プロが教えるわが家の防犯対策術!

なんだか、本当に、疲れてしまいました。
当方、40代後半の主婦です。夫有り、子供無しです。
16年前、31歳の時、訳あって劇症でうつ病を発症しました。
パキシル40mgを基本とし、多剤投与で(最大1日31錠)辛い数年間を、何とか乗り切りました。
遠距離通院でしたが、医師との関係は良好でした。
当時の精神科の傾向として、多剤投与は正道だったようです。
31歳で劇うつ状態になる以前は、東京で一人暮らしをしながら、営業ウーマンとして、順調にキャリアも重ねていました。
発症後は、失職した事もあり、神奈川県の実家に帰る事になりました。が、その実家が、いわゆる「毒親」家族だったのです。当時は「毒親」などと云う言葉は無く、「この家族に違和感を感じるのは、私が悪いんだ」との思いで、短大卒業後、東京で一人暮らしを始めたのです。
その実家に帰るのは嫌でしたが、他に選択肢はありませんでした。なるべく、家族と距離を取り、「迷惑をかけないようにしなければ」と、気を使いつつの闘病は、本当に辛かったです。
数年後、多少状態が良くなったので、アルバイト情報誌で見つけた「警備員」として、社会復帰も果たしました。
よく、「警備員は辛い仕事」と云われますが、私の性には合っていたらしく、最初は、週2勤務のアルバイト隊員から始めましたが、徐々に勤務数が増え、在職支社の内勤隊員、仕事先の監督さん等、私を可愛がってくれる方も増え、1年半後にはプロの警備員(会社かで社会保険に加入し、福利厚生も整備されている状態)として、毎日忙しく、楽しく生活していました。日勤・夜勤の連闘で、家にあまり帰らなくて済みましたし。
会社には「うつ病を持っている」事は、報告してありました。が、同僚も上司も「またまた。うっそだ〜(笑)」と、笑い飛ばされるくらい、元気で明るくなりました。
投薬も、徐々に減っていきました。
そして、職場で、今の夫と出会いました。交際を重ね、結婚が決まりました。当然、私の実家と、ものすごく揉めましたが、主人の側のご家族が協力して下さり、無事入籍をする事が出来ました。
その後、数年は「名物夫婦警備員」として、貧乏でしたが、幸せに生活をしていました。
しかし、3年後、私が36歳の時です。休日での買い物先へ向かう途中の横断歩道で、信号無視の車に轢かれてしまいました。
完全に身体が元通りになるのに、2年かかりました。「復職したい!」と云う希望だけが、支えでした。
しかし、復職の目的を果たす前に、私にはうつ病(その後、双極性障害に病名が変更)の他に、発達障害(アスペルガー障害・ADD)がある事が分かり、主治医を変更する事になりました。そして、精神障害2級の認定を受け、現在は、その他に線維筋痛症を患っています。
障害者は、警備業法で、警備員にはなれません。復職の望みも、断たれてしまいました。
転院した先の医師との関係も、良好です。今日まで、辛抱強く減薬・断薬を、時には叱り、時には励まし、最低限の投薬にまで、10年間も付き合って下さいます。
障害が分かった時から、ずっと側でアドバイスを下さる担当精神保健福祉士さんも、います。
状態を崩し、精神病院に入院した時に、お見舞いに来て、私をギュッと抱きしめてくれた、お義姉ちゃんもいます。
何より、主人がいます。
明るく元気な女房を貰ったはずなのに、4年も経たず障害者になってしまった妻を、離婚もせず、想像もつかないくらい迷惑をかけている妻を、当惑し困惑しながらも、ずっと見捨てずに側に寄り添ってくれる主人がいます。
私は、幸せ者です。でも…
今、涙が止まらないんです。身体も、痛いです。
一生、体調に合わせて、減薬・増薬を繰り返さなくてはならない事が辛いです。
アスペルガー・ADDとの付き合いも、疲れ果てました。空気が読めなくて、気を張り詰めて注意して生きなければならない事に、疲れ果てました。
涙が、止まりません。
主人は、横で寝ています。
幸せで、幸せなはずなのに、今、とても辛いです。
済みません。読み返しもせず、投稿させていただきます。
もし、ここまで読んで下さる方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。今、身体が痛く、手も震えている為、お返事が返せないかもしれません。
でも、誰かが読んでくれているかも知れないと思うだけで、救われます。
乱文だと、思います。ゴメンなさい。
ありがとうございました。

A 回答 (6件)

返信できるところがあったのですね。

新たに回答してすみません。お大事にして下さい。
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この回答へのお礼

はい。ありがとうございます。
なんだか、スッキリしました。
また、今日から、しっかりやていけそうです!。

お礼日時:2016/06/18 13:46

返事ありがとうございます。

一緒に居るからストレスになると言うのも良く分かりますよ。私の時もあまりに食べないのでこれ以上食べないと死ぬと思った夫はパンをちぎって口に入れてくれましたが私はそれは無理に押し込まれたと感じてそれ以降夫が怖くなって実家に半年逃げ帰りました。でも実家の母さえ怖く生活音にビクビクしたり…病気の時は自分さえ嫌いなのですから誰かと一緒に居る事はストレスだと思います。私の先生は一時的に入院してみたら?と言ってくれて入院も考えましたがとにかく何をするのも億劫でした。なのでもう逆らわず嫌なものは嫌で良いと思います。天然の夫さんで良かったですね。家は逆に本が好き過ぎてちょっと講釈が多くてうっとおしいと思っていたぐらいです。足して二で割るとちょうど良いかもね(笑)
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うつは頑張り屋さんだからなるんですよ。

私も20代~40代まで発症しては治って仕事に出てを繰り返して40代の時は更年期とうつで一番辛かったです。子供も居ないに40代では空の巣症候群だと言われ更に落ち込みました。その後良い先生に出会い何度うつが来ても”また来たか”ぐらいに思っておけば良いと言う言葉に救われました。何でこんなに辛い病気を何度も発症するんだろうと思っていたのが嘘の様に元気になって行きました。もう今や治す気は更々ありません。また来れば来だで良いと思っています。その後癌とホルモン系の病気になりましたがうつに比べるととても楽な病気でした。うつで悩んだおかげか?癌の再発は全く考えもせず日常病気の事は全く忘れて仕事や趣味を楽しんでいます。うつも癌もケガも大きく言えば病気は病気と言う夫にも救われています。自分に合う先生に出会うまで何度でも何十回でも病院なんて変われば良いんです。
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この回答へのお礼

お返事、本当にありがとうございます。
「大きく言えば病気は病気」
この言葉に、とても慰められました。
私の主人も、心の大きな、明るく優しい人です。
ただ、今少しだけ、主人がストレスの種なんです。
主人と、私とは、同じ警備会社の隊員と云う事で、ご縁が出来ました。
彼は、その警備会社(かなり大手)の中でも、トップクラスの警備員です。
私は彼に「相方」として、認められ、彼の現場のサブリーダーとして、ずっと一緒に仕事をしてきました。
突然、彼からプロポーズ。
入籍して10年。私は、もう警備員では無いけれど、ずっと幸せです。ただ、1つだけ不満があるのです。
彼…主人は「文字を読まない」人なんです(泣)。結婚してから、彼が読んだ文字数は、多分新聞1日分くらいです。主人は、仕事のほとんど全てを「感覚と本能」で、やっていました。中卒なのも知っていましたし、本が嫌い、文章を書くのも嫌い(当時から作業報告書は私の代筆)…。だから、「精神障害を持つ家族の為に」や、「断薬をする人を支えるには」などと云う本を、読みません。目に見えない辛さがある病気だけに…これは痛いです。
「具合が悪い時は、寝ていれば大丈夫だろう」
精神の辛さを理解してもらいたい時、この言葉は、心が折れます。ストレスが溜まります。
昨夜も、パキシルの断薬を継続する辛さを説明出来ず(理解させる事が出来ず)、主人が寝た後、号泣して、こちらのサイトに書き込みをしてしまいました(涙)。
私の主治医も、担当精神保健福祉士も、超強面の主人を「究極の天然さん」と、言います(涙)。お勉強的に精神障害を全く理解していないのに、何気に私を支えているからです。その天然さに、救われる時もあれば、時々、昨夜のように、心が折れる時があります。
「言葉」に飢えていた私にとって、何よりの救いです。
長文でのお返し、本当に済みません。
昨夜より、気持ちも落ち着き、身体の痛みも大分引いてきました。
どうか、笑い飛ばしてやって下さい。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/18 12:27

いろいろなつらい出来事があった中で、自分を支えてくれる、必要としてくれる人たちを見つけ、素直に感謝できる相談者様は本当に素晴らしいと思いますよ。

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この回答へのお礼

人運だけは、最高に良いんです。
不思議なほど「その時出会った人」に助けられて、今があります。
感謝です。

お礼日時:2016/06/18 03:29

涙が止まらない状態、全身に痛みを感じている状況で「手記」のような


この文章が書けるのは素晴らしいですね。
実は、線維筋痛症、メンタル系の病気、発達障害の有る人からの質問を先週、
読んだ記憶がありまして似たようなことで苦しんでおられる人が存在すること
に吃驚してしまいました。
「激越型うつ病」は知っていたのですが《劇うつ病》というのは初めて
知りました。勉強になりました。

書くことがお好きのようですので…これまでの人生体験を題材にして、
小説・童話・絵本・ルポルタージュ・エッセーetc.を書いてみることを
お勧めしたいです。
特殊なご職業ですから、世人が知ることができない出来事が無数に
記憶されいるのではないでしょうか。
埋もれさせてしまうのは実に Mottainai ことですので、執筆を考えてみて
くださいませんか。

お大事に!
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この回答へのお礼

ごめんなさい。多分、「激鬱状態」の、変換間違えです。
文章書くの、大好きなんです。でも、今、それが悩みで。
私、パソコンが出来ないんです。
年代的に、ちょうどワープロから、PC完全普及に変わる時に、営業職→闘病→警備員→障害者と、20年間過ごしてしまって。
今も、スマホで打ってます。これも、買って2年も経って、サポートセンターの方に、200回くらいお世話になって、ようやく、先週、「教えて!goo」デビュー出来たんです。ガラパゴス人間です。
今、外出訓練も兼ねて、週1回パソコン教室に通ってます。
…でも、色々新たな悩みが出て来ました。
まず、この、とてつもなく不安定なメンタルで、情報化社会でやっていけるかどうか?。
もう一つは、とてつもなく貧乏なので、PCを買っても、維持し続けられるかどうか?。
昔の、鉛筆と原稿用紙の時代が、懐かしいです。
読んで下さって、そして、「素晴らしい」まで言って下さって、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/17 23:40

こんばんは、私も重いほうの双極性障害です。

Ⅰ型。49歳主婦です。

お辛い時に、長文になってすみません。でも、読めたら読んでみてください。

私も最初は「うつ」の診断でした。
うつ、つらいですよね。
他にもいくつか診断されているのですから、私より、もっとお辛いですよね。

私は今、寛解(落ち着いている)で、その状態で質問文を読ませていただきました。

ぺねこさんの現在のお心の状態は、それは「うつ」では?

自分が悪い。申し訳なさでいっぱい、
申し訳なくて情けなくて涙が出てくる、
自分なんかが空気を吸って申し訳ない、
周りはいい人なのに、何の役にも立たない、、、、

その、悲しい苦しいお心は、気分障害である私たちの、「うつ」の波ではないでしょうか。
自分が悪いから、そう思う、野ではなく、病気(障害)の症状なので、
遠慮なく、早く病院に行って下さい。

この病気の「うつ」もとても苦しいです。
でも、闇は空ける時期も来ます。

私は今、自分は役立たずだけど、まあ仕方ないや、と
昔のキャリアを懐かしく思いながら、今は今、と思えています。

そして、イヤだけどまたいずれ、うつや躁の波が来るんだなあ、と気を付けて、薬と興奮しないように気を付けて生きています。
引越しがあって、新しい主治医になり、ちょっと苦手な先生になりましたが、まあなんとか。

ぺねこさんは、主治医との関係が良好のようで、本当に早く、今のお心を伝えてください。
今の沈み込んだお心は、あなたのせいじゃないはず。
闇はまた開けますよ。
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この回答へのお礼

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。
多分、今、気持ちの谷が来ているのかもしれません。
今日の通院は、電話で断ってしまいましたが、明日行く予定です。
明日、外出する勇気が欲しくて、放り投げるように書いた文章なのに、読んで下さって、うれしいです。
1型も、きっと、お辛いですよね。寛解状態。正直、今の自分には、羨ましいです。
でも、きっと私にも躁鬱の波がフラットになる日が来ると信じます。
こういったサイトを使わせていただくようになってから、まだ日が浅いので、何か失礼があったら、ゴメンなさい。
お返事、ありがとうごさまいました。

お礼日時:2016/06/17 22:36

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