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いちいち確認する人ってうざいですか?

学校行事で何かする時やグループの人で出かける話が出た時などに、自分も一緒にいていいのかや参加していいのかを確認しないと不安で確認してしまいます。
流れで決まったものや、一緒に行動する人みんなに自分も参加することに了解を得てないとかなり不安です。
こんな人がいたらうんざりしますか?

それからこの状況をどうにかしたいと思うのですが、改善方法がわかりません。
よければこれも教えてください!!

A 回答 (3件)

本来は、



「と思うところを書いてみましたが、分り辛いところがありますでしょうか?」

と文末につけて確認するくらいが普通です。


とても素晴らしいモチベーションですし、もっと頻度と精度をあげていきましょう。

今の感じでは、(どちらかと言うと)足りないくらいですよ。


今回のテーマも、

どの程度しつこいと、ウザイと思われるのか確認しないとけません。

これはやって見るしかないでしょう。

しかも、

人によって違うでしょうし、事情によって違うでしょう。

なので答えが無い・・・と言うのはまだまだです。

これらの条件を覚えておき、少しだけ条件を変えるなどし、

反応を場合分けすべきです。

それぞれでの結果を頭に叩き込んでおくことです。



「確認しすぎるとウザイと思われるでしょうか?」

ではなく、

「相手が嫌がるほど確認をするのが必要だと思いますし、

 私は一生そうする積りですが、

 嫌だと思われると、

 確認そのモノが出来なくなるので、自分が満たされません。

 そこで、相手が気持ちよく感じる確認の心得とか有りますでしょうか?」

が正しいですよ。


世の中にある大きな建物や、技術で構成されたシステムなどは、

無数の確認が必要です。

勿論、創作、芸術、法律、これらに類するものすべてです。

確認だけで、図書館並みの文書ができてしまいます。



勿論、納品する文書以外にも、

制作や製作をするときは、関係者のその日の行動を確認します。

そして、どうしてそうしたいのか、考えを確認します。

本人が想像しているのと現実が違っていた場合どうするのかも確認します。

これらを記録して残します。

勿論、確認した内容が正しく記録されているか確認します。

すぐに記録を探せるようになっているか?確認します。

また記録が安全に保管されているか確認します。

時間と共に安全でなくなっているかもしれませんから、定期的に確認します。

そして何時かは捨てないといけませんから、捨てて良いのか確認します。

捨て方が正しいのか確認します。



こういう事ばかりが仕事では行われるんです。

想像を絶する確認地獄ですよ。

ですので、大人はマナーや礼儀、作法をフル活用します。

確認を嫌がる人を罰するためのルールを作り、ムードを作ります。

確認される人をリラックスさせるために、色んな配慮をします。

一つでもミスをすると、目的である部分を確認できません。

すべてが台無しになったと、皆にがっかりされます。


確認されてウザイと感じる人は、上記内容すべてに抵抗するでしょう。

ですので、

「確認しないと気がすまない、確認されないと気がすまない。」

という人と、

「俺の心を読んでくれ。出たとこ勝負でいこうよ。運も実力のうちだよ。」

の二種類に分かれてしまうんですよ。


子供の頃は、

後者の方も偉そうにできますが、社会に出ると見る影も無く落ち込むはずです。

後者の方は、仕事そのモノ(確認地獄)ができませんから、

後でお互いが辛い思いをしないように、面接などでチェックします。

勿論、確認されることを嫌がりますから、面接そのものを嫌います。

誰かに試験されたり、確認されることを非常に嫌がります。


殆どの子供は、何か素敵なスキルがあると、

人に自慢が出来て、出世するんではないかと誤解しています。

しかし、

「ほお。そんなに凄いのか。じゃあ、確認するので、少し付き合ってくれ。」

とやられますと、

「あれ、何かいやだな。うぜーって言いたくなった。

 自慢できるから、嬉しいはずなのに、すごい逃げ出したくなったぞ。

 ああ、自分が止めれない。

 ああ、もういいです。確認されるくらいなら諦めます。

 私は私のいう事を信じてくれる人とやります。」

となって、土壇場で逃げ出してしまう性質の人も多いんですよ。


でまあ、こういう人に嫌われても、あんまり実害は無いんじゃありませんか?


さらに、

上司「414M君は良く見てくれているかい?」

部下「ええ、414Mさんは、他の嫌な上司みたいに確認とかウゼー事しないんで、
  やりやすいっす。」

上司「え?」

とか言われたら、どうなります。こういう評判は非常に不味いですよ。

上司「どうして確認しなかったんだ?」

414M「あんまり確認すると、ウゼーッて思われそうだったんで。」

上司「そうか、君はそういう仕事に向いてないんだなあ。確認して良かった。」

となりますよ。


果たして、避けて通れるんでしょうか?

逆に、

部下「414Mさんは確認してくださいって頼んでも見ないんですよ。
   なので申し訳ありませんが、かわりに見てくれませんか?」

とか部下が他の上司に頼んでいたら、どうなります?

大変な恥です。


さて更にこう考えてください。

このサイトでも悩みを相談する人が沢山います。

しかし、同じ悩みを抱えている人はもっと沢山いると思いませんか?

ところが実際に書き込みまでする人は少ないはずなんです。


私が思うに、

「どんなに悩んでいても。

 質問サイトに質問を投稿するまでの心理的障壁は大きい。

 それを乗り越えているんだから。

 その人はどんなに悩んでいても、既に優れた資質を出している。」

ではないでしょうか?

確認されることを嫌がってないんですよ。

例え、荒らしている人でもです。


この段階で、既に選抜されており、

悩みがどうであろうと、助かる人であると私は思っています。


こういう本人が気がつかない行動選択。

本人は普通だと思っているのに、他の人と違う行動選択。

それらが縁を結んで、段々と物事を改善していき、救われる場合があります。

そういう習慣を持っている場合、

そうしたギフトをセレンディビティなどと呼んでいます。


「確認しすぎることは悪い事なのか?」

こういう疑問を言葉に出来て、更にここまで行動できる人はそうそういませんよ。

誰もが思うところなのですから、誰がやっても良いはずなのです。

この確率を考えますと、素晴らしいことですし、ギフトを持っていると思います。


誰もが赤ん坊から始めます。

成長がずっと続くんですから、その過程では未熟でしょうし、見苦しいでしょう。

ですから、

そのときそのときの本人の実力、言動、振る舞いには是非が無く、

今到達しているステージにも意味がありません。

とても重要なのは、

「自分だけが行動した。どうしてだろう?」

こういうものです。

これは明らかにギフトです。

これが鍵になります。


他の人を見るときも、その様に考えて評価すると良いですよ。

今がどうであるとか、何か凄いことをした、とかではありません。

「自然な流れで自分ならやらなかった。

 確かに誰もがどうでも良いとおもうことだ。

 質問に答えてくれる人も、確かに良く知っている。

 しかし、でも、

 そいつだって、こいつと同じくらいの知識や経験の段階はあったはずだ。

 そいつはそのとき聞いたのか? そいつはそのときやったのか?

 何故かこいつはやった。

 いったいどのくらいの確率なんだ?」

こちらが大事なんですよ。


勿論、素晴らしい方向のギフトもありますが、逆もあります。


例えば、

一見して普通に見えて見過ごしてしまうものがあります。

しかし、

「なんでそんなことをした。」

と確率を考えると、内在している波乱の大きさを想像することができます。

こういう場合は君子危うきに近寄らずです。


私はこのサイトで質問できる人は、

既に救われていると思っています。


悩んでいると掲示板に書き込む。

本当にこれが出来る人はどの位いるんでしょう?

それだけで既に選ばれていると思いますよ。

今がどうであろうとです。


最後は雑駁としましたが、ご参考になれば幸いです。
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確認するって大事なことです。

が、程度の問題なので何とも判断できません。
社会では事故(間違い)を最も嫌いますから、確認するってとっても大事なことなんです。勘違いや思い込みで仕事を失敗したなんて最も情けない事ですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/14 07:50

流れなら一々聞いてたら、ウザいって思うかも知れ無いし、逆に何で居るの?ってなるかも知れ無いし、何とも言えないです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2016/10/16 22:34

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