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奇兵隊は高杉が創設しましたが、死ぬ間際まで終始統率できていたのでしょうか?
統率できていない期間もあったのでしょうか?
高杉晋作と山県有朋の関係性も教えて下さい。
オーナー社長が会社を追い出されたり、ヤクザの組長が捕まっている間に若頭に乗っ取られたり世の中いろいろありますよね。
高杉は長州にいない時期も多く、あっちこっち移動しているので腰を据えて奇兵隊とともに歩むことが難しかったと思うのですが、山県有朋はずっと奇兵隊とともに居たのでしょうか?
クーデーターのとき奇兵隊は最初動かなかったと記憶しているのですが、伊藤博文と力士隊がやってきたとか昔読んだ記憶があります。奇兵隊も最後はつぶされてしまいますが、今年は長州が大河の舞台なので詳しく教えていただきたいです。

A 回答 (2件)

 広く農民町人も集め義勇兵として


奇兵隊を創設し高杉でしたが、創立三か月後に
隊士が、長州藩正規軍に属する撰鋒隊の藩士と死者までだすケンカをし、
責めを負い、高杉は奇兵隊総督を解任されます。
河上弥市と滝弥太郎の両人が総督職を継いだのを経て、
総督は赤根武人、軍監は山縣狂介が務めるようになります。

 三条実美ら功山寺の五卿を奉じて、高杉が決起したとき、
従ったのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊のわずか84人だけでした。
赤根は、武力衝突を避け調停工作に隊を離れ、山縣は隊士の身を案じ動きませんでした。
この挙兵の報が広まると井上聞多・品川弥二郎・山田顕義・河上彦斎らが呼応し、
付近の領民による義勇兵も集結した。勢力を増すと日和見をしていた奇兵隊の山県狂介や藩の諸隊も
ついに立ち上がり高杉の指揮下に入り、俗論派の藩の正規軍と対峙し、高杉軍がこれを破ったことで、藩論は倒幕に統一された。

 この後、奇兵隊など高杉派諸隊は、長州藩正規軍に昇格し、山懸は
兵学者大村益次郎に奇兵隊の演習訓練を依頼し、高杉死後も、
奇兵隊は官軍の精鋭部隊として、戊辰戦争に貢献しました。

 形式的には、高杉が直接奇兵隊を指揮したのは、わずかな間でしたが
四民平等の民主日本を作ろうとした高杉の志は、常に
奇兵隊隊士の心と共にあったのでした(@^^)/~~~

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高杉晋作と奇兵隊の関係は、スティーブ・ジョブスとアップルコンピュータの関係に近いんじゃないかと思います。


スティーブ・ジョブスはIT界の革命児としてコンピュータ史に永遠に名前を残したでしょうが、ジョブス本人は極めてエキセントリックな性格で「友達にしたくないタイプ」でした。彼はもう会う人会う人みんなとトラブルを起こしているといっていいくらいで、一度はアップルコンピュータを潰しかけて(潰したのかな?)追放されてしまいました。しかし、スティーブ・ジョブスのいないアップルコンピュータなんてのは考えられなかったと思います。

同じように、高杉晋作もかなりエキセントリックな性格で一度「こうしたい」と言い出したら周りがなんといおうと牛のように周りを引きずりながら目的を達成してしまうところがありました。それがあの幕末という「非常時」には必要とされていたのも事実ではあるのですけどね。
しかしジョブスと同じように本人の性格そのものはトラブルメーカー以外の何物でもないので、一番とばっちりを食ったのは山縣有朋だったと思います。確かに奇兵隊を創設したのは高杉晋作でしたが、実際に内部を仕切っていたのは山縣有朋で、高杉晋作の尻拭いをいつもさせられていました。
山縣有朋は、高杉晋作とは対照的に周囲との協調を重視する慎重居士で、だからこそ奇兵隊は保てたといえるでしょうね。立場が逆だったら途中で空中分解していたでしょう。

「スティーブ・ジョブスが終始アップルコンピュータを統率できていたか」という質問に答えるのは難しいでしょう。天才に率いられていた集団だったからです。ジョブス自身もそのことにほとんど興味がなかったと思います。彼が偏執的にこだわったのは自分が夢見る製品を世に出しヒットさせることであり、アップルコンピュータを大きな会社にすることではありませんでした。だからマッキントッシュをパクったビル・ゲイツにコンピュータ帝国皇帝の座を奪われてしまったのです。
同じように、高杉晋作の夢は「身分に囚われない軍隊組織を作る」ということであり、その集団のああだこうだは、「狂介、お前がなんとかしとけ」という(彼にとっては)些末事だったのだと思います。まさに辞世の句のとおりに「面白き こともなき世を 面白く」して彼は幕末を流れ星のように駆け抜けたのです。
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