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憲法九条改正=戦争と思ってる奴って馬鹿ですよね?

A 回答 (20件中1~10件)

桜田門外の変からのお金に踊る文化が狂わしています。

物資不足を助けるのは、増産プロジェクトで助けるしか方法がないのです。お金に騙され戦争の手先につかわれ死んでしまうのです。
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新約聖書: マタイによる福音書: 13章 19 だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。

道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 20 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 21 その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 22 また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 23 また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。 25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。 26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。 27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。 28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。 29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
*


 いずれが麦で、はたまた毒麦なのか、法、憲法も、畑のようで畑ではない。だれが、不法にするのやら。
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お金を操る戦争の仕方レッスン1を学習しておきましょう。

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戦争するには、保険が必要なのです。

それに備え売国奴政権は、必須なのです。これがあれば鉄板です。始めるのも終了するのも自由自在です。もしもの場合は、全員で、戦争前に疎開して売国奴にやらせましょう。
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敗戦のデスティニー論理なのです。

それの支障になるから反対意見なのです。平常時の殺し合いだから馬鹿だと殺されます。戦争は、負けると敵の進入を許すのです。殺し合いに遠慮は、いら無いのです。
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そのとおり。



出来ないからやらない。
出来なくはないけどやらない。

この違いも、それが意味することもわからないのですから。
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バカというよりも、反日、反自民なんですよ。



改正して、どこの国が困るかを考えれば
反日だ、という推測が容易です。
世界の奇観ですが、日本にはこうした反日日本人が
多数生息しています。

反日でなければ、反自民なだけです。
日本では、自民党支配が長く続いたので
自民党に反対することが、
人権を守ることになると、勘違いする
人が多いのです。
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ハイ、馬鹿です。



馬鹿の語源をご存知ですか?

史記・秦始皇本紀によれば、始皇帝死後、宦官で権力のあった趙高は始皇帝のアホ息子である胡亥に鹿を献上し
「陛下、馬でございます」と言ったそうです。胡亥は周りの家臣たちに「これは馬よのう?」と尋ねたところ
趙高の力を恐れた家臣たちはだんまりを決め込みました。でも中には愚直な家臣もおり
「さようでございます、鹿にございます」と答えた家臣もいたようです。
しかしこの愚直な家臣たちはその後、趙高により抹殺されました。
この故事をもって中国では「指鹿為馬(鹿を指して馬と為す)」と言われています。
つまり鹿を馬と混同させたのは、趙高が日本語の「バカ」だったからではなく
極めて恣意的に出鱈目をしゃべり、自分に忠誠を誓う人間とそうでない人間をはっきりとあぶりだしたのです。
日本にあった似たものに、キリスト教徒をあぶりだした「踏み絵」があります。

http://baike.baidu.com/view/9233.htm

日本では自分で「違う」と言えず、家臣に聞いたアホ息子胡亥の様子を見たのでしょう、これを「馬鹿」と縮め
日本語で言う「バカ」の意味で使うようになりました。

前置きが大変長くなって恐縮です。
結論です。

「憲法九条改正=戦争と思ってる奴」は本当に日本語の意味での馬鹿です。
で、「憲法九条改正=戦争」と吹聴している奴は中国語本来の意味での馬鹿つまり
悪意をもって「指鹿為馬」と言っているわけです。
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「馬鹿」ではなく、寧ろ、「正直」と言うか「純粋」ではないのかな?


そのような思考をさせたのは国の責任でもある。
そのことが「馬鹿」と称するなら、私も質問さんも含めて大半の国民が「馬鹿」となりますよ。
日本国憲法は「押し付け憲法」と呼んでますが、半世紀以上も何もせずに放置して来ました。
私から言えば、押し付けされた憲法を半世紀以上も日本国民は支持して来たと言うことです。
これに関し異論する者は誰もいないでしょう。
今更、「押し付け」と飾っても時期は遅し、憲法制定までの経緯はどうであれ、国民の意識としての日本国憲法はもはや押し付けされた憲法ではないと言うこと。

いや、このような見識もある。
今となって国民の意識が変わったと言うこと。政府も集団的自衛権容認とする憲法解釈をし、それを正式な形で法定化され現に施行している。
当然、国民の中には憲法に対する様々な問題を直視する者もいるだろうし、どうでも良いと投げる者もいるだろう。
安倍政権は、長い間、否定し続けた内容をいとも簡単に認め、憲法解釈の変更をしたのですから、国民は惑うのは当たり前です。
その時、あなたは政府の説明を充分に理解してましたか?
制定された安保法制は抑止力は相当な効果があると認める反面、自衛隊がこれまでに未経験(萱の外)だった事態に遭遇する率が高まることも認識する必要があります。その事態とは幸か不幸か?あるいは危険か安全か?それは分かりません。
政府による説明に誤解を生じるものであり、全てではないが「戦争法」と呼ばれても仕方がない面も確かにある。
この先、集団的自衛権容認したばかりに…と、落胆する事態も有り得る訳です。
その上で、憲法9条改正を改悪として決めつけても、私は今の偏った国民の安保意識としては当然ではないでしょうか?
現在の日本国民は国防としての知識は他の国民より相当に低いものと認識しております。
「法律が国を守っている思っている」と認識している国民が一番多いのではないか?と感じてます。
国防意識を別の方向へと国民に植え付けさせたのは誰でしょうね?
やはり、教育やマスコミ、そして、国民自身だと思います。
「憲法9条改正=戦争」と決め付ける見方は、本来、常識では「異常」ですが、日本社会においては「異常」ではなく「正常」ではないでしょうか?
しっかりとした国防意識を持つ日本社会においてなら、あなたの質問は全うな質問となりますが…
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ご覧になったことあると思いますが、憲法第九条は理想的な美辞麗句が並んでいるだけで


テロリストや北朝鮮のように領海にミサイルを撃ち込んでくる国、
中国やロシアのよう日常的に航空機や船舶が領海侵入していることを想定していません。

安保法より憲法の方が優先される(といってもあの物語的文章)なので、
改正=戦争と思っている人はバカと言うよりは現状認識できていない人でしょうね。
日本は恐らく一度も戦争をしたいと思っていないと思いますが
日本に戦争の恐怖をちらつかせて金をせしめたり外交カードにしたい国や団体は複数存在するようです。
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