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新聞に吃音についての理解を求める記事がありました。

いじめられたとか喋らなくて済む仕事を探したといった体験が書かれていたのですが、『授業で当てられなかった』とも書かれていました。
そこでちょっと違和感。
記事の書き方だと、これも辛い体験の一つのように受け取れたのですが…。
実際のところどうなのでしょう?

そういう対応は疎外感を感じるかもしれませんが、当てられて皆の前で喋らさせられるのも辛いことだと思います。
むしろ妥当な対応のように思えるのですが…。
(私の考えすぎで、どう受け取っていたかは不問で列挙されてたのかも)

本人にとってもいい影響は出ないだろうし、詰まったら授業が停滞するので、クラスメイトの不満が蓄積してそれこそいじめが発生してもおかしくないと思います。
私のクラスにも、吃音なのか緘黙なのか他の障害なのか、単なる悪ふざけなのか不明ですが延々とダンマリの子がいて大問題になっていました。
当てないようにしたり時間制限設けて詰まったらすぐ飛ばして他の生徒に答えさせるようにしたら、彼に対してああもストレスため込むことは無かったと思います。

「授業で吃音の生徒を当てないようにする対応」の質問画像

A 回答 (4件)

それ、間違っています。

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この回答へのお礼

ありがとう

ただ否定するだけですか…。
その根拠も、どうすればいいかも、その方法を周囲が納得して受け入れられるかの考察もナシ。

なんか、あの記事で挙げられた生きづらさの原因の片鱗が分かったような気がします。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/04 06:58

私の職場は人と接する仕事ですが、吃音の方が働いてます。


皆の前で話す事がストレスになるかどうかは人にもよると思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

確かにそうなんですよね。

となると記事に挙げられた『授業で当てられなかった』の解釈に迷うわけですが。
やはりどう受け取ってたのかは不問で挙げられていたのか、あてられて皆の前で話すことより当てられないことのほうが辛かったのか、当てられてたらどうなってたかを考えない回答だったのか…?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/04 07:20

>そういう対応は疎外感を感じるかもしれませんが、当てられて皆の前で喋らさせられるのも辛いことだと思います。



当てられて皆の前で喋らさせられるのも辛いことだと思いますが、そういう対応は疎外感を感じるかもしれません。

その可能性はあり、どちらも真ですね。

>当てないようにしたり時間制限設けて詰まったらすぐ飛ばして他の生徒に答えさせるようにしたら

いいんですか? そうすれば

>延々とダンマリの子がいて大問題に

ならないでしょうか?  一見優しげな配慮によって疎外されては、抵抗すらできません。


現実の現場では、その子の性格、学級の雰囲気、教師の力量、その瞬間の状況に応じ、様々な展開が予想されます。

それを、「喋らせる」「喋らせない」の二律背反の議論に持ち込むのは、間違いだ、と申し上げました。


>なんか、あの記事で挙げられた生きづらさの原因の片鱗が分かったような気がします。

原因は、そのような議論に振り回されて、現実が見えなくなること自体にあります。

失礼しました。
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この回答へのお礼

あの一文から
>それを、「喋らせる」「喋らせない」の二律背反の議論に持ち込むのは、間違いだ、と申し上げました。
ここまで読み取るのは無理です。

私のクラスでは、実際問題としてダンマリが延々と続き教師がしびれ切らすまで授業が止まってましたからね。
しかも、教師は荒療治のつもりなのかその子に当てる頻度が高かったような気がします。
だからこそ停滞は看過できないレベルになってました。
私が挙げたような対応(飛ばすのはダンマリの子に限らず全員平等に)なら、とりあえず皆が不満をため込む展開は防げます。
現実というならこの現実にも目を向ける必要があります。

私は班長として班員であるダンマリの子に忠告する義務があり、教師をはじめとするみんなからの苦情処理係にされてました。
でも何を言ってもそれまたダンマリ。
その挙句に私がいじめ加害者と認定されました。
張ったマンガの場面のように泣きたかったですよ。

で、その時クラスにいたんです。
ただ私のやり方を否定するだけで、本人や皆が納得の上で受け入れられるやり方を提案しようとはせず、班長を替わろうともせず偉そうにする奴が。

あの時の記憶が蘇り皮肉で返してしまいました。申し訳ありません。

お礼日時:2016/09/04 10:02

元々の記事に登場する方が育った時代が判らない上に、ご質問者様の成育歴も判りませんので、的はずれな点はお許しください。



> 記事の書き方だと、これも辛い体験の一つのように受け取れたのですが…。
> 実際のところどうなのでしょう?
 私は「吃音」と認定されるほどではありませんがドモリ易く、その上に滑舌が悪いために幼児の頃から「◎◎ちゃんは何をしゃべっているのかわからない」と言われてきました[その上、字も汚いから意思伝達方法には苦労しましたね]。

 私が初等教育を受けたころの教育方法は「牛乳が飲めない子は飲めるまで、給食のおかずが食べられない子は食べきるまで、居残り」でしたから、件の方のような「授業で当てられない」と言う経験はなく、寧ろ「頑張ってしゃべろう」「もう少しゆっくりと意識してしゃべろう」と言う指導を小学校・中学校の各担任から受けてきました。
 小5(小4から持ち上がり)の時の担任[国語が得意な女性]が一番厳しかったけれど、3学期に「◎◎、2年間でだいぶ良くなった」と言われた時はうれしかったですね。
 指導の甲斐もあり、高校では大分意思伝達が改善され、その後の社会人生活でもうまくやれた来たつもりです[疲れが溜まったり、急かされたりすると、偶にドモリや滑舌の悪さが顔を出しますが]。

 話を戻して、しゃべらされることは、これはこれで辛いことでしたが、もしも件の方のような形で授業が有るのであれば、そちらも辛く感じると思います。


> 私のクラスにも、吃音なのか緘黙なのか他の障害なのか、
> 単なる悪ふざけなのか不明ですが延々とダンマリの子がいて
> 大問題になっていました。
 daaa-様に対する「お礼」(No.3)を拝読いたしました。

 他人が想像しても当人の辛さを100%理解することはできないと申しますが、それはつらいことでしたね。

 ある小説(作家が作ったものですが)にその口先だけの級友に向けてピッタリな格言が登場します。
「責難は成事にあらず」
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
 http://d.hatena.ne.jp/under5/20080130/1201702706
他人を見下げることは人として必ずしも正しいことではありませんが「あいつらはこんな当たり前の事も判らなかったんだ」と思う事で、ご質問者様の心が軽くなるのであれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとう

できるまでやらせるという方針ですね。
上手くいけばいいけどそのプレッシャーばかりが記憶に残ってたり私のクラスのように付き合わされるものがストレスをため込むリスクもあるので難しいところです、
それでもやらせるべきなのか回避させてやるべきなのか?
結局は人それぞれ…ってことなのでしょうね。

障害者や関係者がよく『理解』という言葉を使いますが、関わって辛い思いをする健常者の辛さも理解してもらいたいものです。

リンク先の話、興味深く拝見しました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 11:47

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