本当の、とか書くと、本当じゃない楽しみもあるのか、という話にもなりますが、ここでは、皆さんの本当に味わいたい楽しみとは何か?と言う問いと置き換えて頂いても結構です。
世の中には、好きなことをしている楽しみ、健康であると言う楽しみ、仕事を覚える楽しみ、友人、家族や恋人がいる楽しみ、悠々自適の楽しみ、趣味の楽しみ、飯がうめーなどと言う楽しみ、細かく数えればたくさんの楽しみがあります。
しかしながら、哲学や何がしかの探求をするならば、自由と言う楽しみとか、安らぎと言う楽しみとか、無敵である楽しみとか、ありのままであれる楽しみとか、そう言った抽象的に表される楽しみも現れて来ると思います。
さて、具象か抽象かは置いておいて、皆さんの深く思う所の楽しみとは何でしょうか。
どうぞよろしくお願いします。(出来れば、皆さん自身の思う所の、最もすぐれたる楽しみについて考究してお答えいただけると、幸いです。)
No.12
- 回答日時:
追記:
どこで読んだか忘れたが、西洋崇拝の毛唐かぶれした無教養人がいて、日本には西洋人のように創造的は営みだけを目的とした芸術活動が生まれなかった、あったのは職人だけだった、なんて途轍もなく底の浅いことを言っていた輩がいた。そ奴、日本人が皆芸術家で、職人もその例だったなんてことがまるっきり判っていないんだね。どこの大学を出たか知らんが、勉強のできる奴って、こんな節穴で無教養な連中が多いんだよね。
前にも書いたんだが、アメリカのミサイルの方向制御器用ジャイロを支えるボールベアリングも、潜水艦の無音ベアリングも、日本製じゃなくちゃ話しにならないんのだ。昔ソ連が自国では限りなく球に近いボールベアリングを作ることができず、その結果、大陸間弾道弾ミサイルの命中率が悪かった。日本からは軍事用にボールベアリングを輸入できなかったので、日本製の市販のミシンを大量に買って、そのボールベアリングを使って命中率を上げていたんだそうだ。そのボールベアリングを作っているのは、何とか大学卒業の頭でっかちや官僚たちじゃなくって、中小企業のおじちゃんやおばさんたちだ。限り無く球に近いボールベアリングを作ってみせる。これは立派な芸術家の創造的営みなんだ。だから、日本の職人は昔から芸術家だったんだし、今でも抜きん出た芸術家なんだ。
外国人が日本にきて日本の素晴しさをべた褒めにして帰って行く理由は、本人は気がついていないが無意識のうちに、日本人て皆芸術家だって言うことを認識してしまうからなんだろうと思う。
んで、#3で書いて置いたゆとりたちよぅ。#11は本歌取りの例なんだが、判るかな?ゆとり世代以外にこの質問をしたら失礼なんだが、あたしの経験じゃ、ゆとりって驚くほど学校で何も教わらずに来てしまっているんで、こんな失礼な質問でも、失礼でないってえのが、ゆとり世代の驚きなんだ。こんな質問をするとは何と失礼な、ってな反応をしてくれるゆとり世代の人がいたら、あたしも安心して嬉しくなれるんだけれどもね。
日本製のレンズは芸術品だという評価が国際的に為されている話も聞いたことがあります。業物という言葉がありますが、刀剣だけでなく、ボールベアリングやレンズにおいても、この言葉が大いに適用されるのではないでしょうか。卓抜した手技のことを神業とも言いますが、日本人の手にはそれが宿るのでしょう。その理由には、何か奥深いものがあるのかもしれないし、もしかしたら、それが楽しいからというシンプルな理由によってそうなっているのかもしれません。以前、宮大工の棟梁が、「日本の伝統を背負う?何言ってんだ只の大工だよ。楽しいから(大工を)やってる」って言ってましたから。
ゆとり世代の友人もいますが、どうなんでしょう、たぶん芭蕉の歌や鴨長明くらいは知っているはず、、、たぶんw
No.9
- 回答日時:
"本当の、とか書くと、本当じゃない楽しみもあるのか"
↑
どうでもいい軽い楽しみもあるし、人間存在の本質に
関わる楽しみもある。
世間的に評価される楽しみもあるし、軽蔑される楽しみ
もある、てなことでしょう。
”皆さんの深く思う所の楽しみとは何でしょうか。”
↑
小さな楽しみは、それこそいくらでもあります。
静かですが、大きな楽しみは二つあります。
1,自己啓発の楽しみ。
自分がステップアップしていく、てのは愉しいものです。
それが錯覚であってもです。
2,嫁さんが幸せになる楽しみ。
以前は暗かった嫁さんが、徐々に明るく笑顔に
なっていく様を見るのは楽しいです。
素晴らしいですね。
1.も2.もどちらも素晴らしいですが、私は特に2.が素晴らしいと思いました。
自己啓発によって自分の見方や内面の変化が起こり、新たな生き方ができてくると、人生自体が柔軟になりそうです。
また、身近な人のしあわせを感じられるのは、ただ、本当に素晴らしい事だとおもいました。
ありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
深くて新鮮で張りのある内的体験!
個人の内側への掘り下げ
他人との付き合いの中で
環境との出会いにおいて
行動や体験することから
内側に響くものをつかむことが楽しいですね。
インナーエクスペリエンスですか。(勝手に英語調にしてみたf^_^;))
私は二十代初め頃、ギターで作詞作曲などをして悦に入っていた事がありますが、それはまさしく内的体験だったと、今回のご回答を頂いて思い出しました。
湧き出る創作意欲は、まさに自分自身との出会いであったでしょう。
スズメさんの場合はどの様な体験が、内的体験にあたりますか?
是非お聞きしたいですね^_^
内側に響くもの、自己の新たな内面を喚起してくれるもの、そんな体験が、私も気になります。
No.7
- 回答日時:
お礼、ありがとうございます。
>訂正するのは容易ではありませんね。
確かに。
そして訂正は本人しかできませんからね。
>愚者は弁舌で人を傷つけては、笑いながら不幸になって行きます。
これは、かっこいいですね(^ ^)
自前でしょうか?
縁は、あほなさんなら大丈夫です。
おっしゃるように、善きことと善き人が集まりますから。
あほなさんは、宮沢賢治をご存知でしょうか?
作品だけで無く、生き方含めてと言うか生き方全般ですが。
彼を目指していた訳で無く、いつの間にかああ言う感じの
生き方にたどり着いてしまったのですが。
そこで長らく過ごしたのち今になって思うに、善き人や善きことを
私はどうも永らく履き違えていたのではないかと。
その部分の伝えたい言葉が、今は見つけられず上手く言い表せません。
1つだけ言えるのは、外にあるものを比べてジャッジせず
自分が自分として感じる「良し」や「善し」に自分として
やって行くだけで、実はちゃんと善きに行けるだろうと言うことです。
善を目指すと、善にたどり着かない。
自身の中に持つものに従えば、大きくそれることはないでしょう。
あほなさんはあほなさんで居れば、十分だと思います。
ご自分がやりたいことが、人のためになることとちゃんと重なる時が
そこが見えるようになる時が、いつか来るのではないかと思います。
お人好しは、くれぐれも自分を置き去りにしないことだと思います。
「善に苦しむは善に非ず」(自前)です。
老婆心でしょうかね(苦笑)
ん? ケツが青かったですか。
じゃぁ大丈夫ですかね。
ありがとうございます^_^
もう年の瀬ですね。
年を取る毎に時の流れが加速して行ってるのを感じます。そんな中で、縁というものをより大切にして行きたいなと、ご回答をもらって思いました。
外にある事、あいつはダメだ、こいつはダメだと言っては自分から離れ、批判ばかりしていては、得られる出会いもそっぽを向いてしまう事でしょう。
おっしゃるように、自分に問うて、善なるものと善悪の軛を見定めて、自ら歩む事を宗としたいなと。
ところで、宮沢賢治ですか。いいですね、私も共感します。宮沢賢治の事は少ししか知らないのですが、ゆったりと流れる川の様な、細く湧き出る泉の様な、そんなものをイメージします。
カントアイさん、今年は暖冬らしいですが、冬も深まり風邪などお引きにならないよう、お過ごし下さいませ^_^
また来年も、どうぞよろしくお願いします。
(勿論年内のさらなるご回答も歓迎ですf^_^;))
No.6
- 回答日時:
「三世変わらざるを性という」という言葉があります。
人は持って生まれた性質、性格というものがあり、それに
よって、実に多彩な「楽しみ」というものが存在すると思
います。
人の数に比べ、実際に追及されている「楽しみ」の数がま
だまだ限られていると感じます。
社会の仕組みというものがあるので難しいのですが、好き
なことをやるというのが、基本であると思います。
それが職業にできれば言うことないわけですが‥
普遍的な部分は、「どれだけ世のため人のためになるか」
であると思います。
また、陳腐な言葉を言い出したなとお思いかも知れません
が、自分が楽しむことを第一義にしている内は、まだまだ
ケツが青い。
人のためということを第一義にしてやってゆくことが、深
い楽しみであると常々思っています。
てなことを、言ってみましたが‥
おもしろいご回答をありがとうございます。(^○^)
私のケツはまだまだ青いかも知れません。ニャンポコさんのケツは熟れていますか?
よく、やりたいこと、好きなことと、できることが違うという場合、どうすれば良いのだろうと葛藤します。世のため人のためならば、できることをすべきですが、自分のためならやりたいことをすべきです。
しかし、楽しみを追求するならば、おっしゃる様にやりたいこと、好きなことが基本になって、それが出来るようにもなる、という道と、出来ることをやっていくうちにそれが好きになるという道があると思います。何方も円満に解決できるものならば、選択の際に生じる迷いも払拭出来そうです。
各々が持つ性によってその楽しみも変わり、多様性のあるものだというご指摘は納得いくものでした。実に様々な楽しみが眠っているのでしょうね。発掘せねば勿体無い!
No.5
- 回答日時:
お礼、ありがとうございます。
>楽しい話の出来る相手というのは、互いを尊重することが出来る相手なのかなと思っています。鋭い指摘を受けても、話して良かったという帰結に落ち着きます。
確かに、尊重は大切です。
尊重すると言うのは、相手の話しを聴いて理解に努めると
いうことですからね。
違いを認められることが、尊重を得られることだと思います。
お人好しですか(^ ^)
私も同じですから、あほなさんを見ていてよく分かります。
たとえば、このような場所での会話においても楽しいかは
益があるかどうかだと思います。
有益でなければ、楽しさは生じません。
自分にとって無益だと、結局は止めることになります。
有益・無益は人によって違うかもしれません。
私にとって無益は、一方通行である時(質問を立てっぱなし含む)
初めからやりとりの目的が別にある時(否定・認めさせる・けなすことで
優越感を得る などなど)、相手の為にならない時。
そのような無益は、互いによく思えない関係ですから
関わらないのが有益になります。
自分の時間は限られていますから、無益に浪費するなら
楽しくはありませんよね。
情報の共有であったり、自分に無い考えとの出会いであったり
いい意味で相手に喜ばれたり、何がしか互いに益を得ることで
関係性は持続できる(楽しさが有るから)と思います。
一方だけが益を得ようとする時、周りが関係を絶って行きます。
それはそれでいいと、私は思います。
関係が絶たれるのが嫌であれば、見直すチャンスが来ていると言うことです。
楽しみは共有から膨らみます。
一人の楽しみは一人でやればいいですし、分かち合う楽しみは
解って欲しい・解らせようでなく、まず相手の話しを
分かろうとするから分かち合えると、あほなさんは気づかれていると
私は思っています。
それが有るからこそ話しの発展が有り、膨らみが出てくるので
1+1が3でも10にでもなる可能性がある訳ですよね。
その有益性が、次の繋がりを生み出します。
それが、家族でも友人でも同僚でも仕事先でも同じだと思います。
人と繋がる楽しさは、ある意味代えがたい楽しさであると思います。
ここは人間の本質での楽しさですから、無くすことができない部分ですね。
元々が、全世界の人と付き合える訳では無いので
どこで選択をするか、それぞれの線引きだと思います。
楽しくない関係は、何らかの見直しが必要ですよね。
そうそう、楽しさを得るなら見直す勇気は必要だと思います。
おっしゃる通りかと思います。
一方通行、ズレている事などは、訂正するのは容易ではありませんね。お手上げという場合も少なくないです。そんな時に、相手を尊重すると言う気持ちがあるなら、ちょっと待てよ、こっちかな?と、相互理解の方へ、手探りながらも舵を切る事ができます。自分が全てのままでは、新しい世界を知る事もできませんね。
人はコミュニケーションに時間を費やします。人生において、時間というのは貴重なものです。そう言うものを、わざわざ諍いに費やすというのは、私には愚かに感じられてなりません。人は、生まれた時には口に斧をもって生まれると言われます。愚者は弁舌で人を傷つけては、笑いながら不幸になって行きます。自分では良い線を行っていると思っては、他の人の謙った諌めや忠告にも耳を貸さず、悪行を繰り返します。
人との縁は選ぶ事もなかなか難しく、線引きをしたつもりでも巡って来るものですが、自分の周りに集っている人を見れば、自分がどの様な者であるかが分かります。そんな中で、自らの過ちを正すなら、また巡り会いにも変化がでてきます。善人は善き事や人に惹かれ、悪人は悪い事や人に惹かれるものだからです。
No.4
- 回答日時:
智者達の中に割って入るのは気の引ける思いがしますが・・・
刹那的な楽しみと持続的な楽しみがあると思います。
或いは、停滞型と発展型が。
所謂、"娯楽"を刹那型、停滞型とすれば知的楽しみは持続的であり、発展型であると云えると思います。
知的な楽しみこそ、人の心を捕えて離さないのではないでしょうか。
"その事"に飽きると云う事が無いように思うのです。
ここ、哲学カテに住んでそう思うようになりました。
いらっしゃいませ^_^
常々個性的なご回答を下さるyy8さん、遠慮しないでください(^○^)あほなの質問ではいつでも歓迎ですよ。
私は娯楽、漫画やゲーム、アニメ、映画で少年時代の少なくない部分を過ごし、その影響を多分に受けて育って来たので、それの全てが刹那的かと言われると、いやいや、普遍的な名作もあったぞ、と言いたい気持ちはあります。しかし振り返ってみると、それらの大部分を卒業した自分があるのを否定する事もできません。
一方、大人になってから追求し始めた事は、まだ進行形であり、決着の付いてない事ですので、飽きるにはまだ早いというものではあります。
知的探求と言うものを自分が出来ているかは疑問ですが、そこに深い諭しがあり得る事は分かっているつもりです。yy8さんが、発展的と形容なさるところのそれは、後の人格形成や人生の歩き方に関わってくるという意味と捉えました。
そんな重大なことを、楽しみながら出来るなら、それは素晴らしいことだと思います。楽しむこともまた、忘れるべきでは無いんだなと思いました。
No.3
- 回答日時:
もうずっと昔に突然気がついたことがあったんだよね。
そうか、私って何かに驚いたときにいつも楽しく嬉しくなるって。驚いたときって、いつも何かを発見するんだ。そして今まで見えなかった新しい世界が見えて来る。だから、私の学生には、もし交通事故に会ったら喜べるような人間になっておかなくちゃいかんて教育している。つい最近も、ゆとり教育にとっぷりつかった大学院生の洗脳をしたんだが、
「人間、幼児から高校生当たりまでは脳の吸収力が大人の数万倍数百万倍ある。だから、大人を基準にして判断をしては駄目で、子供は詰め込んでも詰め込んでも大人のような負担なんか無いんだ。そしてその詰め込まれた物は大人になってから人生を途轍もなく豊かで楽しいものにしてくれる。でも、お前らはゆとり教育のお陰で、あたしたちの半分も詰め込まれていないんで、人生のカテの途轍もない部分が欠落しちまったんだ。んで、お前らはもう25も過ぎている。だから詰め込みはもう手遅れだ。要するに、もう被害にあっちまったんで、取り返そうたって、お前のDNAがそれを許さないんだ。そんな状態なのに、いや、ゆとり教育にも良いところがあったはずなんて今更足掻いても無駄だ。
んで、驚きの奇策を教えて進ぜよう。要するにお前らは被害者だったという事実を先ず受け入れよ。そうすれば、お前らの同世代は皆被害者で、周りの連中は人生のカテの途轍もない部分が欠落しちまったん奴らばかりだってことに思い至れるようになる。しかし、ほとんどの奴らはそのことに気付かないんで、自分を改良するにも改良する機会が無いんだ。でも、お前はそのことに気づいた。だからお前は、一寸した努力で、そんな周りの程度の低いゆとり世代の連中から一歩抜きん出ることが比較的簡単にできる。あたしなんか、詰め込み世代だったんで同世代の質が高過ぎて、同世代の連中から一歩抜きん出ることなんか簡単にできる世代じゃなかったんだ。ある意味、お前らがゆとり世代に生まれて来たのは、俺たちより幸運だったとも考えられる。
だからもっと勉強して、「あいつは少なくとも同世代の中では物知りだ」と言われるように努力せい。お前たちの先輩がそのことに気づいたら、あんたに協力して上げようって気なるかも知れん。そして、もしかしたら、失ってしまっていたと思っていたものが、忽然とお前らの前に現れて、驚きの楽しい人生が待っているかも知れんぞ」
ってな檄を飛ばしたばかりだ。どうだ、どんなことでも驚きは新しい世界を見せてくれるんだ。
ふふ、猪突さんの回答はいつもエネルギッシュですね^_^
ご回答ありがとうございます。
驚きですか。。
そう言えば、私は二十歳くらいの頃、根拠のない自信家で、自分が世界で一番賢いくらいに思っているほど世間知らずなクソでしたが、ある時、自分自身の考えていた、自分の理解していない事について明確に、そして端的な答えを持っている人が現れて、色々と思い知らされた事があります。
その時感じたのは驚きや尊敬といったものでした。いい意味で打ち砕かれて、ガラリと世界観が変わったというか、明瞭になったのです。
月と太陽が入れ替わったような思いがしましたね。
猪突さんの言う驚きというのは、言い得たものがあると感じました。人生観や世界観が変わるというのは、ある意味で生まれ変わりと言っても良いように思います。
No.2
- 回答日時:
基本的に、やってることや体験を常に楽しんでいるので
「楽しみ」とするなら、未然形と言うことになります。
朝起きたら「今日は何があるかな(起きるかな)?」とか
誰かと何か約束したらとか、そういうのが「楽しみ」です。
上手くいかなければ、どうやったら上手くいくのかを
考えることも実行することも楽しいです。
望みや願い的な楽しみは、特に持っていないですね。
起きて欲しいと言うより、起こすことだと
やればそうなると普通に思っています。
おそらく他(自分以外)に、望んで無いからですね。
常に十分に楽しんでいるので、どれと聞かれたら「全部」でしょうか?
生きて活動していれば、楽しいです(^-^)
ふむふむ。いつもご回答有り難うございます^^
カントアイさんはいたって満足しておられるのですね。私も最近、お人好しをやめようと思ってからは、なんだか気持ちが軽くなったみたいで、楽しいことも増えています。
私の中では、楽しい話というのが有りまして、展開によってはどうにも楽しい話をするのが難しい相手というのもありますが、楽しい話の出来る相手というのは、互いを尊重することが出来る相手なのかなと思っています。鋭い指摘を受けても、話して良かったという帰結に落ち着きます。一方で、楽しくない話は、指摘を受けても些末でどうでもいいようなことであったり、批判に終止して益のある実を結ばないことがほとんどです。そういう果てしなくめんどくさい話しかできない相手とは、仕方なく疎遠になってしまいますね。相手も私について似たような感想を持っている可能性は否めないですが、まぁ相性の良くない相手もいるということです。
>常に十分に楽しんでいるので、どれと聞かれたら「全部」でしょうか?
生きて活動していれば、楽しいです(^-^)<
カントアイさんとお話することで、その楽しみをおすそ分けしてもらっているようなものですね^^
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