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縣という文字はアガタ、サト、ムラなどの読みがありますが、明治になって今のような行政区画の一つの意味になりました。この文字が、三治制の一つに選ばれた経緯について教えていただきたいと思います。

質問者からの補足コメント

  • 回答ありがとうございました。私の質問は府藩県が、例えば州藩郡などでなく、府藩県になった経緯を知りたいのです。この名称に落着くまでに紆余曲折があったという話があります。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/20 10:57
  • 言い換えれば、府藩県が、例えば州藩郡などでなく、府藩県に決まった経緯を知りたいのです。この名称に落着くまでに紆余曲折があったという話があります。

      補足日時:2016/05/20 11:04
  • ヒントを頂きありがとうございました。もう少し詳しく的確に知りたいと思います。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/21 14:47

A 回答 (2件)

詳しくは知らないのですが、州郡県は中央政府の直轄地、藩は諸侯の領地。


律令制からのもので、すでに国と郡は使われていた。
国=州として扱われていた。(遠江国を遠州というように)

といったところではないでしょうか。
この回答への補足あり
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旧天領や旗本支配地等は政府直轄地として府と県が置かれ「府藩県三治制」が全国の藩知事へ拡大、当初3府302県あったが、飛地が多く、まとまりも弱く、明治4年3府72県に統合された。


明治5年69県、明治6年60県、明治8年59県、明治9年35県と合併が進み、明治22年には3府43県(北海道を除く)に落ち着いた。
合併・分割によるもの。
詳細は参考URLをご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E8%97%A9 …
この回答への補足あり
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