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高倉健の訃報が、中国でも大きく伝えられたそうです。その理由は、彼の1976年の出演作「君よ墳奴の河を渡れ」が、中国の文化革命後初めて公開さてた外国映画として爆発的にヒットした、ためだそうです。
当時も排日運動が激しかった時代ですが、なぜ、当局が、わざわざ日本の映画を初めての公開作品として、選んだのですか?

A 回答 (2件)

日本と中国(北京政府)とは、1972年に田中角栄の訪中で「日中共同声明」を発表、戦争状態を終結させました。

つまり、正規の国交正常化です。
それより遙か以前から、民間での交易は、L-T貿易として非正常ながら続けられ、それと平行して文化交流も進められていました。無論、厳しい条件下のことではありましたが。
国交開始直後には、反日的気風はあったものの、組織的且つ政権がらみの反日活動は無かったと言えます。
1976年の高倉健主演「君よ憤怒の川を渡れ」は、日中合作映画かと思いますが。
両国の文化交流に於ける記念碑的作品です。
高倉健は今日でも、中国で最も人気の高い日本人俳優の一人です。
合作映画なら、いち早く公開されてしかるべきかと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<合作映画なら、>
ということですね。反日的気風を考慮しつつも、意図的に公開したのですね。

お礼日時:2014/11/20 09:35

「君よ憤怒の河を渉れ」は日中合作映画ではありません。



中国はストーリーと一切関係なく、中国人も出演していません。
純粋な日本映画です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%82%88% …

>選んだのですか?

質問には答えられません。事情を知りませんから。

ごめんなさい。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
ご指摘頂いた引用によると、
<日中合作映画ではありません。>
なのですね。追捕という映画名で公開されたのですね。
中国当局は、どういう思惑で公開を許可したのか、不思議ですね。

お礼日時:2014/11/20 21:42

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