イエス・キリストって本当に存在したのでしょうか。
十字架の刑に処せられたのに復活・・・?
なんかよくわからないです。
アホな質問ばかりですみません。

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A 回答 (5件)

キリスト教でいう「イエス=神の子」と人間イエスとを区別して考えるべきでしょうが、このように分けること自体がキリスト教では認められておりません。



キリスト教を信じるためには
1.マリアの処女懐胎によってキリストが生まれたこと。
2.イエスは一度死んで復活した。
の2つを無条件に信じなければなりません。

しかし、信徒ではない私たちが常識的に考えたときに上の2つは信じられないですよね。だからと言って、イエスは実在しなかったというのも飛躍のしすぎでしょう。ですから結論として言えば、「イエス=キリストと目される人物が実在したとして問題はありません。」ということになるでしょう。

蛇足ですが、あの尊師アサハラ某にしても、あの宗教が今後百年以上も続いたとしたら、きっと多くの伝説が付加され、死んでまた復活したぐらいのことを言われるようになるかもしれません。イエスについてもそのようなものだと考えるのが妥当であると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
アサハラの例など、すごくわかりやすい解説で助かりました。

追加質問してもいいでしょうか。
キリストが実在したという証拠はどこかで見つかっているのでしょうか。
もっとキリストについて知りたいのですが、
なにか詳しい本などありましたら教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2001/06/26 21:55

十字架について重ねてお尋ねいただいたので、補足です。


何人もいた改革派リーダーの事跡をまとめて一人に仮託したという説に依るなら、その中に十字架刑に処せられた人もいたということになるでしょう。
いずれにしても十字架刑は当時の処刑方法として一般的だったようですから、イエスが実在したと考えるなら、そういう方法で処刑されたと考えること自体には、無理があるとは思えません。そのとき脇腹を貫いた槍が……とか、流れ出た血を受けた杯が……とかいう話になると、これはもう信者の方でも(信者ならなおさら?)眉に唾をつけるでしょうけど(槍や杯は実在したかもしれませんが、それに奇跡の力が宿っているという「聖杯伝説」のほうの話です)。
ただまあキリスト教というのは善かれ悪しかれヨーロッパ文化の源流の一つなので、関連書や研究書を読んでおくと、欧米の小説を読むときに二倍楽しめるというのはありますね。うう、最後は関係ない話になってしまった(汗)
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この回答へのお礼

ありがとうございます!教科書なんかを読んでると、
もう最初からイエス・キリストはいるものとして扱われていて
その源というのがわからない。だからすごく気になってしまいました。
それに対してご親切に回答頂いてありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2001/06/27 17:22

一応信者なんで、聖書の一節から、イエスの言葉を。



「お前は私を見たので信じた。見ないで信じる者は幸いである」

なんだかんだ言っても、結局は証拠を求めたくなってしまうのが人間の性ってもので、「今の時代の人はしるしばかり求める」とイエスが言っているところからもうかがえます。

まあ、聖書を信用していいのか、という問題にまでつつかれると、ちょっと困りますね。聖書はその当時教える人にわかるように書いたものです。
しかし、これを見る限り、「証拠なんかを探らないでくれ」ということと、「信じることが大事なんだ」というメッセージがあるようで、なんともはたから見るとうさんくさいんでしょうね。

ちなみに2番の人の答は、正統派のキリスト教の中では邪説となっているはずです。
しかし、それを信じるのは勝手。
そんなもんでしょう。

いたかどうか、より、信じるか信じないか、ですよ。

じゃあ、逆に質問しますが、徳川家康って、実在の人物だったんですかね。
え? 歴史書にしっかり残っている?
いやぁ、もしかすると誰かが捏造したのかもしれませんよ。
だって、僕は会ったことがない人だから、そんな人がいたかどうかは知りませんね。
ちょっと時代を下って、西郷隆盛は?
え? 写真?
うーん、もしかすると人違いかもしれませんよ。誰かが勝手に西郷隆盛だと勘違いしてしまったとか……

ここまでいくとへりくつになりますが、知覚できるものしか信じないとすると、絶対どこかで割り切れないものがあるんですよ。
だから、まあ信じるしかないわけですわね。
そんなことが宗教と哲学のはざまで争われたこともありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私の質問って信者の方から見ると
すごく失礼だったかも、ごめんなさい。
だけど単純に気になってしまって。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2001/06/27 17:19

実際に処刑されたのは実弟のイスキリです。

本人は生き延びました。
イエス・キリストは生き延び、日本へ来て「猿天空坊」とよばれ、日本で亡くなっています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。なんだかイエス・キリストって不思議な人ですね。
伝説なんだか実話なんだかあやふやなものが多いですね。

お礼日時:2001/06/26 21:47

当時各地で起きた「ユダヤ教改革運動」みたいなものを一人の人間の行動としてイエス・キリストに仮託したという説もあるそうですが、いちおうイエス・ベン・ヨセフというかガリラヤのイエスというか、そういう改革運動家が存在したのは事実だとする考え方のほうが一般的でしょう。

処女懐胎は後世の作り話というか、「若い女」を「処女」と読み間違えた結果のようですし、復活したというのも、まあかなりシンパの願望って気がしますけど……「まったくの架空の人物」とするのは、かなりの少数派だと思います。
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この回答へのお礼

親切に回答ありがとうございました。
ということは十字架の刑に処せられたというの話も本当か嘘かわからない、
ということなのでしょうか。もしお答えできるようでしたら回答お願い致します。

お礼日時:2001/06/26 21:44

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Qイエス・キリストは何だったのか

イエス・キリストが何であったかについてはいろいろなことが言われていて定かではありませんが、およそ次のうちの一つに当てはまるのではないでしょうか。

1.イエス・キリストは神であった。
2.イエス・キリストは神ではなく、神の子であった。
3.イエス・キリストは神でも、神の子でもなくただの人間であった。
4.イエス・キリストはただの人間ではなく、正真正銘のペテン師であった。

結局、イエス・キリストはどれに最も近いですか。

Aベストアンサー

「聖書」ってさ、そもそもの語源が「本」だよね。
いろんな人が書いた手紙やら詩なんかの文書を適当に切り貼りして一冊の本にまとめたものだよね。
それを宗教宣伝の道具に使ってるだけだよね。
まちがってないよね?

で、その本にイエスキリストが「神」であるとか、「神の子」であるとか書いてあったとしてそれがなんなのよ?

わしは、イエスキリストがペテン師だったかどうかは知らない。
イエスキリストを教祖に仕立てて宗教活動している者はペテン師だと思う。

Qイエス・キリストが十字架にかかった意味について

イエス・キリストは、十字架にかかることによって、自分が死ぬことで人類の罪を償ったとされているそうです。
なぜ自分が死ぬことで、人類の罪を償う事になるのですか?

Aベストアンサー

イエス自身はそんなことは、一言も言っていないようです。「十字架刑による贖罪」というのは、初期キリスト教の代表的な使徒・パウロが考えた教義です。パウロはイエスの死後キリスト教に入信した人で、イエスとは一面識もありませんでした。

「アダムとイヴが神の命令に背いたので、その罪は全人類に受け継がれた。イエスは原罪を償うために十字架上で死に、その償いが神(イエスの父、またはイエス自身)に受け入れられた証として、3日後に復活した。」

まったく理屈に合わない教義であり、現代人がこれを理解することは、ほとんど不可能だと思います。キリスト教徒(子供のころに洗礼を受けさせられただけの人を含む)も大半は、少しも信じていないでしょう。

ただ、この教義が古代ヨーロッパなどで広く浸透したことには、一応背景があるようです。
各地の神話には、「神を神自身に、生贄として捧げる」という不思議なモチーフがときどき出てきます。たとえば北欧神話の最高神・オーディンは、自ら世界樹に逆さ吊りになり、自分の体を槍で貫いて、「オーディンを、オーディン自身に」捧げたとされています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3
また、ギリシア神話でアルテミスの生贄にされた女性・イーピゲネイアも、アルテミスと同一視されていたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%94%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%A2

「神であるイエスが、自らを生贄として神に捧げた」という教義も、こうした神話的な思想にもとづいています。そのため特に古代人には、受け入れられやすかったのかもしれません。

イエス自身はそんなことは、一言も言っていないようです。「十字架刑による贖罪」というのは、初期キリスト教の代表的な使徒・パウロが考えた教義です。パウロはイエスの死後キリスト教に入信した人で、イエスとは一面識もありませんでした。

「アダムとイヴが神の命令に背いたので、その罪は全人類に受け継がれた。イエスは原罪を償うために十字架上で死に、その償いが神(イエスの父、またはイエス自身)に受け入れられた証として、3日後に復活した。」

まったく理屈に合わない教義であり、現代人がこれを理解...続きを読む

Qイエス・キリストはなぜ二千年も記憶されているのか

イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。

エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、
どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。

Aベストアンサー

イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。
 ↑
キリスト教の布教に成功したからです。
マネジメントの勝利。


エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、
どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。
 ↑
キリストだと思います。
何と言っても、キリスト教文化圏が世界を席巻
していますから。

Qイエスが十字架にはり付けられた時

イエスがゴルゴダの丘ではり付けにされた時、イエスの弟子はだれがいたのですか?マグダラのマリアは見届けたと聞いたのですが、十二使徒はだれもいなかったのですか?

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自らをイエスの弟子の筆頭と自負していたペテロは最後の晩餐でイエスに「他の誰が裏切っても私は死ぬまで先生についてゆきます!」と宣言しましたが、イエスは「鶏が鳴く前に、お前は私を知らないと三度言うだろう」と予言しました。
イエスが逮捕されると弟子たちは散り散りになったようですが(聖書には弟子たちがこのときどうしていたか全く描いていません)、ペテロは館の前で「こいつを見たことがあるぞ、こいつはイエスの弟子だ!」といわれると「ひと間違いだ!俺はイエスなんて知らない!」と叫び、そのとき鶏が鳴いてペテロはイエスの言葉を思い出して号泣した、と聖書にあります。

イエスの弟子はほぼバラバラに四散しますが、その弟子たちが集合するのはいうまでもなくイエスが「復活」したからです。

Qイエス・キリストの系図

イエス・キリストの系図
日本の古典や旧約聖書のユダヤ人には系図が
あり、非常に人間的に出来ていますが、
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Aベストアンサー

母はマリアですが、父(厳密には神=イエス=聖霊(三位一体)なので父ではないですが…)は世界を作った創造主である神なので父方の祖先はありません。
また、子どもを作って子孫が現在もいるという映画もありましたが、バチカンやプロテスタントの各教団はそのことについては認めていませんので、系譜はイエスで終わることになります。

Qイエスの誕生日はいつ??&十字架

イエスの誕生日はいつなんでしょう??
西暦元年に生まれているって本当ですか??
ヘロデ王が死んだのが西暦前4年になってますからおかしいと思うのですが。(2才以下の男子を殺したはず。そして逃げた)
あと、12月25日って本当ですか??
イエスが生まれたとき、野宿していた羊飼いたちが、やってきて伏して拝んだって確かあったような気がしたんですが・・・。
野宿したら死にませんか??あと馬小屋寒くて死にませんか??

あとイエスが架けられた木が十字架って断言できるのですか??
勝手な意見ですけど、両手首と足首を釘でうちつけられるとしたら、十字架では物理的に体を支えられないとおもうのですが・・・。

あまり詳しくないので詳しいかたお願いします。

Aベストアンサー

まず生まれた場所ですが、ユダヤ教の預言で「救世主はベツレヘムで産まれる」と決まっていました。つまり、ベツレヘムで生まれてくれないとそれは「公式の救世主」とはいえないのです。そういう決まりですから。キリスト教はその名の通りイエスをキリスト(救世主)としていますから、キリスト教がキリスト教である限りイエスはベツレヘム生まれということになります。
そもそも新約聖書のいわゆる四大福音書はイエスの死後30年から90年くらい経ってから成立しています。新約聖書としてまとまったのは3世紀くらいになってからで、教義が固まるまでに何百年もかかっているんですね。
史実に基づいたイエスの生涯は、ナザレに生まれて大工をやっていましたが30歳過ぎて突然出家し、教えを説いて大ブームを呼びましたが世間のバッシングにあって無実の罪で処刑された、というものです。
しかし、教義としては母マリアは処女で妊娠し、ベツレヘムで出産して東方の三賢人(これがいったい何を意味するものなのかが不明なんだそうです)がへへーっと拝んで、一度エジプトに逃れてイスラエルに戻って、出家して伝道して誤解されて処刑されて復活した、というのが「キリストしてのイエス様の生涯」です。

12月25日については、元々は冬至のお祭りだったものがイエスの誕生日として転化したもののようです。世界中どこでも冬至のお祭りはだいたい盛大にやります。というのも、冬至を境に日照時間は長くなります。これが太陽の復活を意味するものなので、どこでも盛大に祝うのです。
欧米では、イエスの本当の誕生日は3月だという説も盛んなんだそうです。ただ、それは何か史実的根拠に基づくものではなく、占星術での3月生まれであるうお座が献身的とか他者への共感というふうにいかにもキリスト様向きの性格と判断されているので、そういう意味のようです。

また、十字架にかけた際ですが、よく絵画などでは手の平に釘を打たれているのが多いのですが、実際の処刑では手首に釘を打ったそうです。肘から手にかけての腕の骨はトウ骨と尺骨というふたつの骨で構成されています。このふたつの骨の間に釘を打ち込めば骨にひっかかって体を支えることができます。なお、最近の研究ではどうやら十字架にはお尻を乗せる台のようなものがついていたようです。実はこれをされると体が無理な位置にねじられるのでかえって受刑者は苦しむのだそうです。映画「最後の誘惑」ではそれに基づいて再現されていますが、キリスト役の俳優はあまりの苦しさ(もちろん、釘は打たれていません)に数十秒十字架にいるだけで息をするのも辛くなったそうです。

ついでに、本当に十字架にかけられたのかどうかは実のところはっきりとはしていません。ユダヤ教の記録によると、ちょうど紀元1世紀あたりで「自称救世主を名乗った男が大衆を惑わせたので絞首刑にされた」と残っているそうです。ただし、これがイエスのことかどうかは不明です。

まず生まれた場所ですが、ユダヤ教の預言で「救世主はベツレヘムで産まれる」と決まっていました。つまり、ベツレヘムで生まれてくれないとそれは「公式の救世主」とはいえないのです。そういう決まりですから。キリスト教はその名の通りイエスをキリスト(救世主)としていますから、キリスト教がキリスト教である限りイエスはベツレヘム生まれということになります。
そもそも新約聖書のいわゆる四大福音書はイエスの死後30年から90年くらい経ってから成立しています。新約聖書としてまとまったのは3世紀くらい...続きを読む

Qイエス・キリストって、今、何してる?

イエス・キリストは、今、どういう状態なのでしょう?これから先、どうかなるのでしょうか?それと、イエス・キリストが死んだ意味は何ですか?
カトリックとプロテスタント、それぞれの解釈を知りたいです。
どれか一つでも構いませんので、回答をお願い致します。

Aベストアンサー

(1)もし神とイエスが同じなら神の右の座に座ることはないでしょう。
(2)
さあどうなっているのでしょうね。神様だけがご存知でしょう

Qイエス・キリスト誕生の疑問

キリスト教では、イエスの母マリアの夫ヨセフがダビデの家系の者なので、イエスはダビデの血筋となっていますが、マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはずなので、この部分の聖書の記述はとても矛盾していると思います。どのように理解したらいいのでしょうか。

Aベストアンサー

> マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはず…

私個人としては以下のように考えています。
(引用は日本聖書協会新共同訳聖書より)

日本でも養子としてよその家にはいればその家の人間とみなされ、またそのように周囲から呼ばれるので、ヨセフの長男として育てられたイエスは「ヨセフの子」、「ダビデの子(子孫のこと)」と呼ばれても差支えがないように私は感じます。また、旧約聖書「ルツ記」や、新約聖書「ルカによる福音書」の20章27-40節にあるように、ユダヤ人の家系に関する慣習や考え方は独特のものがあることも考慮するべきかと思いました。

いずれにしても、当時イエスは、ヨセフの子、ダビデの子と考えられていたことが、以下のような聖書の箇所からわかります。

「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」マタイによる福音書 13章 55節

「彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。」ルカによる福音書 18章 38節

「他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、」マタイによる福音書 21章 15節

また、天使ガブリエルがイエスの母になるマリアの前にあらわれたとき、以下にあるように「父ダビデ」と言っているのですが、これは英語では “his father David” (KJV), “his ancestor David” (RSV) とあるので、「彼(=イエス)の父(父祖)のダビデ」と言っていることがわかります。

「あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」ルカによる福音書 1章 31,32節

以上のように、当時の人たちも天使もイエスを「ダビデの子」と呼んでいるので、まあ、それだけの理由があったと考えて問題ないように私は思います。(その理由については、検索すると日本語なり、英語なり、いくつか意見がみつかるのですが、これは、理由を考えれば理由のつけようがある、ということではないかと思います。)

> マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはず…

私個人としては以下のように考えています。
(引用は日本聖書協会新共同訳聖書より)

日本でも養子としてよその家にはいればその家の人間とみなされ、またそのように周囲から呼ばれるので、ヨセフの長男として育てられたイエスは「ヨセフの子」、「ダビデの子(子孫のこと)」と呼ばれても差支えがないように私は感じます。また、旧約聖書「ルツ記」や、新約聖書「ルカによる福音書」の20章27-40節にあるように、ユダヤ人の家系に関する慣...続きを読む

Q阿弥陀仏とイエス・キリストの救い

阿弥陀仏とイエス・キリストの救いは、どこが違うのでしょうか?

Aベストアンサー

あるオーストラリアの熱心な青年が仏教の深遠さを勉強しようと日本へ来た。
たまたま、学んだのが浄土真宗だった。
すると、この青年はキリスト教と同じではないかと失望し帰国した。
という話を聞いたことがあります。
そういう話もあるくらいですから、質問はもっともなことです。

浄土真宗の門徒の発言として読んでください。

類似視される考えられる要素はおそらく
(1)弥陀一仏への帰依   → 一神教
(2)罪悪深重の凡夫の救い → 原罪
(3)往生浄土       → 天国
あたりでしょうか。

(1)阿弥陀仏の救いは仏教の教えですから、成仏道です。
いかなる仏教においても仏になるのが目的ですが、キリスト教で「人間が神になる」という文言を聞いたことはありません。
神は創造主ですが、阿弥陀仏は如来(一如より来たらしめた)です。
(仏典に出てくる神々はキリスト教でいう神とは意味が違います。)
私の迷い元は、無明(真実が明らかではない)ですが、それを打ち破るはたらきが、仏の智恵と慈悲のはたらきであり、仏が私の境遇を定めたり試練を与えたりするという訳ではありません。
また、仏を自然(しぜん)界そのものという汎神論的解釈をする人もいますが、それもちょっと違うような気がします。
自然界の中に満たされた、私を真実化するはたらきは真如法性、無上仏と呼び「いろもましまさず、かたちもましまさず」ゆえに自然(じねん)と申す、とあるように私とは関連不能。
その真如からはたらきをもって、あらわれたから阿弥陀仏を如来と呼びます。
親鸞聖人は
「弥陀仏は自然(じねん)のやうをしらせんれうなり。(有り様を知らせる手立てである)」(自然法爾章)
と言われています。

(2)旧約聖書は物語としては面白いですが、私にはとうていついていくことができません。
新約聖書の瑞々しさは魅力的です。
「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」(マタイ9-12)
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9-13)
あたりは歎異抄3条の悪人正機(悪人こそ正しきめあて)を彷彿とさせます。

この場合の悪人は成仏の材料が欠けた私ということであって、罪人とは違います。仏教にあっては全てのものは縁によって成り立った存在ですから、私のありようは本来、無記(善悪が決まった存在ではない)です。
天罰ということばはありますが、仏罰ということばは本来存在しません。仏は、私を救う存在です。
仏のはたらきは
「真実なるものは、真実ならざるものを、真実にさせようとするはたらきをもつ」
というふうに言ってみます。
ただし、こういう表現はなんとなく解ったつもりになるという恐れがありますので聞き流してください。

(3)浄土は阿弥陀仏のはたらきの完成の表象であり具体化です。
固定化された土は化土と呼ばれ、真仏土は「光明、寿命無量の願」に基づくものです。
浄土はたらきの世界、常にあらゆる境遇と関わりをもつ(還相回向)ものです。

浄土に心を向けること(願生)は、私を悟りに導く妙法ということになります。

私の感じからいうと、浄土真宗の教えはキリスト教よりは、やはり禅宗や真言、天台のほうにずっと近いと言う気がしています。

あるオーストラリアの熱心な青年が仏教の深遠さを勉強しようと日本へ来た。
たまたま、学んだのが浄土真宗だった。
すると、この青年はキリスト教と同じではないかと失望し帰国した。
という話を聞いたことがあります。
そういう話もあるくらいですから、質問はもっともなことです。

浄土真宗の門徒の発言として読んでください。

類似視される考えられる要素はおそらく
(1)弥陀一仏への帰依   → 一神教
(2)罪悪深重の凡夫の救い → 原罪
(3)往生浄土       → 天国
あたりでしょうか。
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Qキリスト教のシンボル十字架について

なぜ、神?救い主?とあがめる人が
見るにも耐えない磔にされている十字架をシンボルとしているのでしょうか?

もっと普通の、尊い姿(マリア像のように)のキリストを崇めるべきなのではないでしょうか?

それとも宗教的な意味があるのですか?

Aベストアンサー

私も似たようなこと思いました。

以前、蝋人形で作ってあると思えたのですが、イエスの貼りつけのシーンの画像がアップされているサイトをリンクしたところ、削除されちゃいました。

確かに、、、むごたらしいので、普通の人は気持ち悪いと不快感を催して当たり前。

人間が貼り付けになっているものを首からぶらさげたり、それにキスをしたり愛したりする行為は、ちょっと普通の神経では理解しがたいと思います。

で、何故 人間が貼り付けになっている状態のアクセサリーを信者の人はしたがるのか考えたのですね。

「自分のせいで一人死んだ。自分の身代わりとして一人死んだ」ということを常に意識して行動をするように という気持ちからだと思います。

キリスト教では人間は昔は永遠の命を持っていたそうですが、罪を犯したため、全員罪人になってしまい、死に運命になってしまったのだそうです。
ですが、イエスが罪を肩代わりして死んでくれたため、人間から死が無くなったそうなのです。
だから 私達はもう永遠に死ぬことはなくなったわけで、それで身代わりに死んでくれたイエスに感謝し、イエスの死を無駄にしないため、永遠の命を大切に生きていこう というのがキリスト教の教え。

おや 人間はいつから不死になったのか と思いますが、イエスは再度地球にやってきて、裁判をするそうなんです。
で、永遠者に人間はなったので、裁判でイエスが罪と決定した人が死ぬわけではなく、永遠に地獄に住んで、イエスが罪が無いとした人は天国に永遠に住むのだそうです。
というわけで、結局 地球以外に永久に住むってわけで、人間は不死のままだそうです。
(こうなると葬儀屋困りますが、、、、 )



で、5世紀頃までは、キリスト教徒は十字架を敵国の処刑道具として嫌っていたそうです。

ただし、正確にはこの形、当時のローマの処刑道具と多少違うのですが。

で、十字という意味は、キリスト教が発生する以前から異教でシンボル的なものとして使用されていたんですね。

それをキリスト教側がだんだん採用するようになったのですが、処刑道具だと思っていなかったりします。

十字路というものは、道と道が交差しているので、その交差している箇所は、どちらにも属さない場所 という意味もある。

呪術的にも使われていた。

この道と道が交差する地点はヘルメスに捧げられていた。
この四辻の側にヘルメス像が建てられていた。

のちにキリスト教徒はヘルメス像のかわりに、この場所に十字架を立てるようになったわけですが、ヘルメス崇拝を真似たわけですね。

ただ、ヘルメスとイエスの十字架の違いは、ヘルメスは二匹の蛇がかかげられており、イエスの十字架の方は一人の人間が掲げられている。

北欧のオーディオンの絞首台 つまり 処刑道具だったものが、キリスト教になると、オーディオン崇拝を真似て、十字架を立てるようになり、同じく崇拝として使うようになっていった。

それは身代わりに生贄になる神の概念だったので、イエスの話と同じなので、それで異教のやり方を真似て、キリスト教も処刑道具としてではなく、ヘルメス崇拝と同じように偶像として使用するようになった。


といういきさつがあります。
おや、偶像崇拝禁止ではないのか と思うでしょうけど、偶像崇拝禁止はユダヤ教です。
キリスト教は偶像崇拝です。
神が決めたとされる律法も否定しています。
だからユダヤ教とは違う宗教。
ユダヤ教はYWHWを神として信仰していますが、キリスト教ではイエスを神として信仰しているので、崇拝する神が違いますので、別の宗教。



ヘルメスはエジプトですが、マリアもイシスが原型だと思います。
だからイシスが子供を抱く像と同じような像がマリア像になったんですね。

エジプトのオシリスとイシスの話がイエスの話になっていったようです。

私も似たようなこと思いました。

以前、蝋人形で作ってあると思えたのですが、イエスの貼りつけのシーンの画像がアップされているサイトをリンクしたところ、削除されちゃいました。

確かに、、、むごたらしいので、普通の人は気持ち悪いと不快感を催して当たり前。

人間が貼り付けになっているものを首からぶらさげたり、それにキスをしたり愛したりする行為は、ちょっと普通の神経では理解しがたいと思います。

で、何故 人間が貼り付けになっている状態のアクセサリーを信者の人はしたがるのか考...続きを読む


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