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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9102055.html
現在哲学カテゴリで上記の質問をしてゐます。

幕末日本に銃剣が存在してゐたのですか。また大名行列で使用してゐたのですか。

A 回答 (4件)

他のご質問にも絡むことですが


もし仮に当時銃剣があったとしても、それを処罰のために使うことはなかったでしょう。
剣術とは、いかに相手に勝つか、はもちろんのこと
その相手をいかに長く苦しまずに死なせることができるか、を求めたものだと聞きます。
そういった意味では、銃剣つまり短刀で刺しても苦しいだけでなかなか死にませんから
特に「処罰」の意味を持つ時には使わなかったのではないでしょうか。
日本刀で一撃で首を撥ねるのが武士の情けです。
切り刻んだりメッタ刺しは武士が行う正しい「処罰」のやり方ではありません。

それと、これは想像ですが
銃剣は戦闘装備ですから大名行列には使用しないと思います。
戦闘装備で行列をすると言うことは
いくら統制の緩くなった幕末でも許されなかったと思います。
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この回答へのお礼

御回答くださり、ありがたうございます。あちらの質問ページで論じると議題が逸れてしまひますので、銃剣につきましての話題はこちらへ移しました。

>日本刀で一撃で首を撥ねるのが武士の情けです。

これはおつしやるとほりと存じます。説得力のある御意見です。「部下」は殺害をためらつたくらゐですから、苦しませるのが目的ではありません。

>いくら統制の緩くなった幕末でも許されなかったと思います。

パクリ質問は許されてゐます。

お礼日時:2015/11/04 10:48

幕末には多くの藩が洋式に訓練された銃卒からなる部隊を


備えていました。弓隊と槍隊を廃止した藩も有りました。
その様な銃卒の銃は当然洋式で銃剣の装着が可能なものでした。

従って、大名行列の弓と槍隊に代わるものとして銃隊が
随行していました。
しかし、銃剣を何時も使えるように銃に装着していた訳ではあり
ません。銃剣を装着して行進するのは示威が目的の時だけです。
平時の大名行列で着剣は考えられません。

現代の儀仗兵は原則着剣ですが、あれは明確な示威目的だと思われ
ます(表面上は賓客への敬意)。現代の戦闘でも、上官の命令で
銃剣を装着し突撃するか、白兵戦の時だけです。(歩哨は別。)

さて、大名行列に随行する銃隊は藩の兵力の極く一部で、示威目的から
その藩の新式銃を携行した、1~3小隊程度のものと思われます。
当時の小隊の規模は藩によりバラツキが有り、10~40人と言われて
います。小隊構成は、この人数の銃卒と帯刀の士官(銃は持たない)が
1人だったでしょう。

他のご質問に答え忘れましたが、次の補足をしておきます。
百姓を切る様に命じられたのはこの小隊士官(下士官)、命じたのは
銃隊全体の士官、それを処断した上級士官は行列全体の管理に係わる
上級者と推定できます。

他の方の回答にもありますが、銃剣は使い難いものだったらしく、
後の国内戦争では銃卒でさえ白兵戦では刀を使いました。
シュリーマンが<銃剣で一突きするよう命じた>記述が正しいのかは
疑問です。銃卒より他の小隊の士官に「切るよう命じた」が正しい
様に思いますが。

蛇足ですが、銃剣の使い難さに付いて。
塹壕戦と白兵戦が繰り広げられた第一次世界大戦を描いた
「西部戦線異状無し」に、銃剣は刺した後で抜くのが大変で、古参兵は
塹壕掘り用のスコップを研いで使ったとの記述が有ります。
軽くて振り回し易く、抜く手間も掛らず、胴を横から真っ二つに
する事もできたそうです。
第一次大戦の兵士と同時代の人の記録です。
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この回答へのお礼

こちらにも回答をいただき、ありがたうございます。切捨御免の質問ページでlupin344さんから指摘をいただいたのですが、大名行列といふのは、私の記憶違ひで、確認をせずに質問を立ててゐました。ここでは大名行列といふことで話をすすめます。

>平時の大名行列で着剣は考えられません。

承知いたしました。

>百姓を切る様に命じられたのはこの小隊士官(下士官)、命じたのは銃隊全体の士官、それを処断した上級士官は行列全体の管理に係わる上級者と推定できます。

複雑なのですね。シュリーマンは短期滞在で詳細な事情はわからないでせうから。

>銃剣は使い難いものだったらしく

回答番号2の方もおつしやつてゐますが、これはそんな気がします。使ひこなすには、それなりの訓練がいりさうです。

お礼日時:2015/11/05 22:19

幕末に洋式小銃が導入された際に銃剣も入ってきており、いくつかの藩で採用することもあったようです。

薩長軍では不評であったという逸話も残っています。
 大名行列で使われたかどうかは記録がありませんが、行列の編成の中に鉄砲組はありますから、洋式調練を採用した大名の行列であれば洋式銃とともにあったかもしれませんね。
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この回答へのお礼

御回答ありがたうございます。銃剣と大名行列との関係は時代的に微妙なやうですね。西洋ではかなり普及してゐたことは確かと思はれますので、日本に入つてきてゐても不思議ではありません。時代劇で描かれないので知名度が薄いだけなのかもしれません。

>薩長軍では不評であったという逸話も残っています。

私も携帯電話は電話機能しか使ひません。正確には使へません。複合機能もよしあしです。

アホの私でもわかる当時の文献がありましたら、御教示ください。

お礼日時:2015/11/04 09:52

幕末に銃剣はありません


銃剣が装備されるようになったころにはもう大名行列はありません
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この回答へのお礼

こちらでも回答を寄せてくださり、ありがたうございます。文献資料を見てゐませんので、判断ができません。ウイキペディア日本語版には、幕末期(天保)には銃剣が導入されてゐたといふ記載がありますが、根拠が示されてゐません。

湾岸戦争でステルス機がはなばなしく活躍したのと同じやうに、大名行列においても最新鋭の銃剣を使つてみたくなつたのではないでせうか。

お礼日時:2015/11/04 09:38

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