哲学カテで回答数が一番の質問が「人を殺してはいけないのは何故ですか」
というものでした。
回答数があまりにも多いので一部しか読んでいません。
ハーバードのマイケルサンデル教授の公開された講義の中に「殺人に正義は
あるか」というテーマのものがあり、あれこれ仮定を想定し学生に答えさせ
大変面白い講義を行っています。
私はこれまでこの問題に対する答えで、腑に落ちるものに出会ったことがほ
とんどありません。
改めて問いたいと思います。
1、人を殺してはいけないのは、何故ですか?
2、こんな「自明」に思える問題の答えがなかなか出てこないのは何故ですか?
A 回答 (54件中11~20件)
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No.47
- 回答日時:
#46です。
>
hako:あなたに限らず、所詮、こんなとこに集まっているのは、みな素人の暇人に決まってます。
David:何が気に入らなくてそんなになっているのかよく理解できませんが、見苦しい限りです。
:
何かが気に入らなくて、そういうことを言ったと解釈されたわけですか?
まったく筋違いですね。事実を述べたまでの話。
>早々に消えなさい。
:
ついに出ました。大笑い。
論理的反論ができなくなると、馬脚が現れるという傾向はありがちなことですから、まあ致し方ないことではありますがね。
こういうのを「見苦しい」と呼ぶのが正しい日本語の使い方。
>あんた、以前も捨て台詞残して消えていたよね?
:
前にもお話ししたことありましたっけ。
まったく記憶にありませんねえ。
他のHNでしたかね。まあ、どうでもいいですが。
因みに、「捨て台詞」というのは、根拠も挙げずに、相手を一方的に罵倒することです。
論理的反論ができなくなると、使われるというパターンが多いですね。
わたしの場合、論理的反論ができなくなれば、自らの非を認めるという方針を貫いてきております。
しかし、(あるはずもない)プライドとか尊厳などが自らにあると思い込んでいる方にとっては、自分の考えを訂正したりするのは許されないことなのでしょうね。
わかりやすい例では、かつての日本陸軍。
一度言い出してしまったことを訂正するなどもっての外、ということで軍瑕を拡大させていった。
また、こういう方は、他人の言ったことをあたかも自分の意見であるかのように巧妙に言い換えてしまう傾向も持ち合わせているみたいですよ。
つい最近の例では・・・、いや、おわかりでしょうから、やめておきます。
では、気がお済になるでしょうから、また捨て台詞でも吐いておしまいになさるとよろしいでしょう。
No.46
- 回答日時:
#45です。
>「○○と△と◇◇というのが、殺人をしてはいけないという感覚が芽生える理由だ」
と規定した場合、
「○○と△と◇◇という理由がなければ、殺人をしてはいけないという感覚が芽生えないのは当然だ。であるから、その殺人は肯定されて然るべきだ」
という論理が整合性があると思っていらっしゃるんでしょうか?
:
いやはや、これはびっくり。
当然あるに決まってるでしょう。
整合性がないという根拠も挙げずに、こうした捨て台詞しか吐けないとは嘆かわしい。
ま、妙な自信家にありがちな傾向ですね。
>はっきり言って時間の無駄です。
:
同感ですな。
>私は専門家でも何でもなく、
:
あなたに限らず、所詮、こんなとこに集まっているのは、みな素人の暇人に決まってます。
>自分の考えをまとめたくてこうしてやり取りしているわけですから。
:
その思考過程に矛盾があるままだと、考えをまとめたくてもまとまりませんよ、と申し上げているのですが、どうもわたしの表現が未熟で伝わらなかったようですね。
残念です。と言うか、申し訳ない。
まあ、別に悪気があったわけではありませんのでご寛恕のほどを。
>あなたに限らず、所詮、こんなとこに集まっているのは、みな素人の暇人に決まってます。
何が気に入らなくてそんなになっているのかよく理解できませんが、見苦しい限りです。
早々に消えなさい。
あんた、以前も捨て台詞残して消えていたよね?
No.45
- 回答日時:
#40です。
1.
>人間の心の問題ですから、杓子定規にスパッと分析できる性質のものではないということが、まずあります。
:
それはわかります。
ですので思考過程で矛盾が生じたとしても、それは致し方ない部分もあるとさえ言って良いのではないかと思います。
それを論議の中で煮詰めていくことで、その矛盾を矛盾でないようにしていくベクトルさえ忘れなければ、ですが。
さて、細かいことにいちいち反論しても意味がありませんので、肝要な点になるべくしぼって述べるようにしていくつもりです。
まず、
a.法律の存在
b.「自分に置き換える」という人間特有(だろうと思う)の心理
c.相手の中に何か尊厳を感じる
に関して、
>この三つの理由は人によって重要度が違うでしょうし、その時に何かの理由で「変わってしまう」こともよくあることだと思います。
ですから、「相手に尊厳を感じる」ということが必須条件とは全く言えないと考えていま
す。
:
とおっしゃっておられます。
わかりました。お答えいただきありがとうございます。
そうしますと、#24では
【尊厳を感じるのが人間として「普通」だと思います。だから、殺すなんて
とんでもない、というのが人間の正常な感覚でしょう。】とおっしゃっておられましたが、本当は、
{尊厳を感じるのが人間として「普通」だと思います。
また、「法律を守る」ことも人間として「普通」だと思います。
さらに、「自分に置き換える」という人間特有(だろうと思う)の心理」が働くのも人間として「普通」だと思います。
だから、殺すなんてとんでもない、というのが人間の正常な感覚でしょう。}
のように言いたかったのだということですね。
そして、このように3つの(あるいは複数の)「殺人をしてはいけないという感覚が芽生える」理由があるのだから、その中のひとつが無いからといって「殺してもいい」ということにはならない、という論理なのだと思います。(違うようならご指摘ください)
しかし、実は理由がいくつあっても矛盾であるという点に相違はないんじゃないですかね。
なぜかというと、
「○○と△と◇◇というのが、殺人をしてはいけないという感覚が芽生える理由だ」
と規定した場合、
「○○と△と◇◇という理由がなければ、殺人をしてはいけないという感覚が芽生えないのは当然だ。であるから、その殺人は肯定されて然るべきだ」
という論理にならざるを得ないからです。この論理は同意していただけるはず。
つまり、「規定する以上、そのなんらかの(ひとつでも複数でも)理由が存在していないのなら殺人をしても構わない」という論理が成立しないと、【人を殺してはいけないのは、何故ですか?】に対する答えは出しようがなくなってしまう、ということ。
あとは、その「なんらかの理由」が腑に落ちるか否か、という問題。
ましてや、
>、他にもありえるし、個人差もありましょうし、気が変わるなんてことも人間ですからよくある
:
なんて言ってた日にゃ、なんでもありになってしまうでしょう。
それで良ければ別に構いませんが、なんのために質問したの?となってしまいませんかね。
2.
>なぜなら、自分に尊厳を感じない人は、(平たく言えば、自分を愛せない人は)人を愛することができない、と考えるからです。
自分を愛せない心を放置したならば、犯罪者の心に行きついてしまうだろうと思います。
この心が現代社会においては、増えていると思っているので、あえて「普通である」と申し上げました。
矛盾でもなんでもないですよね?
:
そうしたお考え自体に矛盾が含まれていると言っているわけでないことは明白でしょう。
ご自身でおっしゃっておられるように、【「相手に尊厳を感じる」ということが必須条件とは全く言えない】のだとするなら、仮に「自分を愛せない心を放置」したとしても、法律を守る心があれば【犯罪者の心に行きついてしまう】ことはない、とおっしゃっていることになるのですよ。
矛盾と言わざるを得ないと思われませんか?
しかし、こうした矛盾点を突くことが目的ではありませんので、これ以上拘るのはやめましょう。
お述べになった内容には、大いに同意する部分もありますし、ただ、そうした有為な見解における客観的な根拠を探ろうとするのが哲学的姿勢になるのではないか、と一素人ながら思う次第。
3.
というわけで建設的に提案してみたいと思うのですが、他の方々の回答を拝見していても、やはり、
(ア)「人を殺してはいけないのは、何故ですか?」
と、
「殺してはいけないという感覚が芽生えるのは、何故ですか?」
が同時に論じられているために、論点が定まっていないような印象を受けます。
後者は、
(イ)「人を殺してはいけないと人が思うのは、何故ですか?」
と言い換えるほうがわかりやすいかもしれない。
(ア)は、人間に「人を殺してはいけない」という規制がかけられているのはなぜですか?という意味の問いであり、
(イ)は、人間が自ら「人を殺してはいけない」「人を殺したくない」と思うのはなぜですか?という問い。
これは分けて論じられるほうが論が進むような気がしますけどね。別に質問をする、という意味ではなく、論点を混同しないということ。(ど素人なのに生意気なこと言いやがって、と言われそうですが・・)
個人的見解を改めてまとめてみると、以下のようになります。
(ア)「人を殺してはいけないのは、何故ですか?」
:
「殺せば罰則を与える」という法律(不文律を含む社会的契約)を作って「殺せば損をする」という共通認識を醸成しないと、こうした契約によって守られる(はずの)自らの生存基盤が揺らいでしまう、と考えるから(この思考過程が正しいか否かは別問題)。これが端的に「人を殺してはいけない」と表現される規制。(#24内容の修正)
(イ)「人を殺してはいけないと人が思うのは、何故ですか?」
:
「自分が殺されたら嫌だろうな」という想像力が働くからで、つまり、相手のことを自分のことに置き換えて想像する能力があるから。(#24からの引用)
4.
>三つめの点ですが、尊厳というものが人間に備わったものではない、とすることの根拠は
どういうことになりますか?
:
野生動物に育てられた場合のことを想像してみるとお分かりになると思います。
尊厳を感知するアンテナは生まれながらに付与されていますが、特別なきっかけが他の人間によってもたらされなければ、それを実感することはないでしょう。
>「真の尊厳」と仰いますが、人間を離れた真の尊厳とは、いかなる概念になりますか?
人間から尊厳を「わざわざ」分離させるという思想は、さらに人間存在を軽んずることに
至ると考えますが、違いますか?
:
「真の尊厳」=正しい意味での尊厳。
といった意味になるかと思います。
それを理解したり感知する能力は付与されていますが、人間に元々備わっているものではありません。
大雑把に言うと、本能・自我・超自我といった心理階層を併せ持った存在であり、尊厳がなくとも生きていけるという事実があるわけですから、人間が存在するための必須アイテムではない、ということ。
逆に言うと、無いからこそ求め続けるわけで、これが動物から進化して人間という種に生まれたものの宿命とも言えるのでしょう。
そもそも、尊厳がある、と考えることに何の意味も無いのです。
「尊厳」
とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。
ですよね。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/131972/meaning/m1 …
つまり、人間が口にする尊厳というのは、「とうとくおごそかだと自分が感じること」「気高く犯しがたいと自ら思うこと」にすぎない。
あくまで個人の超自我的感覚にすぎないのであって、他人に対して尊厳を感じるか否かは、まったく、その当人に委ねられているわけですから。私はその相手に尊厳を感じない、と言えば、その時点で尊厳など雲散霧消してしまう。
そうした実態が世界中で飽くことなく、日夜繰り広げられているわけです。
尊厳が元々備わっているなどと勘違いすると問題の本質を見誤り、ますます尊厳から遠ざかった状況の創出に加担することになりますよ、と申し上げている次第。ないものをあると勘違いしてしまうと、ボタンの掛け違いが生じて道を見失う。
まあ、具体的解決策もお示しできないままあれこれ言ってしまうのも気が引けるのですが、そうしたことを上手に導いていかれるように期待しておきます。
私のほうからはもう一つしか申し上げません。
「○○と△と◇◇というのが、殺人をしてはいけないという感覚が芽生える理由だ」
と規定した場合、
「○○と△と◇◇という理由がなければ、殺人をしてはいけないという感覚が芽生えないのは当然だ。であるから、その殺人は肯定されて然るべきだ」
という論理が整合性があると思っていらっしゃるんでしょうか?
人間の心は杓子定規にスパッと分析できるものではないと申し上げたばかりです。
そんなパズルのような議論をしたいのであれば、ほかの方となさってください。
全体的にちょっと私に対応できるご回答ではないですね、ええ。
はっきり言って時間の無駄です。
私は専門家でも何でもなく、自分の考えをまとめたくてこうしてやり取りしているわけですから。
No.44
- 回答日時:
>>ということは、答えが存在しないとお考えなのですか?
「人を殺してはいけないのは、何故ですか?」という問いの答えを 数式を解いたり、実験を行なって導き出せるわけではないですよね。その意味で客観的な答えはないと思います。
しかし主観的な答えは明確にあるはずです。
<主観自体(そう思うこと自体)が答えになる例>
例えば、Aさんはボロボロのソファーを大事に使っています。なぜAさんにとって そのボロボロのソファーが大事なのか? これは、大事な人からもらったとか、思い出の品とか様々な理由はあると思いますが、詰まるところAさんが大事に「思う」から大事である、ということです。自然化学の世界のように客観的に大事か否かが決まるわけではありませんね。
しかし、主観は人によって異なるものです。
例えば、殺人についてBさんは、「場合によっては殺しても良い」と考えているのであれば、それがBさんにとっての答えです。
Cさんは「人なんかいくら殺しても良い」と考えているのであれば、Cさんにとってはそれがすなわち答えです。
国家の意思
しかし国家にも意思はあるわけです。 例えば日本という国家は、刑法で殺人罪を定めており、人を殺すことはよくないことだと「思っている」(国家の意思)。それどころか場合によっては殺人者は死に値すると考えている(死刑の存在)。ですから、Cさんが、思うままにAさんなりBさんなりを理由なく殺せば 国家の意思により処罰(処刑)されることになるわけです。
しかし、その場合でもCさんが考えを改めない限りは、Cさんの中ではやはり殺人は犯しても良いという答えのままです。
主観的な答えというものは、あらゆる問題に対して存在するものです。
科学や国家が提示する回答のあるものについては、人は大抵それを自分
の答えとする、主観を捨てて。
しかし、科学が答えられない人生の関心事などについては、主観による
しかないというのが現状ですが、
「科学が扱わないから考えない」という風潮が強いと思います。また、
「人それぞれ」で価値観は押し付けるな、なんていうのも風潮で、主観
と主観の交流はまずないという時代ではないでしょうか?
あなたの回答を見て、改めてこう思ったということです。
No.43
- 回答日時:
人を殺してもいいと言う事になると 自分も殺されていいと言う事になるので
そうなると人類は滅びてしまうでしょう。それでは良くないでしょうね。道徳的にも価値としても。
No.40
- 回答日時:
#32です。
1.
>№23の回答を読んで考えましたところ、「人を殺してはいけない」という
感覚が芽生えるのは、法律の存在は勿論あるでしょうし、「自分に置き換
える」という人間特有(だろうと思う)の心理もあり、さらに、相手の中に
何か尊厳を感じるから(あなたの言う高尚な理由ですよ)だと、私は思う。
と、私は書いています。ですから、尊厳を感じられないから殺していいという論理にはなりません。
:
「人を殺してはいけない」という感覚が芽生える理由として、
a.法律の存在
b.「自分に置き換える」という人間特有(だろうと思う)の心理
c.相手の中に何か尊厳を感じる
の3つが考えられる。
ゆえに、仮に相手の中に何か尊厳を感じる(c)ことがなくとも、a や b の認識を保持していれば「人を殺してはいけない」という感覚が芽生えるはずであり、尊厳を感じられないから殺していいという論理にはならない。
という意味で、おっしゃっているのですね?(この解釈に誤解があるようならご指摘ください)
そうしますと、この場合、[ c.相手の中に何か尊厳を感じる ] というのは「人を殺してはいけない」という感覚が芽生えるための必須条件ではない、とおっしゃっていることになりますが、それで間違いないでしょうか?
確認のためご返事いただけると有難い。
2.
それはさておきですが、そもそも、
『この論理でいくと、尊厳を感じられない場合は「殺してもいい」ということになってしまう』とわたしが申し上げたのは、
【尊厳を感じるのが人間として「普通」だと思います。だから、殺すなんて
とんでもない、というのが人間の正常な感覚でしょう。】
という質問者さんのコメント(#24お礼欄)を受けてのものであることは、容易に判断できたはず。さらに、
【人を殺してはいけないという感覚が芽生えるのは、その「尊厳感」ではな
いか、また、人を殺してはいけない「理由」がそのあたりにある気がして
突き詰めたいのです。】とも続けておられる。
これは、{「尊厳感」がなければ、人を殺してはいけないという感覚が芽生えることはないのではないか}と言っていることになる。(まさか違うとはおっしゃらないでしょう)
【(「尊厳感」がなければ)人を殺してはいけないという感覚が芽生えることはない】のですから、つまり、『この論理でいくと、尊厳を感じられない場合は(人を殺してはいけないという感覚が芽生えないのですから)「殺してもいい」ということ』になってしまう。ですよね?
しかし、今回、【尊厳を感じられないから殺していいという論理にはなりません。】ともおっしゃる。
矛盾です。
実は、矛盾であっても構わないと私は思っています。そうしたことから、次の論理展開の糸口が見つかることはよくあることだからです。
しかし、1でも確認事項として挙げましたように、
[ c.相手の中に何か尊厳を感じる ] というのは「人を殺してはいけない」という感覚が芽生えるための必須条件ではない、とおっしゃっているのなら矛盾はしてないことになる。
矛盾しているので取り消す、ということなら、またそこから先へ進むことは可能です。
矛盾していない、ということなら、「見解の相違」ということで、これ以上の論議は無駄であると判断せざるを得ない。
どちらか教えていただければ有難いと思う所以です。
ちょっとくどくお感じになったかもしれませんが、大事な点ですので悪しからず。
3.
>また、「尊厳」は普遍的な人間の命の尊厳と言うのが私の主張です。
「正義」と同じで、普遍的でない個々の正義・尊厳を主張すればぶつかります。その「ぶつかり」こそが
悪の根源と言えるわけで、「正義」とか「尊厳」の概念そのものが悪の根源ではないと思います。
:
概念そのものが悪の根源と申し上げたわけではありません。端的に言うと、尊厳というものは人間に備わっているものではなく、人間が求めているものだ、ということ。
無いものをあるかのように錯覚してしまうため、尊厳に基づいてしているはずの行動が、無いものにもとづいているわけですから、真の尊厳とは関係のない行動になってしまうのは自明の理でしょう。
つまり、悪の根源の代表格になってしまうわけです。
人間の心の問題ですから、杓子定規にスパッと分析できる性質のものではないということ
が、まずあります。
人の心に「殺人をしてはいけないという感覚が芽生える」理由として、おそらくこの三つ
であろうということであって、他にもありえるし、個人差もありましょうし、気が変わる
なんてことも人間ですからよくあることと思います。
この三つの理由は人によって重要度が違うでしょうし、その時に何かの理由で「変わって
しまう」こともよくあることだと思います。
ですから、「相手に尊厳を感じる」ということが必須条件とは全く言えないと考えていま
す。
次の点ですが、「尊厳感」が必須条件でないと私が考えていることはもうお分かりいただ
けたかと思います。
「人間に尊厳を感じることが普通のことである」と申し上げたのはどういうことであるか
といいますと、人は誰でも自分の存在とか自分の人生について「かけがえのない尊いもの
である」という意識を本来持っていると思います。いや、持つべき、と言ったほうがいい
でしょう。それが、健全な精神であると思います。なぜなら、自分に尊厳を感じない人は、
(平たく言えば、自分を愛せない人は)人を愛することができない、と考えるからです。
自分を愛せない心を放置したならば、犯罪者の心に行きついてしまうだろうと思います。
この心が現代社会においては、増えていると思っているので、あえて「普通である」と申し
上げました。
矛盾でもなんでもないですよね?
三つめの点ですが、尊厳というものが人間に備わったものではない、とすることの根拠は
どういうことになりますか?
「真の尊厳」と仰いますが、人間を離れた真の尊厳とは、いかなる概念になりますか?
人間から尊厳を「わざわざ」分離させるという思想は、さらに人間存在を軽んずることに
至ると考えますが、違いますか?
No.39
- 回答日時:
コメントをありがとうございます。
★ (№33お礼欄) ~~~~~~~
私としても自分の思想をポンと出すことには、若干の後ろめたさのようなものは
ありますが、
哲学の議論としては、マナー違反なのでしょうか?
また、党派を作る、つまり、味方も敵も作る、ということでしょうか?
まあ、そうでしょうね。
~~~~~~~~~~~~~
☆ 思想として提出しますとことわれば だいじょうぶなのだと思います。
哲学は 基本としてどの党派の思想にとってもその基礎資料となるような遠回り
の一般理論を提出するのだと思います。
★ 仰ることは分かりますが、日本の社会において(特に現在)ズバリ物申すこと
がとても重要だと思っております。空気に合わないことは自然に排除されてゆく
からです。
☆ たぶん 《ズバリ物申す》場合にも 一般の基礎理論を〔間接的にせよ〕添
えて出すか それともそのまま思想や政策論を提出するかではないでしょうか?
★ 踏まえるところは踏まえて、しかし「対話」ですからあまりルールにとらわ
れたくないですね。
☆ そうですね。取り越し苦労だったかも分かりません。
わづかに思ったことは 思想のみを推し出す場合には 単なる論理だけで揚げ足
取りをされるとか あるいは単純に基礎理論を出せと言われたりするとかの物言
いがつくのかなぁといったことです。
★ ~~~~~~~~~~
隠されたものは腐る
明らかになったものは腐らない
だから 隠されたものを暴き出しなさい
それが腐らないように
ブッダの言葉ですが、これは私の大事な行動規範の一つです。
今の日本の社会の中では、下手をすれば抹殺されるような考え方です。
ですから上手にやってゆかないといけませんし、ルールにとらわれていると
埒があきません。
~~~~~~~~~~~~
☆ 分かりました。そして 〔重ねて〕一点だけですが 哲学には 経験合理性
で反証可能な内容で議論をはこぶ必要がありますし 思想を推し出す場合にも
哲学の基礎理論を控えさせているといった用意が 重要ではないかと思います。
人をころしたあとの人間について考えようという別様の質問を挙げました。
>哲学は、経験合理性で反証可能な内容で議論を運ぶ必要がありますし
思想を推し出す場合にも哲学の基礎理論を控えさせているといった用意
が重要
なるほど、分かります。私の場合、経験があまりにも少ないという点が
ありますが、経験を積むことによってこのことが人類社会の知恵の結晶
の一つであることを理解してゆくことになるだろうと思います。
ご教授ありがとうございます。
No.38
- 回答日時:
殺人は悪かと言うと悪とはならない。
例えば自分の子供がひどいいじめにあっていたとして、
許せなく感情的になり、いじめをしていた子を殺した。
この場合、同情の気持ちが出てきます。悪と言い切る事は出来ません。
殺人はいけないのかと言うといけないとなります。
正当防衛など、状況によっては認められます。
状況によって認められる殺人は、
正当防衛の場合は自分の命が脅かされる状況の時です。
安楽死は相手のことを思って行われる行為で認められている場合です。
基本的に殺人はいけません。
それは、命を奪う行為だからです。
他人が他人の人生を脅かしたり命を奪うと言う権利を持っていないからです。
個人は尊重されると言う原則から命を奪う行為は人生を脅かすことになります。
命が奪われたら自分の人生を歩むことも考え選択することも出来なくなります。
つまり、人の人生を奪う権利がない以上殺人はいけないと言うことになります。
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