なんてあるのだろうか。

これもわからない。

ですが、私は「いつの日か人工知能に心が発生したらいいな」と願う一人です。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 21:02

wikipediaの『因果』より


釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C

ということで、すべて要因があったらこその結果であるので、因果関係と無縁のものはありません。
だから、すべての要因を理解できていれば、すべて必然ということになります。

ただそもそも『偶』というのは、「まれであること。めったにないこと。また、そのさま。」という意味を持ちますので、まさに述べられている通り、めったにないので(知識と情報の欠如のために、そして、計算能力の低さのために)考えもしなかった時に使うということが前提の言葉です。
必然は、そうなって当然だということですので、計算できる範囲のことに使います。

ですから、「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。」という辞書に誤りがあります。
wikipediaの『偶然』においても、
因果関係がないとは述べられていません。必然性の欠如=予測できなかったということが偶然だと述べられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E7%84%B6

実際世の中は、今の我々のレベルでは計算できないことだらけですから、割合としては偶然おこる出来事のほうが多くなるということになります。
お互いが矛盾する存在ではないわけです。

つまり、必然と偶然を分けるものは、
1の因果関係のあるなしは含まれておらず、 
2 予測可能か、いなか
の1点にある。と言えます。

ちなみにwikipediaの『偶然』の中には、この質問の考え方は「決定論」という学説として紹介されています。

質問者の見られたネットの辞書に誤りがあったのであれば、前提に錯誤があるので、こういった流れになるのは必然ですね。
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この回答へのお礼

こんばんは。


ネットの辞書にある因果関係は、古典物理学的な「原因から確定的で、一意的な結果が生まれる」という意味くらいなのだろう、と思います。
古典的な決定論のことを言っているのだろう、と考えています。
そして、ここで言っている原因とは、初期条件や境界条件くらいの意味に過ぎません。

また、個人的には、物理でいう因果関係と仏教の因縁生起の考え方は似ていると思っています。
質点系などは、まさしく相依相関していますので。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 21:24

 単純に、あなたの意見に賛成です。



 ・・・という訳で、いきなり余談になります。


 斜面崩壊事故というのは厄介です。特にヒト死にが出た場合、たいがい事故調査委員会が立ち上がります(非公開の時もありますが)。事故調査委員会は、事故に関連した役所のブレイン集団と、たいがいは有識者として大学教授達がメンバーになります。これが表向きの顔ですが、裏には事務局があります。事務局のメンバーは、事故に関連した仕事に詳しい民間業者のグループが、役所からの発注を受け(多くはコネで)、請け負います。事務局は委員会の会場設営から、委員会報告書の叩き台の草稿まで、実質的な実務活動全てを行います。

 ところで死亡事故の場合、役所は責任を取りたくないので予測不可能だったと言いたい。一方で大学教授の方は、呼ばれたからには何らかの結論を出したい。ところがそれでは予測可能になってしまう。


教授:「事後の調査結果に基づきFEM(有限要素法)で斜面解析を行った結果、崩壊メカニズムは、こうでこうでこうだ!」
教授:「理屈で後追いできる以上、事前予想は原理的には可能だったと言わざる得ない」

役所:「しかしそれは、事後調査で崩れた斜面の断面を見れたから、出せた結果じゃないですか・・・」
役所:「斜面の断面を見るために、斜面を崩す訳にはいかないんだから」
役所:「事前に出来るのはせいぜい数本のボーリング調査で、その結果からは工事マニュアルに基づき安全だった」
役所:「だいたいあなた、その工事マニュアルを作った人でしょう」

教授:「責任転嫁する気か?。原理的には可能なんだから数本のボーリング調査でも、その結果を真摯に精査しなかったから、こうなったのだ!」

役所:「じゃあ、その数本のボーリング結果から、同じFEM結果を出せたんですか?」
教授:「・・・それは難しいが、原理的に可能な以上、何か方法はあったはずだ」

役所:「だからFEM解析なんて役立たずだっていうんだ!」
教授:「なに~っ!。そこまで言うなら、岩盤斜面のCT画像を持ってこい!」
教授:「一ミクロンと違わぬ結果を出してやる!」

 ・・・と、両者はこちらを振り向きます。
 「事務局、何とかしろ~っ!」

 こうして事務局には、眠れぬ日々が続くのです・・・(^^;)。


 役所と教授の掛け合いは99%冗談ですが、教授の最後の二言だけは実話です。そしてそれは真実です。

 アメリカのアリゾナ砂漠(だったかな)に古い炭鉱がありまして、深さkmオーダーの坑道を掘ったという事です。現在は廃鉱なので、切り端の向こうには炭層はありません。その周囲は100km×100km×深さ数kmの岩盤の一枚岩という事です。

 つまり理想的に完璧な等方一様弾性体とみなせます。そんな場所で切り端の向こうに炭層はないと想定して、試掘を行ったのですが、その際に坑道の変形を予想するために、「切り端の向こうは完璧な等方一様弾性体」と仮定したFEM解析を行ったところ、予想と実測は少なくともmmオーダーで一致したそうです。

 FEMはそれくらい完成された計算方法です。

 しかし日本の地層では、断層はあるは褶曲はあるは、破砕帯はあるは地層は10数個積み重なるは、流れ盤亀裂はいたるところに走り・・・と、「CT画像を持ってこい!」状態になります(^^;)。


 必要なデータさえ手に入ったら、たぶん大部分は予想可能で必然なんですよ。でも必要十分なデータを調査する方法を我々は持っていません。だから偶然っぽく(?)見える(^^;)。

 エッ?、量子効果があるから100%の予想は無理だって?。
 そこはネコさんと同じく、99.9%って事で・・・(^^;)。
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この回答へのお礼

一つ穴のムジナ、理系人同士だから、話が早い(笑い)。

ですが、
ddt^3さんは(非線形の)数値計算に詳しいから、カオス理論のバタフライ効果を例に、初期的状態のわずかな違いが積もり積もって最終的にとんでもない結果をもたらすことがある、なんて言い出すんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしておりました。

これに対する返答は用意できていない(ポリポリ)。

昨日、眠り前にふと浮かんだ疑問なので…。
と言いつつ、この疑問は、漠然と、心の中でずっと抱きつづけていたんですけれど、他の方がなさった質問の回答で偶然と必然に関する話が出ていたので、
いい機会だから質問しちゃおうと考え、質問しちゃいました。


~~~~~~~
 つまり理想的に完璧な等方一様弾性体とみなせます。そんな場所で切り端の向こうに炭層はないと想定して、試掘を行ったのですが、その際に坑道の変形を予想するために、「切り端の向こうは完璧な等方一様弾性体」と仮定したFEM解析を行ったところ、予想と実測は少なくともmmオーダーで一致したそうです。
~~~~~~~
これは驚き!!

岩盤が破壊するような場合は、岩盤の局所的な違いや非線形性が問題になるでしょうから、そんなに簡単にはいかないのでしょうけれど、ただただ凄いなというのが実感です。

に比べると、流体力学の数値計算はだいぶ遅れているな。
相手が相手だから、ということもありますけれども。



☆必要なデータさえ手に入ったら、たぶん大部分は予想可能で必然なんですよ。でも必要十分なデータを調査する方法を我々は持っていません。だから偶然っぽく(?)見える(^^;)。
◇天気予報ですら、かなりの精度で予想できるようになってきていますからね。
国がスパコン作りに「もっともっと」お金を出してくれさえすれば、もっと高い確率であたる、しかもキメの細かい天気予報を行えるようになる。
使いもしない港や道路に金を出すのならば、スパコン作りに金を出してくれ~!!



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 22:09

私の出る幕では有りませんが.....


感想を一言。

偶然は理屈を通さず、必然は理屈を通して。

こう思いました。
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この回答へのお礼

こんばんはです。


☆偶然は理屈を通さず、必然は理屈を通して。
◇なるほど。
私はなにぶん屁理屈をコネコネしないと納得できない性分なのもので。

小さな子供のころから、屁理屈をコネコネし、周囲の大人(両親・祖父母は除く)から「子供のくせに可愛げがない」などと言われ続けてきました。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 22:27

>人間が実際に五感で感じ、生きる世界の現象に偶然などありうるのだろうか?


>ただ、我々の知識と情報の欠如のために、そして、計算能力の低さのために、偶然と
>感じるだけなのではないか?

そもそも必然と偶然は相反する言葉ではないです
というのも仮に知識や情報が十分で、計算能力も高く
あらゆる事柄に対して精度100%で何かの予測ができたとしましょう
つまりこの世は必然性で成り立ってることが分かったとしても
偶然が存在することは否定できません
なぜなら我々が知る必然性が、必然的に成立したかどうかが分からないからです
例を挙げるなら質量を持つ物体の間には引力が働くので物体同士が引き合うことには
必然性がありますが、引力が働くという必然性は必然によって生じたのかどうかはわかりません
つまり偶然によって引力の必然性が生まれた可能性もあるのです
また、仮にある必然性が必然によって生まれたとして、その必然はさらに必然によって生まれたのか?
どこまで必然性を求めていっても偶然の疑問は差し挟めてしまうのです
面白いことに偶然によって必然が生まれたらその必然は必然であるにも関わらず偶然だという
結論になってしまうのです
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆つまり偶然によって引力の必然性が生まれた可能性もあるのです。
◇なぜそうなったのか分からないという意味でならば、偶然ということになるのでしょうね。
たまたま(四つの力が)生まれた、と言うしかないのだろうと思います。


☆面白いことに偶然によって必然が生まれたらその必然は必然であるにも関わらず偶然だという結論になってしまうのです。
◇これは計算の始点をどこにとるかだと考えます。
観測したデータを元に初期状態を設定して計算すればいいじゃないでしょうか。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/07 22:21
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