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Aメジャースケールのダイアトニック4和音のみで曲を作っています。
その曲はDM7-C#m7…とよくある進行をしていてAの1度トニックが出てきません。
メロディーとコードにC#とDのアボイドノートが出てるのですが私の耳では違和感があるように聞こえません。
理論的にはメロディーとコードで調和しなくていい場合はどういうときなのでしょうか?

A 回答 (2件)

C#m7にD音を重ねるのは変です。

その進行ならBmかDM7のテンションをあてるべきところになっていませんか。

DのトニックにC#音を重ねたらDM7で当たり前です。7thがわかって作曲している方に、言うまでもないでしょう。

>理論的にはメロディーとコードで調和しなくていい場合はどういうときなのでしょうか?

コードは微分的に細かく付けることもあれば、おおまかに付けることもできます。コードは伴奏を意味しません。分析的な指標です。調和させるためにあるというより、メロディの進行に潜んだ構造を浮かび上がらせるものだと思います。見ようとする構造や、表現しようとする世界が繊細なら、コードは微分的に付けることになり、分析も細かく行います。

実際は音楽というのはスピードにも、延びた響きにも、頼っていますし、音のアタックの瞬間ばかり拾い上げていては美しくなりませんから、途中のコードを抜いて飛び飛びにしますよね。メロディと調和しないのは、コードをそのタイミングには付けていない時でしょう。

わたしはジャズのアマチュア演奏家でしたが、ピアノでバッキングするときに、フロントのメロディラインのアタックに和音をすばやく揃えることもありました。配置にテンションをかけますし不協和音もありますが、コードそのものが調和しないということはありえません。つまり表現の次元と、分析の次元は別でした。この点、クラシックの方は全アタックの和音を分析したりするので、理論上はしっちゃかめっちゃかになり、ジャズや軽音楽の「コード」という概念がいかに便利なものかわかります。
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C#とDはDM7の構成音ですから、「アボイドノート」(避けるべき音)ではありません。


「DM7→C#m7」や「DM7→C#7」のような進行は、バッハの時代から(あるいはそれ以前から)使われています。

ポピュラー系の音楽や、最近の「モダン」音楽では、表現の一手段として意図的に「アボイドノート」を使うこともありますから、「理論的に」というよりは、「表現として」どう判断するか、ということかと思います。
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