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日本史Bの参考書をやっていたら
田植えは(弥生時代)前期からやっていた可能性も指摘されます
とあったのですがそれまでは田植えやってないってことですよね?ではそれまではどんな風に田んぼを使ってたんですか?

A 回答 (2件)

日本の国土って今は全部埋め立てちゃったけど、大きな河川がないがゆえに河口は干潟や沼地が多く、そして海岸線は砂浜が少なく岩礁が多かった。


そこで狩猟や採集の縄文系民族と、農耕の渡来系弥生人が住み分けてた。
狩猟や採集するのに平地の沼地や砂浜は不便で、入江や里山や河原を切り拓いて集落を作って住んでいたのに対し、
渡来系は船などで海岸線にそって渡り、狩猟に身を隠すのに不便で空いていた土地である、河口付近の平地の沼地や干潟が稲作に適していたので定住し、粘土で土器を作った。

氷河期が終わり、温暖化がすすみだんだん人口が増えて、食の供給や文化交易により生息圏が広がって平地を耕して住むようになった頃に統治者があらわれ古墳時代がきます。
スタジオジブリの「もののけ姫」は奈良から平安時代と思われますが、古代の日本はあんな感じに民族衝突しながら、製鉄と稲作の技術供与とバーターに土地を提供して融和していったと考えられています。
製鉄や陶芸は薪の確保で河川、稲作の場合は平地を求めて海岸線を伝播していった。

縄文期末期に九州で鬼界カルデラや阿蘇カルデラの大規模噴火があり九州全域の縄文人や渡来人が絶滅の危機に瀕して、
避難民による瀬戸内〜大阪へ至る強制的な民族移動が起こったことも日本の文明の発生と稲作や製鉄の伝播に影響していると考えられています。
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この回答へのお礼

丁寧にありがとうございました。しかし自分にはちょっと難しい説明みたいです、端的に言うとどう使っていたんですか?

お礼日時:2017/01/15 19:52

>端的に言うとどう使っていたんですか?


沼地は縄文人が住まない空き地だったから、縄文人より後から来た稲作技術を持ってた入植者が、あえて沼地を選んで稲を植えた。
それを整えて広げて田んぼを作った。
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この回答へのお礼

解決しました

よくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/15 21:02

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