【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

≪存在性思想≫について 分かるように説明してくださいませんか。

 ○ 存在とは 個性ある性質を持ったエネルギー・物質のことである。

そうですが たとえばヒトなる存在として ≪身と心から成る≫というのと どう
違いますか?

A 回答 (31件中1~10件)

>嫌な投稿だねえ。


>示せというなら示しますよ でも僕は質問者の立場ですから ここで僕の論を論う訳にもいかんでしょう
>私は 「存在とは 個性ある性質を持ったエネルギー・物質のことである」と定義してますし
>今までに何度も書いてきました。

神よ、人が嫌がる御質問とは、生贄が足りませぬか。賽銭ですか。貢物ですか。御静まり下さい。解り切ったことをお聞きなさいますな。
存在性思想の神髄、神bragelloneにとっては、凶悪な個性ある性質を持った負のエネルギー、つまり、神格であらせられるbragelloneのことにございます。
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この回答へのお礼

まぁ お付き合いしたほうがよいのでしょうが。

しゃれた言葉の二つや三つを言ってみたほうが よいの
でしょうが。



アンサーにサンキュー。

お礼日時:2016/06/18 17:08

その1 酸素分子の存在性について説明すると



たとえば酸素原子があって、それが形ある物質、酸素原子という個性として存在できるのは、原子核の引力と電子波の

運動がつりあって電子がゆらぎながら循環しそこに在り続け、体積を取り、核を守っているからです。

もし複数の性質がつりあって調和して循環して安定するという新たな性質とならなければ(性質が変化しなければ)、

エネルギーは酸素原子という個性を形成できません。

原子核の陽子中性子のつりあいも同様です(つまりエネルギーに態を与えているのが存在性です) 

また酸素原子はいわゆる二本の手を持っているので酸素原子同士共有結合したり 水素原子二つと共有結合して

酸素分子になったり 水分子になったりて安定します これも安定して存続しようと言う存在性です。

O2 H2O 安定しなかったら大事です。安定調和が存在の基本です。

原子が安定せずに崩壊したら 大爆発です 全ての物質が安定しなかったら地球が吹っ飛ぶ事でしょう。
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この回答へのお礼

そんなんぢゃぁあ ただ≪チカラである場のあり方≫を言っており

≪場≫だとか≪ちから≫だとか≪もの=こと≫だとかと名づけておけ

ばよいだけのこと。なのでは?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/06/18 17:16

≪存在性思想≫というものは、"存在"そのものに、意味・価値があるとした思想です。


その意味・価値は人間としての好ましいと思える、或いはそうであるはず、と云った思いが込められていると云う"有意義"思想です。
言い換えれば、"人"としての"存在"に意味を見出そうという思想です。

≪身と心から成る≫というのとの違いは、意味と価値にあると感じます。

敢えて言えば、能動型と受動型の違いとも言えます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ≪存在性思想≫というものは、"存在"そのものに、意味・価値が
あるとした思想です。
☆ それは ≪存在主義≫のほうでは?


★ その意味・価値は人間としての好ましいと思える、或いはそう
であるはず、と云った思いが込められていると云う"有意義"思想です。
☆ ううーん。いや もっと簡単に言えると思う。

≪存在がないことには 何事も始まらない≫といった感じでは?



★ 言い換えれば、"人"としての"存在"に意味を見出そうという思想
です。
☆ ええ。そうでしょう。特に≪人間≫の存在が大事なのだとわたし
も考えます。

ただし これも存在主義なのであって 存在性思想は この存在主義
の大元であり元締めであるのだそうですよ。それが何か? と。

★ ≪身と心から成る≫というのとの違いは、意味と価値にあると感じ
ます。
☆ そりゃあ 存在主義の言うように価値観をつけ添えるなら そう
なりましょう。

でも 存在性思想は まだただ――人間にかんしてなら――≪身と心
から成る≫と 中立的に言っているだけである。ように思われます。

回答№2は 答えの第一投にすぎないものと思います。



★ 敢えて言えば、能動型と受動型の違いとも言えます。
☆ ううー。そうでしょうかねぇ。

上に触れたようにわたしは 価値観抜きか価値観をつけ添えている
かの違いではと思います。

お礼日時:2016/06/18 17:25

もしエネルギーに、性質と言う普遍的な法則に則った、目に見えないものが存在していなければ、



エネルギーは無秩序な、カオスにもならないと言っていいでしょう。

そのエネルギーによる引力や斥力や電磁波のような波としての性質が織り成したのが私達の知る宇宙です

特にこの引力はエントロピーを維持しあるいは減少させます。もしこの引力がなければ物質は秩序をなし得ませんし、

天体も形をなし得ないでしょう。 

そしてそのエネルギーの持つ性質が 同時にそのエネルギーに態を与えているのです 性質がフィードバックをして

その存在を更に在らしめているのです(→亀の存在性 動物の存在性 進化論 例えば食べるという性質が体を維持する

見るという性質が交通事故を避ける等 因果) 場の中で。 でなければ存在を保つことはできません。 

性質は法則に則ってエネルギーに現れ、その性質がそのエネルギーに態を与えます。(性質も変化し続けます)

そのものが持つ性質が原因となって、そのものが存続すると言う結果となる(アイデンティティ)(因果律)  

物質もエネルギーで出来ていと思います

引力や電子、素粒子の運動もエネルギーですが、同じ量のエネルギーでも違った性質を示すものです。

人間にも性質があります。物質、分子原子にも性質があります。光にも電子にも性質があります。

エネルギーとしては同じ量のものも、その持つ構造と性質によって違う個性(性質)のものになります。

性質がなかったら様々なエネルギーにはならないでしょう。  

同じ炭素でも石炭になったりダイヤモンドになったりするのです。

エネルギーの個性によって性質が決まると同時に性質がフィードバックしてエネルギーの個性を(態を)存続させ 或いは変化させます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。ですが 説得されません。

★ もしエネルギーに、性質と言う普遍的な法則に則った、
目に見えないものが存在していなければ、・・・
☆ こんなことは 単なる後付けですよ。

一定の法則づけが出来る場合があるでしょうが いちいち
それに≪性質≫という見方を付け加える必要はない。はず。

★ そのエネルギーによる引力や斥力や電磁波のような波
としての性質が織り成したのが私達の知る宇宙です
☆ いえ。わたしは ユラギを起こす場が 世界の始まり
ではないかと推測します。そこで そうしたハタラキを持
っている。に過ぎない。

★ 特にこの引力はエントロピーを維持しあるいは減少さ
せます。もしこの引力がなければ物質は秩序をなし得ませ
んし、
☆ つねに秩序を成すとも限らないのでは?

エントロピーうんぬんも ただの後付けでは? 動きが先
に起きている。

★ そしてそのエネルギーの持つ性質が 同時にそのエネ
ルギーに態を与えているのです 
☆ モノがコトを起こす。そのことを捉えて あとからこ
れを≪性質≫だと言っているのみでは?

★ (性質も変化し続けます)
☆ なら いちいち性質と言う必要もさらさらない。ので
は? コトが起きているそのサマについて捉えればよいの
であって そのあと変化する性質だと言っているのみでは?

★ そのものが持つ性質が原因となって、そのものが存続
すると言う結果となる(アイデンティティ)(因果律)
☆ 性質を言わなくても モノとコトの自己運動性は生じ
ている。

因果関係は そのモノ≒コトどうしのあいだの相互影響関
係です。性質を言う必要はない。

★ 人間にも性質があります。
☆ どういう?

★ エネルギーの個性によって性質が決まると同時に性質
がフィードバックしてエネルギーの個性を(態を)存続さ
せ 或いは変化させます。
☆ そのようなモノ≒コトの運動をめぐって一定の法則性
が見つかる。そこまででよいはず。

これをあとから わざわざ≪性質≫という見方をかぶせてい
るだけ。だと考えます。

お礼日時:2016/06/18 21:43

所謂四つの力が関係し在って原子の性質になり 原子の性質が関係しあって分子の性質になり 分子の性質が関係しあって



糖やアミノ酸や塩基の性質となり それらが関係しあって変化してDNAの性質となりそれが生物となって生物も色んな性質

を持ちます。 

これは進化論と同じで色んな個性の組み合わせが行われた末に最も生存能力が高い性質  種が残っていったのです。

しかし元をただせば基本的な性質の組み合わせによって出来ているのです。

例えばDNAで言えばその性質が織り成したタンパク質や脂質などでできた生物が存在しようとする性質を持ち生物として

連鎖して行くことによってDNA自体の存在も保証されるのです。

人間に限らず生物におけるタンパク質や脂質 炭水化物なども、その生物が存在性を持って存在することによって

存在が確保されているわけです。 それはDNAと同じ意味で 生物に必要とされるからです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~~~~~~~~
例えばDNAで言えばその性質が織り成したタンパク質や脂質
などでできた生物が存在しようとする性質を持ち生物として

連鎖して行くことによってDNA自体の存在も保証されるので
す。
~~~~~~~~~~~~~
☆ 大きくは場の運動 小さくは個別のモノにしてもその自己
運動において――自然などの環境をみづからが作りつつ・また
それに応じつつ―― コトを起こすというそれぞれのモノとし
ての存在が 出来たり存続したり 時には消えたりする。

そのアリサマについて 同じ要素要因のもとに類似性やその因
果関係を認識しこれを整理する。これで済むのでは?

そこにわざわざ≪性質≫という名づけを あらためておこなって
いる。だけでは?

自然科学の成果の中に モノ≒コトの存在――存続や消滅――
をめぐって認識した種類別の整理を捉えて≪性質≫という見方を
かぶせているだけでは?

お礼日時:2016/06/18 22:36

モノとか コトとか アリサマ?とかで分かり易いのでしょうか?



性質 という言葉以外にピッタリくる言葉が見当たらないんですよね

だから 性質という言葉に意味付をして 存在性 という言葉を使っているのです

性質という言葉も人によって語感が違う様で 性質は静的意味や動的意味を持っているようです

その動的意味を存在性は示しているのです。

存在しようとする性質が働いて存在し、その性質も残っていく。存在性以外でも

性質という言葉は動的意味を持ちます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 存在しようとする性質が働いて存在し、その性質も残っていく。
☆ 場ないし個別のモノ≒コトが 言わば自己運動をおこなっている。

そのユラギあるいはウゴキにかんがみて ≪性質がはたらいている≫
と言いかえているのみでは?


★ 存在性以外でも 性質という言葉は動的意味を持ちます。
☆ ですから それが何を言おうとしているのかは分かりませんが
モノ≒コトをおさめている場について≪動的意味≫が確認されたときに
それを≪性質≫となおさらに言い方を付け加えているだけなのでは?



ヒトの存在についても 説明してくれませんか?

特にこの人間という存在についてなら――表現はこなれていないと思
っていますが―― 存在主義という思想は 見方を同じくしています。

お礼日時:2016/06/18 23:21

存在性の傾向は人間においてなお顕著で、人間は道具を使うにしても、畑を作るにしても、車を使うにしても 



元々は生活を守る為にはじめたことで、意識せずに習慣のようにやってることも多いですが、思いをめぐらす事も

認識することも人を愛することも人間存在を守る為に生じたのではないでしょうか、それらは大方自らを存在させるため、

生かすため、家族を生かすためのものでした、そういった性質、存在性はフィードバックで結果として自らを生かす力

となり、そして人類は繁栄して未来へと存続しようとしています。

人間は心や精神と言った性質としての存在ですが 物質や生命の存在性も活かしコントロールすることによって

自らの存在をより確かなものとし そして存在を(永遠を)目指す意志を持つという特殊存在性を持っています 

人間の生きるための営為 それ全て人間の存在性であり 更に言えば子供が遊ぶのも学生が勉強するのも、

お年寄りが健康に気をつけるのも全て存在するための性質なのです  

特殊存在性とは 人間のように色んな考えや手段を持って 存在できるようにコントロールする存在です それで確かな存在となれるのです 存在する意志です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

残念ながら やっぱし分からないですね。

人間の生活における活動は:
★ 元々は生活を守る為にはじめたこと
☆ これは 同語反復ですね。

そして:
★ 認識することも人を愛することも人間存在を守る為に生じた
のではないでしょうか、
☆ ≪認識すること≫そのものが ≪存在としての動態≫である。
のではないでしょうか?

認識と存在とは別ですが 認識というおこないは 存在している
ということをそのまま表わしている。と考えられませんか?

つまり 認識行為は 存在にくらべて部分的なことですが けっ
きょくふたつは同時におこなわれている。と見るべきでは?

つまり わざわざ≪存在を守るため≫であるとかという捉え方を
する意味が分かりません。

生活しているときにわざわざ≪生活を守るため≫という目的のよ
うなものを どうして掲げるのか? これが分かりません。

★ それらは大方自らを存在させるため、生かすため、家族を
生かすためのものでした、
☆ ≪みづから存在し生活している≫ことと≪自らを存在させる
ため≫とを どうして分けるのか。これが分かりません。

≪生きている≫とき なぜわざわざ≪自らを生かすため≫と言い添
えなければならないか。

≪家族とともに生活している≫とき どうして≪家族を生かすた
め≫にそうしているのだとわざわざ言い添えなければならないの
か。


★ そういった性質、存在性はフィードバックで結果として自
らを生かす力となり、そして人類は繁栄して未来へと存続しよ
うとしています。
☆ 人間として≪わたし≫が生きているとき そこに≪性質≫が
見い出され ≪存在性≫として取り上げられる。ということの
意味が分からない。

ワタシが日から日へ生きているとき わざわざ額に≪われはわ
れを生かすために生きており そういう存在性として生きてい
るのだ≫という看板を張り付けている。――といったことが 
どうして人間論・存在論になるのか?

お礼日時:2016/06/19 00:04

あなたは、神格。

無益な搾取はお止め下さいりませ。
こんな下界へお出ましになられずに早々に天上界へお帰り下さい。
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この回答へのお礼

ニンドスハッカッカー、ヒジリキホッキョッキョー。



アンサーをサンキュー。

お礼日時:2016/06/19 06:13

人の心には天使と悪魔が住んでいるとか言いますが、そのいい考えで我々は生かされています



悪い考えで人間存在の危機に陥ります

人間の意識・精神は性質ですので良い考えは存在性として人間を存在するようにハタラキますし

悪い考えはそれを壊すように働きます

そういう事を何十年、何百年、何千年と続けてきたのですから

次から次に出てくる問題を解決しようとして来たのです。

存在性が勝っていたからこそ今人間は多すぎる程増えたのです。

ただ過ぎたるは尚及ばざるが如し 中庸が大切です

バランスも存在性の内です。

人間の愛、憧れ、熱中、探究心、労働、思いやり、夢、理想等などの存在性が人間を生かしているのです。

生きて存在する 人間存在なのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~~~~~~~~
いい考えで我々は生かされています

悪い考えで人間存在の危機に陥ります
~~~~~~~~~~~
☆ いえ。必ずしもそうとは限りません。

よく≪反面教師≫という言い方をもします。

ひとは何事につけてもまなぶことが出来るのです。




したがって 次のように≪性質ないし存在性≫を 良し悪しのただ一方
の側だけに片寄って捉えるのは かんばしくありません。:
★ ~~~~~~~~~~~
人間の意識・精神は性質ですので良い考えは存在性として人間を存在

するようにハタラキますし 悪い考えはそれを壊すように働きます
~~~~~~~~~~~~


★ 存在性が勝っていたからこそ今人間は多すぎる程増えたのです。

☆ いいえ。存在性などという≪かぶせ≫の理論としての観念に囚われ
ていなかったからこそ わづかにでも互いに知恵を出し合いこれを持
ち寄って 生活共同の社会をいとなむことが出来て来たのです。



★ 人間の愛、憧れ、熱中、探究心、労働、思いやり、夢、理想等な
どの存在性が人間を生かしているのです。

☆ これまでささやかにでも文化科学も自然科学をも発展させてきた
人間と社会の歴史的な成果・・・

・・・この成果にわざわざ上から目線でおのれの殿堂入りだけを目指
して ≪存在性≫なる合い言葉をかぶせるとしたら・・・

・・・そうしたら 早晩にんげんは 思考の創造性に見向きもしなく
なり 身も心もおとろえて行くことでしょう。



存在性思想は じんるいの敵です。

存在主義は ふつうのよき思想です。

お礼日時:2016/06/19 13:27

反面教師もその反面を見て良くなるからいいのです。

存在性という言葉が気に入らないんですかねえ? 例えば 

愛で言えば 愛することによって二人が結ばれ 子供が出来て 愛されることによって子供は育まれ大人になって

また愛し合う 子供は愛されることと愛することを学び身につける これも人間の存在性です。

愛は最も高度で基本的な存在性で愛なくしては肝心の人間の存在性もエゴとエゴの対立の中でお互いに壊し合ってしまいます。 

人間同士ばかりでなく草花を愛することや技術を求めること 知を愛することも大切な存在性です

 あるいは敵を憎むことも自分に害するものを排除しようとする強い存在性があります。

そういった心の営みも完全ではありませんが人間の存在性です

イエスはこの敵を憎むという存在性を 敵をも愛するという存在性で無駄な争いや悲惨な憎しみあいを乗り越えようとしました 

それが実現するといいのですが まだ十分ではない様です 

しかしその力は大きくおそらく私達が考えている以上に私達を救ったでしょう 

キリスト教国家アメリカのおかげで今の日本の繁栄と平和があるようなものですから(ややおかしなところがありますが)

ただしキリスト教もどういう結末を迎えるか分かりません 敵を本当に愛せるかどうかはその場に立ってみないと私にも分かりません。

しかし日本には平和憲法があります それを活かして世界中を平和にしてもらいたいものです。アメリカにももの申して貰いたいものです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 存在性という言葉が気に入らないんですかねえ?
☆ すでに≪生きている≫ことが起こっているところへ それを
称して≪存在性≫だとあたかも蓋をかぶせるように理論づけよう
とする。
――このウゴキとそのコンタンが うたがわしい。

次のようなウゴキが いかがわしい。:
★ ~~~~~~~~~~~~
例えば 愛で言えば 愛することによって二人が結ばれ 子供

が出来て 愛されることによって子供は育まれ大人になって

また愛し合う 子供は愛されることと愛することを学び身につ

ける これも人間の存在性です。
~~~~~~~~~~


★ ~~~~~~~~~~~
あるいは敵を憎むことも自分に害するものを排除しようとする
強い存在性があります。

そういった心の営みも完全ではありませんが人間の存在性です
~~~~~~~~~~~
☆ このような人間の精神の現象については はっきりと≪意
志≫のハタラキであり行為であると見られています。

意志には おのれの存在や感性にとって 良し悪しと捉えられ
る両面の内容をも・そのいづれをも おこなう自由度がありま
す。

そこへ ≪存在性≫という用語をかぶせているだけだと見えます。



★ イエスはこの敵を憎むという存在性を 敵をも愛するとい
う存在性で無駄な争いや悲惨な憎しみあいを乗り越えようとし
ました
☆ 違います。敵・味方にかかわらず 人の心の奥底でつねに
元気の素である水が泉のごとく湧き出るという人間論を示し実
践したのだと思います。

逆境・順境にかかわらず その人の心の燈心をともすことが出
来ますよということを実践しました。

人間の思いやりという温かさや科学(医学や政治経済学や)の
光を当てて 心を明るくし元気にすることは まさにそのよう
に人間のチカラと努力で出来ます。

でも すでに心の燈心に火がともされているという状態を実現
するということ。これは イエスがキリストであるという歴史
を経なければ明らかにされなかったし 実現され得なかった。
と考えられます。

そういう問題なはずです。もし≪存在性思想≫のねらいを推測
するならばです。でも そういうことは言っていない。ただ
≪存在性≫を世界のものごとのすべてに投網をかけるようにし
て覆い尽くそうとしているだけに見えます。よ。

お礼日時:2016/06/19 17:15
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