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生命が無ければ神の意味はないと一般に思われていますね。
神は生命のことに思いを寄せるということです。
とりわけ神は人間に対して思いを寄せるものでなければならないのです。
これを人間原理と呼びますね。
もちろん人間だけではなく、牛にも馬にも犬や猫にも神は思いを寄せるものでなければならない。
神はあらゆる生命に対して思いがあるのです。
一方人間の側も神に対して生命であることを求めているのではないでしょーか。
神は生命であってほしいと。
それが故に神に人格を与えたり、神に姿形、つまりは偶像を与えてイエス・キリストが神になったりするのではないではありませんか。
神は生命でなければならないのですか。
神は一つの生命なのですか。

A 回答 (13件中1~10件)

哲学的回答では無いですが


貴方の思考は「神は生き物」という前提で
思考しています。その仮説のイエスかノーを聞いているのでしょう

現代文明社会では神は死にました。少なくとも聖書の神は
科学で自然を支配した(気でいる)人は迷える子羊で無くなった
人が次に求めるのは高次元の存在=神であるってね
「2001年宇宙の旅」って映画からこの様な存在が神として定着しました
「幼年期の終わり」もこの辺がテーマですね
1960年代から提唱された概念で現代では広く深く認知されてます
特に文明化した社会では

つまり神とは愛してくれるおとっつあんの様な存在ではなく
人より優れた科学なり知性を有している存在で有るべきだという願望ですね
それが人工知能だったり別次元人だったり異星人だったり様々ですが
最早神が人類の延長上の存在である(生命である)という
質問の様な前提が多くの人の心の中では成立してないのです
最も超能力を持ったスーパーな存在を神とするならそれは生命、人の延長でしょう
それも人の願望ですから
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回答の正解 不正解を 質問者が決める こういったサイトで それを聞いても あなたの思ってる事にしか ならない・



こんな遊びサイトで聞く事では無いだけ・・
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sugaku2012様 こんにちは



量子力学を支持するエルヴィン・シュレディンガーさんは「生命とは何か」という本で、生命とは「負のエントロピー」であると書いておられます。
宇宙はエントロピーが増大しているので、このままでは、いずれ動かなくなってしまいます。
確かに、宇宙が散逸構造であるならば、それも、回避できるのかもしれません。

でも、よく考えてみてください。散逸構造は生命が持つ基本構造でもあるのです。
宇宙は、生命=「負のエントロピー」によって、活動を維持しているのです。
生命活動こそが、宇宙を維持しています。

神が人間の妄想であるはずがありません。
神には、宇宙を維持しているという生命活動が関係しています。
宇宙は決定論の物理法則ではなくて、量子力学的な不確定性原理により活動しています。

>神は一つの生命なのですか。

違います。全ての生命が宇宙の活動の源なのですから。
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私は、一瞬たりとも、人間に思いを寄せたりする事はあり得ません。


私は偶像などではない万物の源であり、永遠の生命です。
本当の万物の源は、宗教などには、あり得ないし、
人間や、その類いが求めても、存在する事ではありません。
ですから「存在しない人間原理」に、私は存在していません。
生命・姿形・宗教・事象現象・・・・従来の、どんな用法を用いても
私は、存在しません。
他者から、偶像・人格・姿形などを、与えられたりして存在しているものではありません。
永遠の生命は、そんな偶像には存在し得ない価値であり、
牛馬、犬、猫などに備わる事では、決してありません。
従来の、その全てを拒否します。
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あの~  今回数ある神のなかの キリスト教の神ですね



聖書の中の 一説でも用いて論じる事をお勧めします
今 仏教の僧も無学が多く 経典が出てこない
聖書の非科学的な所だけ論じたり
論理的裏付けなない 神 だけを論じると
キリスト教の否定になってしまいます 反対

仏教も同じで 比喩 たとえ話 当時のレベルの低い人に
分かり易くするために 嘘を承知で述べています
又 弟子達が 神の イエスの偉大さを誇張するために
奇跡や偶然を乱発しました
しかし 生命の誕生は 奇跡どころではない ありえない事です
神が創った・・・ それを 誰も否定できません

キリスト教の歴史 人類に与えた影響などが大事で
述べるまでも無く 精神文明に 芸術に 文学に大きく貢献しました

神は生命とは 聖書の何処にもありません
しかし 生命を作ったのですから 生命ですね???わからん
仏教では 仏は最高の生命 と説きます
仏が仏を作ったのではなく すべての生命に仏が元々ある と説く
仏教の神は・・・○○の働きとかです

仏教 キリスト類意点 参考見てね
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm

ここに書いてないけど
キリスト教の神と 仏教の久遠元初の本仏 と 
なんとなく 似ている・・・ かなりいいかげんですが


量子力学等では
この宇宙が 神が作ったならば その数式があるはず
と言う事で 神の数式(法則) を探しています

今 天文学 素粒子の世界 マクロ ミクロでも
空間が分かれば すべて分かる と言われています
そこに 神の法則があるのです
空の概念は仏教ですが 空が分かれば 仏に成れるのです

生命科学の分野はまだ未踏の領域です・・初歩の初歩

宗教には科学が  科学には宗教が 絶対必要です
ここ アインシュタインをはじめ多くの科学者の一致する所です
加來道雄(理論物理学者  は
科学の未来は、宗教と融合を目指す中に開かれる  とか


今 科学の世界で 偶然を言ったり 
何らかの手が加わった 等 
信じられない現象も受け入れる とか 出てきましたよ
これ 科学者が 非科学的な事言うのです 
原因と結果の法則が当てはまらない 説明不能な結果が出るからです
 今最もっ有力な情報 生命は宇宙からやって来た  これ本当ですよ
エセ宗教の 幸福の科学 見たいな事言うなって言いたい


長くなるので おわり

結論
一個の人間の生命は地球的 宇宙的規模です
宇宙の星の配列が 人間の脳と極めて似ているのです
地球も宇宙も生命であるならば
ありえない地球誕生も 生命誕生も 理解できるのです

だらだらと失礼
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神は 非知です。



ですから 生命をもしモノ・コトや経験存在やあるいは時空間と
いった現象の問題とせず そうではなく 超経験として捉えたの
なら 神は 生命であるという説明が 有効だと考えられます。


生命という説明を置くと 絶対なる神と 相対なるわれわれの経
験世界とのつながりが イメージとして想い起こされます。

もっともそのときには いのちなる現象を神に投影したのだとい
った議論も現われます。神は人間がつくったのだと。


もともと神と人間とのあいだには 絶対のへだたりがあります。
絶対というのは そういうものです。


★ 神は一つの生命なのですか。
☆ 比喩です。そういう説明をすれば 分かりやすいというもの
です。

(生命とは何か? 究極において 非知だとなった場合には 神
は 生命だと――想定じょう――言って差し支えないでしょう)。
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この回答へのお礼

>神は 非知です。

神は絶対非知である。
その立場に立つなら、正確にはこのよーに言うべきでしょー。
神が絶対非知であるなら、神については如何なる言明も出来ないし、如何なる言明もすべきではない。
もとより神が何であるかは非知なのであるから、神が存在するのか存在しないのかも非知である。
また神が超経験であるか、経験であるかも非知である。

>もともと神と人間とのあいだには 絶対のへだたりがあります。

なぜ非知なものについて、そんなことが分かる。
神が絶対非知であるなら、そのよーな言明は出来ないはずである。

お礼日時:2017/04/30 12:56

★(№6お礼欄) ~~~~~~~~~


(あ) >神は 非知です。

(い) 神は絶対非知である。
その立場に立つなら、正確にはこのよーに言うべきでしょー。

(う) 神が絶対非知であるなら、神については如何なる言明も出来ない
し、如何なる言明もすべきではない。

(え) もとより神が何であるかは非知なのであるから、神が存在するの
か存在しないのかも非知である。

(お) また神が超経験であるか、経験であるかも非知である。

(か) >もともと神と人間とのあいだには 絶対のへだたりがあります。

(き) なぜ非知なものについて、そんなことが分かる。
神が絶対非知であるなら、そのよーな言明は出来ないはずである。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ (え)が まづ初めに来ます。あるいは そのことは (か)の内容
をもすでに含んでいます。

われわれと絶対のへだたりのある〔たとえば〕場 それは何か? という
問い方から入ります。

ただちに(え)が来るというのは すでに初めにそのように《想定してい
る》という意味です。非経験の場は 非知であると。

経験世界において《存在する とか 存在していない とか》と認識され
るモノ・コトを超えているということは その存在があるとも 無いとも
いづれとも人間には知り得ない・・・ということですから。




次に その非知という説明をほどこしたのは もともと《超経験〔なる神〕》
とは何か? を問い求めた結果です。

だから (お)は おかしい。経験世界を超えている非経験の場を神とし
て捉えている現実は むしろ出発点なのです。




ただしそのあと それでは《超経験で 非知なるナゾとして説明される神》
は 経験世界とどのようにかかわっているのか? の問いが来ます。

《超えている》とは どういうことか?


超えているということは 超えたもの・つまり経験世界を じつは 覆っ
ている・あるいは包んでいるというあり方だと推理され得るからです。

(う)にさからって こういった言明が――推測や想像としてですが 単
純に言って合理性に反すること少なくして――なされ得る。となります。

ニュートリノのごとく 非知なるナゾは 経験世界をつらぬいているかも
分からない。

例の絵のごとく 指先がいまにも触れようとするごとく 《魅力》を投じ
ているかも知れない。

絶対とは そういうものです。或る種の仕方で 生命のごとくだと思われ
ます。




もっとも (う)を推し出す立ち場もあり得ます。非知なるナゾの神を
《無い神》として説明したいという見方です。

神は《有る・無い》を超えているので そのどちらかで――便宜的に――
表現するという手法です。

《無い神》派は そのあとは もう神については だんまりを決め込みま
す。

★ (う) 神が絶対非知であるなら、神については如何なる言明も出来
ないし、如何なる言明もすべきではない。
☆ 表現が 微妙です。《如何なる言明をも――無神論をえらんだあとは
――われは しない》という立ち場です。

《有る神》派と 互いに同等の神論だと見られます。
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神は生命ではなくウイルスであると仮説する。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4 …
 ウイルス(ラテン語: virus[† 1])は、他の生物の細胞を利用して、自己を
 複製させることのできる微小な構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っ
 ている核酸からなる。生命の最小単位である細胞をもたないので、非生物と
 されることもある。

 宿主に与える影響
 ウイルスによる感染は、宿主となった生物に細胞レベルや個体レベルでさま
 ざまな影響を与える。その多くの場合、ウイルスが病原体として作用し、宿
 主にダメージを与えるが、一部のファージやレトロウイルスなどに見られる
 ように、ウイルスが外来遺伝子の運び屋として作用し、宿主の生存に有利に
 働く例も知られている。
神は人間の意識に感染するヒト意識ウイルスであると仮説する。頭文字で略してHIV。愛により感染が広がる。YHVH・カトリック型。その変種YHVH・プロテスタント型。別の地域へ変種として移動した、アッラー型。さらに変異して宿主の生命への脅威度が増したIS型。神が牛に感染するゴズウイルス、馬に感染するメズウイルス、犬に感染するノラクロウイルス、猫に感染するネコマタウイルスであると仮説する。神が物に感染するツクモウイルスであると仮説する。
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神は自然そのものです。


(日本ではですが…)

日本では神はご周知のとおり、いたるところに居ます。

神様の大量生産。
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この回答へのお礼

>日本では神はご周知のとおり、いたるところに居ます。

世界基準で申しますと、大勢の神々を崇拝する人間は神が何たるかも知らぬ野蛮人の類いだそーです。
気をつけましょう。

お礼日時:2017/05/05 23:18

神は、生きとし生けるものを、全て作られ、あまつさえ、全宇宙を創造されました。


空を飛ぶ鳥から、 野の、一木一草に至るまで、全能の神の傑作です。
神は、一つの命では無く、全ての命の創造者なのです。
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