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ふと思ったことがあります。忘却は救いですか、残酷な罰でしょうか。
例えば、人の死を知った時、私たちは嘆きます。しかし、時間の経過によって私たちは悲しみの記憶を忘れていきます。それによって私たちは悲しみに明け暮れることなく、前を向けます。それと同時に忘れていく痛みを感じます。
酷い嫌がらせを受けた時、やられた時は激しい憤怒に襲われますが、時が経てばある程度細かいことは忘れます。それは確かに忘れられたことにはなるのですが、酷い嫌がらせを受けたことは忘れなかった場合、それはどう感じられるのでしょうか。思い出として美化されることもあれば、心の隅にずっと残る場合もあるでしょう。あなたの意見をお聞かせください。

A 回答 (5件)

こんばんは。

時々このカテゴリにお世話になっております。
質問者様の内容は・・・・とても哲学的なものですね。
しかし自分の経験から言うと

>忘却は救いですか、残酷な罰でしょうか。

救いでもありますが、決して罰ではありません。
そもそも罰なんて、誰が決めるのですか?カミサマですか?生憎私は神なんて信じていないので、それはともかく・・・・

例えば、記憶力が良い人がツライ事まで覚えていて、自決する程苦しんでいるとしますと(実体験)、忘却は救いです。なのにその人には一体何の罰が与えられるのでしょうか。
罰まで与えられるとしたらソイツは神でも無くただの邪神です。

人間の寿命は、残酷なほど長いものもあります。もちろん嬉しい事も楽しい事もあるでしょう。
しかし、逐一今までの経験を一切忘却も出来ないなんて、脳みそがショートします。

と、色々カキコしましたが、私は罰は無いと断言します。
長文失礼しました。
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大事な部分については忘れないものです。

親類が亡くなった時も、印象的なシーンについては十年しても思い出しますし、
嫌がらせを受けた場合でも、十年たってもあいつは酷い奴だった、と思い出します。
忘れるのではなく、痛みが癒されるというのは傷が塞がることであって、忘れるわけではないのでしょう。
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「幸福とは、健康と物忘れの早さである。

」(オードリー・ヘップバーン引用)
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救いになる場合もあるかと思います。



>それと同時に忘れていく痛みを感じます。
このような場合、個人的には対応すればいいとは思います。

>酷い嫌がらせを受けたことは忘れなかった場合、それはどう感じられるのでしょうか。
傷となったり、棘としていつまでも痛むことになることもあると思います。

自身の問題を忘れようとすることも、それはそれで悪いとは思いません。
忘れ行く痛みは、自身の訴えかけでもあると私は受け止めています。
摘み残した問題は、後々もっと大きな問題として浮上することもよくある事ですから。
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 忘却は救いです。



 心の痛みを和らげる、と云う事に於いて。
 心に残る“負担”も軽減されます。
 でも、riririreriさんが危惧するように、この“負担の軽減”を罪深く感じてしまう場合もあると思います。
 それは「良心」あればこそ。「良心」の成せる業、と云えるでしょう。

 この心の痛みを和らげてくれるのが、神仏です。
 神仏は人の心にある《懺悔の心、懺悔心》を受け止めてくれます。

 ☆ 何も悪い事をしている訳でもないのに、罪の意識を感じるのは「良心」の反応。

 「良心」は神仏の心に繋がって居ます。神仏の心は生命全体に繋がって居ます。でも、その個々の“生命”たちは自分ではない。同体ではない。
 でも、でも、神仏を通して繋がって居るんだ。
 
 だから、、、、、

 
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