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現在ある職業に必要な資格を取るための4年生大学に通っており4年生です。
昔からなりたいと思っていた職とは違う職ですが、親や高校教師の勧めもあり、また将来性もある職であるため、そちらを選び進学いたしました。
そのときは未練などなく、その仕事を一生のものとしようと考えておりましたが、大学にはいってから、自分の時間が一気に増え、考える時間も増え、やっぱあの仕事魅力的だなと思うことが徐々に多くなりました。そのまま何も行動することなくこの時期まで迎えました。何も行動しなかったのは未練を断つ意味でもあり、勧められた仕事もまた憧れの職ではあったということもあります。
しかし、試験を受け、最後の試験で落ちてしまい。次のチャンスは来年の中頃までありません。
それを受け、落胆と同時に、もともとやりたかった仕事に変える機会でもあるのではないかと考えもしました。
 しかしまだ、親にも相談できていません。親は来年また頑張ればいいよと言ってくださっていますが、その言葉が今の私には重く、その仕事に就かねばならないと拘束されていると解釈してしまいます。
それだけではなく、学費や家賃等の多大な援助を受けており、その職をあきらめるということはその4年間が意味をなさなく成り、お金を捨てた。という結果にもなるため、非常に言いづらい心境であります。
 それに加え、何も行動していなかったため、もともとなりたかった仕事への道を深く考えておらず、どこで就職すればよいか、どの企業がよいか等をまだ調べておりません。これはこれから調べればよいことではありますが、前々より都会はやめておけとくぎを刺されております。都会を中心にした仕事であるため、就職するならば都市部を考えることになり、反対されるだろうとも考え、悩んでおります。
 知り合いに特定されるのを嫌い、仕事名等を伏せさせていただいたため、読みにくい文となり誠に申し訳ありませんでした。ここに投稿させていただいたのは今考えている気持ちの整理も踏まえたものであるため、自分で考えろ、親に言えばいいじゃん。と言われたらそれまでではありますが、私にとって夜も寝れずにただ漠然と悩んでいるこの状況が一番無駄であると考え、投稿しましたので、同じ経験をした方や、こうすればよいのでは、などがありましたらご教授いただければ幸いです。

A 回答 (3件)

資格試験を落ちたことが大きなきっかけとなり、悩み始めたように思います。


合格していたら、そのままの道を進まれていたのではないでしょうか。

もしも、「そうかもしれない」と思われるなら、来年も受験し合格すればよいのです。
「いや、合格していても、もう1つの仕事をやってみたいという気持ちは変わらない」と強く思われるならば、正直に親御さんに相談するべきです。

親の立場から言わせてもらうと、確かにある職業を目指して学費を出したなら、「今さら他の仕事をするなんて」と思うでしょう。
でも、我が子が「どうしてもこの仕事をしたい」と強く強く願う仕事なら、最終的には折れますよ。
「なにがなんでもこの仕事がしたい」と思って働けている人って案外少ないもので、そう思える職業が見つかったことは幸せなのです。親はそれをわかっているから応援するのです。
いいですか、「なにがなんでも」ですよ。あなたにその情熱がありますか。
そこまでの熱い気持ちがあるのかどうか、だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
きっかけとしましては、採用試験に落ちたことがきっかけとなりました。
しかし合格していたらその仕事に就いていたことは間違いありません。
ただ、その仕事に自分は向いていないのでは、とも考えていたので、やはりもう一つの仕事への未練は断ち切れなかったと思います。

情熱とは違うかもしれませんが、幼いころから抱いていた夢であります。
その仕事のデメリットも理解はしているつもりです。それを踏まえてもやはり魅力的であると考えています。

何の計画もまだない状態ではありますが、とりあえずこのような気持ちがあることを、親に打ち明けるべきかなと今は考えております。

お礼日時:2016/12/06 06:56

人生は「積み重ね」で構成されます。



積み重ねの内容は、必ずしも成功譚ばかりではなく、失敗談の方が数限りなく多いものです。
また、その失敗の原因も、自分のミスだとかは実に少ないもので、実際には単に「運が悪かった」とか、他のことに懸命だったとかという、自分ではどうすることも出来なかったことのほうが、ずっと多かったりしますね。

どうすれば成功できるか?とか、この道で間違いはないのか?とかの答えや正解と言ったものは「無い」のですよ。
あなたがどの道にこれから進んでいこうとも、必ずどこかで転びますし、立ち上がるまでのタイムラグは出来ます。
同年代の人が同じように歩き、同じ速さで人生を送るわけじゃないんです。
ある人は猛烈に早く生きて、あっという間に死んでしまうかもしれない。
またある人は、なかなか自分の生き方を決められなかったけど、晩年になって初めて自分を解放出来て、そして亡くなった、ということもあるでしょう。
果たして「どちらが幸せか?」と問われたとき、その判別が可能でしょうか?。
猛烈に生きて「まだまだやれるんだ!」と悔いを残して死ぬことか、今まで恵まれなかったけど、これで満足だ、嬉しい、といって亡くなっていくのか…その判別は出来ませんよね?。

単に「成功」というたった一文字でさえ、長い人生のスパンでは、たくさんの色を持つのです。
あなたは自分の人生を積み始めたばかり。
それまでは親や周りの人に「一緒に積んでもらった」出来事を、あなたはこれから自分や、自分が選んだ人と一緒に積んでいくのです。
…行き先は洋々と広がっているではないですか?。
二者択一にこだわるあまり、先の人生を深読みしてしまったら、自分の可能性を潰しかねない。
先を恐れないことです。

人生は、まず軸を作って、それを中心として回っていくものじゃありません。
軸は「経験」という「肉体」を付加していく中で、徐々に作られていくもの。
だからまずは「回り始める」ことです。
人には二本の足がある…どちらが主役というものじゃないんです。
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この回答へのお礼

なるほど、つまりは前に進まなければ始まらないということですね。
意を決して進んでみたいと思います。

お礼日時:2016/12/06 16:08

読ませてもらった文章だけで言わせてもらうと 質問者さんの前向きさが足らないので


どちらを選んでも後悔することになりそうです

こういった場合、「どちらを選ぶか」よりも 「選んだ方でどう行動するのか」の方が大切です
親も成功すれば文句をいいません (失敗すれば文句を言うでしょうね)
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この回答へのお礼

まさにその通りです。
いままで他人任せに生きてきたこともあり、自分でどうすればよいかも考えられておりません。
選んだ方でどう行動するのか。考えたいと思います。

お礼日時:2016/12/06 06:37

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