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日本人は欧米が市民革命、産業革命と次々に変革発展する中から生み出した価値を後から模倣したように思うけれど、世の中の変革を好まない独創的発想の出来ない民族なのだろうか。
日本人による画期的な発明が無かったわけではないが、模倣が得意あるいは上手といわれている。
また、農村を中心とする経済と文化が縄文、弥生時代から1960年代の高度成長期に入るまで続いていたように思う。

A 回答 (6件)

日本人が社会的な変革を好まないのは同意しますが、独創的な発想ができないわけではないと思います。



では、なぜ「社会的な変革を好まない」のかといえば、島国だからでしょう。

そもそも、社会的な変革というのは「進歩的でいいもの」なのでしょうか。たしかに封建主義より今の民主主義のほうが豊かで自由な感じがしますが、同時に自分の身は自分で守る過酷さもあります。

日本は諸外国から離れた島国であり、多くの人々が安定して暮らせるなら、特に変革する必要はなかった、といえるのではないでしょうか。

たとえば鎌倉幕府が開かれた経緯についてですが、武士階級としては「もうこれ以上朝廷の言いなりにはならない」という考え方があったはずです。しかし、朝廷を滅ぼしてしまうと、日本列島全部を再支配しなければならず島国中が動乱になりますし、もしかしたら大陸の勢力が入ってくるかもしれません。
ならば、東国に政治拠点を作り、朝廷から許可をへて武士が自分たちで政治を行えばよかったわけです。このようなやり方に「日本人が変革しきらないで、残すものは残す」源流を感じます。

戦国時代も織田信長はそうとうな改革者でありましたが、結局部下に殺されてしまいます。いろいろな陰謀論がありますが、どれをとっても「信長の改革にはついていけなかったから」という理由があります。

日本が明治維新をおこなったのも、西洋列強が今までのレベルとはちがう軍事力と経済力で開国を迫ったからです。開国を躊躇した中国はアヘンで蹂躙され、それ以外のほとんどの国は植民地化されていました。その源泉は産業革命による圧倒的な経済力です。

もし、日本に西洋列強がやってこなければ、もしかしたら今でも徳川幕府だったかもしれません。人々が幸せに暮らし、安定しているなら産業革命などの変革を受け入れる必要性は特にないのです。

しかし、結果として日本は様々な変革を受け入れ、それでいて古代からのれんめんとした歴史を有する国でもあります。ある意味これほど独創的な国はないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

万人の万人による闘争。
みんなが平等に権利を主張し合っていては共食いになり全滅⇒リーダーを決めて理性有る統率社会⇒自然権と社会契約説。
支配の正当化⇒権威の裏づけ⇒日本民族の精神的支柱である大王、天皇から征夷大将軍か関白に任命してもらう。
天皇制を温存し、利用しながら武家のリーダーとして君臨し実質的に社会を支配する(鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸)
共同作業の農耕文化⇒変革を嫌う穢れとハレの文化⇒共同社会の秩序と現状の維持⇒出るものは打たれる。
織田信長は天皇を超え、耶蘇教のデウス⇒スペインやポルトガルなどの大強国の王様も従わせる絶対的存在者。
神になりたかった。でも、日本民族の地政学的文化の精神(島国根性)の染み付いた権力闘争の陰謀に破れ
本能寺で自害。諸行無常。人間界の50年は化天の一日にしか過ぎない夢幻の如し、口惜しきかな。合掌!

お礼日時:2017/03/22 17:47

日本は地理的に好条件、農耕と農耕技術を日本に入れたら後はその技術を磨く。


欧州は麦の文化をエジプトから輸入したが、戦争で文明が発展と衰退ギリシャ科学で、コンピュータ、自動ドア、蒸気機関など発明したが、ローマではそれが消え上下水道と武器のみ引継ぎ宗教により衰退ただ芸術が発展
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

地政学的好条件⇒ユーラシア大陸の極東に位置する島国。

西隣に大国の(漢、モンゴル、満州その他思いつかず)チャイナ帝国があり、
北条執権時代にモンゴルからの侵攻を二度受けたけれど蚊に刺される程度で済んだ。
モンゴルの目は西へ西へと向かっていった。
チャイナは伝統的に遊牧民族と漢民族の大陸内権力抗争が主で、
極東の発展途上の島国には興味が無かった。存在が小さすぎて見えなかった。
朝貢してきたら可愛いから、金印をあげちゃうよ!この程度。

島国ではあったが国を閉ざしてはいなかった。
海の交通を利用した交流があった。
モンスーン気候の島国には稲作農耕が適していた。
器用さ、勤勉さで模倣発展更なる価値の創造はお手のもの!
資源が乏しいので、ものを大事に徹底して使う無駄の無い3R社会を実現!
3R調べてみて!

狭い島国だから変化を好まず現状を維持、自分勝手は許しませんよ!

みんなが見てますあなたの行動!

お礼日時:2017/03/22 18:40

No.3さんと同じで、安定した国家だったので改革は必要なかったのですね。



島国で恵まれてました。

地続きの国だと、絶えず侵略されることを警戒しなければならないのですから、、。

そのためにも、改革が必要ですから、、。

絶えず隣国からの脅威にさらされる、、ということが無かったので

日本は恵まれた国でしたね。

国民も、そのことに感謝が足りないようで、平和は「当たり前」といった

意識しかありませんものね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

ユーラシア大陸の極東に位置する島国。

周りは全て海で小さな島国。

元寇はあったけれど蚊に刺された程度で済んじゃった!

国土が狭いので単一民族、単一国家にまとまりやすかった!

地政学的に恵まれていた。

モンスーン気候と豊かな自然があって稲作農耕文化で生きてこられた。

たいした資源が無い代わりに3Rで徹底的に物を使い切った無駄の無い循環型社会の実現。

自然や道具、その他多くのもの、言葉にさえも霊が宿るとした精神文化。

沢山の要素が複合的に関係して日本の文化と文明を築き上げた。

お礼日時:2017/03/22 18:53

革命的な大きな変革を必要としない安定した


社会だったということでしょう
誰だって必要に迫られなければ、しんどい改革なんかしたくないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

必要は発明の母成り。

必要が無い、つまり母親がいない⇒必要という子供が生まれない。

では、世代が繋がらずに滅んでしまう。

一部の特権者が多数の者を自分の所有物として自分の領地で耕作させ、実りを奪う社会⇒農奴社会⇒ロシア革命。

封建社会⇒土地を与える(御恩)見返りの義務として軍役(奉公)
土地を基盤とする君臣の従属関係支配社会⇒一所懸命の社会⇒武家社会。

為政者の失政による人災、自然災害による天災、飢饉、商品経済の発達と封建的重農主義⇒幕府、譜代、外様諸藩の財政難。

江戸の三大改革⇒しんどくても必要に迫られればやるしかなかった。

黒船に脅迫されてかったるいけど、仕方なしに開国⇒明治維新、富国強兵、殖産事業。

必要というよりもやらざるを得ない⇒強迫観念。

お礼日時:2017/03/22 17:16

日本人は新型より改良版を好むのと似ている。

有る物を何とかする傾向の極みだろうか。島国で資源もないのだから、有る物をより良くする精神は尊いと思うが。

良くも悪くも、表題に通じる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

日本人は目先が利く、機転が良い、合理的、手先が器用。
日本には、万物に霊が宿るとしてものを大事にした文化があった。
山、川、海、田んぼ、木霊、言霊、道具霊、食べ物霊、自然やその他多くの身の回りの物を霊、神として尊ぶ精神。
捨て去るのではなく徹底して使い尽くし、改良して違う用途で復活させてまた使う。
江戸の庶民文化がそうであったようですね。
国土の特性により育まれた民族の特性。

お礼日時:2017/03/22 16:51

狩猟民族は、新しいものを求めて変化を好みますが、



農耕民族は、変化は良くないこととしています。
お隣と同じことをすると、収穫を得る事が出来るというのが、民族にしみこんだ考えです。

出る杭はうたれる・・・と。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

民族の特性ですか。
狩猟、農耕両方とも共同作業のほうが効率的ですね。
狩猟は単独的に出来ても、農耕は集団で大規模にやらねば実りと収穫が乏しくなってしまいます。
共同作業⇒共同生活⇒社会の成立⇒国家の成立⇒ピラミッド型階層の成立
知恵と力を備えたリーダーがその他多数の者をコントロールする機械論的構造社会。
何か超然的力によってこの仕組みは出来上がったのでしょうか。
和を以って尊し、チームワークを乱すものを忌み嫌った社会。
穢れとハレの文化。
変化を嫌い現状維持を守り抜く。
それにしても単独で成立しそうな狩猟民が共同社会つまり国家を形成したのでしょうか。

お礼日時:2017/03/22 16:36

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