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アメリカ大陸の先住民は、アジア大陸からベーリング海峡(当時は陸続き)を経由して来た、そうですね。彼らは、身体的にはモンゴロイドですが、文化的にもアジアの香りを今も残しているのでしょうか?

A 回答 (3件)

コンカック(セリ)民族とかを除いて、赤ちゃんのお尻には蒙古班があります。

一応、アジア大陸からベーリング海峡を渡り、アラスカから南下したきたいう説がメインですが、種族の維持または増加ができる人数が、このルートで移動は不可能と。
アジアより筏で90日でアメリカ西部海岸(オレゴン州)にたどり着けるのに、なぜ、アジアから行けば行くほど寒さで食料も無くなくなり、更に厳しくなる気候のルートを何年もかかりアメリカ大陸まで来るのは、机上の考えと。今は、太平洋を筏で90日ほどで渡るグループ、ヨーロッパより筏で30日ほどで渡るグループがあったと考えられるようになっています。

太平洋グループは蒙古斑のある東洋人の体格、顔つき、大西洋グループは背が高い白人系で蒙古班はなしです。太平洋グループは、農耕文化の共同体思想で集落を中心に農地でアジア的。大西洋グループは狩猟文化の一匹オオカミ的思想で、集落はなしで、せいぜい数軒の住居があるだけの野原や人気のない山や海辺でヨーロッパ的です。

それから、アメリカ大陸は15世紀にコロンブスによって新大陸発見となっていますが、その千年も以上の昔より、北欧のバイキングがアメリカ北部の東海岸地帯に行き来していたことが証明されています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
アジア的なものは、
<太平洋グループは、農耕文化の共同体思想で集落を中心に農地でアジア的。>
なのですね。この質問をした引き金は、
<アジアから行けば行くほど寒さで食料も無くなくなり、更に厳しくなる気候のルートを何年もかかりアメリカ大陸まで来る>
という理由で、アジアの文化などは変質してしまうかもしれない、と思ったからです。ただし、太平洋を筏で渡ったということが考えられるのですね。
その他、蒙古斑点、バイキング、大西洋横断、狩猟文化など、初めて聞いたことも、思い出したこともあり、今後も考えて行こうと思っています。

お礼日時:2016/07/06 16:16

ベーリング陸峡は、最終氷期が終わった1万4千年くらい前の話で、文化と言っても石器時代なので、文化的らしい文化は伝わっていない?


言語は中国語の系統であることが判明しているものが多いようです。

アメリカ大陸にはヨーロッパ方面からも人々が渡っており、バイキングも有名ですが、それ以上に文化に影響をあたえたのは、ピラミッドを伝えた人達です。南米のピラミッドは新しいものが多く、16世紀くらいまで盛んに作られていたと思います。(伝わったのは2000~3000年くらい前だったかな?よく覚えていませんが)

ベーリング陸峡は、100年~200年程度しか渡れなかったと考えていて、しかも渡った先の北米大陸には、南北に分断する大氷河が横たわっていて、人々が南下するのは難しいのではないか(動物もいないので、それを追って南下&拡散したと考え難い)という疑問があります。筏(いかだ)はその回答で、海岸線伝いに漁もしながら南下したのではないかという考えです。近年見つかった最古の遺跡が1万4千年くらい前だったか、それまでの氷河が解けるシナリオではなく、解ける前に南下していたようです。

もう1つは、ピラミッドもそうですが、ヨーロッパ系の人々の渡来。言語学的にも、何割かは中国語系ではなくヨーロッパ系の言語のようです。無視できない程度の人数が渡ってきていたようですね。


蛇足。白人は海を渡るのが下手で、今でも静かな地中海で毎月のように難民船が難破しています。自分たち(白人)が大航海時代まで渡る事のできなかった外海を未開の人々が渡れるはずが無い、という先入観は非常に強いです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
陸峡のころは、その期間が短いし、また伝えるべき文化というものもなかった、のですね。
氷結時代に渡ったとしても、南下する動機(今の私たちは結果論として知っていますが)がないのですね。考えられることは
<海岸線伝いに漁もしながら南下した>。
ということですね。そして、ピラミッドや先入感についても、興味が惹かれることでした。

お礼日時:2016/07/06 21:50

>文化的にもアジアの香りを今も残しているのでしょうか?



東アジアの文化と先住アメリカ人の文化に共通点がある可能性はありますが、それを「アジアの香り」という東アジア発祥の文化である可能性は限りなく0%に等しいです。

まず、共通点がある場合、3つの可能性があります。

①たまたま共通した。
②東アジアが文明を勃興する以前の、正体不明のその部族の習慣が北米にも渡った。
③東アジアの各国の文明が勃興した後、その漁師などが難破し、運よく北アメリカに漂流。その後、先住アメリカ人と交流が始まり、東アジアの文化が渡った。(逆もありえる)




ご存知でしょうが、東アジアの歴史では、北米大陸の存在を知りえたのは、すでに北米が欧米支配を受けている時代です。それ以前から東アジアの文化が北米に渡っているという事はありえません。もしあるなら、記録があるはずです。記録を見つけてからでないと話にならないという事です。

ただ、東アジアで文明が勃興する以前に、その地域に住んでいた正体不明の部族の一部が残留組と北アメリカに渡った組とで分かれたが、その慣習は双方とも残り続けて、その子孫が数千・数万年後に東アジアで文明を勃興し、北アメリカもいろいろな部族に分かれたがその慣習だけは残った。

と言う経過から、東アジアの文化と先住アメリカ人の文化で共通点が現れたと言う可能性はありますが、それは「アジアの香り」とは呼びません。

「アジアの香り」が渡った可能性があるとすれば、③でしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
アジアの香りと言うものは。
<東アジアで文明が勃興>
したあとのことですね。それ以前もそれ以降も
<文化が北米に渡っている>
という記録は見つからないのですね。

お礼日時:2016/07/10 17:50

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