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質問です。

センスとか才能っていつ、どこで、どのように決まりますか??

文章のセンスが良いとか、歌唱力のセンスが良いとか、芸術のセンスが良いとかあるじゃないですか。

そういうのって、「得意だからセンスが良い」て言うだけではないと思います。
ヒラメキでしょうか?
それか突然天から突然降ってくるものでしょうか?
生まれ持った才能でしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

人間の「能力」の主要なものは、脳のはたらきに基づきます。


脳の神経線維(ニューロン)は、生後の五感の相関した刺激に
基づいて伸び始め、生後数ヶ月までで大半の伸長は終ります。
さらに数歳まではその交点のスイッチ(シナプス結合)の形成は
続きますが、それ以降は、既成のスイッチのオン・オフに留まり
ます。
もちろん遺伝的影響による発達の“傾向”はありますが、ある時期に
刺激がなければ発達もしない事は、縦じま環境で飼育した実験
動物を横じま環境に置くと正しく認識できずフラつくとか、目の
見えなかった人が成長してから手術で見えるようになっても、回復
不能の視覚障害が残るといった臨床例からも明らかとなっています。

つまり、丸暗記の勉強(表面的に情報量は多くても五感の相関に
よる回路の形成=新のビット量は少ない)を幼児期から行なうと、
知能の発達にマイナスである事が、戦後の孤児施設による研究に
より明らかになっている(ホスピタリズムと呼ぶ)。
つまり、幼児期は文字や声ではなく、五感の相関した刺激(遊び)
において神経線維網(ニューロネット)を発達させるべき時期で
あり、丸暗記や外国語などは十歳以降に行なうべきなのだ。
よくある「子供の時は利発で神童だが、成長するにつれ遊んでた
ガキに抜かれる(特に意欲、創造力において)」という現象は、
そこに由来するのです。
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センスって、二つあると思います。



一つは、時代に合ったセンスです
文章にしても、歌にしても、センスの善し悪しという
評価は、時代によって変わる場合があります。

一昔前の歌なんか聴いていられない、てのも
ありますよ。
文章にしてもそうです。
大家なんて文豪の文章だって、読むに耐えなくなって
いる時があります。

こういうセンスは、時代に合致しているかで
決まります。
だから、これは運です。
その人も持っているセンスが、その時代に合致
すれば、それはセンスが善いということになります。


一つは、時代を超えても通用するセンスです。
これは時代によって評価は左右されません。

こういうセンスは、もはや才能でしょう。
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才能でしょうね。


もともと脚が遅くて体力なければスポーツはだいたいダメでしょうね。勉強も訓練である程度いくけど、やはり地頭のいい子は幼い頃から違うかな~うちの姪は塾も行ったことなく毎日テレビ見て漫画読んで宿題しかしてないけど、ずっと学年一番で難関の進学校に入りそのまんまストレートで国立大学です。私は絵を多少描きますけど幼稚園から自然に上手かった…手前みそでスミマセン。 絵なんかは描き慣れもあるけど下手な人はどうしようもない。描き方や法則はあるけど先天的に上手い人には、まず敵わない。これらは理屈でなくもともとのセンスで磨きを掛ければさらに光るのは当たり前。
楽器しかり、料理しかりです。
とはいえ、楽しんでやれるのなら下手でも何でもいいし何より楽しめる事が一番大切でしょうね。
私も下手だけど何十年も楽器してます大好きだけど上手い高校生に及びません。それでいい。
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偶然とそれを引き出す確率を高める努力によって


センスの良しあしは決まるんじゃないかと思います。

先天的な能力の枠組みはある中で
努力しているうちに
きっかけがつかめてセンスが磨かれる。
能力ときっかけは偶然。努力は人為。
この三つがかみ合ったときに
「センスがいい」ということになる。

そんな感じだと思います。
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センスにも色々ありますが、誰にでも解り易い例を紹介します。

センスのある例です。

そう、貼付けた例はセンスがありウチワがない。この例で判るように、センスは、電通や博報堂によって決めらる場合があります。そこの社員が、その人を売り出そうと決めるのです。後は、パクリとマスコミを通じた大宣伝。さらに、センスのある作品を仲間内で持ち回りで決めて行く。だから、電通や博報堂と如何にコネを作るかの努力や、出自がこの場合のセンスがあると認めてもらう上で最重要となりますね。

以前、シドニーオリンピックの開会式で森英恵のデザインしたマントを着て日本選手が行進したときには、世界中がそのセンスに唖然とさせられましたね。下のURLでそのセンスをご鑑賞下さい。

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AA%E3%8 …


この場合も、電通等がセンスを決めたんだと思いますが、如何なものでしょうか。
「センスっていつ、どこで、どのように決まる」の回答画像11
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好きこそものの上手なれ、と言うように、好きだからやる、好きだから毎日やる、好きだから、研究するし、勉強する。

好きな事を好きなだけやれる環境がある人は少ないですが、多くは時間を作ってその好きな事をやりますよね。そして、趣味が高じてプロになるとか、そういう事も起こる。

次に大事な事を言えば、やって行く内に、良いものを良いと感じられる、良さがわかるようになる事、でしょうか。この事によって、これは好きでは無いけれどこの部分は凄い、などと言うように、吸収できるものの幅が広がります。そうこうしていく内に、癖と好みの違いがわかる様になり、さらに上手くなって行くのです。この様に培われるのがセンスであり才と言われるものです。

また、物真似はセンスの素地を作るのに役立ちます。物真似からその道に入る人も少なく無いのです。しかしここでも、何の物真似をするかと言えば、好きなものの真似をするのですから、冒頭に述べた事に集約やれます。
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センスとか、才能とか、その人が持っているものではありません。



ご質問のどこで、どのように決まるかは、他人が、何かを感じたときに決まります。
その反射的効果がセンスであり才能となって映るわけです。

他人なしには、センスも、才能もありません。

甘いリンゴは、確かに甘みを持っています。
しかし、リンゴは、その甘みを味わってくれる人がいなければ甘みを味わったという経験が生まれません。
リンゴの甘みが才能なのではなくて、それが味わわれた総体の反射が才能なんです。


どれだけ文章のセンスがいいかは、読み手が決めます。語学力は要素。
歌唱力も、聞き手が決めます。音程や発声法も要素であって、音痴でも味のある歌手がいますね。

そいことです。
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こんにちは、edwinxさん。






>センスっていつ、どこで、どのように決まるの?
:いつでもどこでもどのようにでも
決まるし変動します、磨かれるし退化します。




>センスっていつ、どこで、どのように決まるの?
:ええ、いつだってどこでだってどのようにだって
五感を鍛えることはできますから。

例えば芸術のセンスを磨きたいなら
空や海やそのへんのスズメやそのへんの雑草や
季節の花やグラウンドの埃や畑の果実や
駅前の人の群れやその人たちの歩き方や表情や
そんないろいろに関心を持って【よく観る】、
ということを続けているうちに磨かれます。

スポーツのセンス?それなら、
今日からスクワットと腕立て伏せと
うんていと鉄棒ぐらいしたらいいんです。
あとは種目によりますが、
練習(訓練)することと、
現場を【よく観る】ことです。


ほとんどのセンスは
【よく観る】【よく聴く】【よく味わう】
を始め、没頭することで磨かれます。
料理もそう、音楽もそう、服装もそう、
パーティーでの立ち居振る舞いもそう、
どの言葉を選び(あるいは作り)
どのように表現するかもそう。




___________





関心を持ち没頭することですね。
関心を持ち没頭するためには、自分に
体力や気力や余裕がなくてはなりませんね、
それならそのような状態になれるよう
自分を大切に管理する必要がありますね。




___________




以下余談。



◇余談その1.
わたしは成功者が
「努力していますから~!」
「頑張りましたから~!」
とやたら盛大にアピールする姿勢
はあまり好みませんが、
エジソンも99%の努力と言っていますね。


◇余談その2.
わたしはフィットネスGYMで
インストラクターをしていましたが、
午前中スタジオレッスンに参加する会員様は、
9割以上が60代~70代の人なんですね、
まあつまり定年退職してお金がある人ですね、
たぶん余裕があるし娯楽に貪欲なのでしょうね、
数回通っていただくと、
ものすごく上手にダンスをするのですよ、
普段、音楽を聴いたり運動をしていない若者は、
その60代や70代の人たちから「ダサッ!」
と言われるでしょうね。






◇余談その3.
人はそれぞれユニークな遺伝子を持っています。
同じ【センス】を持った人は、
自分以外に誰もいません。
誰だって得意なことと苦手なことがあります。
余談の余談になりますが、
日本の義務教育は、
苦手を克服することばかりに力を入れ、
得意を伸ばすことをおろそかにしすぎ!
つまり【普通の人】を生産しなくては!
という思想に染まり過ぎぢゃないですかね。





わたしは2級精神障害者なんですけどね、
得意なことと苦手なことと両極端でね、
音楽や美術やスポーツは大好きで
楽しくて得意なんですけどね、
文章を書いたりお金の管理をしたり、
部屋の整理整頓をするのは苦手なんですよ。


苦手なことがあるのは悪いことではありません、
他人と補い合えばよいことです。



___________





どっちつかずの、
宙ぶらりんな回答になってしまい
大変申し訳ありません。


センスにつきましては、
【個人・本人だけの力】
ではどうしようもないこともあります。

別にセンスが無いのは悪いことではないので、
このセンスが欲しい!というときは、
そのセンスを持っている人を探し、
質問をしたり助けを求めたらいいんです。





ところで質問者様は
何かのセンスを求めているのでせうか。





多くの人が、
【センスの良い人】を観ると
【関心】より強い
【感心】【歓心】【憧憬】【尊敬】【畏れ】
などを抱くと思うのですが、


いつも自分と他人を比べていたら、
自分が疲れてしまいます。
ですから、毎日毎日、
自分の生きた一日を褒め称える、
ことができるように生活し、
また実際、毎日毎日
自分の生きた1日を褒め称えることですね。
ああ、それから明日も明後日も
毎日毎日そうすることですね。







長くなりまして申し訳ありません。
お読みいただきましてありがとうございました。






的外れでしたら申し訳ありません。
補足要求受け付けます。
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センスは感動する心によって磨かれていきます。

感動する心を持つのには、豊かな環境が欠かせません。その感動によって刺激された何かを自分なりに表現できる機会も必要です。ストレスに囲まれていたのでは、感動する心は育ちません。生まれながらにして備わった素質もセンスを育むのに影響します。
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センスや才能というのは、「いつでも・どこでも・どのようにでも」変化するものであって、


決まった数値があるようなものではないと思います。
かつて一流と呼ばれた人が「才能が枯渇した」「センスが悪くなった」と言われる事もある
反面、凡庸だと評価された人が不断の努力によって「センスを磨き」「才能を開花させた」
例だって世の中にはありますから。
ヒラメキや天啓や生まれ持った資質は、センス・才能を構成する一要素でしかないと考えた
ほうが、事実に即しているのではないでしょうか。
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