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「あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交じらはんことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」
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最近考えたこと。 
人の寿命は限られており、いつかは必ず死にます。
しかし死ぬときは美しく死にたいものである。

<最もデジタル的な生死>
ある倉庫会社で働いていた彼は毎日フォークリフトを運転し、一年のうち数日を除いて毎日15時間働いていたとゆー。
ある日彼は仕事を終えて、家に帰り晩飯を食って風呂に入り寝入ったのであった。
次の朝彼の妻が彼を起こしに行くと彼は布団の中で死んでいたとゆー。
37歳であった。
あまりに完璧な死に様、あまりに完璧なデジタル的終結。

一方、

<最もアナログ的な生死>
ある年金事務所の受付係をしていた彼は65歳にて定年退職し、そのあと趣味の盆栽をしながら20年を暮らした。
続く10年ほどは何をするでもなく好きな酒を飲んで暮らしていたが、酒が祟って腎不全から多機能内蔵不全となり病院に入院する羽目になった。しかしもともと心臓は丈夫であったので直ぐに死ぬことはなく病院のベッドの上で点滴を受けながら続く10年を細々と生き続け100歳を超えたある日病院のベッドの上で息絶えた。
あまりに細々とした死に様、あまりにアナログ的生き様。

さてさてこの両者のうちどちらが美しいと言えよーか。
もし選ぶとすれば皆はどちらの生死を選ぶことになろーか。

「徒然草第七段 あだし野の露消ゆるときなく」の質問画像

A 回答 (2件)

徒然草では。

男は50女40にて死ぬこそよかるべし。ではなかったかな。と思いながら読むと。その先は、自作の付け足し文、みたいですね。最後に・・いえよ-か。・・なろ-か。で迷い道。けもの道、人の道、ちゃん、。と確信しました。先日こちらに。宗教と哲学、というしつもんがあり。あなたに変わり。じつは宗教カテ、があったが。すぐ炎上、非難合戦みたいな亊になるので、中止になり、そのメンバ-が、哲学カテに流れ込んだようです。とあなたに聞いた亊を答えようか、と思っていたら、締め切られました。
最もうつろな、クルミでさえ、割られるに際して、ポキッ、という音を立てる。は(ニ-チェ)ですが。
デジタル的とか、アナログ的、とか。どちらが美しいか。などと、死、に勿体をつて、何になるのでしょう。哲学、者(もの)には無縁の亊でしょう。
人の心、精神、などは、生きた人間の肉体という構造体に一体として付随しているものであり。死ねば、肉体が、死体という、物質に転化し、精神も、腐る、虫や鳥、動物の餌になる、植物の肥料になる、などの、方向性に転化、あるいは逆戻りするだけです。
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この回答へのお礼

>男は50女40にて死ぬこそよかるべし。

いやいや、それは逆であってそのよーなことは絶対にあってはなりませぬ。
男は40女50にて死ぬこそよかるべし。
これでないとダメでしょ。

お礼日時:2015/07/21 20:19

「あさましき」という言葉は嫌いです。



フォークリフト運転手の死は"気の毒死"。
年金事務所の受付係の死は"うらやま死"。

美しいと言える死は「志しある故の自決」。
だから、ここでは自殺イコール自決とはしません。

選ぶとすれば"うらやま死"です。
入院中、ぼけてなければ読書三昧出来るし。
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