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Old pond - frogs jumped in - sound of water
小泉八雲が、ご存じの名句を、英訳したものです。
ところで、私は、今まで飛び込む蛙は、疑うことなく、一匹と思っておりました。しかし、ハーンは複数の蛙、と解釈しています。
蛙の単数・複数などを解説して下さい。

A 回答 (9件)

単数か複数か曖昧な(判らない)ときの名詞は複数形を取るのが普通ですね。



>ハーンは複数の蛙、と解釈しています。
解釈しているとする根拠は何でしょうか?

日本人は複数形を(複数である)特別な場合と考える指向がありますが西洋人は単数形が(1つである)特殊な場合と考えます。
特定の蛙でも特定の1回でもなく普遍的な風景の描写と考えればfrogsで有ることに違和感は有りません。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<単数か複数か曖昧な(判らない)ときの名詞は複数形を取るのが普通ですね。>
これは、芭蕉の原句では蛙であり、単数か複数か曖昧ですので、複数と取るのが普通、ということですか?
frogsとsを付けているので、ハーンは複数と解釈している、と思います。
西洋人にとっては、単数か複数か曖昧な蛙は、複数と取るのが普通、ということですね。

お礼日時:2015/06/04 17:01

英語には詳しくないので恐縮ですが、八雲の愛読者として少し調べてみました。


 英語で 「無冠詞複数形」 で表す場合、例えば 「犬(という種の動物)」は「Dogs」 と表すように、ここでいう「Frogs」は単純な複数系(数匹のカエル)ではなく「種としてのカエル」のことではないでしょうか。
 少なくとも八雲は折口信夫や柳田國男とは言わないまでも日本民族学の先達でもあり、日本の超自然的な宗教的文化への造詣も深く、芭蕉の句の「ワビ・サビ」がわからないということはありえないと思うのです(複数のカエルが池に跳びこむ・・・結果・・ポチャン・・ポッチャン・・・ポッチャン・・・ってありえないですよね)。

 この芭蕉の句が「目の前で飛び込んだカエルを見た歌ではない」という専門家(?)の解説も以前、NHKの「100分DE名著『奥の細道』」の回で観た記憶があります・・・芭蕉の心象風景みたいな・・・。 こうなると「古池」にも「蛙」にも「水」にも「音」にも冠詞が一貫して全く使われていないのは八雲の訳だけなのです・・・。
 
http://www.linkage-club.co.jp/Q&A/Kanshi/kanshi6 …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
frogsは
<「種としてのカエル」>
とも考えられるのですね。そして、定冠詞の有無についても、意図的な何かがあるのですね。
英語についても低レベルである者にとっては、難しいことに関心を持ってしまったようです。

お礼日時:2015/06/04 21:54

『芭蕉古池伝説』復本一郎著 大修館書店 1988年


に記載されているので、図書館を探して見ては?。
ドナルド・キーンが単数形とか。外国人だから複数と云う訳では無いらしい。

ドナルド・キーン
The ancient pond
A frog leaps in

古来、かはづ(カジカカエル)は、鳴き声を愛でていたが、芭蕉が新しい感性を見出だした。

蛇足だが、一茶は、かへる軍の集団後尾(ヒキガエル)なので、複数にや。
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この回答へのお礼

早速にご回答ありがとうございました。
外国人もほとんど単数形ですね。数人は複数形ですが。

お礼日時:2015/06/04 21:37

日本では、せいぜい殿様カエルですが、海外にはでかい養殖の牛カエル(食用蛙)がいます。

あれは生息エリアに固まってたくさん居ますし、必要なエサの量も半端じゃないですから、カエルの群れってイメージでしょうね。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
海外では
<カエルの群れってイメージ>
があるのですね。ハーンがそれを連想したとしても、無理もない、のですね。

お礼日時:2015/06/04 21:33

追加のご質問について。



各国の蛙の生態以前に。
  「古池や蛙飛びこむ水の音」
には、それだけでシチュエーションが特定出来る要素が散りばめられていると思います。

この句の「古池」「水の音」から、主体が水音だけを聞いて古池を思い浮かべていることが伺えます。もし池を直に目ているなら「音」とは書かないと思いますから。
見えていない状態で「あの古池に蛙が飛び込んだな」とすぐ認識出来るくらい身近なものであることから、「古池」は民家の庭園で、主体はその敷地内にいると想像します。勿論自然の中の古池とも考えられますが、「野山を歩いている時に、古池を見ていない状態で、たまたまどこかの水音を聞いて、池に蛙が飛び込んだことを想像する」という状況は、ちょっと臨場感に欠ける気がします。
民家に備えられてる古池となると、野性味とか「たくさんの蛙」ではなく、やはり「静かさ」とか「一匹の蛙」といった趣になると思います。・・・日本人がこの句からそういう趣を感じてしまうのはそういった理由ではないでしょうか。
外国人である八雲は少なくとも生粋の日本人よりは日本の「あるある」に疎いでしょうから、そこまで考えられなくても不思議はないですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
眼目は、
<主体が水音だけを聞いて古池を思い浮かべている>
のですね。場所は、民家の庭園ですね。そして、
<やはり「静かさ」とか「一匹の蛙」といった趣になる>
のですね。鮮やかな推理の安楽椅子探偵ですね。・
八雲は日本人でないから、そこまで考えられなかったのすね。(私も
同様)

お礼日時:2015/06/04 19:54

私が子供のころ、田んぼのため池に行くと、


蛙がたくさん日向ぼっこをしていて、一匹飛び込むと
何匹か後を追うようにしてポチャポチャ飛び込んでいた。
そのような情景をハーンが経験していたのかはわからない。

ハーンについては、学生時代に数冊英語と日本語で読んだだけで、
彼がどんな感性を持った人だったのかは詳しくは知らない。
でも、a frog なのか、frogsなのかを悩まないで決めたとは思えない。

なぜ、frogsにしたのかは私が言っても、憶測にしかならないし、
まじめに、研究したりしている人からいわせると、とんでもない
勘違いになっちゃうかもしれないけど、、、

この訳を見ると、ハーンは俳句の575の形を文を切ることによって残し、
さらに、リズム感というかそれらがそれぞれつながっている感じも
訳にも残したいと考えていたと思う。 英語にする場合、5文字
というのを2words にした場合、7文字を3words 位で表現するのが、
リズム的によいと判断した可能性もあるかもしれない。
また、old... - a と母音がつながると若干文が途切れる感があるのを
嫌ったのかもしれない。

ま、どちらにしても私がハーンのことを知っているよりも、ハーンが
日本のことをよく知っていたのは事実だと思う。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
1.習性的に、蛙はポチャポチャ飛び込むことが多いのですね。
2.リズム感について、frogとfrogsの差が分かりません。
3.[母音がつながると>について、frogとfrogsの差が分かりません。

お礼日時:2015/06/04 19:34

読んだ人の解釈が全てなのは確かですが、英語だと単数形・複数形をどうしても表さないといけないのが現実ですよね。


自分もその訳は失敗だと思いました。その訳からはなんとか「特定されない蛙が、不定期に何度か飛び込んでいた」とも受け取れますが、それでもやはり「古池や蛙飛びこむ水の音」と聞けば多くの日本人は複数の蛙ではなく「ある蛙の一瞬」をイメージするでしょうし、芭蕉も日本人ですから当然そう受け取られると考えているでしょう。だとしたらやはり作者の意図を反映させて"a(one) frog"が的確だと思いました。

あと個人的には、過去形であることも少し趣旨を外している気もします。これは「作者の過去の記録」のような趣のもの(随筆)ではなく、「誰もが経験し得る普遍的な日常」として描かれているのでしょうから現在形の方が的確な気がします。

解釈(訳)について日本人有識者と議論する環境も無かったのでしょうから、外国人である八雲はその句からそう感じてしまったということかもしれません。まぁそういう時代でしょうね。
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この回答へのお礼

早急なご回答ありがとうございました。
ハーンは
<「特定されない蛙が、不定期に何度か飛び込んでいた」>
とイメージしただろう、ということですね。おそらく芭蕉も含め大半の日本人にとっては、
<「ある蛙の一瞬」>
として捕えるでしょうが。
私も、過去形が気になっています。過去の記録ではなく、現在の状況を切り取ったもの、と私は思っていましたから。

お礼日時:2015/06/04 14:35

日本のカエルなら一匹ですが、海外では大量のカエルが次々に飛び込むイメージにとる人も多いでしょう。


 解釈は、読んだ人の自由です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
気になったことがあり、念のためにお聞きします。
<日本のカエルなら一匹です>
について、カエルの飛び込む習性が異なっており、日本では一匹だけであり、外国では
<次々に飛び込む>
ということですか?

お礼日時:2015/06/04 11:29

人によっての捕らえ方の違いと思いますが、、、


あきらかに複数としているのは、ハーンだけのようですね。

勝手に人のブログの御紹介ですが、、、
http://hotonoha.blogspot.jp/2011/08/blog-post_17 …

しずけさや...
のセミの数も、複数、単数あるようで、、、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

まあ、日本人にとっては厳密なところを問わなくても良いが、
英語にするためには、はっきりさせなくてはいけないとのことで、
感性と想像力および、フローというか、流れで約しているんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
単数・複数に関しては、日本語では、良き意味でも悪しき意味でも、曖昧ですね。しかし、英語では、逃げることができないですね。大半の日本人は、この句の場合、一匹の蛙と考える、と思いますが、八雲は、なぜ、数匹、と考えたのでしょうか?

お礼日時:2015/06/04 11:22

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