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 日露戦争 旅順攻城戦で、第三軍の遅滞ぶりに
しびれを切らした満州軍総参謀長の児玉源太郎は
越権行為であるが、乃木軍司令官の指揮権を奪い
203高地への攻撃を命令しました。

 映画「二百三高地」での描写では時々、遺体収容の
名目で24時間休戦が何度かあり、日露両軍兵士が交流して
ロシア兵はウォッカを、日本兵はタバコを交換し合う場面が
ありますが、その裏で、児玉は幕僚たちに「重砲隊を速やかに
高崎山に陣地転換して....」(多分砲兵科出身の豊島陽蔵が)
「速やかなる移動との仰せですが、砲床工事その他を含めますと
短時日では」「(児玉)「出来る。24時間以内にやれ」
と命令します。

 第三軍では内地から28サンチ砲を送ると言ってきても「ベトンが
乾くのに1か月以上かかる、そんなもの要らん」と断りますが
無理矢理送ると、特別構築班の手で1週間で前線に据え付けました。

 児玉は砲の素人ですが、砲兵科出身の参謀が無理だということを難なく
成し遂げました。

 実際重砲の据え付けは教科書と現実にかなりの乖離があるようですが
児玉が頭越しに当てずっぽうで「出来る」と言ったとしても、どういう工夫で
工事したのでしょうか。

A 回答 (4件)

陣地変換したのは、十二榴15門と、9センチ臼砲12門のみで、第三軍の全火砲・3百数10門のうちの数パーセントに過ぎません。

二十八榴のごときは、全く陣地変換していません。出来るわけがないのです。

また、児玉が第三軍の指揮権を執ったといわれていますが、全くの間違いです。

第三軍の軍司令官は、天皇によって任命されたものですので、児玉がこれを侵す、などといったことは、あり得ない間違いなのです。
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この回答へのお礼

 先ず、児玉の指揮権については天皇の裁可により
臨時でも”乃木解任、児玉後任”とするのが筋でしょうが
この場合は旅順攻略と、バルチック艦隊到着との時間競争に
なっていることと、旅順陥落後は第三軍は満州へ転戦する予定
なので、軍司令官に乃木は残さねばならず、児玉は乃木の相談に
預かるという形で指揮を執りました。もし乃木がゴネた場合に備え
大山総司令官からの書状も持っているとはいえ、使わずに済んだ
だけで、事実上児玉が指揮権を奪ったのではないでしょうか。
乃木更迭問題が議論されたとき、明治帝が「乃木を代えてはならん、
そのようなことをすれば...(以下省略)」戦局全般においても
乃木の名を残す必要があったからです。でも乃木軍司令官は
有名無実の立場になりました。

 また児玉は「重砲隊の陣地転換...」と言っているだけで二十八サンチ砲
を移動とは言っていません。
据え付けに1か月以上かかるという代物を1週間に短縮したとはいえ、これを
24時間でできるわけないでしょう。豊島陽蔵の「砲床工事その他を含めると
短時日では(無理じゃ、出来るかぃボケ~)」「24時間でやれ、これは命令じゃ」。
それをやり遂げた要因が何か、と言うのが質問の主旨でした。
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/16 23:03

児玉の介入がどんなものかは私にはわかりませんが、あの戦争での28センチ砲の移動は勝利に必須事項です。


よって一日でできるかどうかじゃないんですよ、一日で出来ようができまいが一日でやれという命令を出して(史実でとういった形で命令出したかもわかりませんが)、一日で間に合おうが間に合うまいが一刻も早く完成さえればいいんですよ。映画であればそういう状況を描写したんだろうなあ程度に漠然にとらえれば良いかと思います。

憶測ですが石灰コンクリートでしょうから、水減らして石灰多めに入れれば早めに固まるのでは?
強度が犠牲になりますが、どうせ精密射撃できる砲ではないので多少ひびが入ったところでいいでしょうし。
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この回答へのお礼

 海軍から重砲隊を派遣してもらっているので、
その移動かと思います。

 また203高地攻略の暁には山頂に観測所を設け
山越しに湾内の敵艦を狙い撃つ予定なので、要塞攻撃
ではアバウトでも、目標を定めた砲撃で照準にばらつきが
あっては目的を達成できないのでは。

 戦艦レトウィザンは黄海海戦の前に、湾内メクラ撃ちで
喫水部に被弾しているので、偶然の命中でこれほどの
損害が出るのなら、照準すれば全艦撃沈できます。
でもこのように陣地転換前に湾内を撃てる重砲陣地があるので、
これらは固定のままでよいと思いますが、旅順艦隊の
被害状況を日本軍が知っていたらですけど。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/16 22:18

児玉大将の28サンチ砲の陣地変換の件は、映画を面白くする為の脚色です。



実際には、児玉大将が到着する前に、第3軍は203高地に目をつけて、
陣地変換を開始しています。

また、実際に児玉大将が映画の様に、参謀達に命令行動を取ったのかは、正確には分かっていません。

大本営が、28サンチ砲を第3軍に送るか尋ねた時の返答も、
「ベトンが乾くのに1か月以上かかる、そんなもの要らん」
という理由ではないようです。

大本営には、そもそも、旅順要塞攻城戦に28サンチ砲を送る意見もありましたが、
運搬に不便なこと、旅順要塞を軽く見ていたため、この意見は見送られました。

しかし、第1次総攻撃が失敗すると、にわかに、28サンチ砲を要望する声が高まり、
とりあえず、鎮海湾要塞に輸送中の28サンチ砲6門を、これに振り向けたと言うのが真相です。
更に、満州軍総司令部の要望で、第2次分追加分、これも鎮海湾向け6門と、
第3次分、対馬向け6門の計12門の追加、計18門になりました。

従来1ヶ月を要していた工事を、1週間の短時間で設置出来たのは、
有坂少将から派遣された、砲床構築班長であった横田譲砲兵大尉が、
砲床に木材を使用したため可能になりました。

これで、答えになっているでしょうか?
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この回答へのお礼

 有坂、横田両氏の名前は聞き及んでいましたが、
コンクリートの代わりに木材を使用したのは
知りませんでした。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/15 23:29

小説や映画では児玉源太郎が指示したようになっていますが、


その小説の元とは別らしい資料によると、児玉源太郎が乃木の『激励』にやってくる以前に、乃木の幕僚によりこの重砲をもってくる決定がなされ、準備が進んでいたとのことです。

その小説というと、作者は司馬遼太郎ですが、「あの人は使った資料の質が悪かった」と評した、読書人にはわりと知られた歴史家がいます。
この歴史家が誰であったか、なんにそれが書いてあったかを言わなければなりませんが、本が見つかりません。
申し訳ありませんが、探すには手間と時間がかかり、すぐにはお答えできません。

映画は史実ではありません。映画「二○三高地」と司馬小説は関係ないかもしれませんが、乃木の作戦が悪く児玉が指揮権を代行したというのは共通のようですね。別な資料ではそうではないようです。

そして、乃木神社の宮司が司馬小説に憤慨して、たしか中西輝政氏の雑誌原稿ではなかったか、その乃木弁護の原稿の複製発行を(著者と出版社の許諾を得て)した、その小冊子を手に入れようとすれば、乃木神社でわかると思います。中西輝政ではなかったかもしれませんが、その場合はあしからず。

司馬は使った資料が悪かったと言った歴史家の名前を思い出せず、申し訳ありません。

なお、当時ロシアはこの要塞について「どんな軍隊が攻めてきても3年は守り通せる」と豪語していました。実際は乃木軍は半年で落したわけです。
工事についてのご質問からは外れますが、ご容赦ください。
この戦いには、ヨーロッパ各国の「観戦武官」が来ていて実際に戦闘を見ていましたが、ヨーロッパの戦史の常識から乃木の作戦に疑問を持った観戦武官はいません。
ロシアが3年もつと言った要塞を半年で攻略したことについて、ヨーロッパ諸国では「乃木とその将兵は奇跡を起こした」と評しました。これが世界の評価です。そして、乃木の塹壕による攻城戦は、世界の要塞攻略の基本戦術となっています。
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この回答へのお礼

司馬遼太郎の小説とは「坂の上の雲」ですね。司馬氏の
著書「殉死」では乃木希典を取り上げていますが、ものすごく
乃木を毛嫌いして、「坂の上の雲」同様乃木を無能の人と
決めつけた書き方です。

 実際、旅順要塞については日清戦争のとき、乃木旅団が
2日で陥落させたこと、乃木は旅順を知っているなどで軍司令官
に任命されますが(薩長閥のバランスも加味)児玉とてろくざま
近代要塞の認識がなく「竹矢来で囲っておけ」と、竹と縄の見積もり
をしていたとか。

 ただ、身一つ隠す木もないハゲ山で生身の兵隊が機関銃に突進して
行って要塞攻略をなせると考えた司令部の作戦は、司馬氏に無能
呼ばわりされても仕方ないかなと思います。
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/15 23:17

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