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友人と話をしている時、金をせびる人をセビリアの理髪師というのは実に面白いという人と逆につまらないという人がいましたが、話題そのものの軽さは別にしてこういうダジャレに対する感想にどうして違いが出るのか、ちょっと不思議でした、俳句の面白さなどにも関係があるかと考えてみましたが、どうなのでしょうか。

A 回答 (6件)

 ここに、甲、乙、丙の三つの意味のカタマリがあって、甲と乙とは、掛詞で繋がり、甲とは全然無関係の丙が、単に乙に繋がっているという、極めて伝統的な手法だと思います。



 すなわち、(金などを)せびる (=甲) > せびり屋 > セビリア(=乙)で前半、セビリアの理髪師(乙+丙)の後半という無駄口の典型的な構造です。

 恐れ入る(甲)> 入谷(乙)> 鬼子母神(丙) = 恐れ入谷の鬼子母神

 その手は食わない(甲)> 桑名(乙) > 焼き蛤(丙) = その手は桑名の焼き蛤

 などと同じ手口だと思います。

 「ダジャレに対する感想にどうして違いが出るのか、ちょっと不思議でした」と言うことですが、

 寅さんの「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」が「いやあ面白い」という人もいれば「ったく品がない」と思う人もいるのと同じでしょう。僕は前者です。
   
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この回答へのお礼

詳しくご説明いただきありがとうございます。ある意味ではダジャレというのは軽いものですね。

お礼日時:2014/12/10 09:08

「セビリアの理髪師」というオペラがあることを知っているかいないかで、意見が分かれる気がします。

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この回答へのお礼

そうですね。知識や教養なども通じるかどうかを決めますね。ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/10 09:10

人間の持つ感覚がそれほど千差万別だということです。


丁度食べ物の好き嫌いに匹敵すると言えましょう。
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この回答へのお礼

ダジャレがうっとうしく感じられることもありますね。なるほど、と思いました。

お礼日時:2014/12/10 12:54

何でも、面白いと感じる方向に人間の知性の働きの強さ度合いがあらわれて来るように思えます。

単純に考えても、面白いと感じるほうが楽しめて得だと私は思います。
本来ダジャレは考えて出てくるようなものではなく、とっさにくちをついてくる即興性のもので、西欧で言われる「アナグラム(文字の置き換え)」と近似のもののように思えます。英語圏である単語のスペルの前後を置き換えて相互の意味を関連させるELVIS /LIVES(プレスリー(エルビス)は生きている)のような遊びですが、これらは人間が意識下でどんな言語活動をしているのかという問題の研究に手がかりを与えると主張する人も居ます(内田樹 街場の文体論)。
まあ、そういうことで、面白い人には相当面白いことだともいえます。
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この回答へのお礼

言葉に敏感というか、興味を持っている人かどうかも問題でしょうね。ご教示ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/10 13:18

 #1です。

捕足です。

 あるとき桑名の人に会ったんですが、ちょっと前に別の所からに越してきたそうで「焼き蛤ですか、済みません、聞いたことありません」で反応ゼロでした。

 これは前に申し上げた乙と丙が繋がらなかったからで、#2さんのおっしゃるようにセビリアと理髪師の繋がりを知らない人には不発に終わるのと同じでしょう。

 洒落に面白みを感じるのは乙と丙の繋がりが読み取れるかどうかにかかっていると思います。鬼子母神を知らない人にはちっとも面白くない訳ですから。
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この回答へのお礼

案外ダジャレは心理学の深層をのぞかせてくれる可能性もあるかと思いました、ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/10 16:13

 セビリアの理髪師をつまらないと思う人は利発さに欠ける、かどうかは別にして、同じことをきいてもその時の気分次第で、面白かったり面白くなかったりします。


 また、同じことを言ってもあの人が言うと白けるが、別の人が言うと面白いというようなこともあります。
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この回答へのお礼

ダジャレに限らず、おっしゃっていることは正しいですね。ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/11 02:30

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