電子書籍の厳選無料作品が豊富!

キリスト教なりイスラム教なり、色々な宗教、あるいは神が存在していると思います。
それぞれの神の言っている(示している)ことは

【本質的に】

何が違うのか、できるだけ具体的に教えていただけませんか。
または、本質的な違いは無いですか。

A 回答 (27件中21~27件)

お礼ありがとうございます。


啓示は、預言者が理解できる言語で与えられるので、解釈が違うと言うか、与えられた啓示が違うと言う事だと思います。
モーセの十戒は、アブラハムの子孫のモーセに与えられ、後にユダヤ教徒と呼ばれる民を救済するのが目的です。
イエス・キリストも同様にユダヤ教徒に使わされたわけですが、キリスト教徒となる人だけがその言葉を信じたわけです。(その後は、キリスト教徒は拡大し、諸民族に広がりました)
イスラム教の場合は、ムハンマドにコーランが伝えられたわけですが、ムハンマドの場合は全人類の為の啓示を受けたとされています。
|神|は、最後の預言者であるムハンマドに与えた啓示を信ずる者だけを救済すると啓示したとするのが、イスラム教の教義です。(一応イスラム教の教化を受けられない者などは、業火に焼かれる事は無いようですが、救済されるかどうかは|神|の御心によるとされています)
最終的には、啓典の民もコーランを信ずるようになると考えられています。
ここら辺の解釈は、やはりアブラハムの宗教間で違うわけですから、なかなか理解するのは難しいでしょう。
偶像(神を象ったもの)を作ることを禁止しているのも、当初はアブラハムの宗教共通でしたが、キリスト教の場合は、中世以後、キリスト像・マリア像などを作ることを禁止しなくなりました。(これ自体は、キリスト教内部でも議論があるようです)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>啓示は、預言者が理解できる言語で与えられるので、解釈が違うと言うか、与えられた啓示が違うと言う事だと思います。

\(-_-;)/
とのけぞってしまいました。^^;
おそらく素人ゆえの無理解が私にあるせいなのでしょう。とはいえ、
「啓示」
2 人間の力では知ることのできない宗教的真理を、神が神自身または天使など超自然的存在を介して人間へ伝達すること。天啓。(大辞泉)
ですよね?
複数の異なる啓示を授けたのなら、唯一神とは呼べないような気もするのですが。

ユダヤ教徒とキリスト教徒で救われ方が違う理由は、どういったものなんでしょうね。
しかも、モーセから聞いた人々がユダヤ教徒、キリストから聞いた人々がキリスト教徒と呼ばれるようになったわけでもないんですかね。
最初からユダヤ教徒やキリスト教徒がいたわけではないでしょうし、順序が逆のような気もしますが・・。

>|神|は、最後の預言者であるムハンマドに与えた啓示を信ずる者だけを救済すると啓示したとするのが、イスラム教の教義です。

これでは、ユダヤ教徒とキリスト教徒と喧嘩にもなりますね。^^;
教義としてこれらを敵対視しているのでしょうか?

いや、しかし、何かと興味深いお話で、本当に参考になります。

お礼日時:2016/01/16 23:22

ユダヤ教とイスラム教は次元が同じであり、すなわち過去のもの。

キリスト教(福音書)は、現代のためのものである。
過去のものは生活指南であり、現代は隣人を愛せよ、だ。
隣人を愛す、可能な範囲でよい。可能な範囲をしないので宗教と関係なく問題が生じる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/16 18:10

すべての宗教を検証するのは、無理ですので、とりあえず、アブラハムの宗教と言われている宗教だけ簡単に記述します。

(すでにご存じの事かもしれません)
|神|は、アブラハムの宗教の唯一絶対的な存在としての信仰対象を示します。(全ての宗教の神を表すものではないです)
アブラハムの宗教に属する、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の場合は、信仰対象としての|神|は、唯一絶対の存在ですから、同一と言う事になります。
ユダヤ教・キリスト教がどう解釈しているかはわかりませんが、イスラム教が啓典の民として支配下に置いた他宗教の信者が信仰対象としている|神|も同様に同一とイスラム教は解釈しています。(啓典の民とされる範囲は、当初はユダヤ教・キリスト教・サービヤ教ですが、その後拡大して、ゾロアスター教・仏教なども加えられました)
ユダヤ教徒の場合は、|神|を示す言葉は、アルファベットではYHWH、キリスト教徒の場合は主(GOD)、イスラム教徒の場合は、アッラーフ (الله, Allāh) です。
ユダヤ教・イスラム教の場合は、存在のみが示され、実像が無く、偏在する存在とされています。
キリスト教の場合は、父なる神(ユダヤ教のYHWHと同一)・キリスト・精霊が三位一体で主と呼ばれます。
概念的には、不可知で偏在すると考えて良いでしょう。(キリストは、一時的には顕在化しましたが、現在は同様の存在とされています)
したがって、本質的な違いは、アブラハムの宗教に関しては無いはずです。(同一ですから、当たり前ですね)
それぞれの宗教の違いは、教義だけです。
ユダヤ教の場合はモーセ、イスラム教の場合はムハンマドが預言者として天使などを通じて(ユダヤ教の場合は、直接|神|からという解釈もあります)、キリスト教の場合は、父なる神の子であるキリストが直接|神|の言葉を伝えたと言う事になります。
教義については、ユダヤ教典、聖書(旧約・新約)、コーランを参照する事になります。
イスラム教徒の場合は、啓典として、モーセ5書、詩編(ユダヤ教・キリスト教共通)、福音書(キリスト教)、コーラン(イスラム教)をあげているので、これらは重視されるものとされています。(教典はコーランのみです)
ゾロアスター教に関しては、啓示を与える存在を|神|とみなすのは、納得できますが、仏教の場合は|神|の存在自体がありませんが、仏陀が|神|から啓示を受けたと解釈したようですね。
ヒンドゥーも、ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三位一体の信仰なんですが、これはイスラム教は認めないようです。(三位一体なのに、主神として分けて信仰しているのがまずいのでしょう)
キリスト教に対しても、イエス・キリストは預言者として扱い、神の子としてはイスラム教は解釈しません。
当然、ユダヤ教も同じ立場でしょう。
日ユ同祖論などを展開している人は、八百万の神は、神の遍在を意味し、その実体は単一であると考えて、日本神道も同一の|神|を信仰していると解釈しているようです。(八百万とは、単なる大きな数を意味し、偉大な存在の形容詞としてとらえれば、ユダヤ教が偉大な存在として|神|を複数形表現するのと同等とみなせると言う事のようです)
また、日本神道の場合は、偶像が存在しません。(神社などは、祀る場所であって、偶像は存在しません)
|神|が啓示した事は、ユダヤ教のモーセが受け取った十戒、イエス・キリストの言葉、ムハンマドのコーランに示されています。(コーランはあまりにも長大ですから、その内容をすべて理解するのは、時間がかかるでしょう)
ユダヤ教、イスラム教の場合は、ほとんどが戒律であり、キリスト教の場合は、精神的な内容が追加されていると考えて良いでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

アブラハムの宗教というものがあるんですね。
宗教素人のわたしにとっては、かなり新鮮な知識です。
>|神|は、アブラハムの宗教の唯一絶対的な存在としての信仰対象

で、少し検索してみましたが、人類救済の主として神を位置づけているのですよね。
主(GOD)とアッラーフ (الله, Allāh) が同じ唯一神のことを指すとは、極めて興味深い事柄です。
とはいえ、
>ユダヤ教・イスラム教の場合は、存在のみが示され、実像が無く、遍在する存在とされています。

であるなら、唯一神とは言いながらも、こうした認識において、キリスト教とは唯一神の捉え方に差異が生じている、ということになるでしょうか。
と思ったら、
>概念的には、不可知で偏在すると考えて良いでしょう。(キリストは、一時的には顕在化しましたが、現在は同様の存在とされています)

でしたか。
>したがって、本質的な違いは、アブラハムの宗教に関しては無い

と。
わかりました。

>ユダヤ教、イスラム教の場合は、ほとんどが戒律であり、キリスト教の場合は、精神的な内容が追加されていると考えて良いでしょう。

こうしたことが預言者によって伝えられる、ということなのだと思います。
ウィキによると、預言者は【自己の思惑に拠らず、啓示された神の意思を伝達、あるいは解釈して神と人とを仲介する者。】と定義されています。
そうしますと、
モーセ(ユダヤ教)
ムハンマド(イスラム教)
キリスト(キリスト教)
それぞれの預言者で、「唯一神の意思」についての解釈が異なっている、ということなのでしょうね。

色々と、かなり参考になりました。

お礼日時:2016/01/16 21:26

本質的に違いはありません。



我こそ真の神である。他の神を信じる者を殺せ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>我こそ真の神である。他の神を信じる者を殺せ。

ありがちかもしれませんが、どの宗教でも同じなんですかね。

お礼日時:2016/01/16 18:09

成立した時点での‘時代‘や‘社会環境‘


あるいはその後の‘発展の経緯‘による違いは
反映されているのだろうと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/16 18:07

悪い事をするな、良い事を行え、と云う"教え"が仏教では御利益信仰、念仏信仰、という形になり、生き抜くために必要な"意力"を出来るだけ"神の心・愛"に沿うようにするために契約を結ばせたのがキリスト教で、心の善悪ではなく生き抜くことを善として導びこうと云うのが"何とか"だと思います。



本質的な違いは内向きと外向きの違いと云えると思います。

或いは受動型と能動型。

西洋は能動型が必要だと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>心の善悪ではなく生き抜くことを善として導びこうと云うのが"何とか"だと思います。

"何とか"とは何なのか何とか教えていただけませんか。

内向きと外向き
受動型と能動型
についても、もう少し何とかお願いします。

お礼日時:2016/01/16 18:06

>【本質的に】何が違うのか、



一つのバロメータとして、その宗教が純粋に個人の信仰のためにあるのか、それとも集団や組織の利益の為に存在するのかといのがあるのではないでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

教義としてはいかがでしょうか。
たとえば、本質的にバッティングするような内容はあるものでしょうか。

お礼日時:2016/01/15 23:29

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!